ユアン 首飾りの真実
私が家へ戻ってからは、身重の私が母の看病を務めました。看病人も辞めさせて、節制に努めましたが、妹の収入だけで食べて行くのは容易くありませんでした。
私が見るに、母は重病人という訳ではなく、年老いただけのようでした。
日がな一日口うるさい母と二人きりの生活に音を上げ、私も働き口を探したのですが、身重ということを隠してもなお、雇い先は見つかりませんでした。
後で知ったことですが、カアン様の奥様のお身内が、私を悪く言いふらしていたためでした。
奥様もハルワの良家のご出身で、ご実家のお力は相当なものと聞いておりましたが、馘首されて初めて、私にもご威勢のほどが知れた訳でした。
カアン様は内密にしておきたくとも、奥様の側からすれば、やりきれないはけ口を求めるのも無理のないことではありました。
大体こうした事は、秘密にしておくのが難しいものです。仕方なく、私は我が儘な母の相手を務めて日を送りました。
妹は、私の心情を思いやって、仕事の合間にしばしば看病を交代してくれました。
そんな時、私は散歩に出て、気分転換をしました。私はカアン様のお子を宿しておりました。
証拠となる首飾りも持っています。私はあの首飾りを、屋敷に残さず持ち出しておりました。もし無事に子を産めば、母がナイを産んだ時のように、なにがしかのお金が頂ける、と淡い期待を抱いておりました。
本当はお金はどうでもよく、失った息子を産み直したかったのかもしれません。
しかもお腹の子は、私が慈しんだユアン様の弟妹でもあるのです。どうして可愛がらずにおれましょうか。
いつも私は、そんなことを考えながら、散歩をしておりました。
ある夜、散歩から戻ると、家の前に人だかりがしておりました。集まった人に尋ねても、皆目様子がわかりません。
野次馬を掻き分け掻き分け中へ入ると、家の中は真っ暗で、妹の泣き声が細々と聞こえてきました。
私はあちこち躓きながら、手探りで母の寝室へ駆け込みました。暗がりに慣れた目に、乱雑な部屋が浮かび上がりました。
寝台に、母の姿はありませんでした。めちゃめちゃにされた部屋の中で、妹が何かに身を投げかけて泣いておりました。
「何があったの? この有様は一体、どうしたというの?」
「お姉様。お母様が」
母は、悪鬼のような形相で、こと切れておりました。ようやく現れた治安部隊やご近所ともども話を聞くと、母が休みたいというので灯りを消した途端、覆面をした輩が数人乱入してきて、家の中をめちゃくちゃにし、妹を小突き回したというのでした。
治安部隊は、強盗の仕業という結論を出して引き上げました。結局、彼らが捕まることはありませんでした。
可哀想に、母は闖入者の乱暴を止めようと、弱った体に鞭打って寝台から這い出たまではよかったのですが、怖さの余り頓死したのでした。
我が儘な母でしたが、死なれてみると、最期が最期だけに胸を突かれる思いでした。
母の目蓋は下ろしても下ろしても開いてしまうので、私たちは母の顔を布で隠さねばなりませんでした。
近所の人たちもいなくなってから、私は妹と二人、母の遺骸を守りながら暗い中を片付けにかかりました。
「強盗ではないのよ。お姉様」
妹は辺りを憚るように、囁きました。覆面たちは、誰かの仇だと怒鳴りながら家を荒らした、というのです。そして、看病をしているのが私でなく妹だと気付くと、悪態をついて逃げ去ったというのでした。
私に恨みを持つ人といえば、奥様のお身内しか思い当たりません。とはいうものの、このような下賎な手段を使ってまで嫌がらせをするのは、これまでになかったことでした。
その理由は、翌日になってわかりました。カアン様の奥様が、お子様を身内に抱えたまま、お亡くなりになったのです。
ハルワきっての大貴族が営む葬儀は、大層荘厳でした。
棺を覆う布は法王の法衣のように厚く、嘆き悲しむ人々の列の上を、雪と見紛うほどの花びらが舞い散りました。これ以上の葬儀は、国王か法王が亡くなるまで見られないでしょう。
ワ教の熱心な信者でもあった奥様のために、教会は総出で弔いました。
そのため、私たちは母の葬儀を遅らせなければなりませんでした。
葬儀と言っても私たちの場合、親しい人もおりませんでしたので、さして準備は要りませんでした。お金もありませんでした。
小さな教会にお祈りをお願いして、妹と二人だけで母の棺に土をかけました。本当に寂しいお弔いでした。
私はハルワを離れる決意をしました。母を亡くし、私たちは寄る辺を失いました。
これ以上、都に留まる理由はありません。
奥様がお子様と共に命を落とされたのに、私がカアン様のお子を身籠っていると知れれば、今度こそ命を取られます。
私のお腹は貧乏暮らしのせいで目立ちませんでしたが、彼らは既に聞き知っているかもしれないのです。
身の安全のために一刻も早く、都を離れるべきでした。私は妹に胸の内を話しました。ところが、妹は都に留まると言って聞きませんでした。
「好きな人がいるの」
問い詰めると、恋人はヨオンという名で、どこか地方の貴族という話でした。私は不安を覚えました。
妹の父がやはり、地方貴族であったからです。妹も、自分の出自は、私と同じくらいに知っておりました。
ヨオン様は妹の父親とは関係がない、と断言したそうです。彼は全然、貴族などとは関係のない人間だったかもしれません。
妹が好きだからと、その辺に咲く白い花を集めて贈るような人でした。妹はまた、そんな話を嬉々として語るのでした。
そういえば、先ごろご結婚なさったヨオン様と仰る貴族の方も、奥様とご来店なさいました。私はもしやと思い、陰からこっそり覗きましたが、奥様は妹と別人でした。
妹は恋人に夢中で、言われるままに信じておりました。もう、無理矢理連れ出すような年ではなく、私が都に留まることもまた、できませんでした。
私はお腹の子を、どうしても無事に産みたかったのです。仕方なく私は、妹をハルワに残して落ち延びることにしました。
「これを、持っていなさい」
私はカアン様から頂いた首飾りを、妹に渡しました。もはや、私の子をカアン様の血筋として産むのは危険でした。
都を出る私に、首飾りは不要です。
しかし、妹は都に残ります。奥様のお身内も、妹に危害を加える意図はないようでした。となれば、紋章入りの首飾りが、何かの役に立つかもしれません。
妹は、首飾りの細工の見事さに少し躊躇いましたが、結局受け取りました。
「ではお姉様。代わりに、これを受け取って」
差し出されたのは、指輪でした。一見ただの金属の輪ですが、内側に細かく文字と何かの紋様が彫られています。妹の父親から母に贈られた指輪でした。
見た目はともかく、私の首飾りとは重要さの度合いがまるで違います。私は即座に断りましたが、妹が泣いて頼むので、とうとう受け取りました。
妹は、私の髪の毛も欲しいと言いました。私たちは互いに髪の毛をひとつまみずつ切り取り、落ち着いたら連絡を取ると約束して別れを告げました。
私はハルワを出て、サパに流れ着きました。初めから目指したのでもなく、国境を越えるつもりはありませんでしたが、とにかくハルワから遠く離れたかったのです。
ハルワに育った私にとって、サパは辺境です。妹の指輪に導かれたのかもしれません。
妹の父親を探そうとは思いませんでした。肝心の妹抜きで、父親だけを探して何になりましょうか。
カアン様のお子を、私は産み落とすことができませんでした。旅の不自由な身の上が、災いしたのでしょう。サパで私は縁あって今の夫に嫁ぎ、今では三人の子に恵まれました。
夫の生業は銀細工です。ハルワに暮らした私の意見を取り入れた作品が好評で、サパ地方の名産として領主様ご一家からも時折ご注文をお受けします。
住まいは南部のメンにあります。おかげさまで夫の名も上がり、暮らし向きも随分よくなりました。
上の息子は夫の後を継ごうと一緒に働き、片腕として夫も頼りにするまでに技量を上げました。
よく気のつく嫁に、可愛い孫も二人います。下の息子は皮革職人に弟子入りして数年になります。
そろそろ嫁を探したいところです。末娘は見目も性格もよく、いつも家事を手伝います。
上の息子が生まれた頃、一度だけ人に託して妹に手紙を出しましたが、宛先に妹はいませんでした。
妹は私がハルワを出て間もなく、家を引き払ったようでした。その後の消息は不明です。
妹から預かった指輪は、いまでも肌身離さず持っております。いつか、再会の日が来たら返そうと思い、苦しい時でも決して手放しませんでした。
ナイが、今でも幸せに暮らしているとよいのですが。
あの時、司教様を拝見して、あまりにも妹に似ていたので、大変驚きました。
私は、ハルワからの追っ手を恐れ、表に出ないよう努めておりました。特に、貴族の方がいらした時には、息も詰めるようにしていた程でした。
当時次期領主でいらしたリイ様が、ご来訪される光栄をいただいた折りでさえも、奥に引っ込んでおりました。
その時リイ様のご夫君が、ユアン様でいらしたとは、全く存じませんでした。
ユアン様がサパの領主となられた最初のお目見えの時には、夫の作品を献上する機会がありました。その折り、ご尊顔を拝しました。
ユアン様は奥様にとても似ていらっしゃいました。私の方では、すぐに幼い頃のお顔を思い出すことができました。
お可愛らしかった男の子が、立派に成長なさった喜びと、奥様に申し訳ないことをした思いがいっぺんに蘇り、危うく気を失いそうになりました。
息子たちは、私が夫の栄誉に感激したあまりのこと、と受け取ったようです。
ユアン様は、見物人に紛れた私を見分けはしませんでした。きっと、店で対面したとしても、あの方は私が分からなかったと思います。
あの方はまだお小さかったし、私も今ではすっかり職人の妻になり、乳母の時分と比べれば、自分でも別人と思うくらい様変わりしましたから。
ともかくも、私はユアン様に気付かれなかったことで自信を得まして、少しずつ外へ出るようになりました。
あの司教様がいらした時も、ワ教の女性司教様がお出でになるとの噂を聞きまして、ふと好奇心に駆られて見に行ったのです。
またも気を失いそうになった私を、不慣れな外出故と、周囲は疑いませんでした。
あの方がナイの係累ならば、お話してみたいものです。




