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リイ 出産

 果たしてリイの小細工が効いたものか、リアンはリイの産み月まで命を長らえた。



 陣痛が始まった時も、リイはリアンの元にいた。ここ(しばら)く、お産の妨げにならないよう、遊び友達との行き来を止め、城で侍女を相手に過ごしていた。


 弟妹ができることも理解しており、指折り数え楽しみにしていた。リイも、彼女の顔を見ると心が安らいだ。


 「陣痛が始まったようだけれど、あまり早くから行っても疲れてしまうわよね」


 「いいえ。途中何が起きるとも限りませんから、早うお出かけになられた方が、よろしゅうございます」


 侍女たちは大騒ぎを始めて、リイを産室へ送り出した。

 先触れを出しておいたので、彼女が到着した時には、ファンの率いる一団が、ずらりと待ち構えていた。


 逆子の可能性があり、危ない場合には帝王切開という方法を使うとのことだった。それで城に常駐する看護士とは別に、彼の信頼する助手を連れてきたのである。


 彼らは頭の先からつま先まで、全員白装束で固めていた。口元にも白い布を巻いており、ファン以外には老若男女の区別もつかない。

 リイは寝台に寝かされた。まだ産む段階ではないらしい。


 周囲には白尽くめの人が林立し、嗅ぎ慣れない匂いと耳障りな金属音と合わさって彼女一人、見えない壁で隔離されたようだった。

 陣痛の間隔は次第に狭まり、強さも増してくる。リンの時もこんな感じであっただろうか。ふと思い、思い出さない方がよいのではないかと考えた。

 同じ結果になっては、困る。


 誰かに額を拭われた。一瞬、すっきりした。リイは目だけを巡らせた。

 頭を動かすと、痛みがひどくなる。そしてリンの悲劇が繰り返される気がして、身動きするのが怖かった。


 白尽くめの人びとに囲まれても、動きからファンとその他の見分けはついた。

 彼の指示に従って、瓶を(たずさ)えた助手が彼女に近付いた。


 視界の外にいた助手に、薬らしき液体を飲まされたかと思うと、先ほどの助手からは、瓶の中身を嗅がされた。馴染みのない臭いである。薬草の類いであること以外、効能の見当もつかない。

 リイの視線に気付いたファンがやってきた。


 「帝王切開を行います。今処方したのは麻酔と言い、痛みを減らす薬です」


 リイは耳を疑った。普通に産めそうにない時に、初めて行うという話ではなかったか。

 帝王切開と言えば、腹を切るのである。ただでさえ死産するかもしれないのに、それでは母子ともども死んでしまうではないか。

 彼女は抗議しようとしたが、既に手足を寝台に固定されていた。

 更に、特殊な形の猿轡(さるぐつわ)まで噛まされた。舌を押さえつけられ、息苦しかった。


 彼女は出産寸前であることも忘れ、(いまし)めから逃れようとした。白尽くめの助手たちが慌てて押さえに入る。ファンが舌打ちした。


 「おい。ジアはいないのか。あの馬鹿力が要る」


 聞き覚えのある名に、リイは思わず身動きを止めた。彼女がイルであった間、付ききりで世話を焼いて貰った女装の男性である。まさか産室にいる筈もない。


 偶然同じ名を持つだけであろう。しかしもし本人であれば、リイがイルであることを知る数少ない証人となるのだ。

 リイは、その名の持ち主を、確認せずにはいられなかった。


 「ジィィン! あたしよ、ジアよ! 忘れたの?」


 彼女の思いに呼応するように、部屋の外から当人の声が聞こえてきた。

 リイは体を強張(こわば)らせた。が、力が入らなかった。


 「誰だと? くせ者、ひっ捕らえろ!」


 シイェの声に迷いはない。リイが心配で、側に控えていたのだ。重い足音が、リイの体に響いた。

 ジアはやすやすと捕まらなかった。足音が遠ざかると、部屋の中まで急に静かになった。

 ファンが側に立ち、彼女の頬をつねった。


 「痛かったら、二回連続まばたきをしてください」


 先ほどの騒ぎを完全に無視していた。彼女は逆らわず、二回連続まばたきをした。縛めのせいでなく、身動きができなかった。ファンの手が、膨らんだ腹の向こうへ去った。


 「ここは?」


 触られていることはわかるのに、形容し難い奇妙な感覚であった。リイは反応しなかった。彼は頷き、助手たちを見回して帝王切開の開始を宣言した。


 ファンの立つ周りに、ぴかぴかした物の並ぶ台や白い物の積まれた台がぴたりと納まった。彼はごく自然に器具を取り上げ、助手が消毒したリイの腹を切り裂いた。


 金属が体の内部に触れるという、通常あり得ない感覚は生理的嫌悪の情を呼び起こしたが、彼女はどうしても痛みを感じることができなかった。


 彼らは実に手際がよかった。裂いた腹の中を探る間もなく、ぬめりとした塊を取り出した。

 ファンは塊を助手に預けると、早くも腹を元へ戻す方に取りかかった。


 リイは痛覚のない自分の腹より、赤子が気に懸かって仕方なかった。青紫色をした赤子は、うんともすんとも言わない。リンの時のように。

 白尽くめの助手たちは、傍目には落ち着き払っているように見えた。片腕で赤子を抱くようにして、軽く叩く。

 唐突に、赤子が暴発した。


 「おめでとう。男の子ですよ」


 ファンが泣き声に負けない大声で言った。彼は手を休めなかった。

 リイは大きな安堵を覚えた。白尽くめの助手たちからも、喜びの感情が立ち上っているように思われた。


 うち一人が、まだ湯気の立つ赤子を彼女に見せてくれた。彼は弱々しく泣き続けていたが、彼女は、むしろ喜びをもって受け入れた。


 早く自分の腕に抱きたくてたまらなかった。一挙にしぼんだ腹の上では、ファンが相変わらず両手を動かし続けていた。


 乱暴に扉の開く音がして、助手たちが一斉にそちらを向いた。遠くの人声が、開いた扉から入ってきた。


 「まあっ。まあっ。何てこと!」

 「(うるさ)いぞ、ジア。手術中だ。扉を閉めろ」


 ファンだけは音のした方を見向きもせず、縫合(ほうごう)を続けた。

 ジアは扉を閉めようとせず、ゆっくりとリイの側に近寄った。一人の助手が、扉を閉めに走った。


 「イル。あなたが、ジンの相手だったのね。あたしは、サイを殺して終わりと思」

 「あんたがサイを?」


 老いた女の声が、鋭く(さえぎ)った。助手の一人らしかった。ファンが初めて手を止めた。


 「ジア。汚れた手を患者に近付けるな。()()()は、ジンではない」


 ジアは尖った物を握っていたが、だらりと下げた腕ごと血塗(ちぬ)れて何かわからなくなっていた。助手たちの間にざわめきが広がった。

 リイは縫われつつある腹が痛み始めるのを感じた。彼女の子は泣き続けている。



 リイは無事に産室を出ることができた。ジアは駆け付けた衛兵たちに取り押さえられ、領主殺害未遂の罪により十日と経たぬうちに処刑された。

 シイェは斬りつけられただけで、命に別状はなかった。


 彼女を城に引き入れた件で、ファンに何らお咎めはなかった。サパ領主に男児を誕生させた功績は、それほど大きかったのである。

 ジアがリイをイルと呼んだことについても、誰も騒ぎ立てず、不問のまま終わった。血に彩られた騒ぎをよそに、赤子は順調に育った。


 自分の腹を痛めた子を得てから、リイはぱったりリアンを訪れなくなった。

 関心がなくなった訳ではない。とにかく忙しいのである。生きてこの世に誕生した命は、洗礼を受けるまで一年もの間、名無しで過ごさねばならない。


 目も見えない、首も座らない、歯もない小さな存在が、果たして名を授かるまで生き長らえるものか。

 いくら侍女や乳母が世話をしようとも、母親の目が届かなくなった途端、灯火が消えるような不安があった。


 リイは暇さえあれば、赤子に付き添った。ただでさえ彼女には、領主の仕事が待ち構えていた。いつまでも大臣たち任せでは、いずれ領主など不要と反旗を(ひるがえ)されるだろう。


 出産まで引き延ばしにしていた事項も、そういつまでも待たせていられない。

 他方リアンは、幼いながらも自分の始末は立派に一人でできる年頃になっていた。彼女には侍女や乳母がついていた。リイの心配は、余計なお世話であった。


 一度、弟に会ってみたいと侍女を通じて申し入れがなされたが、リイは断った。赤子はまだ小さ過ぎて、幼いリアンが扱いを間違えはしないか、と恐れたからである。

 以来、リアンは彼女の意を汲み、煩わしい用事を言い出さなくなった。リイはますます娘を忘れた。


 シイェもまた、赤子を舐めるように可愛がった。赤子が笑うようになると、二人で笑顔の数を競ったりもした。

 可愛さのあまり彼を奪い合い、危うく落としそうになることすらあった。

 シイェの子ども嫌いは、食わず嫌いであった。


 リイは父子の様子を見てひとまず安心した。

 ただ、彼について不安な点は残っていた。相変わらず印象に残らない顔である。その顔を彼がどのように考えているのか、彼女は未だに問い質せなかった。


 彼は婿入りに当たり、ファンにその顔を植え付けられたのであった。

 リイは、ファンから直接そのことを聞いたのである。


 麻酔をかけられた状態にあっても、リイの意識は目覚めていた。彼女は、出産時の出来事を逐一覚えていた。

 ジアがサイを殺したのは本当であった。サイは、あの混乱を逃げ延び、サパ城下に潜伏していた。


 縁者もなく、無名墓地に葬られたという。気の毒には思ったが、カアンと一緒に攫われたのはリイのせいではない。

 一方で、彼女はサイの死に安堵を覚えもした。ジアと行動を共にしていたのならば、彼女もまた危険因子となり得た。

 彼女に続いて、ジンの名を耳にした時には、ぎょっとした。

 ファンは、シイェにジンの顔を与えると同時に、ジンの顔を別人に変えてもいた。


 彼も詳しい事情を知りはしなかった。医師の義務により、知らぬふりをしているだけかもしれない。

 シイェの整形を明かしたことといい、ジアを手元に置いたことといい、彼にも得体の知れない部分があった。

 しかし彼は医師として非常に有能であり、我が子を生かすためリイに不可欠な人材でもあった。


 恐らくジンは、これまでの顔を捨てて次の仕事に(おもむ)いたのだ。シイェは由緒正しく貴族であった。

 敢えてジンの顔を持たせた理由が工作の一部なのか、リイへの置き土産なのか、彼女は知るのが怖かった。


 話を聞いた時、彼女は嬉しさと寂しさの入り交じった気持ちを感じた。その後、彼女のシイェに対する態度に自信が加わったことは否めない。

 彼は彼女の変化に気付いた風も見せず、彼女も赤子も大切に扱った。


 (またた)く間に一年が過ぎ去った。待ちに待ったワ教の洗礼日を、リイは赤子と共に迎えることができた。

 男児はリュウと名付けられた。

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