11.リスタート
「え……? 今、何て……?」
後ろで一つに括った濃紺の長い髪は、目に見えない相手と踊るように揺れている。
そのことに無頓着な彼女は、ただ疲れたように眉根を寄せて嘆いていた。しかし、俺の言葉を聞いた瞬間、はっとしたような表情となる。
だが、すぐにいつもの澄ました顔へと戻り、こほんと一つ、咳払いをした。
「では、そろそろ戻りましょう。先ほど皆さまと訪れたとき、わたしもいくつか根の付いたリコルスを採取していますので、足りないということはないでしょうし。」
俺の質問は無視ですか。そうですか。
「あなたもちゃんと、薬草を取ってくれていたんですね。ありがとうございます。」
「当然です。それにこれは、あなたがあの場で、メリルさんの報酬を受け取った場合のために用意しておいたものです。ですがこれは、あなたに渡しておいた方が良さそうですね。」
そういうと、サイドポーチから二、三本ほどのリコルスを取り出して差し出した。
「え、たったこれだけ……?」
俺の言葉にむっとした表情となった彼女は、一気にまくし立ててくる。
「大人一人を回復させるのであれば、この程度で十分なのです! それをあなたたちときたら、入り口付近のリコルスをほとんど採り尽してしまって。生態系でも破壊するつもりですか? この葉を餌にしている生物だっているのですよ? それに後で採取をする人たちのことも考えてください!」
自分だって場所を教えてくれていたじゃないか、というツッコミはしないでおいた。
何だかんだと言って、この人は物凄く優しいのかもしれない。
「す、すみません。そこまで気が付かなくて。」
「ご理解いただけたのなら、それで結構です。」
小さく息をついた彼女は、周囲を見回した。
「ではアレンさん、急ぎましょう。少し走りますが、陽が暮れるまでにはギルドへ到着できると思います。」
「分かりました!」
そこでようやく、俺たちは冒険者ギルドを目指して出発した。
ΔΔΔ
冒険者ギルドへ到着すると、俺は両膝に手を当てて肩で息をしていた。
額から無限に噴き出る大粒の汗を拭うことすら面倒に感じるほど疲れ果てていた。
想像をしてみてくれ。
十数キログラムもある荷物を背負って、マラソンのような距離を往復して走り切れる日本人が、一体どれだけいるだろうか。
だが、そこはやはり異世界。アレンの高性能な身体能力のおかげで、多少休憩はしたが何とか走り切ることができた。それでもやはり、かなりの体力は消耗したが。
ツンデレのメイドさんは、ギルドへ入るといつものようにフードを目深に被っていた。
ただその表情はほんのりと上気したようになり、その豊かな胸を軽く上下させている。
外套の上からでも分かる美しい曲線に目を奪われた俺は、思わずごくりと生唾を呑み込んだ。
こんな極限状態にもかかわらず、男はどこまでいっても、そういうことには敏感なんだなと内心苦笑した。
彼女はこちらの視線に気が付くと、不思議そうな表情で小首を傾げていた。
「あ! アレンお兄ちゃん! おかえりさない! どこまで行っていたの?」
俺の姿を見付けた天使が、酒場のテーブルから転がるように俺の方へと走り寄ってくる。
子持ちのサラリーマンは、家へ帰るとこんな感じなのだろうか。
だが俺の相棒は、サラダをむしゃむしゃしながら笑顔だけを送ってきた。
おい、まさか。
俺の残り少ないギルドポイントを勝手に浪費したんじゃないだろうな?
本来の任務を完了すべく、俺は依頼者へと向き直る。
「う~ん、大した用事じゃなかったんだけどね。あ、そうだ。メリルちゃん、はい、これ!」
その小さな両手では抱え切れないほどのリコルスを見た瞬間、彼女の瞳は瞬く間に輝きを増していった。もちろんそのリコルスには、土にまみれた白い根が髭のように生やされていた。
「こ、こんなにいっぱい……。アレンお兄ちゃん、ありがとう!」
そう言うと、メリルはリコルスを受け取るよりも先に、俺の胸元へと飛びついてきた。
そうだ。それでこそお前は冒険者だ。
お前は絶対に、今のこの気持ちを忘れんじゃねぇぞ。
「ではお客様、お約束の報酬をいただけるでしょうか?」
片膝を突き、わざとらしく大仰な態度で俺は手のひらを上に向けて見せた。
「もちろんです、偉大な冒険者さま。こちらが、今日の報酬にございます!」
メリルもこちらに合わせ、貴族令嬢のような態度で丁寧に振る舞った。
そして俺の手のひらには、たった三枚の銅貨が音を立てて舞い降りた。
たったそれだけの丸い金属のくせに、ずしりとした重みを感じた。
「ありがとうございます、お嬢さま。どうぞこれからも、このブロンズスパイダー級冒険者、アレン・マクスベルをご贔屓に。」
そこで俺たちは堪らず噴き出した。
その笑い声は、酒場で騒ぐ冒険者の声と共に、いつまでもこのフロアにこだました。
ΔΔΔ
「アレンさん。少しお話があります。」
それは、一段落した後のことであった。
遂に、書類選考の結果を言い渡されるときが来た。
何となく結果は知っているのだけれど……。
俺たち三人はギルドを去り、初めて出会った街角までやって来た。
すでに日は暮れており、通りを行き交う人もまばらとなる時間となっていた。
「アレンさんのご都合のよろしい方で構いませんが、今から旦那様のところへ向かわれますか? それとももう遅いですし、また日をお改めになられますか?」
ここで初めて出会ったときと同じような感情のこもらない視線が、薄暗がりの中から真っ直ぐとこちらを見つめていた。
「じゃあやっぱり、いいんですね!? でも、どうしてですか? 受けたクエストのレベルも低いし、それすら大失敗して真面にこなせていなかったのに。正直、今の俺は素人同然だと思うのですが?」
俺は森の中で感じた疑問をぶつけてみた。
「一つ訂正させていただきます。同然ではなく、素人以下です。」
うっ。そりゃどうもすみませんでしたね、素人以下で。
俺の歪んだ表情を無視して、彼女は静かに続けた。
「強いてお答えするなら、あのクエストをお受けになられたからでしょうか。あなたが記憶喪失の状態にあることは知っておりましたし、初めからクエスト内の行動はその評価の対象外でした。それにわたしは、あなたがどのようなクエストをお受けになるのかを見ると、最初に申し上げましたよ?」
今日の朝ここで交わした会話を思い出した。
あれは、そのままの意味だったのか。
要するに彼女の話では、誰もが見向きもしないようなクエストを受けた時点で、お、こいつ見込みあるんじゃね?となり、報酬を受け取らずに走り出したのを見て、選考の通過を決めたそうだ。後は俺が下手をこかないように見守っていたと。
まぁ現実は、単にそのクエストしか受けるものがなかったからなんだけどね。
ちなみに、知識や実力が不足していたとしても、これからの訓練で上達すれば問題ないのだと。
ただ最後に、こうも付け加えた。俺が予想以上にへたれだったことに、正直かなり悩まされたと……。ほんと、すみません。
彼女は色々と言っていたけれど。これまでのことを思い返すと、きっとクエストを受けた時点で、彼女の特訓はすでに始まっていたのだ。何となく、俺はそんな気がした。
もしそうでなければ、あそこまで一生懸命に他人を叱ったりするだろうか。
そして俺は、彼女の最初の質問に答える。
「もしあなたの主人に失礼でなければ、今から伺ってもよろしいですか?」
ΔΔΔ
トレヴルージュの街外れにひっそりと構えた屋敷に、彼女とその主人は二人で暮らしていた。広大な庭と屋敷は、その周囲を森に囲まれている。
ここなら、どんな特訓をしようと人に見られることはないだろう。
別に見られて困るということはないのだけれど。
入り口の扉の前で俺と相棒の神官は同じように、二人で暮らすには大きすぎるその屋敷の外観を見上げていた。すると、迷惑そうな表情をしたメイドさんに、早く中に入るようにと促された。
応接室のようなところで俺たち二人は待たされた。
そこへドアが三回ノックされる。
この辺りは、元の世界と同じようなマナーなのかもしれない。
そこに現れたのは、俺の予想していた人物像とは全く違う、気品のある老紳士であった。
その温和そうな顔に微笑を湛えたご老人からは、優しさや温もりがひしひしと伝わった。
もし仮に、この場に彼の孫がいたならば、おじいちゃんと言われて飛び突かれていたことだろう。
ただ、他に特徴を挙げるとするならば、彼は車椅子に座っている。それをメイドのお姉さんが後ろから押していたのだ。
その造りは現代の車椅子よりもひどく原始的で、金属ではなく、全体的には木材で作られている。
ちなみに、そのシルダード語を日本語に直訳すると、移動する椅子と呼ばれている。車というものがこのアースガルルドに存在しないのだから、そう呼ぶしかないのだ。だが、俺の中ではそれを車椅子と呼んだ方が自然なため、そのように脳内変換している。
それに今更だけれど、俺の脳内で考える外来語も含めた日本語は、シルダード語を翻訳する際に最もニュアンスの近い言葉を選んで変換している。
話すときはシルダード語。頭で考えるときは日本語。バイリンガルの人はこんな感覚なのだろうか。
閑話休題。
「ようこそおいでくださいました、アレン・マクスベル殿。わたしはファーガソンと申します。何分このような体ですので、座ったままのご挨拶とさせていただくことをご容赦ください。」
「いえ、とんでもありません。こちらこそ、こんな夜分遅くに訪問してしまったことをお許しください。そして、こちらはテスラと申します。訳あって、彼女は声を出したり話したりすることができませんので、どうぞご承知おきください。」
一通りの挨拶が終わったところで、俺たちは上等そうなソファへと着席した。
余りの柔らかさに、テスラはほんの少し体を上げては座るという幼児のようなことを繰り返した。
こらテスラさん。やめなさい。はしたないですよ。
ファーガソンさんは、そんな俺たち二人の様子を微笑んで見つめていた。
そこへ、メイドのお姉さんが三人にお茶を配膳してくれた。
これはたぶん、紅茶のようなものだろう。
品の良い花柄をあしらったティーカップからは、どこか甘みのある香りが漂った。
「それにしてもお二人とも、随分と遅くなりましたね。何かあったのかと思い、心配をしているところでした。わたしはリリアに、すぐお連れするようにと命じていたのですが。」
な、なんだと……?
なら最初から連れて来るつもりだったのかよ。
リリアと呼ばれたメイドのお姉さんに、俺は恨めしそうな視線を送った。
しかし、そんな俺の無言の訴えを、彼女は涼しい顔をして受け流した。
俺はこの後、夜遅くまでファーガソンさんと色々なことをお話した。
そして、この屋敷に住み込みで修行をさせていただくことが決定したのだ。
ギルドポイントが残り少なくなっていた俺には、正に渡りに船であった。
こうして、俺と無口な神官、そしてメイドのリリアさんとその主であるファーガソンさんたちとの、慎ましくも仲睦まじい四人の生活が始まったのであった。
めでたし、めでたし。
とはいかないよな?
きっと、ここからが本番なんだ。
今日からが、俺の転生人生の新しいスタートだ!




