第30話 エピローグ
温かくなった春の日差しの中、あたしはリュウ兄の車に乗って、JRの駅に向っていた。
卒業したあたしは、下宿を引き払い、4月から東京に行く事になったのだ。
◇◇◇
大学在学中にBLマンガ家としてデビューしたあたしは、連載を少しづつ続けていた。
できれば、それ一本でやって行きたかったけど、将来的にはまだまだ不安定だった。
4年生になってから少し就職活動をしてみて、あたしは東京の小さなアニメ製作会社に興味を持った。
若い社員が多くて、個性を尊重してくれる社風が売り、とあったからだ。
あたしはリクルートスーツにお腹のお肉を押し込み、ノコノコ東京まで面接試験に出かけた。
就学旅行でしか来た事の無い東京は、人が多すぎて、歩くのにも慣れてないあたしは交差点で何度も人にぶつかった。
あの太平洋に比べると、東京は何てゴタゴタしてるんだろう。
リュウ兄ちゃんは絶対ここには住めないな。
交通事故死ナンバーワン県民の代表のような彼がここで運転することを想像して、あたしは背筋が寒くなった。
怪しげなテナントビルの中にその会社はあった。
面接官は社長、専務、部長、制作チーフと豪華な顔ぶれだ。
小さな会社だから、社員は家族で、面接は主要メンバー全員でするのが方針だと、ヒゲを生やした芸術家みたいな社長さんが優しく言った。
あたしは大賞を取った背徳のアポロンが掲載された雑誌と、リュウ兄のスケッチを社長さんに見せた。
「あたしは、この会社で生きてる絵を描きたいんです」
志望動機を聞かれて、あたしは迷い無く答えた。
リュウ兄のスケッチと雑誌を見た後、社長さんはホウと声を出した。
「これ、誰がモデルなの?」
「兄です」
眉毛を上げて、社長さんはスケッチをもう一度見直す。
「お兄さん、セクシーだね」
「はい、綺麗な人です。あ、その・・・体が・・・」
緊張して、たどたどしく答えるあたしを見て、皆、微笑んだ。
雑誌とスッチブックをあたしに返すと、社長さんは優しく笑みを見せて言った。
「君の絵は確かに生きてるよ。4月から東京に来れるかい?」
大学生活はあっという間に過ぎて、あたしは無事に卒業した。
親友のエミリンは静岡の実家に帰って、小学校に美術教員で入ることに決まった。
BLは趣味の範囲に収めることにしたらしい。
4年間過ごした懐かしい学生寮の荷物を片付け、2トントラックに載せて東京の新居まで運んでくれたのは、リュウ兄と会社の部下達だった。
完全に番長と化したリュウ兄の命令に従う部下の中に、メチャクチャあたし好みのコがいたんだけど、こいつはバカだからと言って、紹介もしてくれなかった。
リュウ兄も自分の仕事の中で、役割と居場所を持ってるんだ。
孤独なイメージがあったリュウ兄ちゃんのことが少し心配だったけど、仲間達に怒鳴りながらも笑顔を見せる彼を見て安心した。
◇◇◇
あたし達は駅の前の駐車場に車を止めて、JRの駅構内に入った。
駅の独特の生暖かい風が肌に触れる。
この駅にはひかりものぞみも止まらないので、東京方面への新幹線は一時間に一本しか来ない。
あたし達はプラットホームのベンチに並んで腰掛けて、キオスクで買った缶コーヒーを飲んだ。
リュウ兄は相変わらず無口だった。
タバコに火をつけると、膝に頬杖をついてぼんやり、電車が通って行くのを見つめている。
あたしは最後に聞きたかったことを口にしようか迷っていた。
あの夜、あたしを抱いてくれたことを、今でも忘れる事ができないでいたんだ。
あれはあたしを立ち直らせようとして、やってくれたんだと思う。
普通の男女の恋愛じゃなかったはずだ。
少なくともリュウ兄には。
でも、あの日から彼はあたしの中で一番大事な男性になってしまった。
血の繋がりという壁がなければ、あたしはきっと積極的にお願いを繰り返しただろう。
あたしは、彼が後悔してるんじゃないかと思って、ずっと口にできずにいたんだ。
今しかない。
新幹線が来るまで後10分。
あたしは深呼吸した。
「リュウ兄ちゃん、聞いてもいい?」
「・・・何?」
彼は前を向いたまま、目だけ動かしてあたしを見た。
切れ長の鋭い目。
あたしの大好きな目だ。
「あの・・・、あたしとしたこと、よかったの?もしかして後悔してる?」
うわ!
言っちゃった!
あたしは返事を聞くのが怖くて目をギュッと瞑った。
しばらく沈黙の後、リュウ兄の低い声がした。
「してるって言ったら、どうする?」
「・・・そりゃ、ショックだよ」
あたしの返事に彼は笑った。
「実は後悔してるよ。俺、あれから、お前のこと忘れられないんだから」
あたしは目を開けて、顔を上げた。
今、何て言った?
それってもしかして、リュウ兄もあたしの事・・・?
「リュウ兄、あ、あたしね、あたしもね・・・」
言いかけたあたしを、彼は優しい目で見た。
あたしはすごく女の顔をしてたと思う。
あの夜、お願いをした時と同じように。
-東京行き、15時発こだま000 間もなく到着します、白線の後ろまで・・・
突然、アナウンスが響いた。
プラットホームにゆっくりと新幹線が滑り込んでくる。
リュウ兄はタバコを消して立ち上がった。
あたしの頭をくしゃくしゃなでて、切れ長の目を細めて笑う。
「やめとけよ。お前には、まだまだ未来があるんだから!」
新幹線のドアはあたしを乗せた後、ゆっくり閉まった。
リュウ兄はドアの向こうであたしを見つめている。
その完璧な肉体に群青色の作業着を誇らしく纏い、彼はお姫様を見送る勇者のように敬礼してみせた。
あたしだけの美しいモデル。
彼の体はあたしにしか描けない。
もう二度と見ることはないだろうけど。
新幹線はどんどんスピードを上げていく。
小さくなっていく彼を、あたしはいつまでも見つめていた。
Fin.
今まで読んで下さった方々、ありがとうございました。
長い間、お疲れ様でした。
また、どこかでお会いしましょう。(^^)