第4話 灰塵の谷に残るもの
灰塵の谷。
かつて多くの兵が命を落とし、今もなお戦の爪痕が残る土地。
勇者一陣に与えられた最初の任務は、この谷に残された異変の調査だった。
アルトにとっては、勇者たちの執事として初めて臨む本格的な仕事でもある。
だが、彼がこの地に来た理由は、任務だけではなかった。
自分を殺した者の痕跡が、ここに残っているかもしれない。
灰塵の谷に吹く風は、乾いていた。
岩肌を削り、街道に積もった砂を巻き上げる。遠くの集落からは、煙が一本、空へ伸びていた。
「報告では、魔獣が集落を襲ったのは昨日の夕刻だそうです」
アースが地図を広げながら言った。
「生存者はいる。だが、魔獣の数も種類も不明。街道を通る商人が、今朝になってようやく知らせを届けたらしい」
「なら、急ごう」
ファニルは迷わず歩き出した。
ガロムがその背を追う。
アルトは二人の後ろを歩きながら、地面に目を落としていた。
足跡。
車輪の跡。
そして、岩の隙間に残る黒い粉。
「……少し待ってください」
ファニルが振り返る。
「何だ?」
「この街道、昨日の夕刻に魔獣が通ったにしては、妙に人の往来が多いですね」
「商人が通ったんじゃないのか?」
「それもあります。しかし、ここを通った馬車は、集落から出ていったものばかりだ」
アルトは地面の跡を指でなぞった。
「逃げた人々のものかもしれません。ですが、こちらの跡は違う」
岩陰に残る、深く沈んだ車輪の跡。
その上には、魔獣の足跡が重なっていた。
「この馬車は、魔獣が通った後に集落へ向かっています」
アースが目を細める。
「つまり、事件が起きた後に、何者かが現地へ入ったと?」
「まだ断定はできません」
アルトは立ち上がった。
「ですが、急いだ方がいい。もし誰かが現場にいるなら、証拠を消される可能性があります」
集落に到着すると、ファニルはすぐに人々のもとへ向かった。
「怪我人はどこだ? まだ魔獣が残っているのか?」
一人の老人が、震える手で集落の奥を指した。
「魔獣は……勇者様が来てくださったなら、もう安心です。ですが、息子が戻っていないんです」
「息子さん?」
「昨日、魔獣が来る前に、街道へ出たきりで……」
老人の声が途切れる。
アルトは集落の周囲を見渡した。
壊れた柵。
倒れた荷車。
散乱した食料。
魔獣が暴れた痕跡は確かにある。
しかし、その奥に。
集落の入口から離れた場所に、一つだけ、不自然なものがあった。
「アース殿。あの建物は?」
「倉庫だ。集落の備蓄を置いているらしい」
「……鍵が壊されていますね」
ガロムが剣の柄に手をかける。
「誰かいるのか?」
「分かりません。ですが、魔獣の足跡がここで途切れている」
アルトは倉庫の前にしゃがんだ。
扉の下に、黒い粉が散っている。
街道で見たものと同じだった。
そのとき、倉庫の奥から物音がした。
「出てこい!」
ガロムが声を上げる。
返事はない。
代わりに、倉庫の壁が大きく揺れた。
次の瞬間、木材を砕きながら魔獣が飛び出してくる。
ファニルが前に出た。
「ガロム!」
「任せろ!」
ガロムが剣を振るう。
しかし、魔獣は身をひねり、刃を避けた。
その背中に、黒い線が走っている。
アルトは目を見開いた。
「待ってください! そいつを傷つけすぎないで!」
「何だと!?」
魔獣が咆哮する。
黒い線が光り、周囲の空気が震えた。
ファニルのオールアイが青く輝く。
「……この魔力、普通じゃない!」
魔獣が再び突進する。
ガロムが受け止めようとするが、地面が崩れた。
「ガロム、退いてください!」
アルトの声が響く。
彼は倉庫の脇に積まれていた荷車を蹴り倒した。
木材が転がり、魔獣の進路を塞ぐ。
ほんの一瞬。
その一瞬を、ファニルは逃さなかった。
青い光が走る。
魔獣の動きが止まった。
ガロムが踏み込み、剣を振り下ろす。
魔獣は倒れた。
静寂が戻る。
「……アルト」
ファニルが振り返る。
「今の、どういうことだ?」
アルトは倒れた魔獣を見ていた。
黒い線は、まだ微かに光っている。
「魔獣そのものが、誰かに操られていた可能性があります」
「誰に?」
「それは、まだ分かりません」
そのとき、倉庫の奥から男が現れた。
腕を押さえ、顔を青ざめさせている。
「もう……終わったのか?」
ファニルが剣を向ける。
「お前は誰だ?」
男は逃げようとした。
だが、ガロムが一歩で距離を詰める。
「動くな」
男は膝をついた。
アルトは男の腕を見た。
そこには、魔獣の背中と同じ黒い線が刻まれていた。
「……あなたが魔獣を操ったんですか?」
男は唇を噛んだ。
「違う。俺は……止めようとしたんだ」
男の話によれば、彼は集落の備蓄を守るため、魔獣を遠ざける術式を使ったらしい。
だが、その術式は何者かによって改変されていた。
魔獣を遠ざけるはずの力は、逆に魔獣を集落へ引き寄せてしまった。
「俺は、村を守りたかっただけなんだ……」
男の声が震える。
「街道の向こうでは戦争が続いている。食料も人手も足りない。だから、魔獣を追い払う術を使った。これさえあれば、少しでも村を守れると思ったんだ」
ファニルは剣を下ろした。
「だが、結果として人が傷ついた」
「分かってる……」
男は顔を伏せた。
「分かってるんだ!」
アルトは男の腕を見つめた。
黒い線。
街道に残っていた粉。
そして、自分を殺した魔法の感触。
すべてが同じだとは言えない。
だが、似ている。
「アース殿。彼を拘束してください」
「アルト?」
「この人が事件を起こしたのは事実です。ですが、術式を改変した者がいるなら、そちらも追わなければなりません」
アースは静かに頷いた。
「分かった」
その後、勇者一陣は集落の救助と復旧に取りかかった。
ガロムは壊れた柵を直し、ファニルは怪我人のもとへ向かう。
アルトは男の術式を調べた。
そこに残っていたのは、見慣れない魔法の構造だった。
「……この術式、どこで覚えたんですか?」
男は首を振る。
「知らない。街道を通った商人から、魔獣を遠ざける方法だと教わったんだ」
「商人の名前は?」
「……覚えていない」
アルトは黙った。
事件は解決した。
魔獣は倒され、集落は救われた。
だが、術式を改変した者は、まだどこかにいる。
夕暮れ。
集落の人々は、勇者一陣に頭を下げた。
「ありがとうございます。これで、また暮らしていけます」
ファニルは笑った。
「礼なら、こいつにも言ってやってくれ。アルトがいなければ、もっと被害が出ていた」
アルトは少しだけ困った顔をした。
「私は、皆さんが戦いやすいようにしただけです」
「それで十分だ」
ファニルはそう言った。
その言葉に、アルトは一瞬、目を伏せた。
かつての自分も、誰かを守るために戦っていた。
だが、守ったはずの世界は、また戦争を始めていた。
夜。
アルトは一人、倉庫の前に立っていた。
黒い粉を小さな布に包む。
その魔力の痕跡を、もう一度だけ確かめる。
自分の死の瞬間。
遠くから放たれた魔法。
身体を貫いた、あの感触。
「……同じなのか?」
答えはない。
ただ、布の中の黒い粉が、月明かりの下で微かに光った。
アルトは拳を握る。
灰塵の谷の事件は終わった。
しかし、誰かがこの世界で、勇者たちの知らないところで戦争を動かしている。
そして、その誰かは。
自分を殺した者と、繋がっているのかもしれない。
灰塵の谷での事件は、勇者一陣によって解決しました。
けれど、アルトの中には新たな疑問が残ります。
今回の事件に使われた術式は、彼が殺されたときの魔法と関係があるのか。
そして、勇者たちが勝利を重ねる世界で、なぜ戦争は終わらないのか。
次回、アルトたちは事件の背後にあるものを追い始めます。




