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第28話 二番札の三番荷

 宿場町の補給口は、朝から土埃で白く煙っていた。


 東門の脇に荷車が三列。


 干し肉の樽、矢束の箱、麦粉の袋、傷薬の木箱。


 それぞれに色の違う札が結ばれ、荷役たちは怒鳴り声に追われながら、宿場の内側へと荷を流している。


 戦場とは違う喧騒だった。


 剣の音はない。


 悲鳴もない。


 だが、流れを間違えれば、次に血を流すのは前線の兵だ。


 リオンは補給口の端で足を止めた。


「急げ! 二番札は西の仮置きへ回せ!」


 灰色の袖をした家内実務者が、記録机の前で声を張った。


 その横では、下級補給係の少年が青い顔で帳面を抱えている。


 名はニコ。


 昨日まで矢束の数を数えていた、まだ声変わりも終わっていない補給係だ。


「違います、俺は、その札には触ってません」


「触っていないなら、なぜ二番荷が三番の列にある」


 灰色袖の男は、ニコの肩を指で押した。


「お前の控えがずれている。なら、責任はお前だ。ここに名を書け」


 机の上に、薄い紙が一枚出された。


 差戻しの控えだ。


 そこにニコの名が入れば、この場の混乱は少年一人の不始末になる。


 荷は流れる。


 帳簿も閉じる。


 誰かに都合よく。


 灰色袖の男の目が、ニコではなく、机の端に置いた差戻し控えへ戻った。


 荷より先に、紙を守る目だった。


 リゼットが、リオンの少し後ろで視線を細めた。


「……ずいぶん早いですね」


「何がだ」


「責任者を決めるのが、です。荷の確認より先に」


 リオンは答えなかった。


 彼の目は、荷列の二番目で止まっていた。


 二番札が結ばれた木箱。


 札には黒い線が二本。


 帳面では麦粉の予備袋を示す印だ。


 だが、周りの麦粉袋には白い粉がこぼれているのに、その木箱の角に固まっていたのは川沿いの赤土だった。


 矢束と弦を運ぶ荷だけが、あの道を通る。


 リオンの手が、腰の剣ではなく、荷車の縁に伸びた。


「その荷を動かすな」


 荷役が顔を上げる。


「ですが、二番札は西の仮置きへ――」


「動かすな」


 短い声だった。


 次の瞬間、荷車の前輪が土の上で止まった。


 荷役が押しても動かない。


 車輪は泥に埋まったわけではない。


 軸が折れたわけでもない。


 ただ、その一点だけが、地面に縫いつけられたように動かなかった。


 周囲の声が、一拍遅れて消える。


 リオンは木箱の前に立った。


 戦場で敵の突撃を止めた時と同じ目だった。


 だが、今止めているのは槍ではない。


 流れそのものだ。


「札を外すな。箱を開けるな。帳面をこちらへ」


 灰色袖の実務者が眉をひそめた。


「リオン様。これは補給口の処理です。現場の確認は我々が――」


「だから見ている」


 リオンは帳面を受け取ると、長く読まなかった。


 一行目、二行目、三行目。


 目だけが滑り、三行目で止まる。


「二番札。麦粉予備。西仮置き」


 彼は箱を見た。


「三番荷。矢束補充。川沿い経由」


 リオンは箱の角についた赤土を指でなぞった。


 乾いた土が、爪の先で砕ける。


「これは三番荷だ」


 灰色袖の男がすぐに言った。


「札の付け違いでしょう。ですから、その補給係の――」


「ニコ」


 リオンは少年を見た。


「お前がこの箱に札を結んだのか」


「い、いえ。俺は、門を通った数を控えただけで……札は、前の宿場で」


「筆を見せろ」


 ニコは震える手で筆を差し出した。


 墨はまだ濃い。


 帳面の三番欄にある数字も濃い。


 だが、二番欄の横に追記された小さな印だけ、色が薄かった。


 古い墨だ。


 先に入っている。


 リオンは帳面を閉じなかった。


「三番荷は、まだ受け入れていない」


 リオンは二番欄の端を指で叩いた。


「なのに、逃がし先だけ先に書いてある」


 彼は灰色袖の男を見た。


「順が逆だ」


 その場にいた荷役たちが、ようやく荷列と帳面を見比べた。


 二番札の木箱。


 三番欄の空白。


 先に書かれた西仮置きの追記。


 一目で、ずれていた。


 ただの記載漏れではない。


 荷が動く前に、動いた後の逃がし先だけが決まっている。


 商会の男が列の後ろから出てきた。


 腹の出た中年で、首に青い布を巻いている。


「困りますな。西の仮置きは市場口と繋がっております。日が高くなる前に通さねば、他の荷も詰まる」


「市場口」


 リゼットが、静かにその言葉を拾った。


 商会の男は、彼女の顔を見て一瞬だけ言葉を詰まらせた。


 だが、すぐに笑みを戻す。


「ええ。宿場町では軍荷と民荷の置き場が近い。順が遅れれば、こちらも損が出ます」


「では、あなたはこの箱が二番荷だと確認したのですか」


 リゼットの声は荒くない。


 けれど、逃げ道を一つ塞ぐ声だった。


 商会の男は視線を逸らした。


「札が二番ですからな」


 荷役の一人が、思わず木箱の角を見た。


 ニコも顔を上げる。


 札だけを見た。


 中身を見ていない。


 その言い訳は、補給口の全員に聞こえていた。


「中身ではなく、札を見たのですね」


「それは……通常、札で処理を」


「私は今、三番荷の箱を見ています」


 灰色袖の実務者が割って入った。


「リゼット様。ここは補給口の混乱です。貴女がご覧になったのは、あくまで到着直後の一部で――」


「いいえ」


 リゼットは一歩だけ前に出た。


 泥で汚れた木箱。


 止まった荷車。


 責任を押しつけられかけた少年。


 そこから目を逸らさなかった。


「私は補給口の三番列まで見ました。二番札の箱が、三番荷の土をつけているところまで」


 灰色袖の男の表情が、わずかに崩れた。


 その一言は、彼女にとって安全な言い方ではない。


 見た範囲を二番列までにしておけば、彼女は巻き込まれずに済んだ。


 到着直後の混雑だったと言えば、それで逃げられた。


 だが、リゼットは範囲を狭めなかった。


 リオンは横目で彼女を見た。


 礼は言わない。


 今言えば、彼女の言葉が私情に見える。


 代わりに、リオンはニコの前に置かれていた差戻しの紙を取った。


 灰色袖の男が手を伸ばす。


「それは未処理の控えです」


「未処理なら、まだ誰の名も入らない」


 ニコの筆は、紙に触れないまま止まっていた。


 その空欄を、リオンは確認してから、差戻しの紙を木箱の上へ移した。


 ニコの前ではない。


 荷列の前。


 二番札の木箱の上だ。


「責任を先に流すな。荷を先に見る」


 それが決め手になった。


 荷役たちの視線が、灰色袖の男へ集まる。


 商会の男は笑みを失った。


 ニコは、まだ震えていた。


 けれど、もう名を書かされる位置にはいない。


 灰色袖の男は、低く息を吐く。


「……では、どうなさるおつもりで」


「簡単だ」


 リオンは止めていた車輪へ手を置いた。


「札と中身を合わせる。受け入れていない荷は、受け入れてから載せる。載せる前に動かした者の名を聞く」


「それでは荷が詰まります」


「詰まるのは荷ではない」


 リオンは灰色袖の男を見た。


「逃がし先だ」


 空気が、補給口の土埃ごと固まった。


 誰もすぐには動けなかった。


 やがて、リオンが手を離す。


 車輪は動くようになった。


 だが荷役たちは、もう西の仮置きへ押そうとはしない。


「三番列へ戻せ」


 リオンの一言で、木箱が向きを変えた。


 人と荷の流れが、目に見えて変わる。


 市場口へ流れるはずだった箱が、補給の列へ戻る。


 ニコの不始末として消えるはずだった紙が、木箱の上に残る。


 リゼットは、手元の小さな控え札に自分の名を記した。


 灰色袖の男がそれを見た。


「リゼット様。その控えを残せば、貴女のお名前も処理に入ります」


「承知しています」


 彼女は筆を止めない。


「正式な証言ではありません。けれど、私が見た範囲を後から狭めるための控えでもありません」


 灰色袖の男は、それ以上言えなかった。


 宿場町の鐘が鳴る。


 市場の方から、別の荷列が近づいてくる音がした。


 その列の先頭に、赤い留保印の押された札が揺れていた。


 リオンの目が、そこに止まる。


 留保。


 本来なら、処理を保留した証。


 だが、その札はまだ確認も受けていない荷に結ばれている。


 先に押されている。


 リオンは、土埃の向こうで揺れる赤い印を見据えた。


「……癖が出たな」


 リゼットが隣に並ぶ。


「偶然ではない、ということですか」


「ああ」


 リオンは、三番列へ戻された木箱を見た。


 そして、市場口から来る留保印の札を見た。


「これは札の間違いじゃない」


 荷の流れ。


 帳簿の順。


 逃がし先。


 責任を押しつける紙。


 すべてが一本の線で繋がり始めていた。


「流し方そのものを見れば、手が分かる」


 次の荷車が、補給口へ入ってくる。


 赤い留保印が、朝の光の中で不自然に濃く見えた。

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