↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/6

5.変わらない気持ち

翌朝。


目を覚ますと、隣にはまだタオが眠っていた。


レオはそっと体を起こし、朝食の準備を始めた。


タオの好きなコーヒーを淹れ、自分の分のパンを焼く。


いつも通りの朝だった。


やがて起きてきたタオは、淹れたてのコーヒーを一口飲み、短く息を吐いた。


「……うまい」


「だろ? お前、いつも同じのばっかり飲むんだから、そろそろ豆くらい変えたらどうだ?」


「別に、これでいい」


「そう言うと思った」


レオは笑いながらパンにかじりついた。


いつも通りの会話。


いつも通りの朝。


けれど、ひとつだけ違うものがあった。


レオの気持ちだ。


タオから連絡が来るだけで嬉しくなる。


会えると思うと、落ち着かなくなる。


何気ない言葉に一喜一憂してしまう。


腕輪を身につけてから、レオはずっとタオのことを考えていた。


それなのに。


どれだけ考えても、タオへの気持ちは嫌なものではなかった。


むしろ、胸が苦しくなるほど幸せだった。


解呪したら、この気持ちも消えてしまうのだろうか。


そう考えると、どうしても答えが出なかった。


朝食を終えると、ふたりはタオの職場へ向かった。


タオの職場は、術師たちが集う専門部隊だ。その中でも魔術を得意とするタオには、専用の工房が与えられている。


工房に入ると、タオは道具の並んだ棚から小瓶を取り出した。


中には、細かな粉末が入っている。


「それ、何?」


「解呪に使うものだ。腕を出せ」


レオは言われた通り、腕輪をつけた手を差し出した。


タオはその手首を取り、腕輪の状態を確かめる。


指先が触れた。


それだけで、レオの心臓が跳ねる。


……最後まで、これかよ。


自分に呆れながらも、レオはじっとタオの手元を見つめた。


タオが小瓶の蓋を開け、粉末を腕輪に振りかけようとした、そのとき。


「待って」


レオは咄嗟にタオの手をつかんだ。


タオが顔を上げる。


「……何だ?」


「解呪したらさ。俺に入ってる魂は、どうなるんだ?」


レオは真剣な顔で尋ねた。


タオはしばらく黙っていた。


その表情からは、何を考えているのか読み取れない。


やがて、タオは静かに口を開いた。


「……お前は、その腕輪が嫌だったか?」


「え?」


「腕輪をつけてから、いろいろあったんだろ。嫌な思いはしなかったのか?」


思いがけない質問に、レオは目を瞬かせた。


「いや……最初は戸惑ったけど、嫌じゃなかったよ」


少し考えてから、もう一度言った。


「……うん。嫌なことなんて、一つもなかった」


タオはレオの顔を見つめた。


その目が、ほんの少しだけ揺れた気がした。


「……そうか」


小さく呟いた声は、いつもよりかすれていた。


タオは視線を落とし、レオの手をそっと外した。


「悪いが、解くぞ。魂のことは、そのあとだ」


レオは少し迷った。


けれど、頷いた。


タオが粉末を腕輪に振りかけ、静かに呪文を唱える。


次の瞬間。


パキン、と乾いた音が響いた。


銀色の腕輪に亀裂が走り、二つに割れた。


「あ……」


レオは思わず声を漏らした。


床に落ちた腕輪の破片を見つめる。


「……腕輪、残してほしかったな」


ぽつりと呟くと、タオは小さく言った。


「……ごめん」


それから、レオの顔を覗き込んだ。


「体調は?」


「特に何も」


「胸は痛むか?」


「痛まない」


「気分が悪いとかは?」


「ないよ」


タオは一度だけ頷いた。


それから、少し間を置いて尋ねた。


「……俺への気持ちは?」


「え?」


「変わったか?」


レオはタオの顔を見た。


その問いの意味がわからず、少しだけ首を傾げる。


「……変わらないよ」


答えた瞬間、タオの表情が止まった。


「変わらない?」


「うん。変わらない……けど」


レオは言葉を切った。


変わらない。


それは、どういう意味だろう。


腕輪の影響がなくなったのなら、タオに対する気持ちも元に戻るはずではないのか。


それなのに、自分は今もタオを見ている。


胸は少しも騒がしくない。


顔も熱くない。


けれど、タオのことが好きだという気持ちは、消えていなかった。


レオはゆっくりと顔を上げた。


「……タオ。俺にくれた腕輪って、本当にタオを好きな魂が入ってたのか?」


タオは目を伏せた。


「……術で多少の精神操作をすることはできる。でも、魂そのものを宿す術なんて、俺は聞いたことがない」


「じゃあ、あの腕輪には魂なんか――」


「宿ってないよ」


タオが静かに言った。


レオは息を呑んだ。


「あれは、心の奥底にある本音を表に出すためのチャームだ。変質チャームの一種で、嘘をついている人間に使うこともあるし、本音を言い出せないときに使うこともできる」


「……本音?」


「ああ」


タオは、割れた腕輪の破片に目を落とした。


「本音を言い出せるように、俺が持っていたんだ」


「……タオの、本音?」


タオは答えなかった。


ただ、レオを見つめていた。


その顔は、今にも泣き出しそうに見えた。


「そうだ。俺のための腕輪だったんだ」


レオは目を見開いた。


頭の中で、あの夜の言葉が蘇る。


――俺のための腕輪。


あれは、レオのために用意されたものではなかった。


タオ自身が、自分の本音を伝えるために持っていたものだったのだ。


タオは、ゆっくりと言葉を続けた。


「あの腕輪は、俺がレオに好きだって伝えるために用意したものだった」


タオの頬が、薄く赤く染まった。


「……お前が好きだって。そう言うために」


レオは何も言えなかった。


タオが自分を好きだなんて、考えたこともなかった。


いや、違う。


考えなかったのではない。


ずっとそばにいたからこそ、気づかなかったのだ。


タオは普段、感情をあまり表に出さない。


言葉も少なく、何を考えているのかわからないことも多い。


けれど、いつも自分のそばにいてくれた。


連絡を取り合い、遊びに来て、一緒に酒を飲み、同じベッドで眠る。


それが当たり前だった。


自分にとって、タオは大切な親友だった。


だからこそ、その距離の近さに疑問を持つこともなかった。


「……あの夜は、酔ってたんだ」


タオがぽつりと呟いた。


「レオに告白するつもりで、あの腕輪を用意してた。けど、緊張して酒を飲みすぎた。気づいたら、お前に腕輪を渡してた」


「……え?」


「翌朝、腕輪がないことに気づいて、探した。でも見つからなかった。まさかお前が持ってるなんて、思わなかったよ」


タオは苦笑するように口元を歪めた。


「……チャームをお前がつけてるってわかったときは、俺のほうが驚いた」


レオは自分の手首を見た。


そこにはもう、腕輪はない。


「じゃあ……俺の中にいると思ってた、タオが好きな魂って……」


「魂じゃない。お前自身の本音だ」


「……俺自身?」


「ああ」


タオは、まっすぐにレオを見た。


「チャームは、本音を表に出すだけだ。何もないところから、誰かを好きになる気持ちを作り出すわけじゃない」


レオの胸が、どくんと鳴った。


「つまり……」


「レオが俺を好きだって気持ちを、チャームが表に出した。それだけだ」


「……っ!」


レオの顔が、一気に赤くなった。


「な、なんだよそれ! じゃあ、最初から言ってくれよ!」


思わず声が大きくなる。


タオも、珍しく声を張り上げた。


「言えるかよ!」


工房に声が響いた。


レオは驚いて、口を閉じた。


タオがこんなふうに声を荒らげるのを、初めて見た。


「チャームをお前がつけてるってわかったとき、俺だってどうしたらいいかわからなかったんだよ!」


タオは顔を赤くしたまま、レオを見つめていた。


「お前が俺のことを好きかなんて、自信があるわけないだろ。ずっとそばにいたんだから!」


その言葉に、レオはハッとした。


そうだ。


自分は、タオとの距離が近すぎることに驚いていた。


連絡を取り合うのも、一緒に出かけるのも、同じベッドで眠るのも、当たり前だと思っていた。


けれど、タオだって同じだったのだ。


ずっとそばにいた。


だからこそ、伝えられなかった。


レオは、泣きそうな目をしたタオを見つめた。


頬はほんのり赤く、いつものクールな表情は崩れている。


こんな顔のタオを見るのは初めてだった。


「……騙して、ごめん」


タオが小さく呟いた。


レオは首を横に振った。


「いいや。俺も……ずっと気づかなくて、ごめん」


そう言って、タオの顔を覗き込む。


今なら、わかる気がした。


腕輪をつけてから、タオのことが気になって仕方なかった。


顔を見れば嬉しくなり、触れられれば胸が騒いだ。


知らない魔女に嫉妬して、自分でも戸惑った。


けれど、その気持ちは、突然生まれたものではなかったのだ。


ただ、自分が気づいていなかっただけ。


ずっと心の奥底にあった気持ちを、腕輪が表に引き出しただけだった。


レオは、タオの目をまっすぐに見つめた。


「俺の気持ちは、変わらなかったよ」


言葉にするのは、少しだけ勇気が必要だった。


けれど、タオがこんなにも勇気を出してくれたのだから。


自分も、きちんと伝えたかった。


「俺、タオのことが好きだよ」


口にした瞬間、不思議なくらい気持ちが落ち着いた。


昨日までの戸惑いが嘘のように、心の中に答えがすとんと収まる。


タオは目を見開いたまま、しばらく動かなかった。


やがて、ゆっくりと息を吐いた。


「……レオ」


「ん?」


「耳まで赤い」


「うるさいな!」


レオは顔を真っ赤にしたまま、タオを睨んだ。


けれど、目はそらさなかった。


「好きなんだから、しょうがないだろ」


タオの表情が、ふっと緩んだ。


いつもは余裕のある顔をしているくせに、今は頬まで赤い。


「……そうだな」


タオは小さく笑った。


それから、少しだけ迷うように手を伸ばし、レオの頬に触れた。


「……キスしてもいい?」


レオは一瞬だけ目を丸くした。


それから、照れくさそうに笑った。


「……今さら聞くのかよ」


「嫌ならやめる」


「嫌なわけないだろ」


レオはタオの手に、自分の手を重ねた。


「……おいで」


タオは、今度こそ迷わなかった。


そっと顔を近づけ、レオに口づける。


触れるだけの、短いキスだった。


離れたあとも、ふたりはしばらく見つめ合っていた。


ずっと親友だった。


これからも、きっと親友であることに変わりはない。


ただ、その距離が少しだけ変わったのだ。


腕輪はもうない。


けれど、レオの気持ちは消えなかった。


それが何よりも、嬉しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。