5-9
俺は彼女が受験だからとしばらく連絡を取らなかったために、申し訳ないが、彼女の顔が思い出せなくなっていた。
あと一度でも会えば、絶対に忘れないという自信はあるのに。
でも、受話器からはきれいな声が聞こえてくる。話の中にも、彼女の優しいところが見えてくる。
かわいいか、といえばそうでもないような気がする。
太っていることを気にしているようなことを、彼女の口から聞いたこともある。
でも、それがどうしたというんだ!
人は、外見じゃないじゃないか! 容姿がよくても、偏差値が高くても、スポーツができてもいやな奴は大勢いるぞ! 外見は、特に顔なんかどうしようもないじゃないか! 遺伝として伝わる体型や容姿は、どうにもならないに決まっている!
初めてあった日からわかっていたんだ。
すごくいい子だ。
外見なんか、全く問題にならないほど。
俺にはそのとき、この子が年下だとは思えなかった。少なくとも、精神年齢は俺よりも少し上。
俺が今までで一番長く話ができた相手かもしれない。
だが、やっぱり俺は俺でしかなかった。
彼女との関係は自然消滅してしまった。
「また、別に見つければいい」
実際、こう言った奴もいる。
でも、俺に見つかるだろうか。
俺みたいな人間に彼女のような子が現れてくれるだろうか。現れたとして、俺と付き合ってくれるだろうか。俺みたいな人間に彼女ができること、そのこと自体が奇跡なんじゃないか。
それ以来、俺の前に現れてくれなかった。
ちなみに、親は彼女のことがあまり気にいらなかったらしい。
出会いがきっかけになった、かどうかわからないが、俺の心が少し軽くなった気がした。
あのまま誰かに話さなかったら、俺は神戸の児童連続殺害事件より早く、世間をにぎわせていたかもしれない。
または自殺していたかもしれない。
家や学校での俺の扱いはそれほど変わらなかった。が、精神的に何かが変わっていた。
保母さんに、なれたんだね。
夢がかなってよかったな。
仕事は、どうだった?
絵は今でも描いているのかな?
忙しくて無理か?
付き合っていた奴はいたのかな。
いた、だろうな。
君は優しい子だから。
そのことに気がつく奴はいたはずだ。
子供たちにも慕われていたって? よかったじゃないか。
新聞に涙が落ちた。
はじめは一粒、次に二粒三粒、紙面全面がぬれて破れそうになった。
「俺は、君に何かしてやれたか? 俺といるのが迷惑じゃなかったか? 俺は、楽しかった。話を聞いてくれてうれしかった。今度あったら、礼を言わなければいけないと思っていたけど。それも、もうできなくなってしまった。俺は、ひどいことをしたんだな」
手が震えてきた。
新聞が破れた。
手の中にしわくちゃになった新聞が握りこめられる。
「俺は、今までずっとありがとうと言いたかったんだぞ。君と話していた時間が、俺を救ったんだよ。結局こうなったけど。俺は恩をあだで返してしまった。殺すなんてひどい。原因は俺。こうなったのも、俺がやった。俺のせいで何人も死んだ。死んだ人の何倍もの人が悲しんだ。そして、それ以上の人が俺を憎んでいる。それなのに、俺はまだ誰かを殺したがっている。手が震える。今だって、イライラし始めている。俺を馬鹿にして、笑いものにした奴らがのうのうと生きていることが許せないでいる。どうしようもなく、怒りがこみ上げてくるんだ」
涙を拭く。
新聞を捨て、指を組む。
いすに座ったままうつむく。
「俺には、もう誰かを殺すことしかできない。今まで何やったってダメだったんだ。簡単な工場の作業でも怒られてばかり。受験なんて滑り止めしか受からなかった。あれほどやりたがっていた野球だって、今までやれないでいる。人よりちょっと優れていることといえば、もう人殺し、しかない」
世間で言われている『殺しの天才』であるこの俺。
だが、こんな技術はいらない。
必要ない!
誰の役に立つというんだ!
俺は嗚咽する。
涙は床に落ちる。なん粒も、なん粒も。体から水分がなくなるかと思われるぐらい、涙がこぼれている。
誰かが死んでも、俺は泣かなかった。じいさんとばあさんが死んだときも、何の感情も持たなかった。
これだけ泣いたのは、高校入学前に野球部に入ることを反対されたとき、工場であまりに仕事ができなくて情けなくなって逃げ出そうと決意したとき、それ以来だ。
体から力が抜けていく。肉体はあるが、気づかぬうちに中身がなくなっているようだ。
何もかもむなしい。俺がやったことは、俺にとって何の利益にもなっていない。
そりゃそうだ。
誰かを殺したって自分の過去が書き換えられるわけがない。
自分の願いがかなうわけがない。
理想とする自分になれるわけがない。
それら全てわかりきったことじゃないか! それなのに!
「うっ、く……」
再び涙があふれ出した。俺はそのたびに手で涙をぬぐうが、とまらなかった。やがて俺は手を止めた。




