57 セト神の報酬
そんな、最後は全てロロルの手の中で踊らされたような一幕を経て、再起動したアンとバトラーは、きちんと直前までの記憶を保持しており、クレハは大いに安心した。
ウィルスに感染した部分は、うっすらと金色の瘢痕が残ってはいるものの、フィジカルもメンタルも二人が何の問題もなく復活した事を、エイメ・サイア率いる♾️傭兵団に、知られるのは不味くないか、と内心ドキドキしていたが、今の所は、杞憂に終わっている。クレハたちが、ほぼヴァルゴに引き篭もっている為かも知れないが、表面上、クレハのEEC16世界は、平和だ。
この年のEEC16配信二周年記念イベントは、夏休みの”Operation Desert Storm”の続編、藍サーバー以外ではホログラムに過ぎなかったセト神の神殿の解放、だった。
具体的には、調和の天秤で交換し入手した星力を神殿のレリーフに捧げ、神殿を世界に定着する、と言うミッションだ。
解放された神殿で何が出来るのか、それはまだ、明らかにされておらず、報酬を期待していた旅人たちからは、不満の声が上がったが、一部ではこれもまた、連続イベントの一つではないか、と好意的な意見もあった。
そう言った意見の人は、これが天空島の開放の鍵になるのだ、と主張した。
何故なら、天空島は魔力から隔絶された島だからだ。
ゲームの舞台となっているエターナル・エデンの世界では、魔力は現実世界からの負の侵食と設定されているが、それでも、生活の上でエターナル・エデンは、魔物から取れる魔石に依存している。
天空島へ行くには魔力を手放さねばならず、手放した後の生活が困窮するのは想像に難くない。
ならば、魔力を手放した生活に慣れておくのが一番。
その為の、経験を積むためにセト神殿は、まさに打ってつけの場所だ。
天空島ほど、隔絶されてはいない。何か起こっても対処可能な場所が近くにある。
そうして、セト神殿で魔力のない生活に慣れ、万全を期して天空島に入ることが許される。
そういう、主張だ。
真実は、
現実世界で暴力的な権力を有するスポンサーかつこのEEC16世界で星王をしているセイが、周囲を巻き込んで、アンから回収したウィルスの解析と対策にかかりっきりで忙しいせいで、二周年記念イベントがこれまでに比べ、若手中心の企画になったから、らしい。情報提供は、ガイド猫アレクだ。
課金もあるVRMMOの世界で、密かに進行するウィルス攻撃は、軽視するわけにはいかない最重要事項であり、運営の主軸が注力するのも尤もだ。
行方不明を疑われたNPCたちの一部は、何事もなく無事に帰宅し、一部は記憶を失った状態で発見され、そして、数名は未だ行方不明のままだ。
息子の龍樹の話では、他のサーバーではあまり大きな騒ぎになならなかった様だ。行方不明になったNPCの知名度の関係だろうか。
運営の若手たちが頑張ったおかげで、夏休みイベントで復活したセト神殿の解放イベントは、最終日に予想以上の盛り上がりを見せた。ペルム大陸全土から、セト神殿に勤める祭司を選ぶコンテストを最終日に開催、と言うお祭り要素を持ってきたことで、期間中に、”推し”の祭司候補者に捧げる星力を集める旅人たちが奔走し、これまでになかったタイプのイベント、と評価を受けている。
行方不明のロットの代わりの新たな冒険者ギルド長には、南の隣国エディアカランの副ギルド長が就任した。いつまでも不在では、業務にならないからだが、ロットの変容はギルド長会議で報告が挙げられており、要注意人物、として、密かに手配されている。
前副ギルド長アスランが立ち上げた豆粒隊、もとい、魔滅部隊は、新ギルド長と入れ替わるように、本拠地をエディアカランに移していた。今の所、大きなトラブルは起こっていないが、何やら南に不穏な気配が漂う。
エクタシアンの新国主の座には、ル・ルーに勝負を挑んだオアシス都市ジェムの族長セリムが着いた。
砂塵嵐の異常発生を解決したのはル・ルーで、勝負の取り決めから行けば、セリムの負けだ。けれど、ル・ルーが砂塵嵐の暴走を止めたのは、自分ではなく、同行した友人だと告白し、自分一人の力で勝負していたセリムこそが国主に相応しい、と勝負から降りたのだ。ヒュッレム女王が、セト神の神殿に仕える、とさっさと王宮を出てしまった為、次の国主は一刻も早く決めなければならない。そんな状況にも関わらず、やる気はあるものの、ル・ルーの辞退を施しの様に感じたセリムは、玉座につくのは自分ではない、と駄々をこねた。
だが、ここで、セリムの妻ヌールバヌが、短剣を片手に夫に決断を迫った。
「変えられない過去ばかり気にして、ぐずぐずしているしている情けない夫には、もう愛想が尽きました。わたくしも髪を降ろし、お祖母様と共に、セト神様の神殿にこの身を捧げます」
流石は、ル・ルーの元許嫁、ヒュッレム女王の孫、と言うべきか。
自らを人質とするその鬼気迫る様子は、セリムだけで無く、同席していた全ての者の心胆を寒からしめ、セリムは覚悟を決めて玉座に付いたのだった。
二周年記念イベントで、藍サーバーのセト神の神殿の祭司には、12人が付いた。筆頭祭司は、ヒュッレム元女王だ。
セト神が希望した”若くて”は叶えられなかったが、概ね、満足している様だ。
なぜわかるのか、と言うと、本神が目の前で寛いでいるからだ。長椅子に横たわり、左右から大きな団扇で煽がせる獣頭人身の姿をクレハは目を眇めて眺めている。
イベント終了後、クレハはセト神殿の新祭司長ヒュッレムに招かれ、ここにいる。
仲介したのは、言わずと知れたエクタシアン国のル・ルーで、セト神の咆哮で強制ログアウトした後、バタバタしていて、直接会うのは、随分、久しぶりだった。
「其方には、世話になった。褒美をとらそう」
「勿体無きお言葉でございます」
クレハは深々と頭を下げる。魔力を嫌うヘリオポリス九柱神の一、セト神に拝謁する為に、魔力の痕跡を洗い流すための沐浴から始まり、魔力を含む衣装・装飾品を外し、真っ白な亜麻の一枚布を体に巻きつける。流石に右手の中指に嵌っている呪いの指輪・アンドヴァラナウトは、クレハから離れなかったのと、そこに蓄積された魔力を星力に変換して自分が受け取った経緯がある為、装着を許されている。
セト神にとっては、思いがけず、早々に手に入った己を祀る神殿なのだろうが、それを砂の中から引き上げてしまったばかりに、運営は混乱し、エターナル・エデンの世界も混乱した。流石は、戦争と混沌を司る神である。
巻き込まれた方は、溜まったものではないし、実際、クレハたちも後になってがっつり巻き込まれた側だ。
「何やら不満そうだな」
「いえ、滅相もありません」
フン、と鼻息を一つ吐き、セト神は起き上がると、杖を手に取った。ウアス杖と呼ばれる先端に自分の頭部を型取り、下部が二股に分かれた蛇よけの杖、だ。セト神が象徴する荒々しい混沌の力を制御・鎮圧する武器としての役割も持つ。
「祭司長、パピルスを1本寄越せ」
神殿では、彼の尾と同じ形をしたパピルスをセト神の恩寵を示す植物として栽培を始めた。いずれは、パピルス紙はもちろん、儀式祭礼用品などに加工し、セト神の権威を知らしめる予定だ。
ヒュッレム祭司長が恭しく差し出した1本のパピルスに、セト神はウアス杖を翳した。
まだ蕾だったパピルスの傘のように開いた葉の中心からさらに細い花軸が伸び、その先に小さなブラシのような淡いクリーム色をした小花が咲いた。
「我の混沌の力を制御・鎮圧する力により咲いた花だ。微々たるものとは言え、我の力の片鱗を纏っている。何に使うも其方の自由だ。この世界に混沌を齎すも良し、混沌から守るも良し。我は守護神であり悪神。其方の好きにせよ」
そう言うと、セト神はヒュッレムに命じて、そのパピルスをクレハに下げ渡した。困惑するクレハにセト神はこれで用事が済んだ、とばかりに手を振った。
手渡されたパピルスの小花は100個以上はある。自由に使えと言われても、神の力の片鱗など、どうしろと言うのか。
そっと、ル・ルーに押し付けようとしていたのを気付かれたのか、
「あのね、バロネス。あたしとリ・リーちゃんも、同じ様な品をご下賜されているの。だから、気にしなくても大丈夫よ」
とにっこり、ル・ルーが笑った。
取り敢えず、小花を散らさないようパピルスを慎重に胸に抱くように抱え、セト神殿から出てきたクレハを見たガイド猫アレクは、その場に固まった。
『また、何て物持ってるんですかー!』
クレハの頭の中で、アレクの声が盛大に響いた。
『アレク、いる?』
『いりませんよ。猫に渡してどうしようって言うんですか、そんな、神話級のアーティファクト。譲るなら、星王さまにして下さい』
「え?ヤダ」『何故に?』
「だって、偉そうだし。絶対、感謝されない。別に感謝して欲しい訳じゃないけど。絡まれそうだし」
『持ってるって、知られたら、それだけで絡まれますって』
「えー」
傍目には、猫とパピルスで戯れているようにしか見えないが、中身は、不毛な押し付け合いだ。
「セト神さまにお返しする、って言うのは」
「無いわね」とル・ルーに即断された。
「ああ見えて、尊き御方はお喜びなの。お気持ちを受け取ってもらえると砂漠の民として、アタシも嬉しいわ」
途方に暮れるクレハを慰めるル・ルーだったが、彼女たち姉妹に渡された物には、セト神の力の片鱗など宿ってはいない。これは、枯渇するまで星力を強制的に捧げさせた事に対するセト神なりの礼なのだから。その事実を隠して、ル・ルーは、クレハの負担にならない様に言う。
確かに、一度受け取った物を突き返すのは、礼儀にもとる。
「着替えてお茶にしよう」と、一先ず、問題を先送りするクレハだった。
砂漠に来ているので、今日のクレハの装いは、いつもの和装ではなく、薄い水色に青の刺繍を入れたアバヤだ。イスラム的な女性用ガウンで、足首まで届く外套状の長衣の下は、ノースリーブのインナードレスで、共にこれでもか、と防御力アップのエンチャントがかけられている。
アンとバトラーの凄腕二人がなす術もなく、エイメ・サイアに行動不能にされた事件は、二人のトラウマになっていて、自分たち以上にクレハの身の安全にこだわるようになっていた。
本来なら、一歩も自宅の外には出したくない、と言う過剰反応が、漸く落ち着いて、今回の遠出が実現した次第である。
「うわ、最悪」
「何が、最悪だって?」
着替えを終えたクレハの目の前に、セイが立っていた。




