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EVERGREEN -Defoliants-  作者: 琥珀さそり
【Withering.】
6/18

Chapter 1-6

「ねぇ、ぎる。この子になまえはないの?」


 充電ユニットの鳥籠に入った金糸雀(カナリア)型の医療補助機械(メディシンロイド)を指先であやしながら、アイビーはギルバートに聞いた。


「ない」

「なんでー?」

「何でもなにも、要らないだろう。そいつは機械だぞ」

「どうしてキカイはなまえがいらないの? なまえはたいせつよ。呼ぶときにフベンじゃない?」

「じゃない。いいからお前は勉強の続きをするんだ」


 紙と本に埋もれていた部屋はアイビーの生活環境を整えるためにアナスタシアの人型機械(アンドロイド)たちに片付けられ、新しく(あつら)えた彼女の机に本やノートを置いても、アイビーは鳥籠の前から動かない。

 窓枠で切り取られた四角い斜陽を受けて、アイビーの瞳に一瞬だけ火が灯ったように朱が差す。金糸雀が本物らしく羽繕(はづくろ)いする度に濃い黄色も重なり、若緑色は深さを増していく。


『ねぇ、ギル、名前は大切よ』


 そう言って、この場にいるはずのない『アイビー』の声が、微笑みが、壊れてしまった海馬から引きずり出される。

 目尻を下げて、頬にかかる蔦を耳に掛けながら笑う仕草は『彼女』の癖が移ったものだった。


 鮮やかな幻想が瞬きと共に消えていなければ、自分は何を口走るところだっただろうか。半開きになった頬の裏側を噛んで、ギルバートは頭を振った。


「お前がつけろ」

「え?」

医療補助機械(そいつ)の名前だ。今のところ個体名の登録はしていないから、つけたいならお前が好きにつけていい」

「ほんと!?」


 鳥籠の入口を開け、金糸雀の頭を二秒間長押しする。キュル、と螺子が締まるような高い音がして、黒い瞳が蒼く光った。


『識別用任意個体名の更新を承ります。どうぞ自由な名前でお呼び下さい』

「わ、しゃべった!」


 金糸雀から少女のものをサンプリングした合成音声が流暢(りゅうちょう)に流れ、アイビーの瞳が更に輝いた。

 だが、彼女は口を開閉するばかりで、名前を言おうとしない。


「どうした?」

「うーん、いざつけようと思っても、うかばないの」

「難しく考えなくても、優しい兄さん姉さんの誰かの名前でもいいんじゃないか?」

「ダメよ! なまえって、ほんとうにたいせつなのよ! ローリエお兄さまとアナスタシアさまが言っていたわ、なまえは生まれてはじめて他人からもらう『ごほうび』なのよ」

「ごほうび?」

「そう。この世界に生まれてきてくれたことへのカンシャをこめているんだって」


 たどたどしいイントネーションから、自分で言っていても意味はよく分かっていないのだろう。

 腕を組んで唸っているアイビーを見かねて、ギルバートは本棚から一冊の本を取り出した。

『名前辞典』と印字された分厚い本は、彼女の手には少々大きいようだ。四苦八苦して髪の蔦でも支えながら表紙を開く横で、ギルバートは金糸雀の頭を再度長押しする。

 瞳の青い光が明滅し、目を閉じて待機状態(スリープモード)に移行した。


「これには一般的な名前と意味が書いてある。そこから好きなものを選んで、つけてやればいい」

「はぁい。ありがとう、ぎる!」

「じゃあ、晩飯までの勉強は辞典(それ)を使うか。気になる名前をノートに書き写していけ」

「またお勉強するのぉ? やだぁ〜!」


 ソファにしがみついて駄々をこねる額を、指で軽く弾いた。アイビーは交渉の余地がないことを悟ると、大人しく辞典を抱えて椅子によじ登った。

 最初こそびっしり書き込まれた文字に嫌そうな顔をしていたが、ページを(めく)っていく内に夢中になっていったようだ。

 ペン先が紙を擦る音を聞きながら、ギルバートは自分もデスクで論文の添削に取り掛かった。


「ねぇ、ぎるのなまえはどれ?」

「『G』から始まる一覧を探してみろ。いいか『G』だぞ。『C』じゃないからな」

「わかってるわよ! ――あっ、あったわ!」


 ぱっと瞳を輝かせたアイビーは、すぐにノートの上に文字を書いていく。ひょいと椅子から降りて、ギルバートの元へ駆け寄ってきた。


「ほら、かけたよ!」


 満面の笑みで突き出してきたノートを受け取り、やや右上に寄った『Gilbert』という単語を見て、ギルバートはアイビーの頭に手を乗せた。


「文字のバランスは悪いが、よく書けちゃあいるんじゃないか。次はニコラの名前でも探してみろ。今度はノーヒントでな」

「えっと、にこらは……『N』からはじまる?」

「正解だ。ちゃんと意味も書けよ。『名前は大事』なんだろう?」


 大きく頷いたアイビーは、軽々と椅子に飛び乗り辞書を捲っていった。


 やがて日が傾いていき、六時を告げる温室の鐘が響いた。

 ギルバートは文献を閉じて腰を上げ、部屋の照明を点ける。キッチンに立つと、アイビーが近寄って来た。


「今日はなにたべるの?」

「昨日と同じ」

「ハンバーガー? ピザ? アイビーもたべていいもの?」

「馬鹿言え、お前はこっちだ」


 縦長のアルミケースから固形肥料を渡すと、頬をパンパンに膨らませてギルバートを睨み上げる。左右から手で挟んで空気を抜き、黙って椅子に座っていろと体の向きを反転させた。

 膨れっ面のまま、アイビーはダイニングチェアではなく医療補助機械(メディシンロイド)の近くにあるソファに乗り、籠の隙間から金糸雀の(くちばし)に指を寄せる。鳴き声を真似しながら、候補なのか名前をいくつか呟いていた。


 大人しくしてくれるならばいいかと、ギルバートはフリーザーから冷凍された卵液とキューブ加工された野菜を取り出した。片足では細かな動きを繰り返すには不便だろうと、カストから贈られた脚の高いキャスター付のスツールに腰を下ろす。片手の指で足りるほどしか使っていなかったから、新品同様だ。


 フライパンも包丁も、最後に扱ったのは三年も前――温室を出て以来だ。しかし、身体は覚えていてくれたようで、手つきはすぐに危なげないものへと変わった。

 食材も家を片付けた時に人型機械(アンドロイド)がアナスタシアへ告げ口し、お節介を焼いた結果だ。酒とカロリーバーくらいしか入っていない空っぽの冷蔵庫を見て、小言と共に大量に購入してきたのだ。あまりの惨状に家庭補助機械(ハウスキープロイド)の派遣を提案されたが、それは断った。


 回答した卵液とキューブ野菜を混ぜ合わせ、フライパンに流し込む。音と匂いに気づいたアイビーが、いつの間にか隣に来ていた。


「なにつくってるの?」

「馬鹿、危ないから手を伸ばすな」


 忙しなく動くターナーへ手を伸ばそうとするのを(ひじ)で制するも、好奇心が抑えきれないアイビーは右へ左へチョロチョロと動く。移動の邪魔だし、下手にぶつかられて熱したフライパンやコンロの火で火傷をされても困る。軽い皿やバゲットの準備を手伝わせた方が安全だ。

 頼られたのが嬉しいのか、アイビーは嬉々としてギルバートの言うことを聞いて食卓の準備をしていく。手渡された皿に焼き上がったオムレツを乗せ、席に着くとアイビーも向かいに座った。


 フォークでオムレツを切ると、アイビーも真似をして固形肥料をフォークで小さく割って口へ運ぶ。もそもそと口を動かして一個目を食べ終えた時、ねぇと呼び掛けてきた。


「ぎるはどうしてローリエお兄さまとアナスタシアさまが嫌いなの? ふたりとも、とってもやさしいのに」

「それは昼に話しただろう。大人には子供には分からないことが色々とあるんだ」

「またそれ! その『コドモ』と『オトナ』ってなに? どうしてここにはわたしと同じくらいの小さい人間もいるの? 温室で見たほかの人間とはなにが違うの?」


 どうして、とアイビーは繰り返す。塩気を効かせすぎたオムレツを咀嚼(そしゃく)しながら、ギルバートは(あご)の無精髭をざらりと撫でた。

 思い返せば、温室に出入りしている人間は大人ばかりだ。子供というものを見たことがないことは理解できる。姿が変わり続ける人間と途中で外見上の成長をやめる植物人(プランツ)が違うことは、兄姉たちから教わって徐々に分かっていくものだが、今はギルバートが彼らの代わりをせねばなるまい。


 飲み込んで、ナイフとフォークを置き「いいか」とアイビーへ向き直った。


「人間は植物人と違って生涯成長し続けるんだ。生まれた時は立つこともしゃべることもできないが、そこから徐々に筋肉や骨が成長していって、立ったり歩いたり、喋ったりすることができるようになってくる。その成長過程を心身の成熟度合いで大別して、赤ん坊、子供、大人と呼ぶ。老いるとも言うな」

「おいる?」

「マダム・アナスタシアを見ただろう。若い時はどれだけ健康に過ごしていたとしても、いずれは必ず心身の機能が衰えてくる。皺が増え、筋肉が落ち、身体は上手く動かなくなる。それが老いだ」

「そうなったら、どうなるの?」


 死ぬ。――そう言いかけた口が止まった。

 口を半開きにしたまま動かなくなったギルバートに、アイビーが首を(かし)げる。


「ねぇ、どうなるの?」

「……老いていった後は、枯れていく」

「枯れるの? 植物(わたしたち)みたいに?」

「お前にわかるように言うならな。兄さん姉さんの誰かが枯れたところを見たことはあるか?」


 アイビーは首を横に振る。

 確かに、誕生して数日でギルバートの元へ預けられたのだ。植物人が辿る『運命』と『末路』からは遠ざけられてきたのだろう。

 特にそうしようと望んだわけでもないのに、いつの間にか口に味のないオムレツの欠片が放り込まれていた。

 とにかく、口に物が入ったままでもいいから、何か言葉を続けなければ。枯れるとは何かと、無垢なアイビーから質問が飛び出す前に。


「人間は生まれた以上、六十年もすれば枯れる。世界がこんな風になる旧文明時代は、この倍は生きていたようだが、現代では瘴気の影響でそれくらいしか生きられない。八十歳のマダムが特殊なくらいだ」


 植物園では長い間、瘴気に抗う術を研究し続けてきた。どれだけ強固な装甲を以てしても時が経てば劣化し、わずかな隙間から入り込んだごく少量な瘴気に人間たちは常に曝されている。

 その毒素の分裂による肉体の腐食を抑制するための薬が開発されたおかげで、植物園の中では生きていけるようになった。だが、あくまでも『抑制』であり体内に入り込んだ毒素を完全に消すことはできない。現在の死因は主に内臓疾患だ。前時代と同等の寿命を保つことはできなくなったが、人間は着実に命を繋ぐ術を編み出していったのだ。


 固形肥料を奥歯で噛みながら、アイビーはまた問いかける。


「ぎるも枯れちゃうの?」

「いずれな。人間だから当たり前だ」

「枯れちゃったらどうなるの?」

「どうなるって……」


 返答に(きゅう)したギルバートはコーヒーを啜る。


「どうもならない。この世界から俺がいなくなるだけだ」

「いなくなるって、どういうこと?」

「だから、俺という存在が消えて、どこにも存在しなくなるんだ。消えた後のことは、俺もよく知らん」

「ふぅん、なんかヘンなの。枯れたなら、また植えればいいじゃない」

「……何だって?」


 カップを口元へ持っていく手が止まった。


「だって、そうでしょう? 枯れちゃったなら、また種を植えればいいのよ。土にうめて、たいせつに水をあげたら、かならず芽はでるわ……――どうしたの、ぎる?」


 まるでそれが世紀の大発見であるかのように話すアイビーの向かいで、ギルバートは額を指で支えながら項垂(うなだ)れた。

 ……どうやら、説明の道順を誤ったようだ。

 幼いから、知らないからと変に婉曲(えんきょく)したのがまずかったのだろうか。いつかは自然と『死』というものを知ることになるのだろうが、それは今ではないと無意識に遠ざけてしまったのが原因だ。

 変な知識を温室へ戻った時に披露されたら、十中八九、兄姉やアナスタシアから苦言を(てい)される。今からでも正しく教えるべきかと口を開く前に、アイビーが身を乗り出してきた。


「あんしんして、ぎる! あなたが枯れても、わたしがまたうめてあげる! ちゃんと芽がでるまで水をあげるし、ほしいならハンバーガーも、ピザもたべさせてあげるわ! だからそんなに落ちこまないで、アイビーお姉さまがちゃんとおせわするから!」

「……お前という奴は、まったく……」

「なぁに、ぎる、嬉しいの?」

「あぁ、お前のその馬鹿がつく純粋さが羨ましいくらいだ」


 最初は胸を張っていたアイビーだが、数秒遅れて言葉の意味を理解したらしい。頬を膨らませて「バカてすって!?」とギルバートへ詰め寄った。ひどいひどいと(わめ)くアイビーを無視して、空になった食器をシンクへ移動し水にさらす。


「……とにかく、お前にはまだ早い。この話は、そうだな、あと三ヶ月くらい経った頃なら教えてやらんでもない」

「さ、さんかげつ? それってなんかい寝たらくるの?」

「約九十回」

「やだ! 多い! はんぶんくらいにして!」

「この世界に人間が住めるようになっても九十回は九十回だ。ほら、分かったら寝る前にもう少し勉強しろ」


 背を向けて洗い物を始めたことで完全に意識が離れたことを悟ったのか、アイビーは口を尖らせながら勉強机へ戻っていった。


 多少生意気な口をきくが、指示したことに反抗する素振りはない。『前』の個体も、何か頼み事をしてもすんなりと聞いてはくれなかったことを思い出す。

 つんと顎を反らして、澄ました声で「イヤ」と言って、困るこちらの反応を楽しんでいた……――。


「やめよう」


 目頭を押さえ、小さく呟いて頭を振る。

 不毛だと何度も自分に言い聞かせて、海馬の奥底に閉じ込めて幾重にも鍵をかけていたのに、頭は過去を現在に重ねようとする。時が経って生まれた細い隙間から蔦が覗く。その赤ん坊の掌のような葉を伸ばして、搦め取り、記憶の扉をこじ開けようとしている。


 手から滑り落ちた木皿がフローリングを転がる音に、ようやくギルバートは呼吸を思い出した。過去が迫る時、いつも息苦しくなる。

 皿の落ちた音に「どうしたの?」というアイビーの呑気な声が飛んできた。努めて平生(へいぜい)通りに「何でもない」と返事をしたら、あとはまた勉強に戻っていった。


 皿を拾おうと屈むと、嫌でも短くなった右足が目に入った。

 枯れたなら、また種を植えればいい――彼女の言葉が耳の奥で反響する。


「俺は、許されない。こんな枯葉剤に塗れた、俺は……」


 喪われた右足が、(すすりな)くように痛む。

 洗い直した皿を水切りラックに立て掛けて、ギルバートはふと思った。


 ――俺は夕食を食べただろうか?

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