吉次郎繁盛3
2話あります。
延宝六年五月。新緑の芽吹く気持ちのいい季節だ。
私が結城殿から託された最後の作品が出来上がる。
題して『明末忠臣一代記』であるが、結城殿もお春も気に入ってくれた。
まずは小手調べと、いつもの浅草寺近くの通りに立つ。
「本日語りまするは遠く唐土の国、大明帝国の興亡と、その最後を見届けた一人の忠臣の物語でございます。
明といえば、言わずと知れた、かの豊臣秀吉、太閤殿下が何年かけても一寸の土地すら手に入れられなかったという曰くのお国。
それが何と、あっさりと消えてなくなった。
これでは太閤サマも草葉の陰で泣いている。
奪ったのは北の国、女真族が建てた清国でございます。
沙羅双樹の花の色、祇園精舎の鐘の声。太古から続くことわりどおり、栄枯盛衰を絵にしたかのようで、身につまされてなりません」
太閤様と平家を引き合いに出し、聴衆の気を引いた。これから話す内容がおおよそ理解できるであろう。
「さて、この明の国、朱元璋なる若者が蒙古の建てた国、元を滅ぼしたのがそもそもの始まりであります。
元国といえば、古くは鎌倉幕府の時代、二度の元寇で知られまする。
いってみればわが国の仇でもあったわけです。
その仇をとった朱元璋、明の皇帝となるもその後がよくない。
次第に勢いをなくし、万暦帝などは二十年も朝廷に出なかったほどのモノグサ皇帝。
中にはまつりごとに熱心な皇帝もいたが、いずれも揃って短命。
ついには倒れてしまうことになるのも運命なのか」
太祖から万暦帝まで一気に下る。本題はこれからである。
「さてお立会い。
明国最後の皇帝、崇禎帝は、兄だった先代、天啓帝のお粗末なまつりごとの尻拭いに懸命でありました。
先代のころ悪事に手を染めていた家臣を次々と始末していきます。
余りに熱心だったのが仇となり、家臣からの信頼まで切り捨てることと相成りました……」
この数ヶ月中国の物語を語ってきたが、聴衆の反応は悪くない。
いってしまえば合戦の場面があって、非業の最期に泣いたり憤ったりできれば満足なのかもしれない。
結城何某殿の依頼どおり、明末からはゆっくりと、十回ほどに分けて講釈することになっている。
「……やることなすこと、すべてが裏目に出るという、まさに天中殺。
ついに各地で反乱が起こりました。
その中でも、闖王・李自成という男、長躯して明の都に襲い掛かります。
闖王というのは一揆の指導者。
民は子であるはずの皇帝、その我が子に襲われたのだから、立つ瀬が無い。
必死に防戦しようとしますが、御所からは既に家臣たちは逃げ去っています。
呼べど答える者なし。
そばに居りましたのはたった一人の宦官のみ。
今はこれまでと崇禎帝、お世継ぎ様たちを城の外に逃がした後、押っ取り刀で駆けつけたのは大奥でございました。
女たちを集めて覚悟を決めろと言い渡します。
『このままでは汝らが賊の手に落ちることになる。ならばいっそ、朕の手にかけてくれる』と、涙を堪えて刀を振るいました。
血溜りの中、最後に御前に立っていたのは長平公主ただ一人。
この長平姫、崇禎帝が手中の珠とかわいがってきたお方でございます。
許婚も既に決まっていたというのに、娘かわいさで手放さなかったのがまたもや仇になりました。
その手中の珠を斬る段になって『ああ、汝は何故皇帝の娘に生まれてしまったのか!』とついに大粒の涙がこぼれてしまいます。
涙で目が霞み、あわやというところで姫は左腕を斬られただけで済みました。
ここで機転を利かせたのは、たった一人残った宦官。
姫は死んだと報告いたし、密かに救い出しました……」
この長平公主のくだりは非常に受けがよかった。同情といっていい。
「その姫さまはどうなったんでえ」
これまで言及してこなかったが、聴衆というのはただ黙って聞いているわけではない。金を払うのだからと、気に入らないことにはすぐに口を出す。
特に、私の最近の講釈にはケチというよりは質問が増えた。
「行方知れずでございます。許婚と所帯を持ったとか、病死したとか、尼になって今も生きているとか風聞はございますが」
「なんでえ。かわいそうによ」
「ありがとうございます……」
これなら今度は長平公主のその後を戯作にしてもいいかもしれないなどと、都合のいいことを考えながら、私の講釈はその後も続く。
明に関しての講釈を始めて三日後、私は非人屋敷を訪れていた。既に乞胸頭にもその旨は伝えてある。
「なに? 芝でやりてえだと?」
「はい。如何でしょうか?」
芸人にも縄張りというものがある。というより、芸人になって一年も経たない私は、これまで漠然と浅草界隈でしか幟を立てたことがない。
つまり、詳しくは知らないのだ。
よってお伺いを立てに来たわけであるが、無論場所換えする理由はある。
新しい講釈の初日、前触れも無く結城殿がやってきた。
もう四度目のことで、今更褒め言葉も無いだろうと、不審に思ったのだが、やはり褒め言葉などではなかったのだ。
これからは芝のほうででも講釈を頼みたいということであった。
「なんでえ、藪から棒に」
「それが、結城殿に頼まれまして……」
「結城? ああ、おめえがネタもらってるサンピンか」
「はい。なんでも、お知り合いが芝のほうにお住まいで、是非聞かせてやりたいが、浅草までは不便だと」
「そりゃあ、あの辺は武家屋敷が多いからな」
「それで、如何でしょうか?」
「ん? ああ、武家屋敷の近くじゃなけりゃかまわんぜ。品川まで行かれたらちょいと面倒だが」
話には聞いている。
非人頭は一人ではない。この車善七が実質的な江戸の頭といっていいが、他に何人かいるそうで、品川以南は松右衛門という非人頭が仕切っている。
この場合は関係ないとホッと胸をなでおろす。
「では、増上寺の近くでは……」
「ああ、それがいい。門前なら町人も多いだろうしな」
「他の講釈師がいたら……」
何事にも気を使う性質なのか、心配事は増えるばかりだ。
「うん、それなんだが――」
乞胸頭・仁太夫が話を引き取る。
「どうせ吉さんは金にゃ頓着ないだろう。事情を話していくらか包めば同じ稼業だ、引っ込んでくれるだろうよ。仮にゴネ出したときは俺にケツ持って来い。渡世の仁義ってえのを教えてやる!」
「仁太夫殿、ありがとうございます」
私は二人の頼れる頭たちに頭を下げた。善七が呆れ顔で話を戻す。
「しかし、おめえも物好きだな。やっぱりアレか、義理ってヤツか?」
「はあ、結城殿には感謝してもしきれません。この先、戯作者としてやっていけそうな気がしております」
「戯作ねえ……」
「吉さんなら売れっ子になれるぜ」
「はい、精進いたします」
場所換えの許可ももらったし、将来の職についても賛同してもらえた。
私は気分よく非人屋敷を辞する。
「明日からは芝か……やはり頭からやらないとダメだろうな……」
その日はそのまま裏長屋に帰った。
次の日から私は昼過ぎまで浅草界隈で講釈を打ち、その後芝に向かうことにする。勿論、駕籠に乗れる身分ではないので歩いて。
話には聞いていたが、武家屋敷が多い。うっかり無礼でも働いたら命がないと、武家の出でありながら不安になった。
幸い、芝には寺も多く、浅草とは雰囲気が違うが、町人の姿もかなりあった。それも参詣に来ているので、暇な人も多いだろう。
同業者に出くわすこともなく、私はある寺の門前で幟を立てた。
「さて、お急ぎでない方はよってらっしゃい。今流行りの唐物講釈でございます」
客層が全く初めてであったので、呼び込みからしなければならない。
ところで結城殿のお知り合いとやらは来てくれるのだろうか。
そんな心配をしながら、『明末忠臣一代記』の講釈を一から始める。
ここらでは講釈師そのものが珍しかったとみえ、道行く人が必ず振り返ってくれた。
だが、人だかりが定着するまでは結構時間がかかる。
私は人が入れ替わるたびに触りの部分を何度も繰り返した。
めげずに続けたおかげか、始めて一刻もすると話に夢中になる人たちが出てくる。この機を逃してなるものかと、講釈にも熱が入った。
近くの寺の鐘の音が聞こえてくる。
暮れ六つだった。
私はそこで第一回を終え、いつもの決まり文句で締める。
「――さて、続きはどうなるか。次回をお聞きあれ」
「もう終わりかよ!」
初めての聴衆はありがたいのか迷惑なのかわからない反応をしてくれる。
「はい、続きは明日……」
「きっとだな!」
「はい。ごひいき、ありがとうございます」
これが江戸っ子らしい物言いというのか、私は喜ぶことにして、その日は芝を後にした。
それから三日過ぎる。芝での講釈もだいぶご贔屓さんがついて、語るのもやりやすくなってきた。
そう思っていると、一度客が引けたので少し道端に腰を下ろしていたとき、不意に私に声をかけるものがあった。
「おう! 見ねえ顔だな。誰に断ってバイしてるんだ?」
こんな口の利き方だったが、見ると相手はれっきとした武家の人間である。しかも、黄八丈に袋羽織、どう見ても奉行所の同心だった。後ろには目明しらしき男の姿もある。
「あ、はい。乞胸頭の仁太夫殿から鑑札を承っております」
私は慌てて立ち上がり正直に答えた。相手は不満そうである。
「チッ。見せてみな」
「はい……お改めを……」
私は言われたとおり懐から鑑札を取り出した。
だが、その同心は見ようともしない。ただ腕を突き出しているだけであった。
「あの、お改めを……」
「チッ。おめえ、いつからこのバイしてんだ?」
「は? はあ、半年ぐらいですが……」
「チッ、それでよく勤まったな。刀は持っちゃいねえが、武家の出だろ」
確かに、ぼろとはいえ袴履きだし、髷も浪人髷である。
「はい、情けないとは思いますが、その通りです」
「チッ、気がきかねえから浪人なんてするんだよ」
「全く持って面目ない」
「チッ、まだわかんねえか」
「はあ?」
「チッ。あのなあ、バイは俺の管轄じゃねえがよ、もし地回りがバイの邪魔しに来たらどうする? 町人と揉め事起こしたらどうする気なんだ?」
「はあ、そのときは……」
私が、乞胸頭に相談するつもりだ、と言いかけたそのとき、舌打ちが癖にでもなっているこの同心の後ろで、盛んに目配せする目明しの存在に気がついた。
声を出さずに身振り手振りで私に何かを訴えようとしている。
《なんだ? 袖に手を入れて……あっ!》
やっとあることに気が付いた。
「こ、これは御見それしいたしました。生まれつき気の回らぬほうで、失礼いたしました」
急いで胴巻きから銭を取り出す。
一分金二枚。二千文だ。
袖の下など聞いたことはあるが実際にするのは初めてであり、相場などは皆目検討が付かない。帰ってから仁太夫たちにでも聞いてみようと考えながら懐紙に包んで、さっきから突き出している同心の袂に入れた。
とたんに舌打ちはなくなる。
「うむ。何だな。いい心がけだ。何かあったら北町の結城の名を出してよいぞ」
「ゆ、結城様……」
聞き覚えのある名前に一瞬ドキリとする。まさかこの同心が件のお知り合いとやらだろうか。
そういえば、歳、背格好は私と同じぐらいで、高からず低からずだが、よく見ると顔立ちは似ている気がする。
だが、私の講釈を聞きに来たようではない。私が気づかなかっただけで、あからさまに賄賂を要求しに来ただけではないか。
金子なら結城何某殿に払うと申し出たのに断られた。何もこんな回りくどいやり方で徴収する必要はない。
であれば、この同心は何者だろう。そう思うと、私はつい口に出してしまった。
「あの……」
「ん? なんでえ?」
「結城さまと言われたが、卒爾ながらお尋ねいたします。結城源之将殿という御仁をご存知でしょうか?」
「なに!」
同心は少なからず驚いたようであった。知っているのは間違いない。私は相手の言葉をじっと待つ。
「……あ、そうか。なるほどな。おめえが杉森何某か」
なんと、初対面のはずの同心が私の素性を知っている。
一瞬驚いたが、すぐにあることを思い出し、改めて名乗ることにした。
「い、如何にも。杉森吉次郎信盛にございます」
「チッ、ケツまで名乗ってんじゃねえよ」
「やはりご存知なのでございますね」
「チッ、ああ、そうだよ。やつぁ本家の総領だ。家督は俺が継いでるがな」
「総領……」
「チッ、てこたあ、アイツにやらされてんのか……」
「いえ、とんでもない。一方ならぬお世話になっております。やらされているなどというのでは……」
「チッ、何企んでやがる……」
どうやら分家であるらしいこの同心とは折り合いが悪いらしい。盛んに舌打ちが繰り返される。
「旦那、そろそろ……」
「チッ、いくぞ! おい、ヤツが何かしでかしたらすぐに報告しろよ」
「はい……承知しました……」
目的の袖の下は取ったのだからと、目明しが先を急がせる。
私は、恩人である謎の御仁・結城源之将の正体の一端を垣間見たものの、ますますわけがわからなくなり、呆然と二人を見送った。
その夜、早速乞胸頭・仁太夫のもとを訪ねる。
非人屋敷ほどではないが、そこそこ大きな小屋である。宿のない芸人たちもたむろしているので当然といえば当然なのか。実際私も今の長屋に移る前にはそこで世話になっていた。
「二分!」
私の報告に仁太夫は驚いていた。
「あの、何か粗相でもいたしましたでしょうか」
「吉さん、二分はやりすぎだぜ。いくらなんでも」
どうやら袖の下にも相場というものがあるらしかった。
「はあ。知らなかったもので……以後気をつけます。で、相場は如何ほどで?」
「ん? ああ、二分なんて商家の大店ぐらいだ。俺たち芸人や小商いの連中は十文かそこらでたくさんだ。何かあったときでも、一朱出せば御の字よ」
「わかりました。今後はそういたします」
「しかしだ、吉さん。これから大変だぜ」
「何がでございますか?」
「何って、その八丁堀、味を占めてまた来るぜ。この前より少ねえとかいって、毎度二分せしめるかもしれねえ」
面倒見のいいこの乞胸頭は本気で心配してくれているようだった。だが、私は平然としたものである。
「おそらく大丈夫でしょう」
「何故わかる」
「その同心、実は結城殿のお身内でございました」
「ほう。てこたあ、俺んトコに吉さんのコト聞きに来たのはその八丁堀か」
「おそらくは」
「そうかい。ならでえじょうぶだろ」
「はい。それに、結城殿には講釈の上がりを差し上げるつもりでしたから、同じことです」
「吉さん、相変わらず金に頓着がねえな」
「はい。座って半畳、寝て一畳。でございます」
「そうだな。そうするってえと、俺たちみたいなのが一番ってことだな」
「さよう心得ております」
気が合う二人は声を上げて笑った。始めは苦労したが、今ではこの生活も馴染み、楽しくなってきたほどである。




