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殺しの天才  作者: 迫田啓伸
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3-2

 俺は気がつくと、どこかの山の中にいた。

 ブルーシートを敷き、その上に座ってペットボトルの水を飲み、生存をつないでいたようだ。

 放心状態だった。

 われに返ったのは、水がなくなったときだった。

 一週間と言ったが、正確には何日かわからない。ちびちびと水だけを口にし、その場から動かなかったから。


 その間、俺はずっと考えていた。

 親なんか、嫌いだった。

 憎んでさえいた。

 最後のとき、とにかく冷たい言葉しか投げつけていないような気がする。

 俺は人間の感情をどこかに置き忘れてきたらしい。

 幼稚園のころからそうだったような気がする。幼稚園にはろくに行っていない。半分ほど休んでいた。先生も嫌いだったし、楽しくなかったし。

 そのころから集団生活が苦手だった。

 母親からひどく殴られたことがある。

 それを父親に言うと、必ずこう答えた。

「この優しいお母さんが、そんなことするわけないやないか」

 しかし、俺は殴られた。父親が母親を落ち着かせていたのも覚えている。

 それに、被害者である俺が言っている。しかし、父親は信じなかった。


 俺は、親にとって実験台だったみたいだ。

 妹がいたが、彼女は俺のように育てられていない。

 子供のころから、俺は勉強をさせられていた。いわゆる英才教育。しかし、どこかいびつな英才教育。問題ができないと怒鳴られ、習い事もさせられ、結構好きだった勉強が嫌いになった。

 小学校低学年のときだ。色々と通信教育をさせられた。少林寺拳法も習わされた。これは少年野球との二択で、俺が少林寺を選んだのだが。


 塾にも行かされた。

 他の誰かはもっといっぱいやっていると言われた。

 いやだと言ってもやめさせてくれなかった。

 とにかく苦痛で仕方なかった。

 いざやめるときも、俺にとっては一大決心だった。

 そしてやめた後、親に対し悪いことをした気になったのは、なぜだろう。

 英才教育のおかげで成績は良かった。学校生活は最悪だったが。

 期待をかけられていると言えば、聞こえはいい。

 だが、実は親の見栄のために、がんばらざるを得ない状態にさせられている。見栄のためでないならば、なぜ親戚の話が出てくるのだろう。なぜ、あの子は成績がいいとか、悪いとかいう話が出てくる?

 とにかく、小さいころから勉強はさせられた。

 通信教育の教材が毎月送られてきた。

 それを親が付きっ切りで、俺にやらせていた。それをするのが、さも当然であるかのようだ。いやだなんて言えなかった。間違えると怒られた。そして、よく叩かれた。空き缶をぶつけられたこともある。


 俺が何も言わないうちに、中学受験もさせられていた。

 和差算、つるかめ算、分配算、過不足算、年齢算などなど。言ってみれば、連立方程式をxとyを使わずに解け、と言うようなものだ。

 中学で連立方程式が出てきたとき、俺は愕然とした。

 塾で俺が、先生から叩かれながら覚えた公式はなんだったのか。

 こんなに便利な方法があるのに。

 母親は言ったよ。

「努力したことが大事なのよ」

 報われないのに?

 努力したらその分だけ身になるのだと。

 俺の心には虚無感しか残らなかった。

 算数の成績が悪く、塾で毎日居残りをさせられ、時には、日曜日を一日つぶすことになったこともある。

 日常的に殴られ、怒られ、小学校では習わない問題にとり組むことになった。塾の宿題をしなければならないため、学校をズル休みすることもあった。

 が、結局成績は下がった。これこそ本末転倒。

 親にも無駄遣いさせた。


 俺は電車で通っていた。

 しかし俺は塾の授業についていけずにやめた。

 全くわからなかった。

 学校ではまじめだったが、塾ではふざけていた。どうせ授業についていけてないのだから。他の生徒に笑われながらも、道化を演じたものだった。

 バッグに塾専用のテキストや参考書やノートを入れ、背中に担ぐようにして歩いた。

 荷物は非常に重く、電車の中で空いている席を見つけたらすぐに座らないと体力がもたない。

 荷物が重くてよろよろと立っている俺は一度、風邪を引いていると思われ、お年寄りからシルバーシートをゆずられたことがある。


 少林寺などとも掛け持ちで、非常に厳しかった。自分の時間がなかった。

 休みなんかなかった。

 実力テストと称し、休日のたびに集められてテストを受けさせられた。どうせ悪い点しか取れないので、ただひたすら憂鬱だった。


 当時はまだいい中学→いい高校→いい大学→いい会社=幸せな人生、という図式が少しだけ残っていた。

 確かに私立中学に入れば後は楽だろう。が、俺はどこかに引っかかる可能性は、少しもなかった。

 合格して、何処かの私立に通うことになったとしても、その日の授業を無事に過ごすのでやっとだっただろう。

 今なら言える。

 その塾の名は『能力圧殺センター』であるべきだ! と。

 その塾で俺が得たものは、何もなかった。

 妹はそんな塾には行かされていない。実に自由に過ごしていた。

 俺は期待されていた。

 ふざけるな!

 努力はこれ以上ないほどの裏切り者だ!

 何にもならなかった!

 俺は勉強をするのが当たり前だった。

 親の言うことには従うのが当たり前と思っていた。

 間違いだった。


 塾の先生は詐欺師のごとく、やたらと弁の立つ人だった。うまく言いくるめられて塾を続けさせられた。そのしつこさには親も頭にきていたようだ。

 塾をやめた後も、通信教育をすることを約束させられた。そのおかげで小学六年のときに成績は上がったが。

 塾に行っているときには成績は下がり、やめたら上がるとは……。

 小学校のころから、高校受験のこと。

 馬鹿か、と。

 親戚の中で、俺だけが九大に入ると思っていたらしい。

 九大……九州大学は九州では一番偏差値の高い大学だ。

 そんな先のことは全くわからなかった。

 でも、親が言うから勉強しなければならない。

 全くのナンセンスだが、当時の俺はそれが間違っているとしても、親の言うことを聞くしかないと思っていたのだ。

 結局、地元の中学に行った。

 親は俺が勉強しないから、と泣くような人間だった。試験のある日に泣くような人間だった。泣いたってどうにもならないだろうに。

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