リイ 拷問*
牢屋は岩屋をくりぬいて造ったもので、なかなかの広さであった。
場所柄薄暗いのは致し方ないとして、思ったよりも清潔で、牢獄特有の臭いもまだない。
リイは相手から見えない位置に立ち、こっそりと捕われ人を観察した。
カアンはすぐ見分けられた。記憶にあるよりも、老けていたが、印象は変わらない。
そして報告のとおり、女の連れがあった。地味ながら品の良い服を纏っており、カアンと同様の身分と見えた。
彼の再婚した妻にしては若すぎるし、ユアンの異母妹とも見えなかった。
リイは彼女に見覚えがあった。彼女はカアンから離れて、祈るような格好をしていた。
あっと思い当たった時には、足を踏み出し、口も勝手に動いていた。
「これはこれは、何とワ教に奉職しておられたサイ殿ではありませんか。そのような格好では、すっかり見違えましたよ。そして、ハルワの大貴族カアン殿までご一緒とは、全く驚くよりほかありませんな」
当然ながら、二人に存在を気付かれた。牢屋は薄暗く、リイはマントを被っている上にイルとして男装していた。更に彼らとの対面は数年ぶりである。まず見破られる恐れはなかった。
ジンも見越してリイに首実検を頼んだのだろう。
二人の様子からすると、差し当たりリイともイルともわからぬらしい。
考えてみれば、舅のカアンとは数えるほどしか顔を合わせたことがなく、城付きの修道女であったサイにしても、さほど親しく言葉を交わしたことはなかった。
それでも、見知った相手の前に全身を晒すには、緊張を強いられる。
「それにしても、奇妙な取り合わせですな」
ひとまず安心したところで、リイは本心から言った。カアンを捕らえる話は直前に聞いていたものの、女性の連れがおり、しかもそれがサイとは想像もしなかった。
襲いかかった不幸に打ちひしがれてはいたが、貴族の装いをした彼女には、ある種の魅力が備わっていた。
「お前は誰だ。私の名を知りながら、敢えてこのような場所に押し込める非礼もさることながら、いまだに名乗らぬとは卑怯千万」
暫し呆然としていたカアンが立ち上がり、両手で鉄格子を握り締めた。年に似合わぬ素早い動きであった。
乱暴に揺さぶろうとするが、頑丈な格子はびくともしない。彼の動きと相容れぬ大時代な言い回しに、リイは思わず笑いを漏らした。緊張が更にほぐれた。
「わたくしが名乗らぬのは、むしろあなた方のためを思っているのですよ。感謝されこそすれ、卑怯呼ばわりされるのは心外ですな。わたくしの名を知れば、あなたは生きて帰れない。それでも知りたいと仰るのは、実に勇気あるお言葉です。しからば、ご希望にお応えしてお教えしましょう」
「待て待て。それは、どういう意味だ。私は都の大貴族にして、国王の厚い信頼を受けている身だ。私を殺せば、お前こそ即座に命を落とすことになるぞ。わかっているのか」
表向きは脅している形であるが、内心慌てているのが手に取るようにわかり、リイには面白かった。
彼女は大声で笑いたいのを堪えねばならなかった。自然、押し殺した声となる。
「いやに自信をお持ちだ。ハルワ国の存亡に関わる密命でも帯びているような態度ですねえ」
「何をっ。盗人風情が口ばかり大きなことを叩きおって。からかうのもいい加減にして、早く私をここから出すのだ」
カアンは再び鉄格子を揺すった。彼は上手く誤摩化したつもりであろうが、リイは彼がうっかり本音を漏らしたことを見抜いていた。
恐らくは、ジンが知りたがっているサパの開発計画に関する話であろう。
大貴族と豪語する割には、老練さが足りないように彼女には感じられた。権謀術数の限りを尽くす相手が、貴族に限られたせいであろうか。それとも耄碌したか。
しかし、彼も貴族の誇りにかけて、素直に打ち明けはすまい。
リイは舅の罵声を無視して、牢から去った。
二人はリイともイルとも気がつかない様子であった。サイは彼女がカアンとやり取りする間中、俯き加減にして沈黙を守っていた。
思い返せば、サイは貴族らしい服装をしていたが、外出の正式な格好ではなかった。貴族の服装の基準はややこしい。流行も変わる。
それでも、ハルワの大貴族と都へ出かけるサパ貴族の娘の支度としては、違和感があった。
仮にハルワティアンへ行ったサイが、カアンに見初められ内輪の仲になったとしても、やはりおかしい。
そもそもカアンは、密命を帯びた旅に、何故彼女を同伴したのであろうか。考えても説得力のある仮説は思い浮かばなかった。
ジンと再会した部屋がリイの部屋になった。
彼女が戻った時には、彼の姿はなかった。ジアの様子から推すに、城を去ったのではなく部屋を移っただけであるらしかった。彼女はドンにいた頃よりも、明らかに生き生きとして働いていた。
彼が何をしているか尋ねても答えないが、リイの行動を束縛もしなかった。部屋に残された図面をもとに、彼女は城を隅々まで見回った。
改めて仔細に観察すると、城は初めに感じたよりも、遥かに未完成であった。
元々あった岩屋を主体にしていると言えばそれまでであるが、如何にも盗賊の根城らしく見えることが、彼女の気を滅入らせた。
岩屋の前の住人は、十中八九盗賊である。ドンから連れて来られた修道士たちは、イル様が来たと張り切って働いている。
彼らは世俗にまみれていない分、疑うことを知らない。イル派の本拠地を立派にしようと一生懸命である。
他の仲間が盗賊まがいの行為をしたり、宗派自体がドゥオ国の政治工作に利用されつつあるとは、考えもつかない。
彼らをここまで巻き込んだのは、リイの責任である。ジンがどこからか連れて来た怪しい連中はともかく、彼らの安全には気を配るべきであった。それには差し当たり、ジンに従わねばならない。
状況の見通しが立たず、彼女は歯がみをした。
「ねえイル。こないだ捕まえた女が結構弱っているんだけど。怪我しているみたいで。ジンに用はないと思うんだけど、欲しがっている連中もいるし、放っておいていいのかしら」
ジアが部屋に顔を出した。男装しているリイを除き、城にいる女性は彼女とサイだけである。
彼女の言葉を聞き、リイは城の連中がこれまで女で問題を起こさなかったことに気付いた。ジンの連れて来た連中は、ただの盗賊もどきではなさそうである。ますます得体が知れなかった。
「この先彼女をどうするか決まっていないのだから、治しておいた方がよかろう。ひどい怪我ならば、あなたが立ち会って、修道士に治療させればよい」
リイは言った。ジンがカアンの命を保障したならば、連れのサイも同様に扱わねば後々問題が残る。
承知して退室しかけたジアに、ふと尋ねてみた。
「カアンはどうした?」
「拷問にかかっていますわ」
何心なく答えた彼女は、リイの顔を見て悔やむ表情になった。
拷問部屋は牢屋の奥にあった。急いで駆け付けると、カアンを取り囲むようにして二人の男が立っており、うち一人は案の定ジンであった。彼はリイの姿を見て、にやりと笑ってみせた。
「立ち会わせろと言った筈だ」
「そうだったな。全然問題なかったよ。片足だけで参っちまうんだものな」
あんまり面白くなかった、ともう一人の男がこぼした。
彼が修道士ではないと確かめ、リイは内心胸を撫で下ろす。
当のカアンは、特製の台に手足を動かせないよう括り付けられ、気を失っていた。左足のつま先から五本の針が飛び出していた。よく見ると、爪と肉の間に一本ずつ刺さっている。
リイは身震いした。カアンはよく耐えたと褒めるべきであった。都の貴族に拷問の耐性がある訳もない。彼女ならば、一本で陥落する。
「俺の用は済んだ。聞きたいことあったら、ついでに聞いてやるよ。それとも、あんた自分でやるか?」
「いや。いい」
ジンの口ぶりでは、これは序の口らしい。早くも数倍老けて見える舅に、拷問を重ねてまで訊きたいことなどなかった。
「そういえば、一緒にいた女、サパ領主と関係があるらしいぜ」
「詳しく聞いたのか」
極力平静を装って問い返したが、自分でも成功したとは思えなかった。
ジンはリイの正体を知っている。幸いカアンは気を失ったままで、いま一人は拷問用具の点検に余念がなかった。
生け贄を更に痛めつけるつもりらしい。
「別に。俺の知りたいことと関係ねえし。でも、こいつは続けたそうだ」
ジンは意地悪く唇を歪めて、相棒を指した。リイへの当てつけである。
「これ以上責めなくとも、充分痛めつけられているのだから、素直に話すだろう。女との関係が機密とも思えない」
「機密でなければ、何でも喋るってもんでもないぜ。あんた、試しにやってみな」
そう言ってジンが身を引いたので、もう一人の男は微かに不満の色を見せながらもやはり引き下がった。カアンは気絶したままである。
リイが術なく立ち尽くす様子を見取り、ジンが手真似で男に合図した。男は途端に喜色を表した。水を満たした桶を抱いて近付くなり、カアンの顔目がけて中身を浴びせた。
跳ねた水が、台の側にいたリイにまで飛び散った。カアンが呻き声を上げた。男が桶を投げ出し、彼の髪をわしづかみにした。
「待て。お前の出番は後だ」
ジンが低く命ずると、男はぱっと手を離して後じさりした。支えを失った頭が乱暴に台へ落ちたが、カアンは気を失わずにいた。とはいえ、呻き声さえ力ない。
「聞きたいことがある」
ぐふっ、とくぐもった声がした。あの男であった。笑いを堪えている。
ジンは無表情である。
聞こえなかったのか、カアンに反応はない。目は開いているものの、焦点が定まらない。
リイは腹に力を入れた。
「あの女は、お前の何だ。答えろ」
「うう。あの女?」
カアンはぼんやりした目をしばたいた。責め苦に記憶が混乱したらしい。
ぐふっ、と再び男が音を立てる。リイは苛立ちを抑え、台に顔を寄せた。
「お前が馬車で連れてきたあの女だ。何故、密命の旅に修道女が一緒なのだ?」
「修道女? そのようなもの、連れて来やせぬ」
ぷ、という声を耳にして、リイの頭に血が上った。ぴしゃん、と濡れた音がして、手が痺れ始めた。
「とぼけるな! サイと一緒にいただろうが!」
「サイ? タイだろう。ナイだったかな」
カアンの反応は相変わらず鈍かった。冗談を言う余裕はあるまい。しかして恍けているのか、混乱しているのか。
彼の濡れた肌の感触が蘇り、リイは掌を服で拭った。また平手打ちしても、同じことだろう。