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サイ 帰れない理由

 そこで二人は差し当たり、山を目指して歩き始めた。

 上天気である。周りには何もない。枯れ草と、腰ぐらいの高さの岩が点在するばかりである。


 履物が砂礫(されき)を踏みつける音のほか、鳥の声も聞こえない。

 否。ジアの提げた瓢箪(ひょうたん)から、ちゃぽちゃぽと蠱惑的(こわくてき)な音がする。暑くはない。


 ただ、食事を食べ損ねている。恐らく夕刻と朝方の二食分。空腹を通り越すことができても、渇きは誤摩化せない。喉はますます渇くのに、山は一向近付かない。


 先に立ち止まったのは、ジアであった。水音が絶えたので、サイは振り向いた。


 「ああ疲れた。荷物重いし。あんた、これ飲んでいいわよ」

 「毒入りだって警告したのは、あなたでしょうに」


 眉をひそめるサイに、ジアは平然と片方の瓢箪を差し出した。


 「あたしが余計な事を言わなかったと思って、飲んでみなよ」


 彼女は呆れながらも瓢箪を受け取った。地面に置いて、唯一絶対神に食前の祈りを捧げる。今度はジアが呆れた。


 「そんなことしたって、毒が消えるわけないじゃない」

 「そういう意味で祈ったのではありません」


 サイは言い返したが、彼女の解釈を笑う気にはなれなかった。もしこれを飲んで死んだとしても、最後に神に祈ることができたのだ。悔いは残らない。

 彼女は栓を抜くと、躊躇(ためら)わずに口をつけ、中身を喉へ注ぎ込んだ。生温(なまぬる)い液体が、体に優しく染み込んだ。


 「どう? 大丈夫?」

 「水みたいです」


 勢い余って端から(こぼ)れた(しずく)を拭いながら、サイは答えた。

 ジアはなおも様子を窺ったが、彼女が全く平気なのを確認し、残りの瓢箪に口をつけた。やはり口の端から透明な液体が零れた。


 「ぶはっ。おいしいわあ。あれ」


 ジアの指差す先には、馬車らしき動く影があった。



 サイたちは無事サパ地方に到着した。そもそも彼女たちのいた場所が、同じ地方のチン地区であった。

 二人は、通りかかった商人の馬車に乗せてもらうことができた。追い剥ぎに遭ったという話を、彼らは容易(たやす)く信じた。サイにとっては、まるっきりの嘘でもない。


 ホン地区でサイだけ先に降りたのは、トウの墓を横目に、ただ通り過ぎることができなかったからである。


 クィアンの屋敷に引き取られてからは、全く訪れる機会がなかった。

 彼の元へ戻ったが最後、この先も恩師の墓へ参る機会は得られないように思われた。


 いざ行ってみると、辺りの雰囲気が変わっていた。家が増えたのに、賑やかさとは程遠い。

 国境警備隊のあった方角には石垣が高く積まれ、ものものしい気配を(かも)し出していた。


 急なことで持ち合わせのないサイは、礼拝堂へ寄らず直接墓地に入った。

 トウの墓には、変わらず花が供えられていた。ユアンの心遣いによるものであろう。


 その父カアンの安否も気遣いながら、祈りを捧げた。

 サイが立ち上がるのを見計らったように、粗末ながらこざっぱりした格好の男性が近寄ってきた。大方墓の管理人であろう。


 こうした管理人は、葬儀の際、墓掘り人夫の役も勤めるのである。彼女は恩師の葬儀に参列せず、彼とは初対面であった。

 尤も再会であったとしても、彼が彼女を見分けるのは困難であった。

 彼女は未だイルの扮装が解けていなかった。そして、そのことをすっかり忘れていた。


 「見かけねえ顔だな。どんな関係だったんだね?」


 彼は遠慮なく、ずけずけと訊いた。


 「みなしごだった私を、我が子のようにお世話してくださいました。遠い土地へ出かけたりして、もう何年もお参りできず、気に懸けておりました。この辺りは、随分と様変わりしましたね」


 婉曲(えんきょく)に怪しいものではないと伝えたつもりが、却って相手の興味を呼び起こした。


 「おや。そんなに長いこと、留守にしていたんかね。じゃあ、こないだの襲撃事件も知らんのか」

 「襲撃?」


 おうむ返しに言った彼女の表情から、彼は知らないと合点した。実際、彼女には何のことやらさっぱりわからなかった。


 「ほら、領主様の父様。あの方が盗賊に攫われて、領主様が手綱を取って根城へ乗り込んだのさ。知らねえか?」


 彼は、嬉々として話し始めた。サイは自然耳を傾けた。彼の言う盗賊は、彼女を捕らえた者たちと同一と考えられた。してみると、あの時の混乱は、ユアンの突入によるものであった。


 彼がそれほど近くに来ていたと知り、彼女は遅まきながら喜びを感じた。話を聞かせる側にも聞き手の熱意が伝わり、身振り手振りを激しくした。


 「見事に父様を取り返したのはよかったが、間の悪いこともあるものさね。偶然同じ日に、あそこの国境警備隊も襲われたんだよ」


 「えっ。でも、あんなに頑丈そうな塀が」


 何も知らぬサイの驚きように、彼は我が意を得たりとばかりに頷いた。


 「ああ。あれね。見た目だけは立派でも、中はぼろぼろだってよ。怖いもの知らずの連中がちらっと覗いた話だと、役に立ちそうな物なんか一つも残っていなかったってさ。あそこは、ホンに怪しい奴らが出入りするようになったっていうんで、頑丈に作り直して、偉い人が直々に来て変わった訓練なんかもやってたそうだけど、俺にはわかんねえや」


 「どうせ、何もかも滅茶苦茶になっちまったんだし。そうよ。あの晩は酷い騒ぎだった。村人がこぞって教会に集まってきて、この世の終わりだって皆で震えていたもんだ。あんな恐ろしい戦にあって、姫様がご無事だったってえのは、やっぱり唯一絶対神の御加護だと思うね」


 「姫様、と言うのは?」


 唐突に持ち出された名前に、サイは混乱した。

 ユアンとの間に生まれた娘、リアンが何故国境警備隊にいたのだろうか。(にぶ)い彼女は睨まれた。


 「リイ様に決まっているだろ。異端の罪であそこに閉じ込められていたことまで、忘れちまったのか。今はお城に戻られた。あの方こそが、サパの正当な後継者よ。司祭様のお話じゃ、あんな奇跡を起こされたことに免じて、罪をお許しくださるよう、法王様にお願いしているそうだ」


 彼の話は続いたが、サイは上の空であった。リイは、確かに国境警備隊にいたことになっていた。

 しかし、実際はそこにいなかったことを、サイは知っている。襲撃で命を落とす懸念は全くなかった。しかるに、彼女が襲撃を生き延び、城へ戻った上に、特赦を申請しているという。


 彼女の不在は、ワ教の上層部も知っていた。ユアンや関係者の心情はともかく、未だに生死が不明なら、この度の襲撃で死んだことにすれば、手間が省けたであろう。

 本当に、リイが城に戻った、と考えた方がよさそうである。


 では、彼女はどこから出現したのか。ユアンが討伐に出撃し、国境警備隊が襲撃を受けている最中、混乱に乗じて戻ったとしても、そもそも彼女がその好機をどのようにして知ることが出来たのか。


 偶然ではあり得ない。

 ホン地区の国境警備隊が、サパの軍事力の多くを占めることは、サイが特別司教を務めていた際に聞き知っていた。

 カアンという都の大貴族を探すなら、ここの兵力を動員するであろうことは、素人のサイでも予想がついた。


 すなわち、カアンの誘拐からホンの襲撃までは、ひとつながりの出来事なのである。導かれる結論も一つ。

 これを計画した者はイル教関係者であり、その計画を利用できるのも、またイル教関係者しかいない。


 サイの頭は目まぐるしく考えを進める。その脳裏に、一人の人物が浮かび上がる。

 彼女にイルの変装を施した者。ジアの話では、彼は女性であった。一介の異端者にしては、サパの内情に妙に通じていた。間違いない。

 イルこそがリイであった。



 サイは墓の管理人に瓢箪を与えて別れると、墓地を出てあてもなく歩いた。

 彼の話を聞いた後では、彼女の目算(もくさん)はまるで狂ってしまった。


 まず、クィアンの屋敷へ戻り、ユアンに無事を知らせる。そしてイル教根絶の手がかりとして、ヤオとスイの名をハルワティアンに照会しようと考えていた。


 彼らがまさか現職の司祭や修道院長ということはなかろうが、元修道士ということはあり得た。

 どうやら幹部らしい彼らの所在が明らかになれば、法王の目的遂行に大いに資する筈であった。


 しかし、イル教の元締めイルがリイならば、サイの動きを止めるだろう。

 思いもかけない拍子に、正体が暴露されないとも限らないのだ。

 ここまで考えて、サイは頭を振った。


 リイが彼女に、イルの格好をさせたことを、改めて思い出した。彼女はサイをイルとして捕らえさせるために、変装を施したのではあるまいか。


 ジアにイルの行方不明を伏せさせたのも、リイとイルが同時に存在することを公に示すためではあるまいか。

 ジアの怒り具合では、裏の事情を全く知らされていなかったとしか思えないが、きっと彼女の行動を予測するのは、リイには容易であったろう。


 表向き、リイの不在を隠し通し、幽閉を解いたのは、ワ教もユアンも彼女の帰還を望んだからある。もしかしたら、非公式には、イル教がリイの宗教であることをも知っているのかもしれない。

 新興宗教は、教祖が消えれば、(もろ)い。法王は、イル教を潰すために、サパと何らかの取引をした可能性もあった。


 サパにとっては、リイが戻るに越したことはない。先ほどの教会の男の態度が良い例である。


 これほどの唐突は予測し得なかったものの、ユアンとの交渉がいつか途絶えることは、サイも覚悟していた。

 その後は、クィアンの屋敷に篭って修道女のように暮らすつもりであった。


 ところが、男の話を聞いて、サイは考えを変えざるを得なくなった。

 リイが彼女をイルの身代わりに据える気であったとすると、彼女が公に姿を現すのは、城で暮らすリアンの命を危険に晒すようなものである。

 同様に、クィアンの屋敷にも戻れない。幼い息子を巻き込むことになる。


 いっそのこと、皆に死んだと思わせたかった。そうすれば、差し当たりリアンや息子の命が狙われる心配はなくなるであろう。ユアンも堂々とリイを愛することができる。

 サイの胸が痛んだ。

 だが、自ら死を選ぶことは、ワ教において大罪である。サイは信者として、自死するつもりはなかったが、代わりの妙案も浮かばなかった。


 唯一絶対神は、何故このような試練をサイに与え給うたのか。神の御心を推し量るには、まだまだ彼女の修養は足りないようであった。

 もう、母の形見も失われた。彼女は一人で問題に立ち向かわねばならない。


 カアンが現れてからこのかた、サイは次から次へと信じられない出来事を見聞きし続けた。

 今は、それらを整理するだけで精一杯であった。

 彼女は足の向くままに歩き続けた。

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