『騎士』
「「ッ…!!」」
炎が立ち昇る村を見た瞬間、イツキとスノウの行動は重なった。後ろを見ることなく走り出し、地を蹴り抜く。
そして、歩けば数分とかかる山道を、たった一回の跳躍で飛び抜けて、村へ到着する。
「師匠、あれは…?」
「龍だよ。炎の古龍、フレイヤだ。」
「なんで龍が、こんな村を襲うんだ…!?」
上空を旋回する巨龍を見つめ、スノウは言った。その声は珍しく硬く、事態の深刻さを伺わせる。イツキも龍の存在は知っているが、こんな辺境に来るような魔獣ではない。…否、龍とは、魔獣ではなく"精霊"に限りなく近い化け物だ。
辺りを見渡す。夜も更け、本来なら何も見えないほどに暗くなるはず。しかし、炎の勢いは凄まじく、建物の半数以上を焼き尽くし、村を照らす。
「疑問も恐怖も、今は捨てなさい。私が龍を見る。イツキは、村人の避難を。」
「っ無茶だ。あんなの、1人じゃ…」
「イツキがいても、同じだよ。」
彼女にしては珍しい、突き放すような言い方。スノウに余裕がないことは、ありありとわかる。何より、彼女に足の震えを悟られたことが、恥ずかしい。
その時、上空を旋回していた龍が止まる。大顎を開き、熱と光を口内へと収束させていく。
「行きなさいッ!!」
「っ…!!」
走り出す。スノウに背を向けて村へ向かうと、建物から出てきた村人たちが右往左往していた。誰もが火傷か擦り傷を負っている。重軽傷は様々だが。
人数は合計すると五百は超える。田舎だが、人口と畑だけは大きいのだ。とりあえず、村長の下へ駆け付ける。
「村長、村人を集めて下さい。」
「っお前は余所者の…!アレは、アレはいったい何なんだ…!?」
「落ち着いて、僕の師匠が来ているので安心してください。」
「あの魔人の女を信じろと…!?あぁ、ワシ等の村は終わりだ…」
村長…白い髭を蓄えた、小柄な老人は今にも泣き出しそうだ。スノウを完全に『魔人の女』としか見ておらず、差別も侮蔑もありありと見られる。
拳を強く握りしめる。今剣を抜けば、この男を切り捨てるのは簡単だ。
その度に、スノウの言葉が過る。
『余計なお世話でも、助けてあげなさい。どちらかが歩み寄らなきゃ、溝なんて埋まらないんだからね。』
そう言って微笑むスノウは、本物の騎士だった。誰よりも格好良くて、僕は、僕は…
『グオオオオオぉ…!!』
龍の咆哮。山ごと揺らすようなソレと共に、一度広大な村を焼き尽くした炎の息吹が放たれる。
しかし、今度は。
「―――――――温い。」
騎士が、いる。
いつの間にか飛び上がっていたスノウの剣。イツキの目には安物にしか見えない鉄の剣が、魔力を帯びた瞬間、純白の長剣へ変身する。
そして、一閃。
最高の芸術とも言える剣撃が、村を呑み込むような巨大な息吹をきり裂き、霧散させた。
(あぁ、くそ…本当に貴方は…!!)
震えていた足を引っぱたき、怯えていた顔に笑みを貼り付ける。
誰も、不安にならないように。
誰も、怯えて泣き出さないように。
「龍は強大、山にいる限り奴の射程範囲から逃れるのは不可能です。村人を一箇所に、此処に集めてください。」
「あ、集めてどうするんだ。一網打尽にされるかもしれんのだぞ。」
「僕が、守ります。」
強く、強く言い切る。そこに好き嫌いも、恐怖も絶望も必要無い。ただ守る。
それこそが、騎士。
正直、今でも彼等には苛立っているし、命を懸ける意味はわからない。
だけど、これが一番、格好良い。
イツキの顔を、目を見た村長は、息を呑んだ。
そして、号砲を上げる。
「っ全員集合!!遠くの家にも伝えていけ!!全員で生き残るぞ!!」
「「「はいっ!!」」」
村長の言葉に逆らうものなど、村にはいない。
男も女も村長の大きな家に集まり、村民たちが伝言していく。
村社会のネットワークは、こういう時に役立つ。村長の言葉一つで、村人は纏まるのだ。
(見ただけで分かる。龍は、アイツは、他の魔獣とは格が違う…僕じゃ、勝つどころか、戦うことすら…!!)
龍とスノウ、相対する二人の最強。
炎が放たれ、剣が断つ。
巨腕が振るわれ、回避し、斬る。
速さ、火力、技巧、覚悟。
全てにおいて、次元が違う。
「ぐぅっ…!!」
しかし、イツキから見てもスノウは劣勢。
当然だ。龍の動き一つで竜巻が現れ、雲の形が変わるような大災害。
人の身で、剣一振りで、立ち向かっていい相手ではない。
『グオオッッ!!』
龍の口が開き、ブレスが放たれる。
先程までの一点集中と違い、周囲に拡散し破壊をもたらすような攻撃。
そのうちの二つが、村長宅の庭に落ちる。
人々の悲鳴が上がる。きっと、誰もが目を閉じて、終わりを悟る。
だが、スノウだけは、笑みを湛えて走り出す。
「私の弟子を、あまり舐めないでもらいたい。」
イツキの右手は、すでに動いている。
左腰に提げられた長剣を引き抜き、極めていつも通り、振り下ろす。
炎の塊は、それだけで断たれ霧散する。
手首を返し、一歩踏み込み、振り上げる。
「――――――〈双天斬〉。」
破壊の炎華が、霧散する。
龍は驚愕した。自分の炎が、あのような矮小で小さな魔力の人間に断ち切られるなど、想像もしていなかったのだから。
実際に、自分の魔力は多くない。人間の中では上澄みだろうが、龍と比べては赤子と大人の差だ。
(一振りに、命を懸ける。これも、師匠の教えでしたね…ッ!!)
速くもない。強くもない。
ただ丁寧で、1ミリの誤差も許さない、魔力の合間を断ち切る絶技。凡人の身で抗う剣技だった。
その代償は、決して安くない。
「あ、アンタ、その腕…」
「気にしないで。これは、あなたたちのためじゃなくて、僕がやりたいことなんだ。」
剣を握る両腕、その肘から先が赤く焼け、皮が剥がれていた。血も流れ、夥しい見た目の腕を見て、今朝絡んできた村長の息子が息を呑む。
(どうして、俺たちの、ために…)
村長の息子は、唾を飲み込み、焼け上がる暑さの中で涙を湛える。
受け入れたくなかった。認めたくなかった。自分は散々、彼と彼女を嫌って、仲間はずれにしてきたのに。下らないプライドが、この期に及んで残っている。
だけど、自分は蔑んだ。心無い言葉を掛けた。暴力は振るわなかったが、心はきっと傷つけた。
なのに、なのに…!!
「ハァッ!!」
白銀の騎士が、戦っている。
純白の剣が巨龍の尾を弾き、爪を半身で躱しながら、深く突撃する。
「どうして、ここまで…」
「騎士だから、だ。そして僕も、騎士だ。」
色々な感情がぐしゃぐしゃになる村長の息子は、一度イツキを見据えた後に、膝を折り、再び空を見上げた。
(勝負を、つけにいった…!!)
それは、同じく剣士であるイツキだけにわかる捨て身の突進。魔力を硬質化して足場にし飛び上がる、イツキでは不可能な高等技術だ。
空中、それ即ち、龍の領域。
臆することなく、命を秤に乗せたのだ。
「が、頑張れ…!!」
気付けば、そんな声が聞こえた。
イツキは信じられないと言わんばかりに振り返る。そこには、拳を合わせて祈る、村長の息子がいた。
その目に、『あの視線』は、もうなかった。
精一杯の謝意、感謝。そして、勝利を願う声援だけが、在る。
だが、現実はそれほど優しくはない。
相手は古龍。幾人もの英雄を殺し、幾つもの国を滅ぼしてきた天災。
「がはぁっ…!?」
尾による叩き潰しを避けた先、炎のブレスが変化し槍へ。スノウの腹部に、大きな風穴を開ける形で突き刺さる。
村人たちの悲鳴が上がる。やはり、自分たちは終わりなのだと、絶望が伝播する。龍の表情が、勝ちを確信したモノに変わる。
「っ気が、速いぞ、化け物…!!」
だが、この女は違う。
自分の背中で、彼等が恐怖に震えないように。
自分の姿が、かつての自分に恥じないように。
命尽きるその時まで、決して止まらない。
「〈凍土〉―――――」
自分の腹を貫いた炎槍を氷結させ、握り込む。
そして、投擲。龍の角の根元に突き刺さり…
「――――――〈解放〉ッ!!」
『ギュオアアア!?!?』
咲き誇る。
龍の額に生えた2本の角が、氷の華に絡め取られ、砕け散る。
魔力の制御機関である角を失い、僅かに滞空も警戒も疎かになる。
その隙を、見逃しはしない。
スノウはすでに龍の目の前に迫り、純白の剣を両手で握り、振り抜いていた。
「――――――――堕ちろッ!!」
たった1メートルほどの刀身。
しかし、大木の如き巨龍の胴体を深く切裂き、耳を劈く叫び声と共に、地面へ落とす。
すさまじい轟音、巻き上がる土煙。
しかし、消えぬ龍の生命を感じ取り、イツキは剣を構える。
『グオオッッ………』
龍は、飛び上がる。一切の攻撃をせず、ただ飛翔して、遥か遠くまで、見えなくなるまで逃げていった。
村に、山に、沈黙が訪れる。
龍がいなくなった、恐らく、勝った。
なのに、歓声の一つも上がらない。
その理由は、村長宅の庭の目の前にあった。
「―――――師匠っ!!」
地面に倒れ伏す、白銀の騎士の姿。
先程まで龍と渡り合っていたとは、到底思えないほど弱々しい姿で、腹に穴を空けている。
きっともう、視界も意識もあやふやだった。
「ごめ、んなぁ…思った、より、早い、お別れに、なって、しまった…」
「喋らないでくれ!今すぐ止血する!!街に行って治癒師を呼ぶから…!!」
「ははっ、それは、間に合わん、だろうな…」
げふっと血を吐き、それでも笑うスノウ。
両手を焼かせながら、泣いている弟子。
感動、申し訳なさ、後悔、全てを抱えて動けない村人たち。
しかし、皆が、生きている。
それだけで、スノウは嬉しかった。
「イツキ…騎士に、なりたい、かい?」
ふと、聞いてしまった。彼が自分で決めるまでは、急かさないつもりだったのに。だが、イツキは驚くほど強い表情で、スノウの手を握った。
「うん、成りたいよ。貴方みたいな、明るい未来を示せる、最高の騎士に…!!」
泣いて、叫んで、焦って。
それでも、イツキは言った。見つけたし、決めたのだ。涙を拭い、手の震えを抑え、自分も『騎士』として、『弟子』としてスノウに向き合う。
「ははっ…私には、勿体ない、くらい。最高の弟子だよ、君は…」
スノウの身体を横抱きにし、今際の際でも本当に嬉しそうな彼女を強く抱き締める。そして、スノウは幸せだと言わんばかりに、イツキの頬に手を当てた。
「………ありがとう。私を、騎士にしてくれて…」
だらりと、腕が下がる。
驚くほどに冷たく、重く、身体がただの肉へと変わる。
だが、肉になろうが、やはり彼女は美しい。見目ではなく、その心が、在り方が、どこまでも"騎士"だったのだ。
(…こちらこそ、ありがとう、スノウ。)
目指すべき騎士は、成るべき姿は、歩むべき道は、今決めた。
ゆっくりと立ち上がり、振り返る。
五百人もの怖がる村人、その後ろで燃え盛る皆の故郷。
「鎮火作業を行います!!小川から水を汲み、一刻も早く消火を!!」
騎士ならば、やるべきことなど決まり切っているのだから。




