【書籍化告知記念】ちびグリフォンが舞い降りました・後編
前後編同時投稿です。前編をまだお読みでない方はそちらからどうぞ!
結局、陽が落ちきるまえにあっさりと、スフェリナは見つかった。
しかし、それで全てめでたし、というわけには行かず──
ずっと落ち着かないまま、屋敷の庭で空を見上げていた私は、森の方から大きな姿が滑空してくるのを見つけて声を上げた。
「アルフェイグ!」
『見つけたよ、ルナータ!』
ぶわっ、と風を起こしながら、彼は庭の止まり木に舞い降りた。
『飛ぶのに疲れたらしくて、山の中の少し開けたところに降りたのを、マルティナが見つけてくれた。ほら』
アルフェイグが止まり木の上で軽くジャンプし、私に背中を向ける。
小さな姿が、前足の爪でアルフェイグの首筋にしがみついていた。私を見て『クー』と声を上げる。
グリフォンだ。ちびグリフォンである。背中で翼が折りたたまれている。
グリフォンがちびグリフォンをおんぶしているとか、何なんだ。めまいがするほど可愛い。
「スフェリナ!」
両手を広げると、スフェリナは前足を放して、アルフェイグの背中をツルーと滑り台のように滑って落ちてきた。
「ああもぅ」
どこまで可愛いのか、と思いながら受け止めると、
『クー、クー』
と足をバタバタさせた。滑るのが面白かったようで、キャッキャしているらしい。
ちびグリフォンはアルフェイグの姿かたちと少し違って、上半身のソラワシ部分も下半身のモリネコ部分も、全身真っ白だった。ひよこと子猫のあいの子のようだ。
ちびグリフォンは楽しそうに、前足を私の肩にかけ、私の首に頭をぐりぐりとすり寄せている。
「か、可愛い……毛がぽわぽわしてる……いやいや、ええっと、スフェリナ? 人間に戻れるかな? って言ってもわからないか」
私は混乱しながら、あれこれ話しかけた。
「ほーら、お母様のお手てを見てごらん。こういう風に戻れる?」
けれど、スフェリナは今度はキョロキョロと、辺りを見回すばかりだ。ただでさえ言葉が遅いのに、こんな難しい話が通じるかどうか。
『少し待って、ルナータ。ああレムジェ、毛布を持ってきてくれないか』
アルフェイグはちょっと困った風に首を振った。
『普通の服を着ている状態で、急いで変身してしまって、ダメにしてしまったんだ』
「た、大変」
魔法のかかった服なら、元の姿に戻っても服をまとったままということになるのだけれど、魔法のかかっていない服を着ていたために、変身の時破いてしまったらしい。
つまり、今戻ったら事件である。
従者のレムジェが大急ぎで毛布を持ってきて、アルフェイグの身体にかけた。
すると、アルフェイグは私の腕の中にいるスフェリナにくちばしを近づけ、彼女の注意を引いた。
『スフェリナ。さぁ、よく見ていてごらん』
ふわっ、とアルフェイグの身体が淡く光ったと思ったら、スーッと輪郭が細くなった。あっという間に、毛布を巻きつけた人間の姿になる。
こんな姿でもかっこいいとか、困る。……なんて、恥ずかしくて言えないけど。
スフェリナは大興奮して、また足をバタバタさせながら『クー、クー!』と鳴いた。アルフェイグは再び顔を近づけ、スフェリナのくちばしを指先でつつく。
「さぁ、まねっこしてごらん」
そのとたん、いきなりスフェリナがバッと翼を広げ、片方の翼が私の顔にヒットした。
「わぷっ!」
あわてて落とさないように抱き直しながら、腕の中を見ると。
金茶の髪、金の瞳が、私を見上げていた。
「かーたま」
人間の姿の娘は、にぱぁ、と笑って私に呼びかける。
「スフェリナ! 戻ったわ、良かった!」
私は嬉しくなって、娘を思い切り抱きしめた。
その後、スフェリナはエフテルによって大急ぎで入浴させられ、汚れを落とした後、子ども部屋で夕食という流れになった。
今日は私も様子を見ていたのだけれど、子供用の椅子に座ったスフェリナはパンを握ったまま、ウトウトと船を漕ぎ出す。
「あぁ……やっぱり。飛び回ってお疲れのようですね」
エフテルはこの状況を見越していて、何とか寝る前に最低限のことを、と急いでくれたようだ。
「どこにも怪我はなかったし、少しでも食べられてよかったわ。ありがとう」
スフェリナをベッドに運んだエフテルにお礼を言うと、戻ってきた彼女は頭を下げた。
「今日は、本当に申し訳ありませんでした」
「あなたのせいじゃないわ、私も想像もしていなかった。どうして変身してしまったのかしら。もし、いつもと違うと思ったことがあったら、いつでも教えて」
「はい。また飛んでいってしまわないように、窓の開閉にも気をつけます」
「お願い。私はアルフェイグと、原因を見つけるわ」
私は子ども部屋を出て、書斎へと向かった。
アルフェイグは、書斎の大きなローテーブルの上に本を積み上げ、ソファで読みふけっていた。
「ああ、ルナータ。スフェリナは?」
「疲れていたみたい、もう眠ったわ。アルフェイグ、夕食は食べたの?」
「ここに運んでもらって済ませたよ。君は?」
「子ども部屋で一緒に食べてきたわ」
彼の隣に座り、テーブルの上を見る。全てオーデン語の古い文献だ。
「……何か参考になる記述はあった?」
「今のところ、見当たらない。あんなに小さなうちから変身した例なんて、僕は聞いたことがないし」
アルフェイグは困った顔でため息をついた。
オーデンの王族は、人間とグリフォン二つの姿を持つ。けれど、グリフォンとしての生に引きずられないように、成人までは人間の姿のみで過ごすという掟があった。
「掟がなくたって、そもそもそんなに簡単に、変身はできないはずなんだ」
アルフェイグは私の腰に手を回して引き寄せ、私の頭に軽く自分の頭をもたせかけながらうなる。
「僕だって、止まり木の城で先祖の記憶を受け継いだから、すんなりと変身できたと思われるわけで……スフェリナはどうして、いきなり変身したんだろう」
「すぐに人間に戻れたのも不思議だわ。アルフェイグがお手本を見せてくれたとはいえ、まねっこしてって言ったのを理解できたのが驚きよ」
「あぁ、それは」
彼は私を見て微笑んだ。
「僕は動物と意志を通じることができるだろう? あれは、言葉だけじゃないんだ。感覚のようなものを伝える。だからスフェリナも理解できたんだろう」
「あぁ、そういうこと!」
「一晩寝たら忘れていそうだけど。それに、具体的なイメージじゃないと伝わらない。変身したらダメだということも伝えたいけど、それはイメージではちょっと難しいな」
「そう……。変身の仕方も、一晩経ったら忘れてくれるといいけれど。とにかく、原因だけは突き止めましょう」
「そうだね。もし変身を繰り返してしまうと、まだ小さいから身体に良くない」
私とアルフェイグは、片っ端から黙々と文献を読んでいった。
けれど、原因はわからないまま、数日が過ぎた。
スフェリナはあれ以来、一度も変身していない。でもいつ変身するかわからないので、アルフェイグがなるべく屋敷にいるようになった。もしスフェリナが変身して飛んでいってしまったら、エフテルが即座に笛を吹いてアルフェイグを呼び、追っていけるように。
「笛で旦那様をお呼びたてするなんて、そんな、使用人のベルみたいな……」
彼女は恐縮していたけれど、私もアルフェイグも「一番いいやり方だから」「相手は空を飛ぶんだから」と説得し、納得してもらっている。
「エフテル、もう一度教えてくれる? あの日はどんな感じだったのか」
スフェリナがお昼寝している間に、私は子ども部屋でエフテルに聞いた。
「ええと……スフェリナ様を入浴させようとしていたんです。私は暖炉でお湯を沸かしておいて、廊下からたらいを持ってきました。その間、スフェリナ様は一人で絵本を見ていたと思います。準備ができて、スフェリナ様の服を脱がせて」
「そうしたら、翼が生えていて……という流れよね」
「はい。私、声を上げてしまったので、スフェリナ様を驚かせてしまったかもしれません。声を上げなければ飛んでいかなかったかも……」
エフテルはまだ気に病んでいるようだ。
「翼が生えていたら、誰でも驚くわ。それにしても、やっぱりいつもと違うことなんてないわよね」
私は首を傾げつつ、エフテルにお礼を言った。
「ありがとう。ちょっとスフェリナの顔を見ていくわ」
続き部屋の扉をそっと開けて、中を覗く。
小さなベッドで、スフェリナがお昼寝しているのが見えた。そっと近寄って、寝顔を眺める。
ふっくらした頬、長いまつげ、きゅっと握った手。とても可愛らしい。
ベッドのヘッドボードには、絵本が置かれていた。私も子どもの頃に読んだものだ。
(親子二代で同じ絵本を読むのって、いいわよね)
微笑ましい気分で、絵本を手に取る。
それは、精霊たちが登場する物語だった。ページをめくると、最初に風の精霊が登場して挨拶する。
私は小声で、それを読み上げた。
<レ・ティフネ・ヒオ>
そのとたん、突然、スフェリナが目を開いた。
(あ……起こしちゃったかしら)
また眠るかも、と少し様子を見ていると、スフェリナはむくりと起きあがった。上掛けが滑り落ちる。
(あぁ、完全に起きちゃっ……あら?)
その背中、寝間着が盛り上がっている。
娘は私に気づき、にっこりした。
「かーたま!」
両手を伸ばしてきた娘を抱き上げ、私はそっと背中に触れた。
翼が生えている。
みるみるうちに、スフェリナは光をまとったかと思うと、ちびグリフォンに変身してしまった。
「あらら……よしよし」
私は娘が飛ばないように抱き直し、ふわふわした頭を撫でながら苦笑する。
「なるほど、やっとわかったわ。あなたが変身しちゃったのは、私のせいね」
スフェリナはただ、目をぱちぱちさせていた。
ちびグリフォンを抱っこして、書斎に行く。
そこではアルフェイグが、疲れたのかソファの背にもたれ、お茶のカップを手にしたまま天井を見上げていた。
「あ、ルナ……あれっ、スフェリナ! また変身したのか」
「そうなの。あのね、アルフェイグ」
私は彼の隣に座る。
「ごめんなさい。もしかしたら、私のせいかもしれない」
「どういうこと?」
アルフェイグはカップを置いて、私に向き直る。
私は説明した。
「私、スフェリナがお腹にいる時に水と風の精霊語の勉強をしていたんだけど、特に集中してやっていたのが風の精霊語だったわ。あなたが飛ぶときの助けになりたくて、発音も声に出して練習して」
そしてスフェリナの顔を見て、風の精霊語で話しかける。
<レ・ティフネ・ヒオ>
とたんに、ちびグリフォンは翼をパタパタッと羽ばたかせた。ふわり、と身体が浮く。
『クー!』
彼女はご機嫌で、書斎の中をパタパタと飛び回った。
「……今、何て言ったんだ?」
「空を飛べ、って」
私はため息をついた。
「お腹の中で聞いているうちに、スフェリナはきっと風の精霊語が耳に馴染んでしまったんだと思う。よく空中を見て指さしたり笑ったりするのも、精霊たちの存在に気づいて、彼らの声が聞こえるようになったのかも」
絵本をきっかけに、精霊というものを意識したのかもしれない。
「それで、風の精霊に『空を飛べ』と言われて、飛ぼうと思ったのよ」
「飛ぶためには翼が必要だと、アンドリューを見ていればわかるものな。そうか、それでグリフォンに……!」
アルフェイグは髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、笑い交じりのため息をついた。
「あぁ、僕のせいだよ。僕がルナータに、風魔法で助けてくれなんて言ったから。しかしこれで、色々と謎が解けた。言葉が遅いのも、人間の言葉より先に、風の精霊語を覚えてしまったから?」
「あ、そうかも……!」
私はおおいに納得する。
「じゃあ私、屋敷の周りにいる風の精霊たちに頼んでみるわ。もうしばらく、スフェリナに『飛べ』って言わないでくれるように。あと、絵本や何かでスフェリナが風の精霊語に触れないように気をつけてみる」
「人間の言葉を覚えて、まだ変身をしてはいけないと理解できるようになるまでは、仕方ないね」
アルフェイグはうなずき、両手を上に上げた。
「スフェリナ、おいで!」
『クーッ!』
すいー、と彼女は父親の膝に降りてきて、後ろ足でぴょんぴょんと跳ねた。
アルフェイグはスフェリナを抱きしめ、額をくっつけ合う。
「さぁ、そろそろ可愛い娘さんの姿に戻っておくれ」
言語とは別の部分で彼と通じ合っているスフェリナは、またすぐに人間の姿になった。
「とーたまー!」
風の精霊は、私の話を聞いてくれたようだ。
おかげでスフェリナは変身することもなくなり、やがて人間の言葉もぐんぐん増えていった。『変身してはいけない』ということも理解できるようになったので、精霊語との接触も解禁になったわけだけれど……
<サブ・イラム、フォルブ・ヤーロ!>
スフェリナは樹木にも影響する土の精霊語をとなえ、木製ベッドをばいーんと跳びはねさせて、その上でポーンと浮き上がってはキャッキャしている。
「こらーっ、スフェリナ! ベッドで遊んじゃいけません!」
私は叱りつけながら、
(あぁ……この子、どんな娘に育つのかしら)
と、一抹の不安を覚えずにはいられないのだった。




