リイ 喝破*
「下がっていろ。おい」
ジンが言った。後半は、控えていた男への呼びかけであった。
彼が嬉々として進み出るのを見て、リイの気力は急速に萎えた。
男は、刺繍針よりも太く長い針を取り出した。
カアンの足先から飛び出すそれと同じ太さである。思っていたよりも、長かった。
舅の爪の間に、あれだけの長さが差し込まれている、と想像しただけで、リイの足が痛む気がした。
男は、持ち運びできる小さな台の上に針を並べ、一本一本目の前に近付けて何やら調べる。準備は全て彼が行い、ジンは黙って見守るばかりである。
彼はジアのような、ある種の専門家であろう。
針を調べ終えた男は、それをカアンの目と鼻の先へ持っていき、ゆらゆらと揺らした。カアンの目が急に大きく見開かれた。
「ひっ。や、やめて、くれ。もう、全部、喋ったじゃないか」
「もう少し、聞きたいことがある」
ここで、ジンが口を開いた。カアンは、眼前に迫る針に釘付けである。
彼は自由になる首をねじ曲げ、精一杯危険から遠ざかろうとしつつも、目が離せない様子であった。拷問係が微笑みながら、針を彼の視界から徐々に遠ざけた。
「わ、わかった。何だ。早く言えっ」
カアンの顔が引き攣り、ただでさえ掠れがちの声が、上擦ってほとんど悲鳴に聞こえた。
彼の視線につられて、リイも針に吸い寄せられた。哀願空しく、針は妙に優美な軌跡を描いて未踏破の右足小指に突き刺さった。
耳をつんざくような音が、リイを襲った。舅のどこに、そのような声を上げる力が残っていたのか、不思議であった。
「聖人君子は、これだから困る」
気がつくと、ジンに抱きかかえられていた。知らぬ間に、気を失っていた。
リイは異端宣告を受けて以来、ほとんど人に体を触れられることなく生活してきた。特に男性とは長い間、触れ合っていない。
ジアの体が男性であることは知っているが、リイにとって彼女は女性である。
彼女はジンが己を抱く腕の感触に、思いがけず男を感じ、動揺した。
彼は有無を言わさず、彼女を部屋から連れ出した。
リイは逆らわなかった。途中、サイの入る牢の前を通った。彼女はリイたちに目もくれず、拷問部屋の方を向き端座していた。
「俺が訊き出して、後で教えてやる。部屋に戻って休め」
サイの前を通り抜け、牢屋の入口まで来ると、ジンはリイを放した。彼女は、側の壁に凭れ掛かるようにして、頷いた。
部屋に戻りたかったが、足が動かなかった。再び、人とも思われぬ絶叫が聞こえてきた。すぐ側で聞いた時よりも相当音量は絞られていたが、彼女の記憶を呼び覚まして耳を塞ぐには、充分であった。
ジンがリイの部屋を訪れたのは、翌日のことであった。
彼女が城の見回りを終えて戻ると、彼がいた。彼女は、牢屋を見回りのコースから外していた。
情けないと思いつつ、どうしても足が向かなかった。
「吐いたぞ」
「カアンは、生きているんだろうな?」
リイは、昨日の悲鳴と光る針を思い出した。カアンは老齢の域にある。痛みに耐え切れず、心臓が止まってしまうこともあり得る。
舅の心配というよりも、ハルワの大貴族を殺した場合の危険性を考えての念押しだった。
ジンは肩をそびやかした。
「当たり前だ。あんたにはわからんだろうが、グオだって気を遣ったんだぞ。器具は全部消毒して、ちょっとでも欠けた部分があれば使わねえし、無駄に痛めつけはしねえ。奴は己の技術に誇りを持ってやっている。全て計算の上だ。あんたみてえに、衝動で殴ったりなんかしなかったぜ」
そうだろうか。人が己の与えた痛みに苦しむ様子を眺めるのが、楽しいだけのようにも見えたが。
グオというのが、あの拷問好きな男の名らしい。リイは彼に小馬鹿にされたことを思い出し、顔が熱くなった。
「奴はちょっと惚けてるみたいで、要領を得ないんだが」
ジンは彼女の表情を無視して、話を進めた。
それによれば、サイはクィアンの愛人でありながら、ユアンと密通しており、しかも彼の母を死なせた元凶の娘であった。言い換えると、カアンのお手つきした女の娘がサイ、ということになる。
カアンはサイを罰するために、クィアンの許可も得ず連れ出したらしい。
「娘とは認めないが、元雇い主でもある以上、親のようなものだから、罰する権利があるとか抜かしていたぜ。お前のところの貴族は、皆ああいう感じなのか?」
「さあ。どうだろう」
リイはお座なりに返した。ジンの何気ない言葉に、やはり、と思うところがあった。
彼はドゥオ国の中枢のために働いているのだった。ハルワ国のサパを故郷と思うリイとは、根本的に相入れない存在であった。
彼女は、そのことを残念に思った。
「それより、カアンの話は本当だろうか」
ユアンの生母が、父親のお手つきを苦にして亡くなった話は聞いていた。
サイは身寄りのない孤児であった。彼女がお手つき相手の娘というのも、全くあり得ない話ではない。
そのような出自を持つ彼女が、誰かに見初められて還俗し、妻なり愛人なりに納まることも、同様にあり得る。
では、どこが疑わしいのか。
ユアンと通じた部分であろうか。夫が他の女性に目を向けたことが、信じられないのであろうか。
リイは頭を振った。
サパで、彼女はユアンに子が生まれたと聞いた。人びとはリイとの間の子と信じていたが、それだけは決してあり得ない、と彼女自身が知っている。
少なくとも彼は、リイ以外の誰かに子を産ませたのである。子の母は、サイかもしれない。しかし、愛人が他人の子を産むことを、クィアンが許すとも思えない。彼は長年、男の後継を求めて女性遍歴を重ねたと言われているのだ。
愛人の浮気相手が領主ゆえに許さざるを得なかったならば、カアンが連れ出すよりも前に、クィアンがユアンにサイを献上するだろう。
カアンの話が真実として、クィアンがそうしなかった理由は何だろう。
確実なところは、
サイは還俗してクィアンの屋敷に住んでいた。カアンはそこからサイを連れ出した。
ユアンはクィアンの屋敷に出入りし、サイとも会っていた。カアンはその場面を目撃した。
といったところである。
もしかしたら、ユアンは生まれた子の父ではないかもしれない。クィアンの愛人に生まれた子が娘であれば、彼はその赤子を領主に差し出すことを躊躇わないだろう。
リイが不在であることを隠している現状、彼女を後継とすることは、双方に利点がある。
彼女は導き出された考えに、希望の光を見た気がした。ユアンはリイを裏切っていない。
「嘘だと思ったら、あの女に直接聞いてみりゃあいい」
ジンが言った。リイの沈思を、カアンの自白への疑いと捉えたらしい。
彼女は敢えて否定しなかった。
リイは牢屋へ赴いた。そこにグオの姿はなく、ホッとする。
サイは拷問部屋の方を向き、祈っていた。カアンは別の部屋へ移されたのか、姿が見えなかった。
「聞きたいことがある」
「はい」
サイは立ち上がり、格子の側まで来た。扉が開けられるのを待つ風情である。
カアンと同じ目に遭わされるつもりでいるのだ、と気付いたリイは、彼女を注視した。
サイの表情は硬いが、落ち着いていた。リイは急に、彼女が拷問される様を見たくなった。
「どこか、この女と二人きりで話せる場所はないか」
残忍な衝動に耐え、牢番に尋ねると、彼らは一様にいやらしい笑みを浮かべた。
「旦那も隅に置けねえ。ありまさあ。しっぽり楽しめる場所が」
「旦那も話せるお人でさあ。今、女を引っ立てますから、ちょいとお待ちを」
修道士でない彼らの勘違いは、放っておくことにした。
彼らは彼女を牢から出し、どこかへ連れて行った。彼女は大人しく引き立てられた。
リイは、つい彼女の身を案じてしまったが、彼らは存外早く戻って来た。
「旦那の後は、俺らに回してくだせえ」
揉み手をしながらねだる牢番には応じず、部屋まで行った。そこは、拷問部屋の並びにある小部屋であった。
入口は頑丈な扉で仕切られ、中には何もない。リイはやや苦労して重い扉を閉めた。
「そこに座れ」
立っていたサイは、奥の壁に体を擦り付けるようにして、ぎこちなく座った。いつの間にか、後ろ手に縛られている様子であった。
ジンが連れてきた連中は、誰も彼も抜かりがない。
「さて」
リイも向かいに腰を下ろした。彼女は床に目を落としている。いざ尋ねるとなると、適切な質問が浮かばない。
「元は修道女だったそうだな」
「はい」
彼女もまた、請われもしないのにぺらぺら喋る質ではなかった。昔からそのようであった、とリイは初めて修道院で面会した折りのことを思い出した。
「あなたがユアン、サパ領主の子の母親ではないか」
はっとして上げた顔を見た途端、リイは自分の投げかけた言葉が正しいことを確信した。
サイはすぐに面を伏せたが、如何せん遅すぎた。
「いいえ。違います。あの子は、ユアン様とリイ様のお子です」
口をついて出た言葉は、落ち着いた声音を伴っていた。
しかし、リイは誤摩化されなかった。
頭の中を、記憶の断片が駆け巡る。初対面の人物を熱心に見つめるユアン、教会通いが増えたユアン、彼女が異動する直前に落ち着きをなくしたユアン。その中心にいるのは、目の前に座るサイであった。
すっかり忘れていた。
彼女は既に還俗している。ユアンはワ教で認められるお手つきをしたに過ぎない、と理解はしても、リイは怒りが燻り始めるのを抑えられなかった。
ユアンが他の女を抱いた事を許せないのか、サイが目の前でしゃあしゃあと嘘をついた事を許せないのか、すぐに答えは出なかった。
「そのような事は、起こり得ない」
「何故、左様に断言なさいますか」
サイが再び顔を上げ、リイをじっと見つめた。
彼女はマントを被らずに来たことを悔やんだ。二人はしばし見つめ合った。
サイの目が、大きく見開かれた。青白い彼女の顔が、更に血の気を失った。唇を半開きにし、言葉にならない声を漏らした。
リイは彼女に目を注いだまま、動くことも目を逸らすこともできなかった。
「リイ様。では、やはりあなたがイル教の教祖なのですね」
彼女は吐息と共に、弱々しく呟いた。




