中年の女ヒーラー
「悪いが、他を当たってくれないか。回復職は間に合っている」
血錆一つない鎧を身に纏った若い男が、私の顔を見ないまま言った。
一ヶ月出し続けた募集に、やっと話が来た。集会所まで出向いてこれだ。
「あ、そ」
こんな田舎の街で、私より優秀で美しいヒーラーがそうは捕まるまい。金額も、我ながら泣けてくる安さで出していた。
背を向けて、扉に手をかけた。
「年齢先に言ってくれ。せっかくの女ヒーラー枠だ」
受付に向けた声だった。
外は曇りだった。
昼なのに、夜のように暗い。
腹が減っていた。
この街で食事の旨い店を三軒知っている。財布と相談した結果、四軒目に決まった。
そこに寄ったのはいつだったか。いや、こんな日だったかもしれない。空いているというだけで入って、それきり腹を満たすためだけに通うようになった。卓のべたつく、永久シチューの店。
頭の禿げた店主が厨房から出てきて、若い奴は肉を食えと言って、肉を一切れ余分に入れてくれたことを覚えている。対価としてなのか、薄着だった私のことをじろじろ見ながら、馴れ馴れしく話してきたことも。
入ってみると、ぱらぱらと客がいた。
席に座ると、腰の曲がったあの店主がとぼとぼとやってきて、器に盛られたシチューをごとりと置く。
銀貨を数枚渡すと、「毎度」と一言おいて、厨房に帰っていった。
肉が硬いのは変わっていない。焦げくささの混じった、熟成された濃い味。
肉の量は減っていたが、それで腹は満ちた。
外より暗い店を出た。
その夜、商隊の物資護衛を引き受けた。
荷馬車は二台、半日ぶっ通しの行程。肉壁が十五、護衛する客が三の隊列だという。
非戦闘員を除けば、重傷十、死にかけ五までは治せる。そう伝えた。
保証金は最低額。ただし一団すべてを生かして戻れたなら、倍を出すと言ってきた。
年齢は訊かれなかった。
すっかり日が落ちてから、この辺りでは一番大きな隣町まで一団でぶっ続けに歩いた。
何が起きることもなく。道が細く、登りに入ったあたりで、倒れた年老いた男と二日酔いで胃のなかをぶちまけだした男に、治癒の魔法をかけて、仕事は終わった。
命の危機はなかったと倍額を渋り出した客にも、怪我と酔い覚ましをした連中が味方についたことでことなきを得た。
「ありがとよ」
見慣れた展開に警戒したが、やつらは一言おいて、待ち構えていた娼婦ともみくちゃになりながら先を歩いて行った。
足の痛みが目立つので、近くにある宿にした。大きな街だけあって宿代は跳ねた。
階下の酒場で、あの連中が騒いでいた。横の部屋からは、女の嬌声が聞こえる。
それでも、疲れていたので、すぐに眠りに落ちた。
朝は目覚めて、支度をしていると、靴底がぼろぼろにすり減っていることに気がついた。修復では難しい。調達しないといけない。
憂鬱だ。昨日の稼ぎが吹き飛びかねない出費を覚悟する。
部屋を出ると、昨日の連中が、いまだそのままテーブルで潰れていた。
テーブルで男同士で飲む者と、部屋に女を買って一日を潰す者。
今夜もまた、どこかの隊列に並ぶのだろう。
街の中心部に移動するべく、歩き出す。
足に確かな痛みを感じる。昔は一晩ぐっすり寝たらなんとかなったものだが、今はそうはいかない。
気休めのヒールは筋肉痛には届かない。
途中、靴底がベラと剥がれだし、徒労感を助長した。
出店で済ませるつもりだった食事を店に切り替えて、席で座って、街の商店が開くのを待った。
大きな都市だけあって、朝から賑やかだ。
食事をしながら人通りを眺めていた。
明るい日差しのもと、子供が母親を急かしながら駆け抜けていく。
あちこちで板の倒れる音がする。仰々しく、鐘すら鳴らすものまでいる。
数年ぶりに靴屋に入る。
若い店主が顔をだす。どうやら代替わりしたようだった。
型はすでに取ってある。名前と型番を告げると、店の奥の方に消えて行った。
繁盛しているのか、その間にも客が入ってくる。客の、いるのかと問う声に、はーいと女の声がした。階段を軽やかに下ってくる音がする。
いらっしゃいと明るく微笑んで若い女が顔を出した。すぐに初来店らしき客の対応にあたっていたが、店主の戻りを待つ私への会釈も忘れなかった。
店主が出てきて、埃だらけの型を置く。
久しぶりに足を通す。少しだけ緩く感じた。
数日はかかりますが、と言われた。
壁に、出来合いのものが何足か下がっている。値札を見た。
型は、そのまま棚に戻された。
礼を言って、外に出た。
商店街を離れて、ギルドで張り紙を眺める。
大都市だけあって仕事はあった。どれも多人数の隊を想定したもので、足りない枠を埋める形だ。
若手前衛歓迎。~~方面熟知したもの。
眺めている間にも一枚ビラが剥がされて、また貼られた。
パーティーを組まないと長期の仕事にはありつけない。
生活拠点もなく、単発で宿を抑えていくようでは、こういった大都市で生活していくのは難しい。
やはり何日もここにはいられない。
帰りが夜道にならないよう、今からでも徒歩で自分の家に帰ることが先決だと考えた。
剥がれかけた靴底を縛った。足にヒールをかける。気休めだ。都市の出口に向かって歩き出した。
何やら門前が慌しかった。
夜見かけなかった門番が、外に出ようとする人間を引き留めていた。
「雨が降るぞ。日が落ちる前に湖を抜けられんやつは、出るな」
私が構わず通ろうとすると、一瞥をくれるだけだった。
あの湖周りでは、最低一月に一人は魔物に襲われるものが現れる曰くつきの場所。
迂回する道もあるが、雨が降れば結局同様に危険だ。
腰のナイフを確かめて、門を通った。
強く雨が降ってきた。
感じる気配は、接敵よりは遠い。
早足で歩く。
纏っている衣服が重くなり、べたんべたんと靴底が鳴った。
不意に、進行方向で人間の喚き声がかすかに聞こえた。
身を屈めて、音の方向に集中して歩く。
複数人の声。呻き声と、掛け声がある。
徐々に音の内容がはっきりしてくる。
「しっかりしろ」
雨音の中ではっきり聞こえた男の声。
一人の呻き声と、加えて泣きながら慌てふためく女の声が一つ。
道を外れた、湖に近い位置にいる。
木の間から一団が確認できた。
若い装備の貧弱なパーティーだ。ルーキーだろう。
人間の他、耳まで牙がある獣が二匹倒れている。
牙についた鮮血は人間の血だろう。
首を噛まれている。血の出方を見る。
男が一人、泥の上に仰向けになっている。もう一人の男が首に布を押し当て、女はその傍らで泣いていた。
獣の死骸からは離れた方がいいのだが、そんなことも言っていられない状況に見える。
手を挙げながら近づく。
首を押さえていた男がこちらに気づき、剣を抜きかけた。
「治癒師だ。手を貸す」
剣が下がる。
真っ赤に染まった布の上から手を当てた。剥がさずに、傷の深さを確かめる。
「動脈は外れてる。死なない」
縋り付くような二人の視線と大袈裟な呻き声に晒されながら、治癒に集中する。
傷と痛みが塞がっていく感覚で、呻き声が感謝の言葉に変わった。
若い女がすすり泣きながら、男の顔を覗き込んでいた。
布をずらして傷が塞がったのをみて、立ち上がる。
「動きましょう。死骸がまた奴らを呼び寄せるわよ」
獣の骸を指さす。
慌てたように散らかった食器をカバンにつめこむ。
もう一人の男が負傷者を立たせる。足元がおぼつかず、そのまま肩を貸した。
四人で歩き出した。
彼らの行き先は私が帰る街の近くだった。
大都市の近くで細々と受けてきたが、そこそこ稼げたので一度落ち着くのだという。
地面に寝ていた時にはわからなかったが、肩を借りて歩く負傷者は思ったよりもタッパがあった。その大男が、しきりに礼を言ってくる。
こういうあたりがルーキーらしい。
若い女が、怪我はないですかと聞いてくる。
治癒の心得があるのか、助言の一つでももらいたいのだろう。
「肘が痛むわ」
本当に痛むのは足だ。
手を出してきた女のために、少し歩調を緩める。
肘を掴んで、立ち止まろうとする。
雨が降っているというのに、どうやら、この程度も歩きながらはできないらしい。
白くて細い女の指が淡く光る。
お祈りするように私の肘に治癒の呪文をかける。
負傷者に肩を貸した男も足を止めている。二人とも、女の手元を真剣に見ていた。
その顔の真剣さから、このパーティーの事情が窺えるようだった。
「ありがとう」
適当に打ち切って、歩き出す。
「前は、もう一人いたんです。治癒が上手な子が」
「そう」
「でも、すごく意識の高い子で、抜けちゃって」
何か言いたげな女が横を歩いている。
助言をやらないといけないらしい。後ろの男二人が聞き耳を立てている気配がする。
相手のどこが痛むのかを訊いてから、治癒をかけること。
無難な答えを渡した。納得したらしかった。
三人の視線が交わるのを見る。
血まみれの仲間を前に泣くだけのヒーラーを抱えるパーティーなど、長くはない。
それでも誰も彼女を責めない。
「ありがとう。あんたは命の恩人だ」
雨があがって、別れ際のルーキーたちの声は一層大気に響いた。
鉄柵に夜警一人いなかった。
さっさと自宅へ向かって歩く。
ガタガタの石畳の上を歩いていく。
緊張が解けつつあるのか、家に近づくほど、疲労が込み上げてくる。
靴は限界を迎え、足の痛みはいよいよ本格化してきた。
家に着く頃には、外は真っ暗だった。
誰もいない。灯りをともす。
濡れたローブが重い。脱ぐのに手間取った。
匂いが気になるが、それも今じゃない。
靴を脱ぐ。剥がれた皮が、内側に貼りついていた。
寝台に座って、身体を折り曲げて、自分の足裏に手を当てる。
ヒール。
ずきずきとした強い痛みが少しだけ和らぐ。
昔もらった誰かの言葉を思い出していた。
(治癒を自分にかけるときは、目を瞑って愛する人のことを思って唱えるの、そうすると違うのよ)
(ううん、その場にいなくたって平気。場所や時間じゃない)
目を瞑って、もう一度かけてみる。
(おまじないだけど、本当のことよ。あなたにだって愛する人はいるでしょ)
血が床に垂れる。
痛みは続く。
せめて明日には、瘡蓋になってくれればと思う。




