第1話 イーリス、ノックもせずに部屋を訪れる
「さあ、勝負の時がやって来たわ! 咲耶、準備は出来てる?」
桃花と咲耶が客間で水着に着替えていると、大きくドアを開け放ち、イーリスが、冒頭の台詞を投げ掛けながら入って来た。
咲耶はギョッとして振り返ると、
「おいっ! いきなり、ノックもせずに入って来るとは何事だ!? お嬢様のクセに、行儀が悪いぞ!」
両手を腰に当て、イーリスを軽くひと睨みする。
イーリスはひょいと肩をすくめ、
「あら。咲耶に、『行儀が悪い』なんて注意されるとは思わなかったわ」
そう言って、からかうように笑うと、手前のベッドに腰を下ろした。
咲耶はたちまち真っ赤になって、『な――っ! な、にぃいい~~~ッ!? どーゆー意味だそれはッ!?』と、睨みつけながら言い返す。
咲耶の声の調子から、これはマズいと目をやった桃花は、彼女の握られた拳が、ふるふると震えていることに気付いた。
慌てて駆け寄り、咲耶のTシャツの裾を掴むと、軽く引っ張りながら。
「おっ、落ち着いて咲耶ちゃんっ。これからみんなで、海で遊ぶんでしょ? その前に、ケンカはダメだよっ」
「――っ!……だ、だが桃花! 最初にケンカを売って来たのは、イーリスの方で――っ」
「やーねぇ。ケンカなんて売ってないわよ? 咲耶が行儀のことを言って来るなんて――って、ちょっぴり驚いただけ」
「だからそれがっ! バカにしてるって言ってるんだろーがッ!」
「咲耶ちゃん、ダメッ!!――イーリスさんも、悪気があって言ってるんじゃないと思うよ? だから……ねっ? お願いだから、ケンカしないで?」
桃花に後ろから抱きつかれ、涙目で懇願されると、咲耶も弱い。
小さく『う……っ』とつぶやいた後、ひとつ大きく深呼吸し、胸元辺りまで上げていた拳を、ゆっくりと下ろした。
「わかった。桃花に免じて、イーリスの無礼は許す。……イーリス、桃花に感謝するんだな」
そう言われても、イーリスはとぼけた顔で、ひょいと肩をすくめるだけだった。
再び咲耶はカチンと来て、文句を言ってやろうと口を開いたが、桃花に強く手を握られ、やっとのことで思い留まる。
(クッソ~~~っ! 桃花がいなかったら、掴み掛かってるところだぞ!? どーしてこいつは、私の神経を逆撫でするようなことばかり言うんだ!? 私のことが嫌いなのか!?)
――嫌われているのだとしたら、その理由はなんなのだろう?
考えてはみるものの、咲耶には、少しも思い当たることがなかった。
イーリスが好きな相手が、龍生だというのであれば、ライバルとして目の敵にされるのも、無理はないのだろうが……イーリスが好意を寄せているのは、結太ではなかったか?
桃花に嫉妬するならまだともかく、何故咲耶の方に、多く絡んで来るのだろう?
それとも、他に理由があるのか?
ただ単に、咲耶が気に入らないだけ……だったり?
胸にモヤモヤしたものを抱えながら、咲耶はイーリスをじっと見つめる。
視線に気付くと、イーリスは、細くて長い足を見せつけるようにして、組んでいた足を組み替え、
「それはそうと、咲耶。そのTシャツの下は、ちゃーんとあの水着なんでしょうね? 勝負のこと、忘れたとは言わせないわよ?」
冒頭の台詞と同じく、『勝負』という言葉を出して来て、挑発的な笑みを浮かべた。
咲耶も桃花も、水着には、とっくに着替え終わっている。
桃花は、淡いピンクのパーカーを、咲耶は、白のBIGTシャツを重ねて着ていて見えはしないが、準備は万全だ。
「忘れてなどいない。――約束どおり、この下は、学校指定の水着だ」
両手を腰に当てて仁王立ちし、咲耶はキッパリと言い切る。
イーリスは満足げに笑うと、ベッドから立ち上がり、負けじと両手を腰に当て、仁王立ちしてみせた。
「そう。忘れずにいてくれて嬉しいわ。……フフッ。咲耶の水着を見て、秋月くんは、どんな反応をするのかしら。……フフフッ。楽しみね」
そう言って、再び咲耶を挑発するイーリスの服装は、眩しいくらいに真っ白な、ノースリーブのワンピースだ。
頭には、やはり真っ白な、つば広の帽子をかぶっている。
「フン! 私がどんな格好をしていようが、秋月がガッカリするなどあり得ない! 勝負に勝つのは私だ!」
「さあ、それはどうかしら? 秋月くんだって、しょせんは男。学校指定の水着を、海にまで着て来る色気のない女なんて、彼女であろうと――……いいえ。彼女だからこそ、ガッカリするに決まってるわ。咲耶は、男という生き物のこと、知らな過ぎるのよ。そのことを、これから存分に思い知らせてあげる」
対峙する二人の間に、バチバチバチィッと、激しい火花が弾けた――ように、桃花には見えた。
むろん、錯覚なのだろうが、そう見えてしまうほど、二人から発せられる気迫だかオーラだかが、凄まじかったということだろう。
(うぅ……。咲耶ちゃん、自信満々だけど、ダイジョーブかなぁ? 秋月くんのこと、信じてないわけじゃないけど……。でも、もしも――万が一、ってこともあるし……)
二人を交互に見つめつつ、桃花は祈るように、胸の前で両手を固く組み合わせた。
咲耶のやることなすこと、全て受け入れ、常に、大きな愛で包み込んでいるように見える龍生だ。
彼女の水着がスクール水着であろうと、きっと……たぶん、問題なく受け入れてくれることだろう。
(こんなにも、秋月くんのことを信じてる咲耶ちゃんだもの。絶対、傷付いてなんかほしくない。……お願い、秋月くん! 咲耶ちゃんのスクール水着見て、ガッカリなんてしないで――!)
爪が手の甲に食い込むほど、両手をギュッと握る。
ずっと楽しみにしていた、面片会メンバー揃ってのバカンス。
今日は、その初日なのだ。
最高の一週間を過ごすためにも、初日からトラブル発生――という事態だけは避けたかった。
心配が杞憂に終わりますようにと、桃花は両目をつむり、一心に祈る。
すると、
「桃花?……どーした? 熱心に、何を祈ってるんだ?」
戸惑っているような咲耶の声がし、桃花はハッとして目を開く。
「あ……。う、ううんっ。何でもないっ。……え……と、あの……。あっ、そう! わたしの水着、似合ってないって、笑われないかなー……って。笑われませんよーにって、お祈りしてたの」
とっさにそう言ってごまかすと、咲耶は桃花の肩をガシッと掴み、怖いくらい真剣な顔を近付けて、
「何を言ってるんだ桃花! 桃花の水着姿だぞ!? どんな水着であろうと、似合わないわけが――可愛くないわけがないじゃないか!! 特に、楠木がおまえの水着姿を目にしてみろ! いつも以上のマヌケ面を晒し、これでもかってほど真っ赤になって、見惚れてしまうに決まっている!! これはもう、見なくてもわかる!! 間違いない!! 既に決まっていることだ!! 決定事項なんだよ桃花ぁあッ!!」
顔の真正面、五センチくらいの距離で、力説して来た。
桃花は目をぱちくりさせながら、
「え……。あ……うん?……そ……そーなの、かな……?」
咲耶の迫力に呑まれつつ、自信なげに返事すると、彼女は大きくうなずき、グッと拳を握った。
「当たり前だ!! 桃花の水着姿を見て、可愛くないと思う男など、この世には存在しない!! この私が保証する!! 自信を持て、桃花!!」
(えぇ~……と……。気持ちは嬉しいけど……咲耶ちゃんはいっつも、わたしを大甘に見てくれちゃうからなぁ……。あまり、本気には出来ない……ような……?)
ひきつった笑みを浮かべながらも、桃花は一応、咲耶に『ありがとう』と礼を言った。
他の者の感想はまだわからないが、咲耶が可愛いと思ってくれているのは、事実なのだろう――と納得出来たからだ。
イーリスは、
「桃花が着てるのって、当然、アタシが選んであげた、あの水着よね?」
小首をかしげて訊ねる。
桃花がうなずくと、ニッと、いたずらっ子っぽく笑い、
「なら、間違いないわ! あの水着姿の桃花を見たら、結太なんて秒殺よ、秒殺! いーえ、きっと瞬殺ね! 瞬殺だわ! 見た瞬間に腰から崩れ落ちて、しばらくその場から、起き上がれなくなっちゃうに決まってる! ええ、絶対そーよ! アタシを信じなさい!」
両手を腰に置いて胸を張り、咲耶同様、ハッキリキッパリ言い切った。
桃花は、再び二人を交互に見つめてから、
(そーかなぁ? この水着、ホントにわたしに似合ってるのかな?……二人を信じてないわけじゃないけど……こーゆータイプの水着って初めてだから、なんだか心配だし、ちょっと怖い……)
両手で胸元を押さえ、結太の顔を思い浮かべる。
それから、不安げに表情を曇らせると、小さくため息をついた。




