6 モブ、先生になった その2
『ーー先生はいらっしゃいますかっ!?』
一階から雅人先輩の声が聞こえ、俺は眠たい目を擦りながらまたしても家に帰らなかった如月を引きずって階下へ降りていく。
リビングへ繋がる扉を開け、足に抱きついて離れない如月を振り払ってソファーまで転がしてから玄関で先輩を迎える。
いや、正確には迎えていない。
歓迎なんてしない、良いから帰れと心の中で思っている。
しかしもう登校時間が迫っている。
ここで追い返す訳にもいかず、俺は先輩を家の中に入れインスタントコーヒーを出す。
おもてなしだけは忘れない、我ながらに見事なサービス精神である。
「妹さん、沙苗さんもおはようございます!」
「……おはようございます。朝ご飯食べました? まだなら食べて行ってください」
「おはようございます先輩。とりあえず帰ってください」
お前らはもっと笑顔で歓迎してやれないのか……。
林檎は面倒くさいと表情に出して、先輩に朝ご飯を食べて行くよう言う。
一応、サービスは持ち合わせているが、あくまで一般常識に基づいてのようだ。
俺も人のことは言えないが、如月は正反対で直球だった。
思っても、誰が本音を口にするだろうか。
百人中三人も本音を口にしないはずだ。
それは後先を考えてーーだが、如月には後先などまるでない。
その時その時、今を生き今しか生きていない。
だからこいつはーー馬鹿なのだ。
「朝一緒に学校行きましょう」
「は、はい! それで先生……昨日兄貴に背負い投げの練習手伝っても貰ったんですよ。でもやっぱり一つじゃ駄目なことに気づいてーーまだまだ教えてもらいたいです!」
先輩はテーブルに額を強くぶつける程に激しく頭を下げた。
「い、良いですけど……」
何にも良くないが、そう言うしかない。
むしろ面倒事を回避できなかった俺に責任があった。
もう何個か教えなければ、筋が通らない。
俺の返事に、顔を上げた先輩の瞳が煌めく。
うわあ……これが尊敬の眼差しだったら嫌だなあ。
「ーーところで、未央ちゃんは?」
「何で未央のこと聞くの? はい、どうぞ」
「ありがとうございます!」
「未央ちゃんは……死んだわ」
「不吉なこと言うな、お前が先に逝ってまえ」
林檎は首を傾げたが、すぐに戻して先輩に食パンとベーコンエッグを出してあげる。
何となくで聞いたのだが、どうやら朝から家に来るような子ではないらしい。
如月より、未央ちゃんに来てもらいたいものだ。
と、言うより如月はこのままだと半分居候になる気がする。
「さっき見ましたよ。昨日の放課後の、スポーツ系少女ですよね?」
「先輩見たんですか?」
「ここから何本目かの電柱に隠れて、電話してましたけど……誰にかは、分からないですね。いただきまーす!」
先輩の言う通りならば、多分うちに向かってきたが何かあって電話をして動けなくなったと考えるのが自然だ。
俺は自分に掛かってきていたりーーなんて、期待半分にスマホを取り出す。
すると、二件の電話が入っていた。
ーー俺だったかあ。
「ちょっと表出てくる」
「ご飯は?」
「……如月に食わせとけ。今日はモーニング二倍デーだぞ」
「いらないから、先輩に迎えに行かせてご飯食べて……もうっ!!」
如月が何やらブツクサと言っていたが、俺は最後まで聞くことをせず家を出た。
それにしてもーー振り返ると如月は、大きく変わった。
ーー段々と兄妹のように口調が偉くなっている。
敬語のまま放置しておいても良かった。
今更だが微小の後悔を胸に抱く。
さて、朝から賑やかと言うべきか五月蝿いと言うべきか、どちらにしろ騒がしい家から抜け出した俺は左右を確認して電柱から伸びる影を見つけた。
ゆっくりと近づいていくと、電柱に背をつけスマホを弄る未央ちゃんが居る。
イヤホンを片耳だけして、何やら寂しそうに目を細めている。
「ーー未央ちゃん」
「ん? ……うああああ! お兄さん!?」
「おはよう。何してるの?」
俺は未央ちゃんに声を掛けた。
すると、未央ちゃんは顔を真っ赤にして飛び上がった。
「え……と。家に行こうかと思ったんですけど……迷惑かな? なんて……それで、お兄さんに電話を」
「迷惑って。もう既に三人も迷惑な奴が居るんだから、気にしなくてもーー」
途中まで言いかけて、俺は嫌な気配に未央ちゃんを背で隠す。
たまにあるーー強い敵から感じる『覇気』のようなものを。
いや、実際問題それが覇気ではないかもしれない。
ただ、武道で培った勘は案外馬鹿にできないことは確かである。
「お、お兄さん……?」
「あれは……? 未央ちゃん、誰かに付けられているかもとか、思ったことない?」
「ま、毎日ありますけどーー……」
なるほど……ならビンゴだ。
カメラを持ち、リュックを背負い、Tシャツとジーパン、まるでオタクである。
しかし、それはオタクと呼ぶにはカメラが不要であり、それをストーカーと呼ぶにはぴったりだ。
ストーカーの気配だったらしい。
嫌な予感、嫌な気配、嫌な闘気ーー何にしろ、嫌なものは嫌だ。
あのストーカー、何とかならないだろうか?
「うっわ、近づいてきた……」
「誰が、ですか?」
「ストーカー」
「え!?」
「声大きい……。蹴散らすから、我慢してて」
ストーカーはずんずん近づいてくる。
未央ちゃんが電柱に長く居すぎたことで、ストーカーには声を掛けるチャンスを与えていたらしい。
だがそれも無駄なことーー何にしろ俺が居るのだ。
俺はストーカーに睨みを利かす。
てか、何でストーカー? と、疑問に思ってしまう。
未央ちゃんが可愛いのか? そうなのか?
何にせよ、ストーカーとやり合うことになる非現実感に浸っていると、
「み、未央ちゃん……だよね、はあはあ」
気持ち悪いと言う理由のみで、俺はこいつを簡単に殺めることができそうだ。
だが、ストーカーは何故か俺を無視した。
そう、見えていないのだ。
未央ちゃんと肉体的接触をしていても、俺のことが見えていない。
未央ちゃんに全意識がいっているーーだけで、俺がまるで幽霊みたく無視される訳はない。
何も変わっていないーー
俺を認識できるのが、妹以外に三人増えただけであり、所詮俺は何処までいってもーーモブなのだ。
モブ史上最強ーーモブであり、強く、そして空気!
圧倒的ーー空気!!
「ーーざけんなああああ!!」
「先生!! 助太刀します!!」
俺の後を追ってきた、雅人先輩が飛び込んでくる。
ストーカーを背負い、そして投げる。
空へ向かってーー勢い良く、飛ばす。
「ーー俺はモブでも、史上最強だああああ!!」
雅人先輩の背中を踏み台にして俺もストーカーを追って飛ぶ。
そしてーー踵落とし。
「……ふっ。ストーカーなんて、もうするな」
「ああ、本当にだ。未央ちゃん、これでストーカーは居なくなったから」
「……」
俺と雅人先輩は、案外良いコンビなのかもしれない。
とても素晴らしい連携に、俺達は満足していた。
しかし、未央ちゃんは満足できていない。
いや、むしろストーカーを心配している。
ストーカーを心配するなんて、良い子過ぎて泣ける。
「……あのう」
「ん?」
「兄……なんです……この人」
♡
「本当にーー」
「申し訳ーー」
「「ございませんでしたああああ!!」」
俺と先輩は家に戻り、意識を取り戻した未央ちゃん兄に土下座した。
兄とも知らず、勝手にストーカーと決めつけたのだ。
頭を踏まれても文句はない。
「いやいや、ごめんねえ。紛らわしいことをしてえ」
お兄さんは顔を上げ、眼鏡を外してバンダナを取った。
すると、何ということでしょう。
ストーカーもしくはオタクにしか見えない、体だけイケメンの顔が、まるで別人のように輝くではありませんか。
お兄さんの顔は、眼鏡とバンダナを外すと誰か分からなくなるほどにイケている。
凛々しい眉毛、キリッとした釣り目に堀の深い顔。そして短い黒髪のオールバック。
番長と呼ばれて良いだろう顔と、筋肉質な体。
本当……理不尽すぎる。
イケメンに妹のストーカーなどと真新しい変な性癖を与えて神様は何をしたいのか。
そして、俺みたいな社交的である人間を最強のモブなどとーー
人生の理不尽に呆れてしまう。
「理不尽だよねえ」
「ま、まあ……」
「ハハハッ! いやあ、でも君にはびっくりしたよお。全く存在感が無いようで見えなかったあ。武道を極めるとそうなるのかあ!」
「いえ、なりません……。存在感まで操ったら、もうチートですから……」
お兄さんは「そうだなあ!」と言って笑い続ける。
俺は助けを求め未央ちゃんに目線を送る。
すると未央ちゃんは、お兄さんにゴニョゴニョと、耳元で何か言ってくれる。
「ーーそうなのかあ!? えーと……和樹君! 兄同士、あれこれ大変だと察するよお」
「いえ、そんなことは……」
ーーて、何を察した。何を吹き込んだ。
「是非、俺の妹とも仲良くして欲しい!」
「それはもちろんですけど……」
「そしていずれは、妹を頼みたい」
「無理です。馬鹿ばっかで大変なんですよ」
素早く断り入れる。
そしてまたお兄さんは大笑いする。
全く読めない人だが、悪い人ではーーない。
「と、言うところでーー俺は帰ろう! 君達には学校があるだろうからなあ!」
「そうですね。本当、すみませんでした」
「すみませんした!」
「いやいや! 気にしてはいけない。では帰るぞお! 妹よお!」
そう言って、眼鏡とバンダナを再装着して出ていく。
未央ちゃんはとても困った顔で、俺に目線だけを送り出ていく。
……てか、未央ちゃん学校は?
家に帰るのか? と、考えているとーー
スマホに電話が入り、出ると如月からだった。
そうーー
俺達は、未央ちゃんのお兄さんに関わったことで大遅刻をして学校に行き、先輩だけ怒られた。
それは何故か……。
ーー新米教師は俺が見えなかった。それだけである。
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