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犯人は龍徹の供述により、あっさりと逮捕された。
大和を殺したのは、彼の通う高校の女教師。大和のことを恋い焦がれ過ぎ、彼を自分だけのものにしたくて殺した、と淡々と語ったということだった。
しかし、龍徹の話によれば、大和自身、死への願望があった為、もしかしたら犯人は自殺幇助の罪に問われる程度かもしれないとのことも、小折の口から聞いた。
──何故、自ら死を選ぶのだろうか。
颯真自身、この世の全てが憎くて、この世の全てが許せないときがあった。しかし、それでも自ら死を選ぶという選択肢だけは生まれなかったのだ。
「……生きていれば、楽しいこと、沢山あるのにね」
色羽がぽつりと溢すように口にした。それはきっと、死にたくなくとも死を余儀なくされた者へと哀悼も混じっているのだろう。真子や、比奈子の兄、ユキの孫への想い。
「そうだな」
別に、そう思っているから自ら死を選ぶことをしないわけではない。けれども、それだけは違うとも思った。自殺は逃げだとか、大層なことを言うつもりもない。
ただ、それだけはしてはいけない。人には、必ず残される者というのが存在するのだから。
「今回も、本当にありがとうございました」
小折は此度も丁寧に菓子を持参し、深々と頭を下げた。
「いやいや、毎度やめて下さいよ」
自分よりも年齢も地位も上の者だから、というより、友人に頭を下げられるのは落ち着かない。
「いいえ。あのままでしたら、僕ら警察は龍徹君を任意で連れていってました」
小折は頭を下げたまま、そう言った。その言葉が意味することは、「冤罪を生む可能性」だ。確かに、颯真も龍徹を自分の目で見るまでは、彼が犯人である可能性が高いと思っていた。
けれど、真実は違ったのだ。
「本当に、ありがとうございました」
小折はもう一度、真剣な声で颯真に礼を告げた。
「お茶とお菓子の準備、出来ましたよ」
その真剣な空気を破るように、比奈子が明るい声を出す。今日はさいこでのアルバイトは休みのようで、朝から色羽と共に颯真の部屋を訪れていた。
「あ、颯真君、出掛けるんでしたね。すみません、長々と」
小折は折角持ち上げた頭を、今度は軽く下げた。
「いや、いいっすよ。大した用じゃないし」
それに颯真は苦笑いをする。
「じゃ、俺は出掛けるんで、後は好きにしてて下さいよ」
颯真は比奈子が用意してくれた紙袋──中身は水筒とお菓子──を手にして、財布とスマホだけを掴んだ。さすがに作務衣では寒い時期になったので、ロングTシャツにパーカー、そしてジーンズという出で立ちだ。
「いってらっしゃーい」
部屋を出ようとする颯真に三人がほぼ同時に言うので、それにいってきます、と小さく返し、外に出た。階段部分の空気はひんやりとしていて、外気の冷たさを知らせる。もう、冬は直ぐそこにいるのだ。
颯真は綺麗とは言い難いスニーカーの底を鳴らしながら階段を降りていく。そして、ふと立ち止まり、緩んだ自分の頬にそっと触れた。
──いってらっしゃい。
そんな言葉を掛けられたのはいつ振りだろうか。しかも、自分が暮らす部屋から。
颯真は放っておくと緩んだままになりそうな頬に力を込め、階段を降りる足を進めた。
「兄貴ー」
見晴らしの良い昼間の公園の中央から、そう呼び掛ける声が聞こえた。
「うるせー。その、兄貴、てのやめないと殺すぞ、こら」
颯真は声の主に対し、大声で返した。それに、近くで遊んでいた小学校低学年らしき男の子達が驚いたように動きを止める。どうやら、小さなスーパーボールで遊んでいたらしい。
颯真は男の子達に悪い、と謝り、足早に自分を呼ぶ者の方へと向かった。
「兄貴、てのはやめろって言っただろ、龍」
「だって、兄貴は兄貴っすもん」
颯真が低めの声で凄んで言ってみたものの、 目の前の少年──龍徹はきらきらとした瞳を颯真に向けて言ってきた。
「兄貴のこと、兄貴って呼びたいんすよ」
龍徹は唇を少し尖らせながらも、瞳は輝かせたまま言う。
こうも、純粋に慕われるというのは颯真の経験上ないことで、どうにもむず痒い。とはいえ、颯真にも似たような経験があり、龍徹を無下に扱うことは躊躇われた。
──兄貴って呼んでもいいっすか。
きっと、あのときの自分も、今の龍徹のような表情をしていたのだろう。
「はぁ……勝手にしろ」
颯真が言うと、龍徹はとてつもなく嬉しそうに「あざっす」と砕けた礼の言葉を述べた。
あの夜、颯真は龍徹から聞いたことを小折に連絡し、龍徹もその事情を知る者として警察へと連れて行かれた。しかし、聴取が終わった後も彼を迎えに来る者は誰もおらず、それを小折から聞いた颯真が彼を迎えに警察まで行ったのだ。
別に龍徹が何の罪を犯したわけでもないので、龍徹はあっさりと颯真に引き渡された。その後、彼の複雑な生い立ちやら今の家庭環境を何故か聞かされる羽目になり、それを最後まで聞いてやったせいか、こんなふうに懐かれることになった。
今日も龍徹が颯真に礼をしたい、と言って呼び出されたのだ。そしてそれを知った比奈子が茶と菓子を準備してくれたのだ。
「俺、礼って今までしてきたことなかったんで、何したらいいかわかんねぇんだけど、取り敢えず、これ」
龍徹は言いながら、封筒をジャージのポケットから取り出した。折り畳まれたせいでぐしゃぐしゃになったそのなかに何が入っているかは想像がつく。
「別に礼をされることなんてしてねぇから、何もいらねぇって」
颯真は龍徹が差し出すそれを、やんわりと押し返した。
「そんなわけにはいかないっす。だって、兄貴がいなかったら、俺、大和を殺したって逮捕されてたはずっすもん」
それは間違いではないだろう。しかし、礼をされるようなことではない。何も颯真は龍徹の為にしたわけではないのだから。それに、これは受け取れない。封筒の中身は恐らく金だろう。
「大丈夫っすよ。かつあげしたり、パクったもんじゃないっす。俺のバイト代っすから」
颯真の読みは当たったようで、龍徹は慌てたようにそう付け加えた。
──ならば、尚更受け取れない。
それは、龍徹が一生懸命稼いだものだ。
「俺はお前の兄貴なんだろ? だったら、助けるのは当たり前だ。これからも、礼とか考えんじゃねぇよ」
颯真は笑顔で言い、その封筒を龍徹に握らせた。それは受け取れない強情などではなく、素直に口から出た言葉だった。
「兄貴……」
龍徹は幼さが存分に残る瞳を潤ませて颯真を呼ぶ。しかし、そう呼ばれるのはやはりむず痒い。
「ほら、菓子持ってきたから食うぞっ」
颯真は照れを隠すように大きな声を出し、紙袋を龍徹の前に掲げた。
「おおっ。彼女さんからっすか?」
紙袋や水筒や菓子が可愛かったせいか、龍徹はそんなことを言い出す。
「馬鹿っ、ちげぇよっ。アホなこと言うと殺すぞ」
「はは。すんません」
龍徹は可愛らしい笑顔で謝り、ベンチへと腰を下ろした。
彼の口から聞いた生い立ちは壮絶なものだった。とてもではないが、幸せとは言えない人生。だからこそ、複雑な家庭環境であった大和と通じ合う部分があったのだろう。
けど、彼はこうして笑う。そんな素振りなど見せずに笑うのだ。きっと、生きているのが辛いと思うことばかりのはずなのに。それでも、彼は自ら死を選ぶことはせずに、こうして生きているのだ。
──冒涜だ。
不意に、颯真は大和の死をそう思った。
ここが公園だからだろう。龍徹と大和が何度も会い、大和が死を選んだ公園だから。
どちらのがましだとか、そんなことは秤に掛けることではない。けれど、辛い思いを重ねながらも龍徹はこうして生を全うしているのだ。
勿論、正しくない行いをしたときだってあっただろう。それでもこうして、自分の足で立って、正しい道を歩むと、颯真に誓ってくれたのだ。
──大和の為にも、俺は、悪いことはしない。
話を聞いた夜、龍徹は強い口調でそう言った。それまでもかつあげや喧嘩を繰り返していたようで、そういった連中とも離れる、と決意したのだ。
「うわ、これ、美味いっすね」
龍徹は比奈子が用意してくれた焼き菓子を頬張りながら笑みを溢している。二人でベンチに並んで座り、茶と菓子を口にする和やかな午後。しかし、颯真の脳裏にはふと、あることが浮かんだ。
「そういえば」
「なんすか」
龍徹は颯真の呼び掛けに、口をもごもごさせながら返してきた。
「お前、あのサイトのこと、何処で知ったんだ」
あのサイト──【fascination】のことだ。大和が先に知っていたのではない。龍徹が大和に教えたのだ。
「あ、それは──」
龍徹が口の中の菓子を飲み込んでから口を開いたそのとき、颯真の足元に何かが小さくぶつかった。颯真が僅かな衝撃に視線を落とすとそこには白いスーパーボールが転がっていた。きっと、先程のこども達のものだろう。
颯真の視線が動いたことでか、龍徹は言葉を止めている。
「ごめんなさーい」
少し離れたところから、やはり先程の男の子達が謝ってきた。颯真は投げるぞ、と声を掛けてから、スーパーボールを拾おうと座ったまま身を屈めた。腕を伸ばし、指先がもう少しでスーパーボウルに届きそうだというそのとき、不意に視界が翳り、スーパーボールは横から浚われた。
色白の長い指が、掠め取るようにしてスーパーボールを摘まむ。
颯真は反射的に顔を上げ、その人物を見上げた。
──冠城 エメル。
そこには白いスーパーボールを三本の指で摘まむエメルの姿があった。エメルはその白い玉を鎖骨の前辺りに掲げ、そこへと視線を落とし、僅かに口角を上げた。
──この光景を知っている。
颯真はそのエメルの姿に既視感を覚えると同時に背筋を薄ら寒いものが撫でていくのを感じた。そわ、と僅かに冷たい何かが、背筋を這い上がり、脳の辺りで霧散した。
辺りが急に静かになったような気がして、無音の空間が広がる。そして、先程まで細かな砂利が敷き詰められていた地面はいつの間にか多量の骸へと姿を変えている。
空もなく、地面もなく、果てもない。空気もなければ、音もない。あるのはただ死臭のみ。
──あの夢、だ。
気付いたとき、自身を包み込むシャボン玉のようなものが弾けたように辺りは正常を取り戻した。
薄青の空に、仄かな白雲。こども達の笑い声に、風が木々を揺らす音。途端にそれらの全てが煩く感じられた。
「お久し振りです、颯真さん」
エメルは仮面のような笑みを浮かべて颯真に挨拶をしてから、男の子達へとスーパーボールを軽く投げた。遠くから、ありがとうございます、と礼儀正しい声がする。
「あ、あんた」
龍徹がエメルを見て、声を出した。
「え?」
そこで初めて、颯真は自分が汗をかいていることに気付く。ねっとりとした脂汗を額に感じた。それをパーカーの袖で拭いながら、知り合いか、と龍徹に訊く。
「知り合いではないっす。会ったのは一回なんで。こいつにあのサイトを教えてもらったんすよ」
先程よりも大きな冷たさが背筋を這い上がった。鼓動が急に速くなり、手先が冷えていく。
「……なんだって?」
脳内では無数の細か過ぎるパズルのピースが動き始めている。ぐるぐると、行き場所を探し、彷徨うピース達。しかし、それは本当に小さな欠片で、どしてもパズルが完成することはなさそうに思えた。
「彼が、つまらなそうにそこに座っていたので、面白そうなものをお教えしただけですよ」
エメルは極上の笑みと謂わんばかりの表情をした。
颯真がそれに対して口を開きかけたとき、すみません、と叫ぶ声が離れたところから聞こえた。どうやら、また先程の男の子達のようだ。
ころり、と颯真の足元に再びスーパーボールが転がってきた。そして、再び、エメルが長い指でそれを拾う。さらりとした動作のはずなのに、それはえらく緩慢な動きにも思えた。
エメルはスーパーボールを摘まみ上げ、ちらり、と颯真に視線を向けてきた。
──目玉を手にして微笑むその姿。
「投げますよ」
エメルは鈴を転がしたような声で言い、男の子達にスーパーボールを投げる。
──神の姿をした鬼、だ。
そこにいるエメルは、颯真がかつて見た夢の中の存在と被った────。
ヤンキー探偵 朝比奈颯真の数奇な日常 一巻完結
取り敢えず、一巻完結です。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
続きが気になる方は是非二巻もお付き合い下さいませ。