無事、嵐をのりこえました
ガタガタと強風が窓を揺らす。朝、あんなに晴れていた青空は姿を消し、どんよりとした厚い雲が空をおおう。
「早めにシーツを取り込んで良かった」
私はどんどん怪しくなる天気を見た。たぶん、もう少ししたら大雨が降り出すだろう。ニアは帰って来れるだろうか。
「嵐の中の森を移動するより、仕事場に泊まったほうが安全かも。嵐かぁ……」
自分で言った言葉を反芻する。屋敷にいた時、使用人たちは嵐の前に、どんな動きをしていただろう。
たしか、飛ばされそうな物は片付けて、庭の花木に布をかけて守ったり、固定したり。
あとは窓を守るために……
「窓の雨戸を閉めないと!」
私は急いで外に出た。ざわりと湿った空気が体にまとわりつく。緑の木々が風で大きく揺れ、太い枝が飛ばされる。
まだ雨は降っていないが、いつ降るか分からない。
風に飛ばされてくる木々に気をつけながら、まずは工房の雨戸を閉めていく。
次に住んでいる丸太小屋の窓へ。そこで、雨が二、三滴降ってきた……と、思った瞬間。
「いたっ」
声が出るほどの大粒な雨。しかも叩きつけているかのように激しく痛い。そんな雨がバケツをひっくり返した勢いで降ってきた。
すぐに全身が濡れ、体が重くなる。
「……あの時、みたい」
ここに来た時のことを思いだす。足を滑らせ、全身を打ちつけながら湖に落ちた。あの時は全身の痛みと、濡れた寒さで体が震え、動けなくなった。
「でも、今は違う!」
私は力を入れて体を動かす。雨で目があまり開けられない中、必死に雨戸を閉めていく。不慣れな作業で手間取ってしまう。でも、今この家を守れるのは自分しかいない。
雨風と戦いながら、すべての雨戸を閉めた私は全身びしょ濡れで家に入った。
タオルで体を拭き、着替えをする。体が冷えないように暖炉に火をつけて、もう一度戸締まりの確認をした。
「今夜は一人だろうな……」
呟きが寂しく落ちる。そのとたん、自覚してしまった。
「……一人?」
攻めるように雨戸を叩く暴風雨。急に怖くなった私は自分の部屋から毛布を持ってきて、暖炉の前のソファーに座った。
雨戸を閉めたため、外の様子は分からない。時々、ビュービューと強い風の音がする。
こんな中、ニアが帰ってくることは、まず無理。
私は毛布に包まってソファーに転がった。真っ暗なリビングに少しだけ灯る暖炉の火。
「大丈夫、大丈夫」
私は呪文のように唱えながら体を小さくする。
屋敷では使用人やメイドなど、必ず誰かがいた。いつも、どこかに人の気配があって、それが当たり前で。
そして、ここで生活するようになっても、ニアがどこかにいた。丸太小屋にいなくても、ガラス工房にいる。それだけで、どこか安心していた。
でも、いまは……
「寝よう」
私は今の状況から逃げるように目を閉じた。
ガタガタ、ガタガタ。
風がドアをこじ開けるように音を鳴らす。雨粒が雨戸を叩く。雷鳴が響き、空気を振動させる。
いろいろな音が気になって眠れない。
その中でも、ポタポタとしずくが垂れるような音。それから、ビシャリ、ビシャリ、と足音が近づいてくるような……
「なに、やってんだ?」
「キャー!!!!!!」
私は口から心臓を出す代わりに、聞いたことがないほどの大声を出していた。
「ちょ、ま、待て! オレだ! どうした!?」
私はそろりと毛布から顔をだして、声の主を確認する。
「……ニア?」
そこには全身びしょ濡れのニアが立っていた。私はホッとすると同時に立ち上がる。
「タオル! タオル! 早く拭かないと!」
「それぐらい、自分で取ってくるから」
「いいから、動かないでください! 床が濡れます!」
私の指示にニアが大人しく従う。私は急いでタオルを数枚持ってきてニアに渡した。
「こんなに濡れて! どうして帰ってきたんですか? 嵐の森は危ないのに」
「んー。ちょっと、な」
ニアが私を見て意味ありげに微笑む。
「まあ、無理して帰ったかいはありそうだ」
「ちょ! どういう意味ですか!?」
「さあな」
濡れた黒髪から雫が落ちる。これこそ、水も滴るいい男。悔しいけど、絵になる。
……って、そんな場合ではない。
「ほら、早く拭いて着替えてください。風邪ひきますよ!」
「そんな簡単には風邪をひかないから大丈夫だ」
「もう。いいから、暖炉の前に行ってください!」
私はニアの背中を押して暖炉の前まで移動させた。それから別のタオルで髪と背中を拭く。見た目より柔らかな黒髪と、服越しでも分かるほどしっかりと筋肉がついた背中。
……男の人なんだなぁ。
意識したとたん、顔が熱くなった。私はニアを見ないようにうつむいて必死に手だけを動かす。
「おい、ちょっ、なんか痛いぞ?」
「あ、ご、ごめんなさい!」
私は慌ててニアから離れた。
「これぐらい拭いたらいいだろ。ちょっと着替えてくる」
ニアの姿が見えなくなったところで私はため息とともにソファーに座った。目を閉じるとニアの髪と背中が浮かぶ。
「あー、もう! だめ! だめ! だめ!」
なにがダメなのか自分でも分からない。でも、まぶたの裏に浮かぶニアを消すように、必死に頭を振る。
「…………なにしてるんだ?」
呆れたような声に私はピタリと止まった。
「イ、イエ。ナンデモナイデス」
と、苦笑いとともに答えるだけで精一杯。
「そうか? なら、いいが」
ニアが隣に腰をおろした。
「ふ、ふぇ!?」
思わず変な声が出た私をニアが睨む。
「なんだ? 座ったらいけないのか?」
「い、いえ! そうではなくて……あ、私! 自分の部屋に戻りますね!」
私は慌てて立ち上がった。が、そこで動けなくなる。視線を下げると私の右手をニアが握っていて……
「あ、あの?」
ここでニアが手を握っていることに気づいたらしく、顔を赤くして離した。
「わ、悪い!」
「い、いえ!」
お互い顔をそらして無言になる。
「オ、オレはもう少し体を温めてから寝る」
「そ、そうですね。しっかり温めてください。わ、私は先に寝ますので」
私は顔を隠すように毛布を抱きしめると、そそくさとリビングから出ていった。そのまま自分の部屋に滑り込む。
「あー、もう、だめですぅ」
私はベッドにダイブした。なにがダメなのかは、いまだに分からない。
ただ、なぜか非常に恥ずかしくて、もどかしくて、胸がドキドキする。
「もう、なんなのよぉ……」
ギュッと毛布を抱きしめて、呟く。こんな状態では、とてもじゃないけど寝れそうにない。
一人、ベッドでバタバタともがく。外の雨はいつの間にか止み、風は穏やかになっていた。
明日の朝はまた青空が見えるだろう。