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リイ 応報

 「修道院へ入りたいのです」


 リアンから打ち明けられた時、リイが最初に思ったのは、やはりこの子はサイの子なのだ、という事だった。

 サイは、生涯のほとんどをワ教への奉仕に費やした。生い立ちから推して、自ら望んで入った道ではなかったにせよ、還俗した後まで聖職者の心根を持ち続けたことを、リイは直接に知っていた。


 「何故? 修道院へ入ったら、領主にはなれないわよ」


 そう問いかけたが、事実ではない。他の領地で、修道士から領主に就いた事例がある。

 リイは、リアンを愛しく思ってはいるものの、次期領主と公に定めるには、消極的であった。


 リイとシイェから生まれた息子のリュウは、健やかに育っている。彼が死ぬことなど考えるのも不吉だが、念の為、他にも子を儲けるつもりで、夫と定期的な交渉を持っていた。


 リアンはリイを真実の母と慕っている。物心つく前から、唯一の母として接してきたのだ。娘の心情に偽りはない。

 だが、彼女がリイの子でないことは確かであった。リイが幽閉先から脱出し、行方をくらましていた間に生まれた子なのだ。


 その父は、リイの前夫であるユアンだ。それも今となっては、絶対の真実かと言われるとあやふやである。もしかしたら、ユアンはお手つきなどせず、どこかから赤子を調達したのかもしれなかった。

 彼は、とうの昔に土の下へ入っている。


 いずれにしても、領主一家のうち、リアンだけが血の(つな)がりを持たないのであった。


 「私は、領主の(うつわ)ではありません」


 リアンは答えた。


 「もしかして、シオンかニアンが好きだったの? 婚約の件だったら、わたくしが何とかしてみるわ」


 リイの言葉に、リアンが目をみはり、顔を赤くしたのを見て、やはりと思った。


 シオンはヨオンの息子、ニアンはクィアンの孫か誰かで、いずれもサパ重鎮(じゅうちん)の後継者である。年も割と近いことから、幼少時、リアンと頻回に交流を持っていた。


 彼らは近頃、相次いでハルワの貴族と婚約を結んだのである。サパ領内の貴族と異なり、交渉は難しいであろうが、不可能ではない。


 リアンを領主の娘として、有力な臣下の家へ嫁がせることは、リイにも利があった。


 「いいえ。それには及びません。あの二人とは、今後もよき友人として在りたいと思っております。そのためにも、私が修道院へ入ることは必要なのです」


 表情と裏腹にきっぱりと否定され、リイは戸惑う。意地を張っているようにも、見えなかった。


 若かりし頃、狩りやパーティに参加した華やかな記憶を思い起こす。あれらがリイの嫁ぎ先へ高く売りつけるための釣り()であったことは、当時から理解していたが、自身の楽しみでもあったのだ。


 現在のサパの財政では、リアンのために同じ催しを用意してやることはできない。

 サパはホン地区で再開発に失敗して以来、財政再建の長い道のりの途上にあった。再開発と掲げてはいるが、その実はドゥオ国に対抗した金採掘競争の敗北である。


 しばしば落石があるのも承知で、居城の修理を引き延ばしている状態なのだ。後の見返りを期待して、先行投資する余裕はない。


 修道院に娘を預けるにも金はかかるが、パーティを頻繁に開くよりは、よほど費用を抑えられる。それに、パーティを開かない口実にも使える。


 いずれリアンの嫁ぎ先を決めたら、還俗させることも可能なのだ。サイのように。


 「考えてみるわ」

 「ありがとうございます、母上」


 母娘は微笑み合った。



 リイは、リアンの希望をシイェに伝えてみた。


 「良いのではないかな。ワ教への忠誠を示す事にもなる」


 夫の賛成は、予想していた。彼は、元々子供が苦手だった。初対面で幼児だったリアンは、人見知りを最大限に発揮し、彼の心に決定的な壁を築かせたのだった。

 リアンもまた、奥手な性格から、積極的に義父と距離を縮めようとはしなかった。


 こうした関係に加えて、シイェが次の領主を己の子にと希望していることも、賛意に透けて見えた。

 リイにとっては、いずれリュウがサパ領主となることは当然で、間にリアンが挟まっても問題ないと思っていたが、夫の考えは異なるようであった。


 「ほら、私はドゥオ国の出身で、改宗者だからね。どうしても、法王から弾劾(だんがい)されるのではないか、と今でも心配になることがあるのだ。もちろん、領主にして母親でもあるあなたの考えが、一番に尊重されるべきだと思っているよ」


 シイェは言い訳するように付け加えた。リイは夫の言葉から、己自身も再び異端に落とされる可能性があることを思い出した。

 すっかり忘れていた。

 これほど長い年月を経ても、その間どれほど身を慎んでも、一度押された烙印(らくいん)は消せないものなのだ。


 こうしてリアンは修道院入りした。還俗しやすいよう、サパ領のお膝元であるガル修道院が身柄を預かることとなった。


 城の礼拝堂が改築なって以来、距離をとってきた両者であったが、これを以て和解のように距離が縮まったのは、想定外の収穫であった。

 リアンを捧げた恩寵か、早速唯一絶対神からのご加護が示され、城周辺での落石の報告が減ったのも、ありがたいことであった。



 近頃のリイは、疲れやすくなっていた。頭痛に悩まされることもしばしばである。

 歳をとると言うことは、こういうことであろうか。しかし今のリイは、先ごろ亡くなったクィアンよりもよほど若い。

 幽閉生活や、その後のイルとしての流浪の生活における無理が祟ったのかもしれない。


 リュウは、少しずつ領主としての仕事を始めている。長年サパを支えたヨオンとその息子シオン、クィアンの後を継いだニアンとの間柄も良好である。それに、彼には父のシイェもいた。


 シイェには相変わらず何の権限も持たせていないが、長年の活動の成果で、領民にすっかり馴染(なじ)みの存在となった。パーティや会合は、彼の出席により箔付(はくづ)けされた。


 もう、リイ一人がサパを背負わなくても良い、との安心感が、体に伝わったようでもあった。



 「こんなになるまで」


 低い呟きが、リイの耳に届いた。

 彼女は執務中に倒れ、ファンの診察を受けていた。

 ファンは侍医となってからも、これまでのかかりつけであった貴族の家や、庶民の往診を続けていた。遠慮した訳ではないが、不在がちな彼との予定を合わせるのが面倒で、結果的に診察を避けてきた。


 しばらく前から、手足が痺れて力が入らなくなることが増えていた。眩暈(めまい)や吐き気も毎日感じていた。

 医師に診察を求める手間とそれに続くあれこれの指示に縛られるよりも、惰性で執務を続ける方が、リイにとっては楽だったのだ。


 リイは寝室に運ばれた。部屋には、心配したシイェが駆けつけた。リュウは、仕事の方へ回っていた。今頃、リイの抜けた穴を埋めるのに忙しい筈である。リイは息子に申し訳なく思った。

 耳元に、密やかな声が降ってきた。


 「飲食物にご注意ください」


 幻聴かと思った。リイが、苦労してファンの顔を見返した時には、彼はスラスラとカルテに書き込んでいた。チラリと覗いてみたが、記号のような文字で、全く判読できなかった。


 「ファン先生、リイは、妻は大丈夫でしょうか」


 遠慮して下がっていたシイェが、診察を終えたと見てベッドへ近付いた。ファンはさりげなくカルテを仕舞い、立ち上がった。


 「そうですね。リイ様は、慣れぬ生活を強いられていた時期が長く在りましたから、その頃の無理が出てきたとも考えられます。今後は、体に負担をかけないよう、リュウ様ともよくご相談なさった方がよろしいかと存じます。ただ、お部屋に引き篭もるのは感心しませんね。外へ出て、多くの人と会うことは、リイ様の症状を軽くするでしょう」


 ファンは、病名を確定せず、薬も処方せずに去った。見送りに出たシイェは、再び寝室へ戻ってきた。


 「やっと、リュウが一人前になってきたというのに、最後まで見届けず逝ってしまうようなことは、ないだろうね?」


 ベッドへ寝かせたまま、優しく抱きしめながら、念を押す。

 リイが不調を自覚してから、夫婦の交渉は絶えていた。修道院にリアンがいるとはいえ、シイェにとって、実質的な跡継ぎはリュウだけである。


 「努力する。でも、リュウにはあなたがいる。私は、安心して休めるわ」

 「うん、うん。休むのは大切だ。水を持って来てあげよう」


 シイェは窓際に置いてある水差しへ向かう。


 「何だ。虫が浮いているじゃないか。侍女は何をしているんだ」


 リイの頭の中で、何かが光った。

 夫は水差しにこよりか何かを突っ込んで、虫を取ろうとしているようである。首が痛くて、ずっと見守ることはできなかった。


 何故か最初の夫、ユアンを思い出した。()()()()、徐々に体力を削られ、最後に力尽きた。まだ若かった。丁度、今のリイのように。


 「何故、その顔を選んだの?」


 声が掠れ、ほとんど囁きとなった。視界の端で、シイェの動きが止まる。一瞬後、再び動き始める気配があった。


 「あなたに、愛されたかった」


 リイは苦労して、もう一度首を捻って夫を見た。

 シイェが水差しを回し、光にかざして中を確認する。それからグラスへ水を注ぎ、リイの元へ運んだ。その顔には慈愛の表情が浮かんでいる。まるで、仮面を貼り付けたような顔だった。


 「でも、あなたが本当に愛したのは‥‥もう、済んだことだ。さあ、これをお飲み」


 シイェの顔が、記憶にあるジンの顔と重なった。

 リイは、(かす)む目で、グラスの水を懸命に透かし見た。


 粉のような、キラキラしたものが舞っているような気もした。

 かつて、己がユアンに同じ事をした時の記憶を幻のように見ているのか、今、現実に存在するものを見ているのか。

 しかし、見極めることはできなかった。夫が、優しくグラスを口へ運んだのだ。


 「ユア」


 開いた口へ、水が流し込まれた。

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