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推し活経済——推しが国家予算を決める世界で、誰にも推されない「下水道」の担当になった公務員の話

掲載日:2026/04/07

   一 推されない省庁



 「津田。お前のところ、今年の推し票は何票だ」


 開口一番それか、と思った。


 国土交通省・都市整備局・下水道部・下水道企画課。名刺に収まりきらない組織名の末端で、津田真一は画面を見つめていた。36歳。広報担当。——名目上は。


 「……ゼロです」


 「ゼロ?」


 「3年連続のゼロです」


 課長の山岸が天井を仰いだ。天井に染みがある。雨漏りだ。建物修繕の予算もない。


 西暦2089年。日本は変わった。


 国家予算の配分を、国民の「推し投票」で決める。正式名称は「予算推薦投票制度」。通称「推し活民主主義」。


 仕組みはシンプルだ。全国民が毎年1回、「推したい省庁」に票を入れる。文科省、防衛省、厚労省——全12省庁。得票数に応じて省庁ごとの予算総額が決まる。


 そして、省庁内の配分は各省の裁量に委ねられる。各課の「省内推薦ポイント」の奪い合いだ。——なお、うちの省では国民からの「部署宛ていいね数」がそのまま省内ポイントに換算される仕組みになっている。つまり、国民に刺さらなければ省内でも死ぬ。


 国交省は、そこそこ推されている。道路と橋のおかげで。ドライブ好き、バイク好き、ツーリング好き——アスファルトにロマンを感じる層が一定数いる。「推し橋ランキング」が毎週SNSでトレンド入りし、レインボーブリッジは不動の1位だ。明石海峡大橋には「ケーブルの張り方が推せる」というニッチなファンがいて、ファンクラブの会費がそのまま橋の修繕費に回っている。


 国交省に入った推し票は850万。国民の投票先としては全体の4位。悪くない数字だ。


 問題は「省内推薦ポイント」の方にある。


 道路課と橋梁課がポイントを総取りし、下水道課には1ポイントも回ってこないのだ。


 「他の省庁はどうなってる」


 「文科省がトップで1200万票です。公式VTuber『まなびちゃん』の功績ですね。次が防衛省で980万票。コスプレ自衛官の筋肉がバズりました。厚労省は870万票。ゆるキャラ『年金ちゃん』の勝利です。——ちなみに年金ちゃんの声優のギャラを開示請求したら、うちの課の年間予算の3倍でした」


 「声に負けたのか、うちは……」


 「声どころか、公式の広報予算がありません。サーバー維持費も削られました。ホームページはかなり前から更新が止まっていて、トップページに『ようこそ、平成の下水道へ』って書いてあります」


 「平成って何年前だ」


 「71年前です。——文字がマーキーで横に素早く流れる仕様なんですが、2089年に現存していること自体がもはや文化遺産です。一部のレトロマニアからは『文字の反復横跳びが推せる』と言われていますが、下水道そのものへの票はありません」


 山岸が頭を抱え、さらに天井の染みが広がった気がした。


 「津田。推される努力をしろ。お前、広報担当だろう」


 「予算ゼロで広報しろと言われても。自分のスマホで撮るくらいしか……」


 「じゃあそれでやれ。SNSで何かやれ。バズれ。踊れ。配管の中で歌え」


 「配管の中で歌ったら有毒ガスで死にます。労災も下りませんよ」


 「じゃあ死なない程度に苦労しろ。下水道課の存続がかかっているんだ」


 存続。——冗談にしてほしかった。だが冗談ではない。


 省内推薦ポイントがゼロのまま5年続くと、課は統廃合される。「省内で推薦されない部署は優先度が低いと判断する」。どこの無能コンサルタントが考えたのか知らないが、国交大臣の正式な方針だ。


 下水道課の廃止まで、あと2年。


 統廃合されたら、下水道の維持管理は民間に丸投げされる。絶対にコストは上がり、絶対に品質は下がる。水漏れを直すたびに「緊急出動オプション費」が国民に個人請求される世界になる。——結果的に、国民が損をする。


 (推薦ポイントで存続が決まる行政って何だ。推されなければ下水が止まるって、どこのディストピアだ。——ここだよ)




   二 推し活民主主義の風景



 下水道課は、いま津田を含めて3人しかいない。


 広報担当の津田真一。課長の山岸修。この二人は、かつて20人いた課の生き残りだ。予算が減るたびに人が減り、人が減るたびにできることが減り、できることが減るたびにポイントが減る。デスゲームのような負のスパイラルだ。


 そして三人目が、技術担当の本郷拓海。今年の春に入省したばかりの新人。省内の配属ガチャで大ハズレを引き、この限界集落のような部署にやってきた不憫な青年だ。


 ——かつては「広報係」「技術係」「管理係」がちゃんと機能していた。今は3人で3係をぶん回している。津田の名刺には「広報担当」と印刷されているが、先週はヘルメットを被って下水管のひび割れ点検に行った。「広報って、穴の中の状況を広く報せるって意味でしたっけ」と本郷に聞かれたが、「それなら報告担当だろう」としか返せなかった。


 代わりに、推されている省庁は華やか極まりない。


 文科省の「まなびちゃん」は、毎週ライブ配信をしている。教育予算の使い道をわかりやすく解説し、視聴者とリアルタイムで推し投票の実況をする。スパチャが飛ぶ。——税金でVTuberを運営し、そのVTuberが税金の配分を左右する。完全なる永久機関だが、この矛盾を指摘する行政学者の予算も推し票次第で削られるため、誰も突っ込まない。


 防衛省は「推し活演習」を開催している。戦車に推しのデカールを貼る。護衛艦をイベント会場にする。推し色のペンライトで艦橋を照らすと、SNSに「推し艦ライトアップ」の写真が上がる。国防と推し活の境界線は消滅した。弾薬よりペンライトが多く備蓄されているという噂すらある。


 環境省は「推し生物」キャンペーンで攻め、絶滅危惧種の保護プロジェクトをランキング形式でPRしている。イリオモテヤマネコが260万いいね。ツシマヤマネコが180万いいね。人気がない絶滅危惧種は、推されないまま保護予算が切られて絶滅する。自然淘汰ではなく、いいね淘汰の残酷な時代だ。


 「津田さん、マンホールの蓋とかどうですか」


 本郷が言った。顔に『真面目』と書いてある青年だ。志望動機に「日本の下水道を守りたい」と書いて、面接官に「珍しい志望動機ですね」「本当にうちの省ですか?」と5回確認された猛者でもある。


 「マンホール?」


 「マンホールの蓋って、地域ごとにデザインが違うんですよ。熊本はくまモン、横浜はベイブリッジ。——『推しマンホール総選挙』って企画で、省内の推薦コンテンツにできませんか」


 「それ、70年くらい前に一回流行った。マンホールカードってやつだ。知る人ぞ知るブームだった」


 「あ、もう既出でしたか」


 「既出で、すでに下火だ。——そもそも、マンホールは下水道の『入口』に過ぎない。蓋のデザインを推しても、中身を推してくれるわけじゃない。蓋の絵柄だけ推されて、中の管の老朽化は放置される。服のセンスだけ褒められて中身の人格を全否定されている気分になる」


 「それは辛いですね……」


 「辛い。——ただでさえ、下水道の中身には文字通りの辛いものが流れてるからな」


 本郷が「うまいこと言いましたね」という顔で苦笑した。


 人間が生きている限り、排泄物は出る。生活排水も出る。工場排水も出る。それを集めて、処理して、きれいにして、海や川に戻す。その地味な全行程が「下水道」だ。


 見えない。臭い。汚い。——だが、なければ街は数日で機能停止する。


 「本郷。下水道が止まったらどうなるか、知ってるか」


 「……トイレが流れなくなりますよね」


 「それだけじゃない。生活排水が道路に溢れる。雨水が排水できなくて浸水する。汚水が河川に流入して水質が壊滅する。感染症のリスクが跳ね上がる。——下水道が止まると、3日でこの東京は中世に戻る」


 「中世」


 「中世ヨーロッパだ。ペストが流行った時代。窓から汚物を道に投げ捨てて、ハイヒールはそれを避けるために開発されたと言われるあの時代だ。——ちなみに、その時代にも推しはいたぞ。推しの騎士がいて、推しの聖人がいた。でも下水道は推されなかったから無かった。結果、人口の3分の1が死んだ」


 「推しがいても下水道がないと死ぬんですね」


 「そういうことだ。推しの騎士もペストには勝てない」


 山岸が、奥のデスクから声を上げた。


 「津田。歴史の講義はもういい。策を出せ。来年廃止されたら、その講義をする教壇すらなくなるからな」


 「……はい」


 策。下水道を推す策。


 見えないものの価値を、どうやって見せるか。




   三 バズる汚水



 その夜。


 津田は自宅のアパートで、安物の缶チューハイを開けて溜め息をついていた。


 推し票を集める方法。——冷静に考えてもみてほしい。合コンで「ご趣味は?」と聞かれて「下水道です」と答えたら、次のターンで幹事から帰宅ルートを提案される。省内アンケートで「あなたの推し部署は?」と聞かれて「下水道課」と答える職員が、国交省に一人もいない。身内すら推さない。


 SNSを開いた。タイムラインは今日も眩しいほど華やかだ。


 文科省のまなびちゃんが新曲を出した。タイトルは「微分積分☆ラブレター」。教育予算15%がこのラブソングのMV制作に消えたらしい。防衛省のコスプレ自衛官が「装甲車を洗車してみた」という動画を上げ、いいねが100万ついている。


 ——翻って、下水道の公式アカウントのフォロワーは相変わらず23人。うち12人は省内の関係者。残りの11人のうち3人は付き合いでフォローしてくれた配管メーカーの営業。3人はプロフィール欄が意味不明な英語の海外スパムアカウント。純粋なファンは、おそらく5人。うち1人は津田の母親だ。実質、野のファンは4人。絶滅危惧種より少ない。


 (そもそも、推される必要は、あるのか?)


 下水道は、誰からも推されなくても必要だ。水道の蛇口をひねって「下水道を推そう」と思う人はいない。トイレを流して「省内推薦を入れよう」と感謝する奴はいない。


 ——でも、推されないと予算が消えて、課が消えて、下水道が止まる。


 当たり前が、当たり前でなくなる。


 津田はスマホを構えた。自撮りモード。背景は六畳一間のアパートの壁。照明は備え付けの安っぽい蛍光灯。映えない。それでいい、映える必要はない。まなびちゃんの3Dキャプチャースタジオは年間予算8千万円だが、こちらは蛍光灯1本だ。電気代すら自腹。


 ——動画の録画ボタンを押した。


 「こんにちは。国土交通省・下水道課の津田です。広報担当です。今年の省内推薦ポイントはゼロでした。ええ、3年連続です。快挙です」


 画面の向こうに、誰がいるかも分からない。フォロワー23人のうち何人が見るかも分からない。


 「下水道を推す人は、たぶんいません。わかってます。推す理由がないですから。見えないし、臭いし、汚い。それに、私たちはライブ配信もできないし、コスプレも無理です。予算がないので。——ていうか、下水管の中でコスプレして踊ったら有毒ガスで確実に労災になります」


 一呼吸置いた。いつもの営業スマイルを捨てた。


 ——カメラを真っ直ぐ見た。


 「でも、一つだけ聞いていいですか」


 「下水道のない世界で、推し活、できますか?」


 「トイレが壊れた会場で、ペンライト振れますか?」


 「下水が逆流したライブハウスで、推しの歌を心から楽しめますか?」


 「道路が生活排水で浸水している街で、推し投票のアプリを開く余裕がありますか?」


 「推し活に必要なものは、ステージと照明と音響だけじゃないんです。——水が流れて、トイレが使えて、道路が水浸しにならないこと。当たり前の環境があること。それが全部、下水道の仕事です」


 「あなたが推しのライブに行く時。会場のトイレは流れます。当たり前です。——その『当たり前』を地下で黙々と支えているのが、誰にも推されない下水道です」


 「私たち下水道を推してくれとは言いません。無理なのは知っています。——ただ、世の中には、推さなくても必要なものがあるってことだけ、今日トイレを流す時に思い出してください」


 録画を止めた。


 そのまま、フォロワー23人の公式アカウントにアップロードした。


 歯を磨いて、寝た。


    * * *


 翌朝。


 スマホのアラームより先に、けたたましい着信音が鳴り響いた。


 画面を見ると、通知アイコンがバグったように「999+」で固定されている。


 動画の再生回数:1,400万回。


 リポスト:89万件。


 コメント:32万件。


 トレンド1位——「#下水道を推せ」。


 バズった。文字通り桁違いにバズった。


 「トイレが壊れた会場でペンライト振れますか」というフレーズが完全にミーム化していた。コラ画像が滝のように量産されている。浸水した街でペンライトを振る合成画像。壊れた便器の前で真顔でオタ芸をする動画。さらにはマンホールの蓋を光る泥団子のように磨き上げ、サイリウムで円陣を組んで拝む謎の集団まで現れた。——カオスだ。インターネット特有の悪ふざけが全面展開されている。


 防衛省のコスプレ自衛官が「下水道がなければ駐屯地も衛生的に終わります。全面支持」と敬礼動画付きでリポストした。まなびちゃんが朝の生配信で「日本の下水道技術は世界一ィィ!」と脈絡のないセリフを叫んだ。年金ちゃんの公式アカウントが「年金制度は、一時期、親の敵のように扱われました。共に耐えましょう、地下の同志よ」と謎の連帯を表明した。——推しの連鎖が止まらない。


 コメント欄は大きく4種類に分類できた。


 「正論すぎて泣いた。当たり前すぎて忘れてた」派。

 「下水道の推しグッズ、直轄で出してくれ。買うから」派。

 「この公務員のおじさん、声が良くない?」派。

 「後ろのチカチカしてる蛍光灯が哀愁あって推せる」派。


 ——3番目と4番目は全く理解できない。蛍光灯の下で撮った寝起きの自撮りに声の良さなどないし、チカチカする蛍光灯を推すのはただの眼精疲労だ。


 山岸からの電話に出た。


 「津田。お前、何をした」


 「……SNSで予定通り広報活動を」


 「大臣直結のホットラインから電話が来た。『下水道課のあの動画がバズっている。優先的に予算をつける方向で検討する』と。——ついでに大臣が『あのアパートのチカチカしてる蛍光灯、広報用備品の名目でLEDに替えてやれ』とも言った」


 (個人の家の照明を公費で替えたら横領だが、「広報用備品」という建前を挟むあたりが、さすが大臣だ。役所特有の予算ロンダリングの匂いがする。——こういう時だけ手続きが速い)


 「大臣に個人の家の蛍光灯の心配をされるとは思いませんでした」


 「お前の家の蛍光灯が国を動かしたんだ。史上初だぞ。——電球1本が1400万再生。広告費換算したら全省庁1位のコスパだ」


 「……というか課長、蛍光灯ってとっくの昔に製造禁止になりませんでしたっけ」


 「なったな。お前の部屋のあれは前の入居者が残していった遺物だ。——製造禁止の照明器具が国を動かしたのも、たぶん史上初だ」




   四 推されたくないインフラ



 バズったその週、下水道課には電話と取材が殺到した。


 テレビ、ネットメディア、新聞、ポッドキャスト。まなびちゃんの生配信にゲスト出演の依頼まで舞い込んだ。だがこれは即答で断った。VTuberと下水道のコラボは画面が地獄絵図になる。「まなびちゃん×汚泥」という最悪なサムネイルで永久にアーカイブが残ってしまう。画面の前の子供たちが確実に泣く。


 肝心のポイントも明確に動き始めた。


 中間集計。国交省内のインフラ関連課へのポイントが急増していたのだ。下水道課だけではない。上水道も、送電保守も、光ファイバー網の通信基盤も——「そういえばインフラ推してなかった」と気づいた全国の公務員や一般層が動いた。中でも下水道課は、省内推薦ポイントで一気に340万を獲得した。ゼロから340万。道路課をごぼう抜きして堂々の省内トップだ。


 さらに、国民からの「推し投票」で国交省自体への票も膨らんでいた。「道路や橋じゃなくて、下水道のおじさんがいる省庁として推す」という層が現れたのだ。


 本郷がプリントアウトした資料を握りしめ、興奮して走ってきた。


 「津田さん! グッズの問い合わせが殺到してます! マンホールの蓋のアクリルスタンド、本当に作れませんか!?」


 「だから予算がない」


 「推薦ポイントで1位になったから、来年度の予算くるじゃないですか!」


 「来年度だ。今年度の予算はゼロのままだ。——それに、アクリルスタンドを作る前に、老朽化した管路の更新が山ほど残ってる。築100年超えのヒビだらけの管が全国に数十万キロあるんだぞ。予算さえあれば、管路の中を安全に調査できる探査ドローンだって導入できる。でも予算がないから、俺たちが直接潜って目視で点検してる」


 本郷が頷いた。


 「俺が先月入った管路、天井が崩落しかけてました。——予算があればドローンで済む作業を、人間の体でやってます」


 「しかも普段のメンテナンスだけじゃない。大雨が来れば雨水排水の緊急対応で真夜中に呼び出される。台風が来れば徹夜で排水ポンプを回す。管が詰まれば住民から苦情が来る。臭いが出れば、もっと大量に苦情が来る。——街を清潔にするための仕事なのに、『汚い仕事』として不潔扱いされるんだ。清潔の守り手が不潔のレッテルを貼られる。この不条理が、下水道課の日常だ」


 「下請けの管工事業者も、年々減ってますよね」


 「予算が出ないから下請けが逃げる。下請けが足りないから、うちみたいな課の職員まで現場に駆り出される。広報担当の俺がヘルメット被って点検に行ったのも、別に趣味じゃない。——その上で、管の交換工事は『映えない』。水漏れが止まっても誰も熱狂しない。グッズは『映える』。映えるものにポイントがつくのが、この制度の致命的なバグだ」


 バズったのは嬉しい。ポイントが入って、来年度の課の存続が確定的になったのもありがたい。


 だが、根本的な問題は何も変わっていない。


 推し活民主主義は、「見える華やかなもの」に予算を集中させる構造になっている。VTuber、コスプレ、ゆるキャラ、グッズ。見えるものは推される。見えないものは推されない。


 下水道は、どう足掻いても「見えない」ものだ。今回バズったのはただの偶然、ミームの波に乗っただけだ。来年も同じようにバズる保証はどこにもない。毎年蛍光灯の下で「推してくれ」と叫ぶわけにもいかない。2回目は「またあのオジサンやってるよ」でスルーされる。インターネットはそういう場所だ。下水より冷たい。


 「津田さん。毎年バズり続けるなんて、不可能ですよね」


 「無理だ。バズは水物だ。——バズは下水管みたいに計画的に管理できない」


 「じゃあ、この先どうするんですか。再来年にはまた廃止の危機ですよ」


 津田は窓の外を見た。高層ビルが立ち並ぶ。車が走り、人が歩道を行き交う。——その全員の足元の地下に、暗く冷たい下水道がある。見えない。でも、確実にある。


 「本郷。そもそも、インフラは推し合戦の土俵に上がるべきじゃないんだ」


 「……はい」


 「推されないと予算が消える仕組みのほうがおかしい。——インフラは、推し投票や省内推薦の対象から完全に外して、自動的に一定の予算がつく『別枠』を作るべきなんだ」


 「それは——制度そのものを変えるってことですか」


 「そうだ。下水道を推してもらう方法をご機嫌取りみたいに考えるんじゃない。推されなくても絶対に守られる仕組みを作る。バズることじゃなくて、仕組みを整えること。——それが公務員の本来の仕事だ」


 本郷が目を丸くした。


 「バズった勢いを利用して、制度改正を提案するんですか?」


 「今だ。とにもかくにも、今しかない。——今この瞬間、下水道はバズっている。俺たち3人の声に、今だけは発言力がある。この波が引いたら、もう二度とチャンスは来ない。バズのブーストが効いてるうちに仕掛けないと、何も通らない。——インターネットの記憶は金魚より短い。来月の今頃には、下水道のことなんてみんな忘れて、次の推しVTuberの話をしてる」


 本郷が少し黙って、それから小さく笑った。


 「……津田さん。俺、入省の志望動機に『下水道を守りたい』って書いて、面接官に5回笑われました。バカ真面目すぎだろって」


 「うん」


 「でも、今の話を聞いて、国交省に入って下水道課に配属されて良かったと、心底思いました」


 「おい、泣くな。公務員は泣かない。年末の予算折衝で財務省に詰められた時は泣くが、それ以外は別だ」




   五 推し票の外側



 津田は制度改正の提案書を作った。


 タイトルは「インフラ必須予算保障制度の創設について」。要するに、「推し投票と省内推薦の対象からインフラを外して、問答無用で自動的に予算をつけてくれ」という提案だ。


 ——最初のタイトル案は「推されなくても存在していい予算について」だった。だが山岸に「深夜のエモいブログじゃないんだから、もっと真面目に書け」とボツにされ、「国民生活基盤保障予算」に改題した。公務員は文書のタイトルだけで3日悩む生き物だ。


 提案書の冒頭に、あえてあの言葉を入れた。


 「推し活民主主義は、国民の関心を政治に向けることに成功した。投票率98%は歴史上最高だ。——だが、関心が向かないものにも予算は必要だ。下水道、上水道、送電網、通信基盤、道路の地下埋設物。止まれば社会が崩壊するインフラは、関心の有無(推し)で予算が左右されるゲームに参加すべきではない」


 「インフラは『推し』ではない。推しは選ぶものだ。好きだから推す。応援したいから推す。——インフラは選ぶものではない。あって当たり前のものだ。空気のように」


 「空気を推す人はいない。でも、空気がなくなったら全員死ぬ。——下水道も同じである」


 提案書は、バズった動画のリンクと共にネットに公開した。


 世論の反応は真っ二つに割れた。


 「正論」「インフラを推し投票の対象にするのがそもそも設計ミス」「ようやく本質的な議論が出てきた」——賛成派。


 「推されない行政は不要になるのが民主主義だ」「下水道も努力してVTuberを雇えばいいだろ」「特権階級かよ」——反対派。


 「理屈はいいから下水道課の津田さんのアクスタ早く作って」——話を聞いていない派。


 「動画の蛍光灯、LEDに替えないで。あのチカチカ込みで哀愁があって推してるから」——もっと話を聞いていない派。


    * * *


 3ヶ月後。


 特例中の特例で、国会で「国民生活基盤保障法案」が審議された。下水道課のたった3人から出た提案が、野党も巻き込んで法案になったのだ。——バズからわずか3ヶ月。前代未聞のスピードだ。動画の再生数が5000万を超え、世論調査で「インフラは推し投票の対象外にすべき」とする声が62%に達したことが最大の根拠になった。


 それでも、反対意見は根強かった。


 「国家予算の全てを国民の推し投票で決めるのが、我が国の新しい民主主義だ。インフラだけを例外にして既得権益化するのは、理念に対する冒涜ではないか」


 津田は参考人として、オンラインの公聴会で発言を求められた。


 画面には、いかにも不機嫌そうな議員たちの顔が並ぶ。津田はアパートの自室から参加した。上には相変わらず、少しチカチカする映えない蛍光灯。——画面越しに、議員の一人が「おっ、あの伝説の蛍光灯だ」と呟いたのがマイクに拾われた。津田より蛍光灯の方が知名度が高い。


 「特権でも既得権益でもありません」


 津田は静かなトーンで言った。予算獲得のための熱弁ではなく、ただ事実を読み上げるように。


 「インフラは、推されないことが『正常』なんです。意識する必要がないほど、当たり前に動いている——それがインフラの完成形です。推されるために目立つようになったら、それはもうインフラではなくてエンタメです」


 先ほど反対意見を述べた議員が噛みついてきた。


 「しかし、国民が推さない、関心を持たないということは、不要だということではありませんか?」


 「では、議員のみなさんに簡単な実証実験を提案します」


 津田はわざと一拍置いた。


 「明日から1週間、国会議事堂周辺の下水道を完全に止めましょう。——国民が『推さない』と判断したインフラですので、不要なはずですから。蛇口から水は出ます。しかし推し票が足りないので、排水は一滴も流れません。トイレを流した瞬間、行き場を失った汚水が逆流して溢れ返ります。——もし審議が長引いたら、中世ヨーロッパに倣って、汚物は窓から外に投げ捨ててください」


 議場が水を打ったように静まり返った。正確には、何人かの議員が無意識に足を組み替え、渋い顔をした。


 「3日あれば、結果は明確に分かります。推さなかったことを、全員が強烈な悪臭とともに身体で後悔します。——ただし、後悔した時にはもう手遅れです。完全に止まってからインフラを復旧するには、止める時の百倍の予算と時間がかかります」


 「推し活民主主義は素晴らしい制度だと思います。国民の政治参加を爆発的に高めた。——でも、全てを『推し』という感情だけで決めてはいけない。推されるべき華やかなものと、推されなくても黙々と守るべき基盤。その線引きが必要です」


 津田は、カメラを真っ直ぐに見据えた。あの動画の時と同じように。


 「推しは、自分で熱狂して選ぶものです。——インフラは、選ぶ前からずっとそこにあって、選ばなくてもいいという『安心感』を担保するものです」


 「私たち下水道を推してくれとは、もう二度と言いません。——推さなくていい。ただ、推さなくてもそこにあるものの価値を、国として認めてください」




   六 推されない誇り



 法案は可決された。


 賛成多数。ごく一部の字句修正のみ。


 「国民生活基盤保障法」——インフラに関わる行政分野(下水道、上水道、道路基盤、通信等)は、推し投票および省内推薦の対象外とし、維持管理に必要な予算を別枠で確保し、他予算に優先して自動配分する。


 推されなくても、予算がつく。


 ——下水道課は、存続が決まった。


 津田のデスクに、山岸がそっと缶コーヒーを置いた。2089年の物価で缶コーヒーは250円だ。推薦ポイントに振り回されない未来を手に入れた課にとって、これが精一杯の祝杯だった。


 「津田。お前のあの動画と蛍光灯がなかったら、この課は来年本当に消えていた」


 「……半分ヤケクソで自撮りしただけですよ」


 「ヤケクソでも結果を出した。——お前が言ったことは、公務員として完全に正しかった。推されない仕事にも意味がある。それを、一番推される言葉で伝えた。皮肉だよな。推されたくない男が、誰よりも刺さる言葉を使った」


 「……意図してません。あんなミームになるなんて」


 「意図してないから刺さったんだ。——お前、広報の才能があるぞ。まあ、アパートの蛍光灯の下でだけ発揮される極めて限定的な才能だが」


 「蛍光灯限定の才能は、今後のスキルキャリアとして甚だ不安です」


 「安心しろ。あの法案が通ったんだ、お前ならLEDの下でも光ると思うぞ。——たぶん」


 本郷がスマホを見せながら、ニコニコして寄ってきた。


 「津田さん、最初の動画、累計再生8000万回超えましたよ。ファンアカウントも健在です。『#下水道の津田さん推し』ってタグで、フォロワーまだ15万人います」


 「……だから、やめてくれ。法案通ったら解散するんじゃなかったのか」


 「コメントに『推されたくないと言ってる人を半永久的に推したい』って書いてあります」


 「推されたくないと言っている日本語が読めないのか」


 「そのツンデレ感が推されてるんですよ。——あ、あとこれ。まなびちゃんのファンが『まなびちゃんの次の推しは下水道の津田さん』っていう二次創作のファンアートを描いてます。津田さんが無駄にイケメン化されてますよ」


 「見せるな。俺の自己肯定感が削られる」


 「マンホールの蓋の缶バッジも、非公式でカプセルトイになって出回ってます。デザインは東京23区ぶん。——レアは品川区で、オタクが初日に回しまくってコンプリートしてるらしいです」


 「それは……まあ、ちょっと嬉しいな。——俺じゃなくて蓋だけだが」


 ——推されたくないのに推される。推されないインフラの担当者が、なぜか推される。矛盾しているが、推し活民主主義の落とし子としては、たぶんこれが正しい矛盾なんだろう。


    * * *


 その夜。


 津田はアパートに帰った。スイッチを押して蛍光灯をつけた。六畳一間。大臣自らはっきりと「LEDに替えてやれ」と言ってくれたが、役所の決裁が異常に遅いのか、まだLEDは届いていない。お役所仕事の鑑だ。


 しかし、届いても替えるかは少し迷っている。このちょっとチカチカする蛍光灯には恩がある。1400万再生を叩き出した、奇跡の蛍光灯だ。ぶっちゃけ、津田本人より推されている。


 水道の蛇口をひねった。水が出た。当たり前に。


 トイレに入った。水を流した。流れた。当たり前に。


 ——この「当たり前」を、誰かが維持している。自分が直接手を動かしていなくても、この国のどこかで、深夜に下水管のひび割れを点検している作業員がいる。汚水処理場で泥にまみれて水をきれいにしている公務員がいる。推されなくても。見えなくても。誰も起きていない真夜中の2時でも。


 風呂に入った。排水口から、ザァッと水が消えていく。地下へ。見えない場所へ。——そこから先が、津田たちの仕事だ。


 湯船で、少しだけ考えた。


 (推しは変わる。去年の推しと今年の推しは違う。来年にはまた別の誰かが新しく推されるだろう。——でも、下水道は絶対に変わらない。推されても推されなくても、毎日同じように流れる。推しが変わっても、トイレは変わらず流さなきゃいけない。それでいい。それがいい)


 ——ふと、スマホが鳴った。実家の母親からメッセージが来ていた。


 『法案通ったニュース、見たよ。お母さんはずっと公式アカウントのフォロワーだったからね。まだフォロワーが23人だった時から。——真一、いい仕事してるね』


 23人のうちの、1人。


 世界中が誰も下水道になんて見向きもしなかった時から、最初から推してくれていた人。


 母親は、いつだって、子どもを最初に推してくれる。推し活民主主義よりずっと前から、ずっと静かに。


 津田は小さく息を吐いて、顔をほころばせながら返信を打った。


 『ありがとう。——部屋の蛍光灯は、しばらく替えないでおくよ』


 意味が通じるかは分からない。でも、たぶん通じる。


 風呂から上がってSNSを開いた。公式のフォロワーが42万人に増えていた。


 津田は、最後に一つだけ投稿した。


 「今日もトイレの水は流れましたか? ——おめでとうございます。それはインフラが生きている証拠です。推さなくて大丈夫です。推さなくても、明日も流れます。それが私たちの仕事です。——ちなみにこの投稿も、例のチカチカする蛍光灯の下で書いています。LEDはまだ届きません」


 数分で、いいねが1万ついた。


 ——推されたくないのに。


 津田は画面を閉じて、蛍光灯を消した。


 暗闇の中。


 明日も、下水は流れる。推されなくても。



(完)

お読みいただきありがとうございます。


「推し活で国家予算が決まる」——書いていて半分は冗談のつもりでしたが、気がつくと半分は真面目になっていました。現実の政治や自治体運営でも、「見栄えのいい華やかな政策」に予算がつき、「地味な維持管理」は削られがちです。選挙で票になる分野と、ならない分野。——その構造を「推し」に置き換えてみただけです。意外と現実との距離がなくて、途中で笑えなくなりました。


下水道は、本当に推されないインフラです。上下水道の老朽化は、現代日本のリアルな重い課題です。全国の下水道管のうち、耐用年数を超えた管路は年々増え続けています。でも、下水道の話題がニュースのトップに来ることはほとんどない。——完全に壊れる「その日」までは。


「推されなくてもそこにある」。これはただの逆説ではなくて、インフラの本当の価値です。推す必要がないくらい、空気みたいに当たり前に動いていること——それがインフラの最大の成果です。


今日もトイレの水が流れたなら、それはどこかの「津田さん」のおかげです。


感想・ブックマーク・評価をいただけると、推し票ゼロの作者が救われます。

——なお、蛍光灯は推さなくて大丈夫です。本当にLEDはまだ届いていません。


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→【連載版】チートで荒らされた領地に赴任したら、前世が地方公務員だったので普通の行政で立て直すことにした


「凡人枠」シリーズの地方公務員版、明日最終回です! 推し活経済の津田さんが好きな方は、きっとこっちの中村さんも好きです。チートスキルで荒れ放題になった領地を、予算管理と住民対応だけで立て直す、逆転の領地経営譚。完結前に追いつくなら今です!


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★ 同じ作者の「凡人枠」シリーズ ★

→「前世が産婦人科医だったので異世界で「安全な出産」を広めたら聖女より崇拝された」

チートスキルなし。魔法なし。あるのは前世で2,000件のお産に立ち会った手だけ。回復魔法が効かない妊婦を、人間の技術だけで救います。「おめでとう」は、世界で一番最初の「おかえりなさい」。


この作品を気に入っていただけたなら、こちらもぜひ:

→「サブスク地獄——空気も記憶も感情も月額課金の時代に破産したので、全部解約してみた」(同じSF短編シリーズの姉妹作です!)


よろしければそちらもぜひ!

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― 新着の感想 ―
行政下請け勤務者(つまり公共施設運営業務受託者)としてわかります。 ええ、インフラって社会の土台と基礎なんですよね。
津田さんの声は、同じ津田つながりで津田健次郎さんの声で脳内再生して読ませていただきました。 セリフが渋くてカッコよく聞こえましたっ。 公務を推しで計るという狂った(ゲフンゲフン…失礼。)世界では、法…
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