10.仕事への矜持
脱兎の如く。
それは、今の俺を表した最も適切な表現だ。
トレヴルージュの街並みが、俺の両隣を滑るように過ぎ去る。
あのドSちゃん、好き放題言いやがって。
でも、必要なことは全て彼女が代弁してくれた。
ここまでの俺は、どうかしていたんだ。
親切にしてくれる人たちの心に甘えて、ピンチになれば助けを求め、都合が悪ければ全てを転生のせいにして、できることもせずに、ただ押し寄せる出来事を何も考えずに甘受してきた。
せっかく神さまがチャンスを与え、そっと背中を押してくれたのに。
もう一度新しい人生を頑張ってみろと言ってくれたのに。
お前はそれでも、本当にエンジニアか?
こんなんじゃねぇだろ、昔のお前は。
設計を始める前に、あらゆるリスクを抽出し、事前の検証を十分に行って分析し、更に対策案を検討して、しっかりとした理論を構築した後に初めて、設計を開始していたんじゃねぇのか?
冒険者のクエストだって同じだろうがよ!
目的と方法を明確にして、不明点を洗い出し、リスクを抽出する。
どうしてそんな当たり前のことをしなかった?
そのせいで、あんな小さな女の子の心を傷付けてしまったんだぞ?
お前はユーザーが喜んでくれて幸せになることを目的として、日々設計していたんじゃねぇのか!?
だったら、少しは依頼者の立場になって考えてみろよ!
今更根っこを持って帰ったって、恥の上塗りのようなものだ。
愚かな冒険者が、自分の馬鹿さ加減をただ取り繕おうとしたというだけの話だ。
それに試験だって、こんなクズを合格させるはずがない。ただの偽善だと切り捨てられるのがオチだ。
でも、そんなことはどうでもいい。
例え結果が変わらなくても関係ねぇ。
これは! 俺の仕事に対する矜持の問題だ!
そして、今の俺は冒険者だ!
ならば、やるべきことはただ一つ!
あの子の笑顔のため、全力を尽くすのみだ!!
ΔΔΔ
森に到着した俺は、周囲を見回した。
だいたいの場所ならまだ覚えている。でも、そこに群生していたリコルスは大方採り尽してしまっていた。
根元は残っているはずだが、他の木々や雑草が鬱蒼と生い茂る森の中から、根元だけを見付けるのは骨が折れる。あの目印となる薄紫色の花がないのだ。
それよりも、もう少しだけ奥に進んで手付かずのリコルスを摘み取った方が早いかもしれない。
本当に大丈夫か? 森の中で迷ったりしないか?
ここからは、まだ入り口付近がよく見える。
なら、この剣で木々に目印を付けながら進めば、多少はリスクを軽減できるか。
それに、そこまで奥に入るわけでもないし、少し行けばリコルスはまた群生しているはずだ。
よし! 行くぞ!
だが、俺の目論見はあっさりと外れた。
そこから先に、リコルスは一本たりとも生えてはいなかった。
それでも、リコルスを見付けるために募る焦りが、俺を更に森の奥へと突き進ませた。
先ほどまで地面に降り注いでいた陽光は森の木々によって遮られ、今となっては足元さえ覚束無いほど辺りは暗くなっている。そのようなところに、薄紫色の花など一輪も見つけることができなかった。
森の入り口付近にだけしかなかったということは、もしかすると日照時間が生育条件と関係しているのかもしれない。
そんなことを考えていたときだった。
急に目の前が開け、円形状の広場のようなところへと出た。
そこは、先ほどまでの幽々としていた森の中とはまるで違っている。
俺には、太陽の光が燦々と大地へ降り注ぐ、楽園のように思える光景であった。
そして、まるでずっと待ちわびていたのだと言っているように、無数のリコルスたちが俺を出迎えてくれたのである。
急いでリコルスのそばに駆け寄ると、すぐに採取へと取り掛かる。
少々コツが必要で、力任せに引き抜くと、肝心の根の部分は地中の中に取り残されたままとなる。
それが一層俺を焦らせ、時間を浪費させる結果となった。
どの程度必要かはよく分からない。
しかし、適当な量のリコルスを採り終えた俺は、背嚢の中へと無造作に押し込んだ。
そして帰路に就こうと顔を上げたときだった。
自分がどの方向からやって来たのかが分からなくなっていた。
落ち着け。少し探せば、目印を付けた木は必ず見つかるはずだ。
そして一歩を踏み出した俺の足は、すぐに前へ行くことを拒んだ。
なぜなら、腹の底から唸り声を上げている狼のような獣が、俺の目の前に立ちはだかっているからだ。
自然と右手が、ゆっくりと剣の柄を握り締めた。
鞘と剣身の摩擦する音が、周囲の木々に反響する。
俺の構えを見た獣から、すっと唸り声が消える。
その瞬間、剥き出しにされた悪意が、すでに俺の眼前へと迫っていた。
そこに思考というものは存在しなかった。
気が付けば俺は、体の重心を横へとずらすことによって発生する体勢の崩れを利用して、敵の初撃をかわしていたのだった。
っ!?
自分でも驚きだ。
しかし、今までアレンが積んできた研鑽の日々は、この体がしっかりと記憶していた。
いけるぞ!
どうせお前ら魔物は、そうやって正面から突っ込んで来ることしか能がないんだろ!?
だが、喜んだのも束の間。
俺は自分の耳を疑った。
魔物のつんざくような咆哮が、周囲のそこら中から聞こえてくる。
前方から姿を現した奴らを合わせて、全部で九匹。完全に囲まれた。
もう姿を隠しておく必要もねぇってか?
でも、さすがにこれはお手上げだな。
体が覚えていると言っても、それは瞬間的なものに限られるだろう。
短期戦ならいざ知らず、一対多数の長期戦となれば話は別だ。
残念だが、どうやらここで終わりのようだ。
今度はテスラもいないし、本当の終局だ。
この期に及んで、今更何を思うということもない。
ただ一つ残念なのは、メリルちゃんの喜ぶ姿が見られないことだ。
まるで金属のように硬質で、鈍い輝きを放つ無数の牙。
それが、俺の脳裏に焼き付いた転生人生最後の光景であった。
いや、そうなるはずであった。
「〈炎灼の女王〉」
魔物が発する不愉快なノイズも、鳥のさえずる声も、木々の間を駆け抜ける風の音でさえ聞こえなくなった世界で、彼女の声だけはやけにはっきりと、耳の奥まで響き渡った。
衝撃を吸収するために片方の膝を折り曲げて着地した濃紺の髪色をした悪魔は、外套がはためく以外一切の音を発しなかった。
そしてその低い姿勢から、暴虐の嵐が刹那の間に吹き荒れる。
そこからの光景は、鍛え上げたアレンの動体視力がわずかに捉えた、彼女の残像の記憶にしか過ぎない。
ある獣は顎に掌底を食らう。
またある獣は横っ腹に蹴りを食らい、脳天に踵落としを食らった獣までいる。
そうして、九匹の魔物たちはそれぞれが四方へと弾き飛ばされた。
もちろん、それ自体は致命傷にはならない。
突然のことに驚いた様子ではあったが、すぐに奴らは悔しそうな呻きを上げながら体勢を立て直す。
だが、その攻撃を受けた箇所は、黒い炎によって焼け爛れていた。
「〈舞え〉」
その瞬間、黒い刻印が目を覆うほどの眩い光を放ったかと思うと、哀れな魔物たちは一片の肉塊も残さずに爆散した。
余りの威力に、周辺の草花や木々にも飛び火する。
それこそ本当に、炎が意志を持って踊っているような猛火である。
や、やばいっすよ、あれは!
俺たち、森林火災の犯人になっちまう!
待てよ。神の裁きがあるから俺は大丈夫だ。
いや、そういうことじゃねぇ!
「〈眠るように〉〈消えろ〉」
すると不思議なことに、荒れ狂っていた炎はその勢いを見る見る失くした。それは、泣き疲れた赤子が目を閉じて眠るときのようにゆっくり消え去ると、やがて大気へと霧散した。
これはもっと後になって知ったことだが、今俺の目の前で起こったことは、使役する精霊への命令形式で術を発動させる、精霊魔法と呼ばれるものだ。
精霊へは、明瞭で、簡潔に、的確な命令を与えるのがコツです、と言うのが口癖だった。
もし仮に、精霊が自らの意志で敵を攻撃するようなことがあれば、それは自分の制御から外れたことを意味している。
それは、とても大変なことですよ、と悪戯っぽい笑みを浮かべて教えてくれたのだ。
ΔΔΔ
「全く、あなたという人は……。あれだけ言われてもなお、学習することをしないのですね。」
軽蔑さえ内に含んだ冷たい視線が、地面にへたり込んだ俺を静かに見下ろしていた。
「すみません……。狂暴な魔物はいないと言っていたので、つい。」
「当然です。それは森の入り口付近だけの話です。それを真に受けて、森の深部まで入る街の住人など一人もいません。ましてや何の準備もなくここまで来る冒険者など、上位三階級を除いてはこのアースガルルドではあなたぐらいのものです。しかも、ダイアウルフのテリトリーに躊躇いもなく入るなんて。」
悪いのは完全に俺だ。
でも言われっぱなしだと、だんだんと腹が立ってきた。
「あなたこそ、手出ししないんじゃなかったんですか?」
「手出しをしないということと、見殺しにするということは同義ではありません。」
安い挑発に彼女が乗るはずもなく、ただの正論で返されただけであった。
ほんと、だせぇな俺は。
それに、もっと他に彼女へ言うべきことがあんだろ?
「あの……、助けていただいて、ありがとうございました。」
「…………。今まで幾度か、あなたのお姿をお見かけしたことはありますが、記憶を失ったという噂は本当のようですね。まるで、人が変わったようです。」
「…………。」
「それにしても、これはかなり先が思いやられますね。」
彼女の表情を見たとき、メインの食材を買い忘れて家に帰って来た母親の顔を思い出した。
「っ! ぷっ。く、くくっ。」
それは彼女が初めて見せる、血の通った人間らしい感情を表に出した瞬間であるように感じた。
「な……、何を笑っているのですか? 少し気味が悪いですよ?」
「いや、すみません。あなたも、そんな心底困り果てた顔で愚痴を言うんだなって思って。」
「と、当然です! あなたは一体、わたしをどのような女だと思っていたのですか!?」
「血も涙もない、無感情で冷血な人だと。」
俺の言葉に、彼女の顔の筋肉は一気に引き攣った。
「うぐっ……。た、確かに、先ほどはわたしも言い過ぎました。それは反省しています……。ですが! 今のあなたの姿を見ていたら、愚痴の一つも言いたくなります。こんな冒険者を、旦那様のところへお連れしなければいけないなんて……。」
こんな冒険者で悪うございましたねぇ~。
ん……?
い、今、何て言ったんだ、このお姉さん??




