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殺しの天才  作者: 迫田啓伸
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3-3

 そんな親の干渉は部活にまで及んだ。

 小学六年のころ、ふとひらめいて野球部に入りたかった。

 周りは反対したが、俺は押し切るつもりだった。が、中学入学時になっても周りや親は大反対。俺の運動神経のなさが主な理由だと後で聞いた。

 が、当時は自分たちが反対だから反対。それが反対理由のすべてだった。

 よくよく聞いてみると、小学生のとき少林寺と少年野球の二択で、俺が少林寺を選んだからだとも。

 しかし、親ばかりを責められない。

 もう少しで親を説得できるというときに、俺は何らかの恐怖を感じ、親の勧める卓球部に入ることを決めた。

 なぜ卓球部だったかというと、楽そうだから。

 高校で野球ができればそれでいいと。しかし、これが間違いの基だった。

 野球部に入りなおそうとしたとき、やはり親は断固として反対。

 俺は結局野球ができなかった。

 野球をしたら、大学にいけないのか!

 大学がそんなに大切なのか!

 多分親ども、は自分たちが大学に行ってないから、俺を大学に行かせたいのだと思う。が、大学にそれほどの価値があるとは思えなかった。

 高校では野球がしたかった。

 暴力を振るってでも、すべきだった。

 しかし、当時の俺にはそれができなかった。親の言うことを素直に聞いた。心の中では何か違うと思いながら。

 いとこたちは、俺よりいい大学を出ていた。

 学生時代は特に塾なんか行っていない。部活も好きなことができた。そして、希望の仕事についている。

 時代のせいもあるかもしれない。が、どうして俺は野球ができない! 時代と何の関係がある!

 俺に運動神経がないことがすべての原因か!

 ラグビーとか、レスリングとかやっている従兄弟が俺よりいい大学に入り、楽しい学校生活を送っている。

 一方、俺はやりたいことを横目で見ながら、受験勉強を一年のころから強いられた。

 それでいい高校には入れたら俺も救われるというもの。

 部活を引退してから、本格的に受験勉強を始めた。

 今まで部活に熱中していたやつらの追い上げがすさまじく、恐ろしかった。俺が惨めな目にあいながらもやっとのことで維持してきた偏差値63は、あっさり崩された。

 それでも、俺は歯を食いしばって勉強した。

 冬には息切れしてきた。

 今まで解けてきた問題が解けなくなった。

 成績が下がるのは努力不足だと言われた。

 いつも疲れていた。

 早く終わってほしかった。親が勧め、行こうとしていた高校は偏差値が高すぎ、受けられなかった。

「最低ここ」

と、いわれていた公立高校を受けた。自転車でも通える場所だ。

 しかし、合格したのは滑り止めに受けた、全然行きたくない北九州地区の私立の男子校。

 俺の価値は偏差値しかなかった!

 俺は福岡地区で行きたい高校があった。

 野球部の強い高校だ。甲子園にも出場したことがあるところだ。

 偏差値も俺のレベルとあっていた。

 しかし、そんなところにいっても▲▲大学にしかいけないと親にあきらめさせられ、そこより一ランク上の私立高校を受けさせられた。

 そして失敗。

 親は言った。

「その学校に行きたきゃそう言えばいいのに」

 汚い!

 俺は何度もそこを受けたいといった。それなのに、反対したのはそっちじゃないか!

 ふざけるな、ふざけるな!

 公立高校受験にも失敗。

 親の期待にはこたえられなかった。部活も我慢し、周りから馬鹿にされても内申を考え、歯を食いしばって耐えたのに。

 暴力なんか振らなかったのに。

 卓球というスポーツは楽しいと思う。

 が、俺にとっては史上最低の競技だ。

 最悪だ。

 仲間内からも馬鹿にされ、笑われ、つまらない時間を費やした。

 父親とキャッチボールをしている小学生らしき男の子を見て、俺は悲しくて涙が出た。

「××高校に行くぐらいなら、好きなことやらせりゃよかった」

 親じもが、こうつぶやくのも聞こえたよ。

 俺が受けた公立高校と比べ、少しレベルが落ちるところだった。

 妹は好きなことやって、××高校よりもひとつ下のレベルの公立高校に入った。

 親には、俺はただの実験台。

 いかに言葉を弄して俺を説得しようとも、俺はごまかされない。

 俺には偏差値しかない。

 いい大学に入らなければいけなかった。

 親の虚栄心を満たすために。

 それが証拠に、高校で野球を始めようとすると、あっさり反対された。

 新しいグローブを買うこともダメだった。

 今あるのがまだ使えるから。

 今使っているのは小学生一年生のときに買ったものだ!

 そのときは既にグローブより俺の手が大きくなっていた!

 中学時代は、親は高校になったら野球をしていいといった。

 本当に言った。

 卓球部でどんなに惨めな目にあおうとも、それだけが俺の目標だった。野球ができれば高校なんかどこでも良かった。

 高校で野球をやる。

 それが俺の目標だった。

 だが、そんな希望もつぶされた。手のひらを返されたように、反対された。野球に情熱を燃やすよりも特進(特別進学クラス、学年の成績優秀者が集まるクラスのこと)に上がることに情熱を燃やせ、だと。

 言ったのは父親だ。嘘つきやがって! こんな失言を俺は聞いたことがない! この言葉を聞いた後、俺は腹いせに自宅の車を蹴った。そしたら、嘘をつくことより、そっちのほうが悪いんだとさ。

「ひと蹴り三万円」

 こう言われて、俺の貯金から三万円がさっぴかれた。


 代償行為を知っているだろうか。

 欲求不満を解消されないときに代わりのもので満たすことだ。

 保険の教科書に載っている。

 俺はブラスバンド部に入った。野球部を応援するためだ。

 しかし、何の意味もなかった。

 野球がやりたい、こんな部はまっぴらだ。

 欲求はますます膨れ上がった。ユニフォームに袖を通している奴らが、この上なくうらやましかった。

 ブランバンド部では、アミダくじで部長にさせられた。

 代償行為なんか、教科書から消すべきだ。

 野球の試合を見ていると、自分もやりたくなってくる。一方、ブラスバンド部では俺の地位は最底辺にいた。

 俺が通っている高校は少し特殊だった。

 男子部と女子部が分かれているのだ。

 設立が違うからこうなったのだ。

 だったら共学でもいいような気がする。が、男子部と女子部は別々の校舎を使い、かかわり合いは殆どなかった。

 ブラスバンド部は女子部と共同。そして圧倒的に女子が多い。だから、女子の時間にあわせなければならない。

 俺が部長だったが、何もできなかった。

 転んで楽器を壊し、修理したものの、怒られたこともある。

 部長という名の、体のいい雑用係だった。

 俺をからかうためにブラスバンド部に冷やかしで入ってきた奴もいる。そのたびにつらかった。いたくなかった。

 俺の地位が低いことが明らかにされたエピソードがある。

 顧問の先生が、部員全員の前で、男子部の部長が俺であることを言ったとき、女子の間から

「えーっ!」

 という悲鳴にも叫びにも似た声が上がった。

 そして、先生は言った。

「S君は一年間がんばってくれたので、もうこの辺で交代して○○君に」

 そのとき、女子の間から盛大な拍手が起こった。

 俺は拍手をしなかった。

 なぜだか、今になっても理由はわからない。

 俺は部をやめた。

 野球部の連中は中学時代と違い、いい奴ばかりだった。

 一方、ブラスバンド部の男子は腐れた奴ばかり。

 その立場にいたのも、責任は俺にあるのか?

 野球がしたいのに、どうして別のことをしているんだろう。

 そもそも、ブラスバンドなんかしたくなかったんだ。

 俺はやめた。続ける意味があるか?

 高校野球では、いいところまで行った。

 三年になると受験のために控えたが、試合にはすべて見に行った。

 部をやめてからも見に行った。

 結局甲子園にはいけなかった。

 このときは、いつか金をためて甲子園まで見に行こうと思っていた。


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