第31話「公的陳情カテゴリへ」
光が、変わった。
処刑台の天板から立ち上った脈動が、一拍ごとに強くなる。白く染まったコンソール画面が明滅を繰り返し、その光が足元の石材を透過して天板全体に広がっていく。
ヴィオレッタの視界の端で、巨大中継スクリーンの色が揺れた。
赤が、消えていく。
画面上部に常駐していた投げ銭カウンター。娯楽カテゴリを示す赤色のアイコン。送金受付枠を囲む暖色のフレーム。視聴者数の表示。コメント欄の背景。
すべてが、一斉に——
青へ。
荘厳な、深い紺碧。娯楽でも演出でもない。帝国法に基づく公的手続きの色。
中継画面の最上部に、新しい文字列が展開された。
```
【カテゴリ移行通知】
当該中継における祝福貨の受付区分は、
以下の通り再分類されました。
旧:赤色(娯楽・投げ銭)
新:青色(公的・法的手続き/陳情)
```
広場が、静まった。
正確には、静まったのではない。数万の群衆が一斉に息を止めただけだった。つい一瞬前まで怒号と悲鳴で埋め尽くされていた空間から、音という音が消え落ちた。
その空白を、足元の天板が埋めた。
脈動が、変わる。
コンソール画面のステータス・ラインに新しい行が走った。
```
> 保全プロセス[仮保護]:起動完了
> 対象者保護モード:移行
> 身柄処分停止:先行執行
> 監査シールド:上位展開シーケンス開始——
```
ヴィオレッタの周囲を覆っていた絶対防壁が、震えた。
残量インジケーターが赤域に食い込んでいた、あの薄い光膜。端末保護用の安全設計——処刑台に最初から組み込まれていた、設計者だけが知る休眠機構。
それが今、別のものに変わろうとしていた。
薄紫の光膜が一度、消えた。
近衛騎士の団長が、その消失を見た。振りかぶっていた剣が、躊躇なく振り下ろされる。
だが刃が到達するより早く——
天板そのものから、光の柱が噴き上がった。
紫ではなく、青。
中継画面を塗り替えたのと同じ、帝国法の手続き色。それが処刑台の四辺から垂直に立ち上がり、ヴィオレッタを中心に六角形の壁面を形成していく。端末保護用の薄い膜ではない。監査シールドの——本来の設計仕様に基づく完全展開。
団長の剣が、その壁に触れた。
金属と光が衝突した音は、鳴らなかった。
代わりに、無音の衝撃波が走った。団長の体が後方へ弾き飛ばされ、天板の縁まで滑る。続いて左右から斬りかかっていた二人の騎士が、まるで見えない壁に殴られたように仰向けに倒れた。
四人目。五人目。
天板上の騎士たちが、次々と弾かれていく。剣を手放した者、膝をついた者、階段から転がり落ちた者。
六角形の青い壁面は、揺らぎもしなかった。
コンソールのインジケーターが、赤域から一気に白域へ跳ね上がる。
```
> 監査シールド:上位展開完了
> 障壁強度:端末保護モード → 監査保全モード
> 身柄処分停止:有効
> 当該対象者に対する物理的処分の執行は、
本保全プロセスの完了まで凍結されます。
```
ヴィオレッタは、画面のその一行を確認した。
身柄処分停止。
処刑の凍結。
システムが——彼女自身が設計したフェイルセーフが、彼女の処刑を、仕様として止めた。
だが、感傷に浸る時間は一秒もなかった。
コンソールの操作画面に指を戻す。次の手順。仮保護が通った今、やるべきことは一つだけ残っている。
決済待機列の制御。
画面を切り替えた。処刑台に集中している祝福貨のトラフィック・ログが表示される。暫定直列同期によって全国から物理直結された回線を通じ、膨大な量の送金データが流れ込んでいた。
その大半は、赤色。断罪ショーの「見物料」として投じられた娯楽カテゴリの投げ銭。
だが、その中に——決済がまだ確定していないものがある。
回線の混雑、トラフィックの爆発的増加、処刑台側のプロセス負荷。それらの要因で決済待機列に滞留したまま、確定処理を待っている未決済の送金群。
そして、この瞬間以後に新たに流入する送金。
ヴィオレッタの指が、コマンドラインを叩いた。
```
> ROUTE: 祝福貨・受付カテゴリ再分類
> 対象: 決済待機列[未確定] + 以後流入分
> 旧カテゴリ: 赤色(娯楽)
> 新カテゴリ: 青色(公的陳情/身柄保全請願)
> 既確定済送金: 対象外(遡及なし)
> CONFIRM? _
```
一瞬も迷わなかった。
CONFIRM。
画面が承認を返す。
処刑台に接続された全国の中継画面で、送金受付枠の色が完全に青へ固定された。投げ銭のアイコンが消え、代わりに帝国法の条文番号と「公的陳情」の四文字が表示される。
次に、ヴィオレッタは顔を上げた。
増幅術式。処刑台の標準設備として、この場の音声を広場全体と中継回線に乗せる魔導装置。レオンハルトが断罪ショーの演出のために最大出力に設定したまま、誰も切っていない。
だから、彼女の声は届く。
広場に。帝都に。全国の中継端末に。
「——聞きなさい」
低く、平坦な声だった。
六角形の青い障壁の内側。跪いたまま、手枷を嵌められたまま、額の傷から乾いた血を垂らしたまま。それでもヴィオレッタの声には、一片の震えもなかった。
「これより、全視聴者が投じる祝福貨は『応援』でも『見物料』でもない」
言葉を区切った。
広場の群衆が、中継画面の向こうの帝国民が、その間を待っている。
「帝国法第七款・民意保全条項に基づく——『対象の身柄保全を求める公的陳情』として受理される」
静寂が、割れた。
広場のどこかで、誰かが叫んだ。だがそれは怒りでも嘲笑でもなく、純粋な困惑だった。「は?」「どういう意味だ?」「法的って——」「投げ銭が、陳情?」
声が重なる。理解が追いつかない者、画面の表示を何度も読み返す者、隣の人間に説明を求める者。
だがヴィオレッタは説明を重ねなかった。
システムが、代わりに教える。
中継画面の送金受付枠に、新しい表示が追加された。
```
【公的陳情・受付状態】
・本送金は帝国法に基づく法的意思表示です
・対象者の身柄保全を求める陳情として処理されます
・送金総額は公的記録として保全されます
```
その表示が全国に行き渡った、次の瞬間だった。
コンソール画面の着信ログに、一件の通知が点灯した。
送金元——南東回線。末端の個人端末から直接押し込まれた、微弱な信号。
ヴィオレッタの指が止まった。
増幅塔は壊された。八基全て。だが暫定直列同期で全国の回線が処刑台に物理直結されている今、地下に埋設された回線そのものは生きている。塔がなければ増幅はできない。通常なら信号は減衰して届かない。だがこの処刑台が全回線を束ねて吸い込んでいる状態なら——微弱でも、着弾する。
金額は小さかった。一般的な投げ銭の最低単位にも満たないような、ささやかな送金。
だが、その色は——青。
画面上のカテゴリ表示は「公的陳情」。
最初から青色で送信された、法的意思表示としての祝福貨。
コンソールに表示された送信者の属性タグ。かつて地方塔で働いていた技師たちの個人端末。塔は壊されても、回線の仕様を知っている人間は壊せない。彼らは自分の端末を残った地下回線に直接繋ぎ、送信した。
二件目が来た。三件目。
南東回線から。北方回線から。東部管区から。
塔なき地方回線が、脈を打ち始めていた。
帝都の群衆より先に。中継画面の色の意味を、仕様として正確に理解している者たちが。
「——仕様を知っている人間は、壊せないのよ」
ヴィオレッタの唇が、わずかに動いた。コンソールの着信ログが、一行ずつ増えていく。
四件。七件。十二件。地方からの送金が、ぽつぽつと、しかし確実に青色で着弾していく。
そして——帝都の広場でも、最初の一人が動いた。
中継画面を見上げていた群衆の中から、誰かが祝福貨を投じた。赤ではなく、青の受付枠へ。「公的陳情」の表示を確認した上で。
一人が投じれば、隣が続く。
カウンターの数字が回り始めた。赤い見物料の桁送りとは違う、慎重な、しかし止まらない青の積み上がり。
処刑台の上方から、声が降ってきた。
「——バカな」
レオンハルトの声は、もはや演説のそれではなかった。
ヴィオレッタは顔を上げなかった。だが増幅術式がその声を拾い、広場中に撒き散らしていた。汗と唾の混じった、喉の奥から絞り出すような声。
「防壁だと……!? なぜだ、なぜ処刑台にそんなものが……!」
答える者はいなかった。
天板の上で膝をついたままの近衛騎士たちも、答えなかった。団長が剣を杖にして立ち上がろうとしている。だが六角形の青い壁面は、先ほどとは比較にならない硬度で彼らを拒んでいた。
「壊せ! 壊せ! 強引にその女を殺せ!」
レオンハルトの命令が、全国に中継された。
四度目ではない。もう数えることに意味がなかった。この男の口から出る言葉のすべてが、暫定直列同期によって処刑台に束ねられた全回線を通じ、帝国の隅々まで配信されていく。
コンソールの着信ログが、加速した。
レオンハルトが叫ぶたびに、青い祝福貨の流入速度が上がる。
ヴィオレッタは、その相関をログの数字で確認した。そして、中継画面のカメラが自分を映しているのを知っていた。全国の視聴者が、今この瞬間、手枷を嵌められた女と、暴力を命じ続ける皇太子を同時に見ている。
だから、笑った。
口元だけの、静かな、しかし見る者の背を凍らせるような笑み。
増幅術式が、その声を拾った。
「さあ——」
跪いたまま。手枷を嵌められたまま。額の傷を、乾いた血の筋を、全国に晒したまま。
ヴィオレッタは、画面の向こうの帝国民に向けて言った。
「あなたたちの財布の重みで、この国の法を——物理的に、作動させてみなさい」
コンソールの着信ログが、スクロールでは追いきれない速度で流れ始めた。
青い数字が、積み上がっていく。




