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日本霊異記 現代語版  作者: はまゆう


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第五 三宝(仏法僧)を信じて現世の幸せをつかんだ話

大花位の大部屋栖古連公おおべやすむこむらじは、紀伊国(今の和歌山県)の名草郡にルーツを持つ大伴連の先祖だ。生まれつき心が清らかで、仏・法・僧の三宝を心から大切にしていた。

古い記録にこう書いてある。

敏達天皇の時代、和泉国の海で不思議な音が響き始めた。笛や琴、箏、箜篌のような楽器の音が混じり合い、時には雷がゴロゴロ鳴るような音もした。昼間は音を立て、夜になると光を放ちながら、東の方向へスーッと流れていく。

大部屋栖古連公が天皇にこのことを報告した。天皇は「ふーん」とあまり信じなかった。皇后に報告すると、皇后は連公に命じた。

「あなた、行って確かめてきなさい」

連公はすぐに和泉へ向かい、実際にその不思議なものを目にした。そこには、まるで雷が落ちそうなほど巨大な楠の木が海に浮かんでいた。

連公は興奮して帰って報告した。「高脚の浜に流れ着いていました。今は『屋栖やすむ』と呼んでいます。ぜひこの楠で仏像を造らせてください!」

皇后は笑顔で言った。「あなたの願い通り、造りなさい」

連公は大喜びで蘇我の嶋大臣(馬子)に報告した。大臣もとても喜び、すぐに池辺直・氷田という名人に命じて、菩薩の像を三体彫らせた。できあがった像は豊浦堂に安置され、多くの人々が手を合わせて拝むようになった。

ところが、物部氏の弓削守屋大連という強硬派が皇后に進言した。「仏像など、この国に置いてはいけません。さっさと遠くへ追い払ってください」

皇后は困って、屋栖古連公に命じた。「急いでこの仏像を隠しなさい」

連公はすぐに行動し、氷田に命じて仏像を稲の山の中に隠した。

しかし守屋は激怒し、道場に火を放って仏像を焼き払おうとした。さらに難波の堀江に流して壊そうとまで計画した。そして連公に向かってこう言い放った。

「今、国に災いが起きているのは、よその国から来た客神(仏の像)を勝手に国内に置いたせいだ。この邪魔な像を早く豊の国へ流して捨ててしまえ!」

連公はきっぱり断った。「絶対に渡しません」

守屋は頭に血が上り、ついに謀反の機会を狙い始めた。すると天も地も彼を嫌い、嫌悪した。

やがて用明天皇の時代になり、守屋(物部守屋)は討ち取られた。こうして仏像は無事に取り出され、後世まで伝えられた。今でも吉野の比蘇寺に安置されている、光を放つ阿弥陀像がその仏像だと言われている。

———皇后、つまり推古天皇は即位すると、すぐに廐戸皇子(後の聖徳太子)を皇太子に立てた。その時、大部屋栖古連公は太子の側近として、いつもそばに仕えることになった。

推古天皇十三年の夏、天皇は連公にこう言った。「あなたの功績は、ずっと忘れないわよ」そして大信位という高い位を授けた。

十七年後、皇太子は連公を播磨国(兵庫県)の大きな水田の管理者に任命した。

推古二十九年、聖徳太子が斑鳩宮で亡くなると、連公は悲しみのあまり出家しようとしたが、天皇に止められた。

推古四十八年(624年)の夏、ある僧が斧を持って自分の父親を殴る事件が起きた。連公はすぐに天皇に進言した。「僧や尼の悪い行いを正すため、上座という責任者を置いて、ルールをしっかり守らせましょう」

天皇は「その通りだ」と認め、連公に僧尼の取り締まりを任せた。その結果、僧837人、尼579人が正式に登録された。

観勒僧を大僧正に、大信位の大伴屋栖古連公と鞍部徳積を僧都に任命した。

推古三十三年の冬十二月八日、難波に住んでいた連公は突然亡くなった。すると、遺体から不思議な良い香りが漂ってきた。

天皇は「七日間遺体を安置し、その忠義をみんなで讃えよ」と命じた。しかし三日目、なんと連公は息を吹き返した!

妻子に向かって、興奮気味に語り始めた。

「五色の美しい雲が、虹のように北の空へ流れていくのを見たんだ。俺はその雲の道を進んでいった。すると周りにいろんな良い香りがして、まるで夢の世界みたいだった。道の先に、黄金色に輝く山が見えてきた。近づくと眩しい光が溢れていて、そこに亡くなった聖徳太子が立って俺を待っていた。一緒に山の頂上まで登ると、そこに一人の比丘(僧)が座っていた。太子は丁寧に礼をして言った。『これは日本の者だ。これから八年後に、鋭い刃(剣や矛)に遭う危険がある。仙薬を飲んで身を守りなさい』比丘は自分の腕輪から一つの玉を取り出して俺に渡し、飲ませてくれた。そして三回、『南無妙徳菩薩』と唱えさせて礼拝させた。俺はその通りにして山を下りた。太子は最後にこう言った。『早く家に帰って、仏を造る準備をしなさい。私は悔い改めを終えたから、宮に戻って仏を造る』……そう言われて、俺は来た道を戻ってきたら、びっくりして目を覚ましたんだ」

人々はこの連公を「還活連公(よみがえり連公)」と呼ぶようになった。

その後、孝徳天皇の時代に大花上位を授かり、九十歳を過ぎて亡くなった。

この話の最後に、こう賛辞がつけられている。

「なんと立派な大部氏よ。仙人を敬い、法を尊び、心を清らかにして忠義を尽くした。命も福も長く続き、若くして死ぬこともなく、武を振るって国を治め、孝行を子孫に伝えた。これはまさに三宝の功徳が現れた証であり、善神の加護があったからに違いない」




解説

後世の人は、この「八年後に刃に遭う」という予言を、蘇我入鹿が殺された大化の改新のことだと考えた。「妙徳菩薩」は文殊菩薩、「黄金の山」は中国の五台山、「東宮」は日本を指すと言われている。そして聖武天皇が大仏を造った時代に、行基菩薩が文殊菩薩の化身として活躍したとも解釈されている。


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