激動:ついにボスが現れた件について
俺が緑影を倒すとワープが始まり、異様な空間に放り出された。
その瞬間に肌が粟立ち全神経が危機を感じて尖っていく。見回してみると、ここは敵の洞窟のどこかの一本道のようだった。そして、道の奥の方から圧倒的な存在を感じる。
「……この先に敵のダンジョンマスターがいるというわけか」
ギルドマスターはそばにいない。どうやら俺ひとりで来いということらしい。
息をするのもおぼつかなくなりそうなほどの圧力の中を、一歩ずつ力をこめて踏み込んで歩いていく。でなければ、あまりの威圧感に吹き飛ばされてしまいそうだと本能で感じたからだ。
気合いを焚き付けて前進していくと、大きな金属の扉が出迎えた。
「さあ、ここからが本番だ。これで全てが決まる……!」
重厚な音と共に開かれる。そこにいたのは、ひとりの人間であった。
彼こそは天金山のダンジョンマスター、テトロ。彼はきらびやかな中央の席に優雅に座っていた。
「ようやく会えたな。天金山のダンジョンマスター」
「ようこそ、深淵の森のダンジョンマスター」
もの悲しげに肘をつき、興味無さそうにこちらを一瞥する。
こちらに目を向けただけの動作で、心臓が止まりそうなほどの念波を感じられた。まるで世界を破壊で塗りつくす天災を連想させる。それほどまでにコイツは強力な概念を持っているのだと直感で理解した。
「どうして貴様はここまで来たのだ?」
「どうしてって、おまえが喧嘩を吹っかけてきたからだろ?」
「問いに対する回答の根本が違う。なぜ己のために逃げなかったと問いたのだ。貴様は何のために戦っている?」
不可解で仕方がないとばかりに、苛立ちの混じった声で問い続けてくる。
「絆のために生きようと、貴様は本気で思っているのか?」
その声には、悲痛、そして怒り、さまざまな負の感情が混じっているように俺は思えた。
「それのどこがいけないんだ? おまえは何を感じてそれを言うんだ?」
「貴様も分かっているだろう? 人の上に立つことがあれば見たくなくとも傘下の人間の姿が目に入る。その本質の苛烈さ、おぞましさ、醜く生きる人間の性が見えてくる」
例えば俺が戦った緑影の過去を美化することによる荒廃の願いがそうだろう。それ以外の中ボスは分からないが、おそらく似たような苛烈さを持っていたに違いない。
「理想論を吐く害虫たちの絵空事など、腹の足しにもならんし、金にもならん。世界に殺されながらもこの身で知ったからこそ、俺は現実の概念に乗ったのだ。正義は存在しない。秩序は夢想である。生きることに神の決めた正解など存在しない。何も無いならば、俺は俺のために好きに生きる理由がある。俺の考えのどこが悪いのだ?」
俺は息を呑んでテトロの発言に飲み込まれた。こいつは初めから他人という存在を考慮していないのだ。
「何が悪いも、お前は根本から間違っている。奪いたいからダンジョンバトルという名の戦争をしたということか!?」
「根本から間違っているだと? 生きることに正悪を吐いている時点で貴様の理解が外れている。貴様が他人を悪であると罰すると決めるのは思い上がった感情由来であって、そこに正しさを証明できるものはない。ならば問おう正しさとは何である?」
「正確な正しさは分からないし、正確な悪も証明できない。だから、俺は自分の信じた正義を目指している」
正解か不正解か、そんなのは後から歴史を眺めた人間の後輩が判断することだ。分からない以上は、自分が正しいと思ったものを信じて突き進むしかない。
だからこそ、俺が背負っているのは世界の正義ではない。今世では、正義を背負うと決めたのだ。
「貴様が抱えているその正義とやらを俺は信じられないのだ。ヒトは繋がりを平気で裏切るだろうし、基本的に己を大切にする生き物だ。絆という言葉こそヒトを縛るための縄ではないか。上位のものが下位を縛るために与えた理想に過ぎん。すなわち、神とやらがヒトに与えた鎖と同じで、それは存在しないものだろう」
テトロが言い続ける。
「例えばスラムの悪童がそれだ。店を襲撃した悪を信仰する人間が金を得て、食料を得て、全てを得ていった。反対に清貧に身を任せて善を信仰する人間が朽ちていく。他人を大切にしようとする絆が人間を殺し、他人を畜生としか思っていない人間のみが生きていき、上位として君臨する。そう、これが 俺が死にながらも掴み取り、そして知った人間の世界の真実だ」
俺はその言葉に絶句した。なぜならば、テトロが語っているその意味を知っていたからだ。
いじめで何も言わずに絆を守っていた俺が壊死していき、いじめによって潤っていく女の言葉が教室で信仰されていた世界があった地球。時代背景こそ違うが、形としては類似していたからだ。
だけど、俺は……
「そういう人間はたしかに多いかもしれない。おまえにとって絆っていうのは忌み嫌う言葉なのかもしれない。そして、俺も絆によって人生が殺された経験がある……」
それは、空気を守れという同調圧によって作られた生贄の役であった。
「だけど、皮肉なことだけどな。絆によって殺された俺は、絆によって救われていたんだ。もちろん、この筋肉の力があれば、きっと俺は一人でも生きてこられただろう」
聖騎士との戦いや、町を襲ったモンスター。他人を気にせずに己だけを磨き続けていたなら、おそらく潜在能力的には黒騎士との戦いも単騎で勝てたかもしれない。
「でも、俺はひとりでは ここまで生きてこられなかったんだと思う。そばに誰かがいたから、俺は強く生きてこられたんだ」
天真爛漫のイチイがいるからこそ、俺は笑って生きることができた。
おちょくりながらも見守っているオウレンがいるからこそ、俺は安らいで生きることができた。
頑張り屋のミーヌがいるからこそ、俺も共に頑張ろうと生きてこられた。
しっかり者のコウカがいたからこそ、俺は安心して生きてこられた。
戦闘が得意なキキョウ、そしてアマチャがいたからこそ、俺は強くなる決意ができて生きてこられた。
ホミカや、聖騎士のビスマス、勇者のガジュツ、それにギルドマスターだってそうだ。あいつらが手を貸してくれたからこそ、俺は今日という日まで絶望せずに生きてこられたのだ。
「俺は一人でも生きられる。でも、まったく楽しくないんだよ。他人がいるからこそ、人生に色がつくんだ」
俺は、俺を信じてくれた縁を守りたい。俺を信じてついてくる決意をした仲間を誇りたい。
「だからこれだけは俺は譲れない。俺は自ら決意した正義を振りかざし、俺を信じてついてくる全員を背負い続けて生きていく」
「生きていく、か……。重みのある言葉だな。俺の過去のように」
テトロの気配が変わり、何かを思い出すように瞳を瞑った。おそらく死にかけた過去を回想しているのかもしれない。
俺の先ほどの言葉は前世を死んでから考えた言葉だ。だからこそ、初めてテトロに言葉が届いたのかもしれない。テトロが否定していたのは、たまたま運が良く普通に生きることができた人間からの倫理に対してである。安全圏からの理想論を振り回して、その本質すら知らない厚かましい空論ではなく、本当の意味で生きてきた重みのある言葉だからこそ届いたのだろう。
「おまえは、俺と似た苛烈な人間の世界を歩いた人間かもしれんが、俺とは違う人間のようだな」
そう言ってテトロは立ち上がった。
「理解はしたが、納得はいかない。ゆえにこの会話は交じ合わない平行線だ。ならばやることはひとつしかないだろう?」
テトロの全身から肌を焼くような威圧感があふれ出した。
この瞬間、和平交渉は完全に決裂した。
「正義など存在しない。真実を知れ。貴様は死んで後悔すればいい」
「後悔はもうしない。すでに死んだあとだから。そう決めたんだ」
共に決意を言い放つ。
「いいや、貴様は再び死ぬのだ。俺は、俺の生きる世界を壊すのだから!」
「いいや、俺は今度は生き残る。俺は、俺の生きる世界を守るのだから!」
お前は信念を否定したいと思っている。俺は信念を肯定したいと思っている。ともに相手へ思い知らせたいと願った瞬間だった。
『ゆえに、契約成立だ』
粘りを感じさせる黒さの光。闇色の光の粒が集まっていき、悪魔の形を成していった。
『まずは断りから言わせていただこう。ボクが出てきても契約違反だとは思わないで欲しい。例えば君が崇拝している存在は鍛える神である。そして、その力を遺憾なく発揮しても文句は言われない。つまり、ボクの本領を発揮してもルールには違反しないというわけである。そしてボクは優しい悪魔でね。誰もが幸せになって欲しいと願っている契約。いわば『win and win』の契約を結ぶ。双方ともに同じ事を望むなら、ボクの契約は成立する』
哀れんだ瞳をこちらに向ける悪魔。その瞳の奥は愉悦で濡れていた。
『そして彼はボクの概念を愛してくれている。彼の魔法は君の正義に応えてくれる概念なんだ。コレは……麗しい夢を、キミに希望で満ちさせる!』
胸騒ぎが止まらない。
テトロが詩を奏でる。悪魔が闇色の霧となり空間に溶けていく。
『さあ、ボクが舞台の糧となってキミ達の戦争を祝福しよう。ボクが戦場という名の部屋となり、互いの狂気で縛りあおう。さあ、共に狂おうじゃないか! これがボク達の始まりの狂気だ!』
世界と同化した悪魔が叫ぶ。世界の密度が増していく。
テトロの狂気により、彼の精神概念と空間が混じり合う。世界が悪魔のエネルギーを受けたことにより、本来のテトロの全開以上に世界が狂気と共鳴していく。世界が根本から変異していく。
『Tell the champion of the soul. How do you avoid death. (魂の覇者に告ぐ。汝、いかにして死を避けるだろうか。)
The moment each other's wish collides is the real life of an organism. (互いの願いがぶつかる刹那こそ、何よりも尊い生きとし生けるモノの本懐である。)
So if you are thinking of death you should adore ruin. (ゆえに死を想うからこその破滅へ焦がれるべし。)』
滔々と響く歌声により、世界に闇が広がり、暗闇の中へ『今』が溶けていく。
『If I am a villain it will be the corpse of your feet and it will be the cornerstone to lead you to the supreme. (我が悪しきなら汝の足下の屍となり、汝を至高へ導く礎となろう。)
If you are a villain, I will overcome you and will get your punishment. (汝が悪しきなら、我は汝を踏み越えて、汝の罰を背負い尽くそう。)
Now, because I am a friend, I will kill each other. Because it is an enemy, I will kill each other. (さあ、友だからこそ共に殺しあおう。敵だからこそ共に殺しあおう。)
Even if the end that I wanted is hell, I will rejoice with you if it is the future. (我の求める果てが血染めの地獄だったとしても、果ての未来だからこそ共に喜びあおう。)』
それは睡眠で見る夢に似たものだ。現か夢かも分からずに、現実がまどろみとろけていく。
『Therefore my wish is a permanent truth. (よって我が願いこそ不変の真なり。)
Therefore, if you think that thy wish is true, try staying and fascinating me. (ゆえに、汝の願いが真実だと想うのなら、立ち続けて我を魅せてみよ。)
To see the truth. (我が真贋を見極めるために)』
強者であり、弱者であり、凶暴な絶望が現実のものと成る。
『Arousaler ―― Infinite hell! (超越覚醒 ――夢幻連獄の天秤 )!』
解き放たれる狂気と悪魔の共同の超越概念。
いま、闇の英雄と光の英雄の戦いが熾烈に激突する。




