第20話 結太と桃花、イーリスの話を神妙に聞く
イーリスの涙を見て、結太も桃花も、ハッと息をのんだ。
勝気な彼女が、人前で涙を流すのだ。余程のことがあったに違いない。
精密検査の結果が〝異常なし〟だったと知らされた時は、からかっているのか、もしくはドッキリかと、一瞬、疑いもしたが――。
いくらなんでも、そんな質の悪い悪戯を、仕掛けて来るわけがない。
今、彼女が流している涙も、嘘だとは思えなかった。
きっと、深刻な理由があるのだ。
再び、話し始めるのを待とう。
そう思い、結太と桃花は、イーリスが泣き止むのを、身じろぎもせず待っていた。
しばらくして。
イーリスは両手で涙を拭うと、照れ臭そうに微笑んだ。
「ごめんなさいね。ちょっと、感情的になっちゃった。……ええと……どこまで話したんだったかしら?……ああ、そうだわ。結太と出会った日、精密検査の結果が〝異常なし〟で、ホッとして屋上で笑ってた――ってとこまでだったわね」
彼女は、気持ちを落ち着かせるように、ゆっくり深呼吸してから、続きを語り出した。
「病院から家に戻って、数日の間は、何事もなく過ごしてたわ。体のどこにも、異常なんて感じられなかった。食欲もちゃんとあったし、夜はぐっすり眠れたしね。学校の体育の授業だって、普通に受けてた。……でも、一週間ほど経った頃だったかしら。義父の部屋の前を通り掛かると、ドアが少しだけ開いてて……中から、義父が誰かと話してる声が聞こえて来たの。ドアの隙間から、そっと覗いてみたら、電話してる最中だったわ。漏れ聞こえて来た会話の内容から、相手は、スウェーデンにいる叔父だってわかった。叔父は母の弟で、スウェーデンで医師として働いてるんだけど……その叔父と話してる時、急に、義父の声が震え出して……耳を澄ませてみて、ようやく、涙混じりで話してるんだってわかったわ。『いきなり涙ぐむなんて、何事?』って思ってたら、今度は、声を上げて泣き出して――」
「えっ!? 声上げて泣き出した!?――おやじさんが?」
ギョッとして、結太は声を上げてしまった。
大人の男性が――特に、中年の男性が声を上げて泣き出すなど、滅多にあることではないと思ったからだ。
イーリスはフッと笑って。
「ええ、そうよ。三十過ぎのおじさんが、大きな声で泣き出したの。アタシ、びっくりしちゃって。しばらくその場で固まってたわ。だけど、そのまま聞いているのも悪い気がして、ドアをそっと閉めて、自分の部屋に戻ろうとした。その時、義父が叫ぶように言ったの。『私だって、イーリスと別れるのは辛い! だが、もう……もう、君に頼むしかないんだ! 君だけが頼りなんだ! イーリスを……私の大切な娘を、どうか助けてやってくれ!』……って」
「……助けて……やってくれ?」
結太が発した言葉に、イーリスは静かにうなずいた。
「さっき言ったでしょ? アタシの叔父は、スウェーデンで医師をしてるって。叔父は腕の良い外科医で、スウェーデンの医学界では、結構名の知れた人らしいの。アタシは、叔父とは幼い頃に会ったきりだから、どこがどういう風にすごいのかとか、専門が何なのかすら知らないんだけど……。でも、腕の良い外科医の叔父に、義父が泣きながら『助けてやってくれ』なんて言うんだもの。よほど悪い病気なんだとしか、思えないでしょう?」
「それは……。けど、精密検査の結果は〝異常なし〟だったんだろ? それでどーして、『助けてやってくれ』ってことになるんだよ?」
どうしても納得出来ず、結太が訊ねると、
「治る見込みのない病気だったら……余命僅かって病状だったら、本人には知らせず、家族だけに知らせて病状を説明する――なんてこと、よくあるじゃない。あの病院は、昔から、藤島家の掛かり付けの病院だったみたいだし……本人にだけ病気を覚らせないようにすることなんて、簡単に出来るでしょうしね」
「でも……健康診断は、毎年受けてたんだろ? 健康診断って、病気の早期発見するためにやるもんじゃないのか? なのに、余命僅かな病気なんて……そんなのあり得んのかよ!? あり得んだったら、何のための健康診断なんだよ!?」
結太が腹を立てても、どうしようもないことだとわかっていても、訴えずにはいられなかった。
そんなに若い頃から、体に気を遣って(親に言われてだったとしても)いたにもかかわらず、そこまで重い病気にかかってしまうという事実が、すぐには受け入れられなかったのだ。
「若いと、病気が進行するのは驚くほど早いって言うじゃない? だから、それは仕方ないわよ。病院のせいでも、お医者様や、医療従事者の人達のせいでもないわ」
既に、達観してしまっているのだろうか。イーリスの口調は、終始淡々としている。
自分の身に起こったことを語っているにしては、冷静過ぎるような気がした。
しかし、結太は、ベッドに突っ伏して、すすり泣きながら『死にたくない』とつぶやいていたイーリスも、先ほど大粒の涙を流していたイーリスも、この目で見て、知っている。
不安や恐怖を必死に堪え、平静を装っているだけなのだろうと思ったら、よけいに胸が痛んだ。
「……ってことで、余命がどれくらいなのかはわからないけど、どうせあと少ししか生きられないなら、これからは、自分の好きなことだけして生きよう――って思ったワケ。我慢したりせずに、思うように生きようって。そう決めたら……ふいに、結太の顔が浮かんで来たの」
「えっ?……オレ?」
イーリスは、両手を後ろで組んでうなずくと、
「そう、結太の。そして、桃花の顔もね。だからアタシ、すぐ義父に頼んで、転校の手続きをしてもらったのよ。普段の義父だったら、名門女子高校から、一般の公立高校に転校したいなんて言ったら、絶対許してくれなかっただろうけど……最後くらい、娘の我儘を叶えてやろうって思ったんじゃない? すぐにOKしてくれたわ」
そう言って、満足そうに笑った。




