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12.この世界は

 鼻歌交じりに草原を歩く、一人の女。

 彼女の機嫌の良さは、その雰囲気からも察することができる。

 頭には猫のような小さな耳が生えており、時折それは、ぴくりと周囲の何かに反応する。


 彼女の着る露出度の高い服装は、その良く発育した胸や、しなやかな曲線を描く腰を隠そうともしない。

 もしこの場に男の冒険者がいたならば、きっと彼女に目を奪われていたことだろう。


「ふ~ん、ふふ~ん。あぁ~このどこまでも続く青い空! それにこの澄んだ空気に、小鳥たちの歌声! そして颯爽と吹く穏やかな風!」


 言葉に合わせて舞台女優が踊るように、わざとらしく腕を振った彼女はその動きをぴたりと止める。

 すると、この世界に満ちた豊かな自然を堪能するように、目一杯空気を吸い込んだ後、大きく伸びをする。

 そしてゆっくりと瞼を上げると、ただ一言。



「ほんと、反吐が出るニャ~。」


 ニュートは、最後にベヒモスの反応が消えた場所を探索していた。


「お! あったあった。何だ、もうグチャグチャじゃニャいか。」


 そこには、原型を留めないほどに損壊した、かつてベヒモスであったと思われる死骸が横たわっていた。


「ん~。はてさて。ベヒモスを見付けたはいいけど、これからどうしますかニャ。これやった奴を今から見付けるのって、すごく難しいよねぇ~。近くにいるはずもないし。」


 周囲を見回しても、人の影など一つも見つけることはできない。

 どうしたものかと首を捻り、表情を歪ませて悩んだ素振りをしているが、きっと、彼女は特に何も考えていないのかもしれない。

 だが妙案が浮かんだようにぱちりと目を開くと、その瞳の瞳孔は一気に収縮する。


「よし! 帰ろう! ブエロさまにベヒモスは潰れていましたよって、すぐに報告する必要があるニャ!」


 自分をできる(・・・)使い魔と信じて疑わない彼女は足取りを軽くさせ、元来た道を引き返して行く。

 この後、主人に大目玉を食らう羽目になるとは想像もせずに。




ΔΔΔ




 翌朝、四人で朝食を済ませた俺たちは別室に移動していた。


「実際にアレン君への指導は、こちらのリリアが行います。わたしは見ての通りですから、魔法の座学などをいずれお教えしますよ。では、リリア。後はお願いします。」


 何となく予想はしていた。きっと彼女が教官として教えてくれるのだろうと。

 だが、魔法について教えてくれるということは、ファーガソンさんも元々魔導士か何かだったのだろうか。俺には大貴族のおじいさんにしか見えないのだが。


「それではアレン様。今後はこのリリアが、あなたの指導を務めさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。」


 そう言うと彼女は、スカートの裾を掴み、小さく膝を曲げて挨拶をする。


「こちらこそ、よろしくお願いします。あ、それとリリアさん。僕のことは、アレンと呼んでください。仮にも、リリアさんは僕の先生となるんですから。」

「そういう訳にはいきません。旦那様がお認めになられたということは、客人として応対させていただく必要がありますので。」


 彼女は譲らない。


「いやいや、でもですねぇ……」


 俺たちの呼び方を巡る攻防を楽しそうに眺めていたファーガソンさんは、車椅子の車輪を自分で回しながら、そっと退室した。




「ではアレン君。早速始めましょう。」


 戦いの結末は、リリアさんが俺を君付けで呼ぶこととなった。

 何だかまるで、学校の先生のようだ。


 ちなみにだが、このシルダード語というのは、少し日本語に似ている部分がある。それは、敬称や人称代名詞の数が日本語並みに多いということ。日本人の俺としては、その方が馴染みやすいし、ニュアンスを間違えずに使うことができるのだ。


 さてと、そんなことより今から修行が始まる。

 剣術か? それとも魔術か?

 どっちであったとしても、どんと来いだ!


「今日は、簡単な地理の座学を行います。アレン君が記憶をどの程度失くされているかは分かりませんが、基本的なことはおさらいをしておいた方がいいでしょう。」

「は、はぁ……。」


 完全に期待が外れた。


「ん? 何ですか、そのがっかりしたような顔は? 心配をせずとも、実技はこれから嫌というほど行います。それに、わたしも座学はあまり得意ではありませんので、実技の合間に機を見て行う程度と考えてください。」


 体を実際に動かした方が覚えることも多いだろうけど、まぁいいか。

 それに、この世界の地理については興味があったんだ。


「では先ず、こちらをご覧ください。」


 そう言って取り出したのは、アースガルルドの世界地図と思われる一枚の羊皮紙だった。

 興味があるのか、テスラも身を乗り出して覗き込んだ。


「これは、アースガルルドの世界地図ですか?」

「はい、その通りです。貴重なものですから、余り乱暴に扱わないでくださいね。」


 机の上に広げられた世界地図は、元の世界で見るような精密なものではない。

 各国のだいたいの位置が分かる程度のものだ。


「先ずわたしたちが暮らすこのトレヴルージュの街は、ヴァルトレ公国の主要都市の一つとなっています。地図上ではこの辺りです。」


 彼女は、大陸の西を指差した。

 だが俺は、何も言えず黙って説明を聞いていた。


「他にも、グナーディル帝国、ラトマイア王国があります。隣接しているこの二国の間には頻繁に小競り合いのような衝突が発生しているようですね。そして南にはサント・ヘイルーン法国。ここは所謂宗教国家で、非常に宗教色の強い国となります。それと他の大陸になりますが、海洋国家ミラールという国もあります。もちろん他にも様々な……」


 すでに俺は、彼女の説明が頭に入ってこない状態となっていた。

 情報が多すぎて混乱したとか、そういう意味ではない。

 むしろ逆だ。その国々を知っている(・・・・・)

 アレンの脳に地理的な情報の記憶はなかったはずなのに、俺は知っているのだ。

 なぜなら、今彼女の口から出た国名は、俺が創作したファンタジー小説に登場させていたからだ。帝国や王国というような違いはあるが、国名は同じなのだ。

 ただの偶然か。いや、違う。一つだけならそうかもしれないが、ここまで多くの国名が小説と重なっているのだ。偶然なはずがない。

 ここで俺の頭に、一つの仮説が浮かび上がる。


 もしかしてこのアースガルルドは、俺の創作した世界なのか……?

 だから他の誰でもなく、必然的にこの俺が転生させられた?

 いや待て。先走りしすぎだろ。ただ国名が一緒だったというだけだろ?

 それに俺が創作した世界の割には、習慣や常識が著者の設定とかなり異なっている。

 でもそれは仕方のないことだと考えるべきなのか?

 だって俺は神じゃない。サラリーマンのおっさんが世界の全てを一人で構築することなんて不可能だ。街外れに住む農夫の名前まで設定なんかしていられない。

 でも現実にこの世界に住む人たちには名前や慣習、生きるための環境が必要だ。だから、俺の設定で不足している部分を補完した形で存在している、そう考えると合点がいくよな。

 もしくは、俺の設定を実現させようとしたときに無理がある場合、その世界に合った設定へと修正されている、という可能性だってあるはずだ。

 でも俺が小説を創作する以前から、この世界の歴史は続いていた。じゃあやっぱり、関係がないのか?

 しかし、それは元の世界とこの世界の時間軸が同じだった場合の話だ。

 生み出されたこの世界の長い歴史の中で、今という時間軸に俺が転生したと考えれば有り得るのだろうか?


「ア、アレン君!? アレン君! 聞いていますか!?」

「え……? あ、す、すみません!」


 俺はようやくそこで、リリアさんの呼びかけによって意識の底から這い出した。


「大丈夫ですか? ひどく顔色が悪いようですけれど、どうかしましたか?」

「あ、いえ。大丈夫です。すみません、続けてください。」


 隣を見ると、テスラが不安気な表情でこちらを見つめている。

 だから俺は、大丈夫だと目で合図した。


「本当に大丈夫ですか? で、では、続けますよ? え~と、この地図には記載されていませんが、この他にもハイエルフ族の天空都市がこの大空のどこかを浮遊していると言われています。しかしこの数百年間、誰も彼らの国を確認できていないので、ほとんどおとぎ話のようにはなっていますけれどね。どうです? 少し興味が湧いてきましたか?」

 

 リリアさんは俺を気遣うように、小さく微笑んだ。

 そんな素敵な笑顔もできるのだと、俺は関係のないことを思った。


「はい、もちろん。それじゃあこのアースガルルドで、エルフを見かけることはないんですね?」


 これは俺にとって非常に重要な問題だ。エルフという存在がこの世界に余り浸透していないのであれば、俺の創作した世界からは離れることになるからな。

 いやそれ以上に、せっかく異世界に来たんだから、エルフのお姉さんたちに会ってみたいんだよぉっ!

 

「いえ、そういうわけではありませんよ。通常のエルフ種族ならば、この大森林地帯エレンセイルにその多くが暮らしていますし、冒険者をしているエルフも少なくありません。いずれアレン君もこのトレヴルージュを出れば、そこで出会ったエルフと共に旅をする、なんてこともあるかもしれませんね。」


 そうか、ちゃんとエルフもいるんだな。

 いやそれより、いつか俺も、この街を出て世界に旅立つ日が来るんだろうか。


「そんな日が、来るといいですね。」

「何を他人事のように言っているのですか、アレン君。大丈夫、きっと来ますよ。」


 リリアさんは俺へ言い聞かせるように言うと、柔らかな表情を浮かべた。


「ええ。そうですね。」


 その後も、先生の授業は続いた。

 そして明日からは、いよいよ実技の訓練とのことだった。

 少し楽しみだ。

 とにかく今の段階では、この世界が俺の創作によって生み出されたものかどうかは判断がつかない。

 明日の授業から、少しずつ検証していくことにしよう。




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