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第6話 責任を読む扉

朝の検分場は、まだ戦場の延長にあった。


壊れた荷車の側板が壁際に立てられ、血のついた補給票が重し石の下で風をこらえている。長机の端には、未処理の札と呼び出し札が分けて置かれていた。


その呼び出し札が、若い伝令兵の胸へ押しつけられる。


「伝達不全。別件で呼び出しだ」


兵の顔から血の気が引いた。


まだ声変わりも浅い年頃だ。唇だけが震える。


札を押した実務兵の手首を、横から別の手が止めた。


リオンだった。


「そこへ落とすな」


低い。だが、近くで筆を走らせていた記録兵が、それだけで顔を上げた。


「襲撃件の横に、若い兵の落ち度をぶら下げるな」


実務兵が眉をひそめる。


「順に読んでいるだけです」


その返しを遮るように、靴音が石床を打った。


ラザール・ヘニングが前へ出る。


相変わらず整った監督顔だった。荒げもせず、焦りも見せない。だからこそ、人を押し切る声だ。


「死者の出た列は再記が乱れます」


「戻り車が混ざれば刻も擦れる。第三控えまで拾い始めれば、出立全体が止まる」


言い終えたあとで、ラザールは自分の言葉が場に落ちるのを待った。


だが、先に動いたのはリオンだった。


「まだ読まれていない控えを、よく知ってるな」


一拍、遅れて場が止まる。


ラザールの目が、わずかに細くなった。


「実務にいる者なら、その程度の想定はできます」


「想定で第三控えまで出ない」


リオンはそこで言葉を切った。


長机の端。


帳面の下へ半分だけ差し込まれていた紙片に目を止める。監督卓経由の控えだ。血で汚れた端が、わずかに外へ出ていた。


その紙を、実務兵が指先でさらに押し込もうとする。


「戻すな」


短く落ちた声と同時に、その一点だけが固まった。


界線術。


派手な光はない。だが、紙を押し込もうとした指も、帳面の角も、その位置でぴたりと縫い留められる。


実務兵の手が動かない。


周囲の視線が、いっせいにその紙へ集まった。


隠しかけた監督卓控え。


血のついた端。


そして、そこに記された通過承認の手。


逃がしかけたものが、誰の前にも見える形で止まった。


リオンは壊れた側板を引き寄せ、その前に回収位置札を置いた。さらに露出した控えの位置を、側板の裂け目の向きと並べる。


長くは語らない。


「この割れ方は、横からの衝撃じゃない」


「前へ流されて、押し込まれている」


「なのに、この控えでは通す順が生きたままだ」


彼は紙を見たまま続けた。


「切れたのは足じゃない。列だ」


「それを、下へ落とそうとしてる」


若い伝令兵が息を呑む。


ラザールが一歩前へ出た。


「現場は乱れます。順が崩れれば、控えもずれる。いちいち責を読み始めれば、今日の便まで止まる」


「止まるべき手がある」


リオンはようやく顔を上げた。


「いつもそうだ。上の都合で詰まると、弱い方から切る」


言葉は短い。


だが、若い兵の胸に押しつけられた呼び出し札が、そのまま答えになっていた。


そのとき、机前の空気を裂くように、札の鳴る音がした。


リゼット・アシュベルが、自分の証言札を取ったのだ。


彼女は誰の顔色も見ない。


読み上げ位置まで歩き、札に手を置いたまま立つ。


白い指先は冷えていた。けれど、引かない。


「その若い兵へ落とすなら」


場へ通る声で、彼女は言った。


「私の名付き証言は、そのままでは置けません」


実務兵が目を見開く。


ラザールの視線が、初めて彼女へ正面から刺さった。


リゼットは続けた。


「私は、襲撃の後だけを見たのではありません」


「通るはずのない列が、通るように扱われていたところまで見ています」


「そこを削るなら、削った者の名を、私の名の横に置いてください」


強い言い方ではない。


だが、それは証言の範囲を守るだけの言葉ではなかった。


この場で誰が細らせたのかを、記録に残せと言っている。


読み上げ台の横で記録を取っていた老書記が、思わず口を開いた。


「……アシュベル嬢の名付き証言が通過順まで掛かるなら、別件処理では閉じられません」


その一言で、流れが変わる。


リゼットが前へ出たことで、この件はもう「若い兵の伝達不全」に縮められなくなったのだ。


ラザールの口元が、目に見えて硬くなる。


「証言は見た範囲で十分でしょう。今のは広げすぎだ」


「広げていません」


リゼットは即座に返した。


「狭めていないだけです」


今度は、ラザールが言葉を継げなかった。


そこへ、コルネル・サイスが前へ出る。


彼は壊れた側板も、固められた紙も、読み上げ位置のリゼットも、順に見た。最後に、若い伝令兵の胸へ押し当てられたままの呼び出し札へ視線を落とす。


「その札を外せ」


実務兵が動く。


若い兵の胸から札が外される。


コルネルはさらに言った。


「当該列への呼び出しは却下」


「襲撃件は別件扱いで閉じない」


「原票、出立控え、通過承認手、監督卓経由控え。すべて別封保全だ」


読み上げるだけでは終わらなかった。


彼は自ら長机へ手を伸ばし、固められていた監督卓控えを抜き取る。別の実務兵に文箱を持ってこさせ、壊れた側板の前で蓋を開かせた。


実務側の机から、帳面の下の控えが次々と回収されていく。


誰の手元にあったか、誰が戻そうとしたか、そこまで周囲の目が追っていた。


もう、黙って消せない。


ラザールが声を絞る。


「……そこまでやれば、監督卓まで止まります」


「止まれ」


コルネルは一言で切った。


「止まると困る側がいるから、今読む」


その言葉で、ラザールの肩がわずかに沈んだ。


監督卓の顔で押し切る余地が、ここで潰れた。


リオンは若い伝令兵の前にあった呼び出し位置を見た。


さっきまで、あそこに責任を落とすはずだった。


だが今、文箱へ入るのは兵の失策ではない。上の手順そのものだ。


それだけで十分な前進だった。


リゼットは、まだ読み上げ位置から動かない。


自分の証言札に置いた手をそのままに、別封されていく紙を見ている。


もう、この場では引けない。


見た責任を、彼女自身が引かなかったからだ。


文箱の蓋が閉じる。


その瞬間、監督卓の奥で、一人の実務兵が裏口の方へ早足で抜けようとした。


リオンの視線が、そこへ走る。


「次は原票じゃない」


検分場の目が揃う。


「出立控えと通過承認手を開く」


「急げ。開かれる前に困る側が、もう動いてる」

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