無事、魂が抜けました
嵐から一夜明け。清々しいほどに澄んだ空気と青空。思わず両手を伸ばして深呼吸したくなる。
そんな気持ちがいい朝……な、はずだったのに。
私とニアは思いっきり寝不足な顔をしていた。クマこそないがお互いにひどい顔。
リビングでニアと鉢合わせになる。瞬間、全身が沸騰したように熱くなった。
「あ、お、おはようございます」
思わず顔を背けてしまう。
「あ、あぁ。おはよう」
チラリと覗き見すれば、ニアもどこか恥ずかしそうに顔をそらしている。
「ご、ごはん作りますね!」
私はいそいでキッチンに向かうが、その前にテーブルに並んだ朝食が目に入った。
「え?」
「いや、ちょっと早く目が覚めて……な。たまにはオレが作ってもいいかな、と」
「あ、ありがとう……ございます…………」
サラダとスクランブルエッグとトースト。焦げがどこにもなくて、私が作るご飯より、ずっと……
「美味しそう」
素直な感想が口からこぼれる。ニアが満足そうに笑った。
「良かった。ほら、食え」
「はい」
私はスクランブルエッグを一口食べて。
「おいひぃ」
その味の虜になってしまった。ふわっふわっな卵にほのかな甘み。そこにケチャップの酸っぱさがまた合う。
ハッ!これ、トーストにのせたら、もっと美味しくなるのでは!?
天才的なひらめきをした私はトーストにスクランブルエッグをのせて食べた。
「んぅー!」
サクッとしたトーストにしっとりスクランブルエッグ。味も相乗効果で美味しくなって、もう最高の組み合わせ。
食べることに集中していた私に、プッと吹き出すような笑い声がした。
正面を見るとニアが口元だけで笑っている。
「そんなに慌てて食べなくても、パンは逃げねぇよ。ほら、ケチャップついてる」
ニアがさり気なく私の口元についていたケチャップを指で拭い取った。そして、そのまま指についたケチャップを舌でペロリとなめる。
その一連の動作が流れるように自然で。自然……なんだけど。自然すぎるんだけど。
「私には刺激が強すぎます!」
「おい! どうした!?」
無事、私の体から魂が抜けました。
※
穏やかな風が吹く青空の下。私は昨日使ったタオルを洗濯して干していた。
「うぅ……恥ずかしい……」
朝のあの一件以降、ニアの顔が見れない。いや、ますます見れなくなった。それどころか、ニアがそばにいるだけで胸がドキドキして。
正気を保てそうにない私は家事を口実にニアから逃げた。
「ますます弟子失格になるぅ」
出るのはため息ばかり。でも、ここにいても仕方ない。
洗濯物を干し終えた私はカゴを持ち上げたところで、声をかけられた。
「セリーヌ殿。おはようございます」
晴れやかな空にふさわしい爽やかな笑顔。超絶美青年ことキヌファが手を振りながら私のもとに来た。
「おはようございます。今日はどうされたのですか?」
「ニアが昨日仕事場に忘れ物をしまして。それを届けに来ました」
「なら、ニアを呼んでき……」
私が丸太小屋の方を向くと同時に風が駆け抜けた。
「キヌファ! よく来た!」
風と思ったのはニアだったらしく、そのままの勢いでキヌファにタックルしている。
「な、なんですか!?」
「ちょうど良かった! 茶のんでいけ! 茶!」
「は? 私は遊びに来たわけではないのですが」
ニアがキヌファの耳元でなにかを囁く。キヌファがタックルされた姿勢のまま私を見た。そして、諦めたようにため息を吐く。
「少しだけ、ですよ」
「よし!」
ニアが腕を外してキヌファを開放した。
「じゃあ、私はお茶を淹れてきますね」
「いい天気だし、外で飲むか? テーブルと椅子もってくる」
ニアが倉庫へ走る。私とキヌファが思わず顔を合わせた。
キヌファが苦笑いを漏らす。
「まったく。ガラでもないことを」
「そういえば、ここの外でお茶を飲むのは初めてです」
「ニアはそんな風情があることをするヤツではありませんから」
「なら、今日はどうして?」
キヌファが私を見て微笑んだ。
「さて。どうしてでしょうね?」
首を傾げる私の手からキヌファが洗濯カゴを取る。
「さあ、お茶を淹れましょう」
「きゃ、客人にそのようなことさせられません! カゴ、返してください」
「はい、はい。いきましょう」
キヌファが大股で丸太小屋に入っていく。それを私は慌てて追いかけた。
※
お茶を淹れたあとも、キヌファに「運びます」とティーセットを私の手から持っていかれ、私は慌てた。
「私が運びますから。客人にそんなことをさせるなんて、弟子失格になります!」
「では、客人でなければ、いいのですか?」
「え?」
外に出るドアの前でキヌファが足を止める。ティーセットを持ったまま、器用に腰を屈めて私と視線を合わせた。
「客人、以外になりましょうか?」
「客人以外……ですか?」
まったく想像できない私は首を傾げる。キヌファが優雅に微笑む。
「そうです。たとえば、思い人など「なにしてる?」
ニアがドアを開けてキヌファの言葉を消した。ニアの眉間のシワがいつもより深い気がする。
「ほら、行くぞ」
ニアがキヌファからティーセットを取り上げて外へ出る。そこには、丸い白テーブルに椅子が三脚あった。
爽やかな風が吹く緑の芝生に白いテーブルセットはとても合っている。でも、どこか寂しい。
「あ、テーブルクロスをとってきます」
私はせっかくのお茶会に華やかさを足すため、家の中に戻った。
キッチンの収納棚を開け、テーブルクロスのストックを出す。そして、ニアたちのところへ急いで戻ろうと玄関のドアを少し開けて、手を止めた。
「そんなに睨まないでくださいよ。普通にお話していただけですよ?」
「……思い人とか聞こえたが?」
「情人のほうが良かったですか?」
「あのなぁ」
ニアの声が一段と低くなる。ドアの隙間が狭いため顔までは見えない。一方のキヌファは悠然とした声で話を続ける。
「まったく。嵐の中は危ないから泊まっていけ、という忠告を無視して帰るし」
「で、弟子を心配するのは師匠として当然だ!」
弟子……そうよね。弟子、だもんね。
なにか引っかかるような、胸がチクリと痛むような。自分のことなのに意味が分からずテーブルクロスを抱きしめる。
「それは、それは、たいした師匠心で。ですが、過保護にしすぎると弟子が育たないですよ?」
「そ、そこはちゃんとやっていく! おまえに心配されるまでもない」
「そうですか」
私はぼんやりと二人の会話を聞いていた。
ニアの弟子になりたくて、ここに来たのに。その願いが叶って、ガラス作品を作っているのに。
なにか物足りないような……
考え込んでいると、手を引っ張られた。いや、正確にはドアが動いて、握っていたドアノブごと体が引っ張られた。
「ありがとうございます」
顔をあげると花のように微笑んだキヌファ。
「い、いえ! 遅くなって、すみません」
「そんなことありませんよ」
キヌファが私の胸からテーブルクロスを引き抜く。
「ニアはあなたのことになると、周りが見えなくなるようです」
コソッと囁かれた言葉に私の顔が赤くなる。
「そ、それってどういう意味……」
「さて。ご自分で考えてみてください」
爽やかな笑みを残してキヌファが去る。私はその背中を呆然と眺めていた。
ニアが盛大に眉間にシワを寄せていることに気づかないまま。




