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選ばれしオッサン、宇宙の最果てで『星喰い』を打倒する  作者: オリスケ
辺境星のモラトリアム
6/33

5節



     ――イル=グゥ 惑星表面座標:二四四五――





 月の綺麗な夜だった。

 昨日の雨が空気を洗浄したのだろうか。空気は涼しく清らかで、吸い込むと何となく心地がいい。五つの月の光は眩く、見つめていると落ちてきそうな迫力を持っている。



 何となく、目が冴える夜だった。

 オルトは机に腰を下ろし、肘をついて物思いに耽っていた。

 木組みの家屋には、親子二人で暮らしている。今夜は、息子は大事な用事で出かけていた。男二人の質素な家が更に物寂しい空気を纏い、ぐっと広がったように感じられた。



 オルトは暗い自室の中で、巨体を縮めるようにして机に鎮座している。

 目の前には、小さな箱型の機械が置かれていた。動力として組み込まれたフォトンの青色が、彼の白い髭を浮き上がらせている。

 何世代か前に偶然落ちてきて、かつての先祖が見つけた、漂流物(デブリ)の一つだ。

 最果ての星たるイル=グゥに宇宙ゴミが落ちる確率など、惑星同士が衝突する程に極小だ。更にその中で、動力たるフォトンが無事なものなど、奇跡と呼んで差し支えはない。

 映像と音声によってやりとりする、ごくありふれた通信機だ。しかし言葉を交わすべき相手は存在しない。オルトはもっぱら、これの録画機能を用いて、日記として活用していた。

 スイッチを付けると、青い光が広がり、空間に四角形の枠を投影する。

 映像として浮かぶ自分の顔は、どことなくやつれているように見えた。カインの「耄碌した」だとかいう冗談も、笑い飛ばすのが難しくなってきた気がする。

 懊悩に手を伸ばし、録画を開始。画面端に赤いランプが点る。



「夏期十六日。晴天。昨日が雨なので、集落では採取した陸藻を天日干しにしてある。鍛錬はいつも通りだった」



 言葉は堅く、辿々しい。いつも同じ、面白みを削いだ内容なのに、次第に口から出なくなっていく。喉の奥につっかえる感覚が苦しくて、どんどん気分が億劫になる。

 欠かさず言い残す最後の言葉が、嫌いでしょうがないからだ。



「ウィルムは目覚めない。本日も、異常なしだ」



 吐き捨てる報告には、もう落胆すら出てこない。心は飽きを通り越して枯れている。

 いつもはこのお決まりの報告をした後、いたたまれない気持ちと共に録画を終了するのが常だった。今回も同じように機械を止めようとして、オルトはふと手を止めた。

 しばらくの逡巡の後、伸ばしかけた手を再び組む。



「……カインが、近々結婚するよ」



 その一言に込められた感情は混濁していて、自分でもそれが何なのかを表現できない。



「相手は集落のククルだ。確か、一、二歳年下だったと思う。真面目でいい子だ。子供の頃は、まるで妹のようにいつも一緒にいてくれた……彼女は本気でカインを好いている。毎日健気に食事を作ってくれるよ。カインは溌剌だからな。作りがいもあることだろう」



 月の輝く銀色の空に、独白が静かに響く。



「カインは……あいつは俺から見てもいい男だ。明るく、頑張りやで、センスもある。何より人好きする。まさか俺から、あんな優しい子供が産まれるとは……お前が生きていたら、毎日のようにからかわれたろうな」



 亡き妻を思いだし、オルトの顔がほんの少し優しくなる。

 体の弱かった妻は、双子を産んでからまもなく、高熱にかかり息を引き取った。

 録画を始めたのは、それからだった。カインは母親の顔を覚えていない。その寂しい後悔が、今もこうしてオルトを机の前に座らせるのだろう。



「カインは、十八になったよ。立派になった。まだ青臭くておっかない所はあるが、やがては俺も越える程に強くなるだろう。ウィルムが目覚めても、カインならきっと打ち破れる……もちろん、俺だって負けはせんがな」



 誰にともなく強がる。寝静まった惑星に、彼の寂寥を慰めてくれるものはない。

 オルトも昔は、カインのようだったのだ。

 青臭く、活力に満ち、ウィルムを倒すのは自分だと毎日息巻いていた。

 それが今はどうだ。



「ついこの前まで、父親としての在り方に、戸惑っていた気がするんだが……」



 数日したら、カインはこの家を明けがちになるかもしれない。

 数週間後には、隣に女性を引き連れて、妙に畏まった挨拶をしてくるかもしれなかった。

 何となく、雛を見送る親鳥の気分だった。

 しかし親鳥とは、こんなにも悲しい思いを抱くものなのだろうか。



 ただただ時の流れに当惑する。握り込む手の、潤いを失った柔らかい肌に愕然とする。

 画面に映る、薄暗い部屋で青い光に照らされた、老いを感じ始めた男。それが自分だ。

 信じられない。信じたくない。それでも自分は父になり、それを卒業しようとしている。

 人生の終わりが、着々と近づいてきている。

 ウィルムと闘うという悲願を、成し遂げられないままに。



「時間とは、こうも残酷なのだな」



 ため息は、驚く程に重たく空気を震わせた。耐え難い悲しみが、言葉の端から滲む。

 ふるふると思考を切り替える、その仕草にも、力は籠もらない。



「……すまない。弱音を吐くつもりでは、なかったんだが……」



 また誰にともなく呟いて、今度こそ録画停止のボタンに手を添える。

 この映像を、誰に見せる訳でもない。だったら何の為にと言われても、返す言葉を知らない。

 きっと、どんな形でも、何かを残したいのだろう。

 あるいは、許して欲しいのだろうか?



「……俺は、子供たちを愛している。それだけは、本当だ」



 締めの為に呟いた言葉は、やはりどこか許しを請うような物悲しさをはらんでいた。

 停止の指示を送ると、青白い光は瞬く間に消え、夜の静寂が帰ってくる。

 久しぶりに穀物酒でも煽ろうかと腰を上げる。その時小さな物音が、彼の動きを止めた。

 オルトは静かに気配を殺す。息を潜めていると、やがて気配は室内から消えていった。

 持ち上げていた腰を椅子に下ろし、ため息を一つ。



「どうやら、まだ父親卒業とはいかないらしい」



 額に手を当てて、誰にともなくそう呟いた。





 しばらく時間を置いてから、オルトも自室の窓を抜けて、平屋の屋根に登った。

 案の定、そこでカインが寝そべっていた。月の眩しい夜空に物憂げな顔を向けている。

 弄んでいるのは、何かの漂流物だろうか。青白い光が、空に画像を投影している。



「……二人で月見じゃなかったのか?」



 声をかけると、カインはほんの少し驚いたように目を見開き、上体を持ち上げた。



「父さん? 静かだったから、もう寝てたとばかり」

「静かにしてたんだ。どうも、気づいて欲しくなさそうだったからな」

「あ、はは……参ったな。後でなあなあにはぐらかしちゃおうとか、考えてたんだけど」



 悪戯のばれた子供のように頭を掻くカイン。

 夜はまだこれからという時間帯。男女二人の逢瀬ともなれば尚更だ。カインがここにいることは、余りに早く、不自然だった。



「隣、いいか?」



 バツの悪そうなカインの苦笑はひとまず置いて、オルトはカインに並んで横になった。

 屋根に寝そべると、夜空を視界いっぱいに見渡す事ができた。少ない星の中、五つの月が横一列に並んでいる。



「稲妻の座……何かを決断するのに良いとされている夜だ」

「……」

「まあ、いつ誰が決めたかも分からない、眉唾な話だがな」

「そっか……」



 カインの反応は乏しい。何を言うべきか、そんな迷いと緊張が表情に表れている。緊張をほぐそうとしてか、青い光を投影する機械をしきりにいじっている。



「どこでそれを見つけた?」

「一年くらい前、森の中で光ってるのを見つけたんだ。フォトンが稼働している奴なんて見たこと無かったから、秘密の宝物にしてた」

「随分古いな。古典的な映写機だ」



 父と息子、拳二つ分くらいの距離に肩を並べて、機械が夜空に投影している物を見る。

 古い絵物語だった。一つの画面の中に、抽象化された怪物の姿が数多く描かれている。



「創世記、か……」

「父さんが良く話してくれたよね。この世界の、始まりの物語」



 昔を懐かしんで、カインが微笑む。オルトは父から、父は祖父から、代々語り継がれてきた物語。オルトはしばし画面に見入り、書かれている文章を目で追いかける。



 この宇宙は、元々は”大いなる星”という、たった一つの世界でできていた。

 大いなる星は、今この宇宙に満ちる全てを凝縮した、とてつもなく巨大な、エネルギーに満ちた星だった。



 美しく活力に満ち溢れた星には、支配者がいた。

 大いなる獣、エネルギーが溢れる中を我が物顔で泳ぎ、条理を凌駕した怪物、幻獣(ファンタズム)

 幻獣は大いなる星における最強の生物として君臨した。彼らは息を吸うように天変地異を起こし、咆哮の一つで山を割り、生物としての規格は死という概念を否定した。

 死を持たない無敵の怪物によって、あらゆるモノが蹂躙される世界。定義付けすらされないエネルギーが凝縮した混沌の星。



 幻獣の支配を終わらせたのは、我々の遠い遠い祖先に当たる、人類種だった。

 "古き者"と呼ばれる彼等は、破壊と混沌しかなかったこの世界に意志をもたらした。"古き者"は穏やかな世界を求め、支配者たる幻獣に、勇敢にも戦いを挑んだ。

 気の遠くなるような戦乱が続き、幾度も世界は崩れるほどの戦火を起こし……かくして人類種は、全ての幻獣を下すに至った。

 しかし戦争の影響は凄まじく、大いなる星も無事ではいられなかった。星は粉々に砕け散り、爆発と共にエネルギーが放出された。

 世界に飛び散った夥しい量のエネルギーと、大いなる星の欠片。それが今日の銀河と惑星を形作っている、とされている。



「昔々……何億年、何兆年という昔にあったとされる、子供向けの御伽噺だ」

「でも、本当なんだよね」



 映写機を弄びながら、カインが言う。



「この映写機を作った人や、その人が生きている世界は、御伽噺としているかもしれない。けれど、僕等は本当だと知っている。あのウィルムと、異能を持つ僕等が証拠だ」



 僕等は伝説。

 そう呟いたカインの横顔は、得意気に明るいのに、どこか儚げだった。



「ねえ、父さん、ウィルムはどうやって、星を破壊するのかな」

「やめないか、縁起でもない」

「イメージトレーニングだよ。訳も分からないままにお陀仏じゃ、ご先祖にも、集落の皆にも顔向けできない」

「……俺も詳しくは知らない。食欲旺盛で、大口であらゆる物を飲み込むらしい」

「あの白い大地も、ウィルムが削り取って食べちゃったのかな? うへぇ、お腹下しそう」



 カインが舌を出し、嘯いて笑う。中身の入っていない、空寒い声だった。

 それも当然だ。頭に腕を回し、次に放たれた言葉こそが、彼の本心だったのだろうから。



「あー、見てみたいなぁ」

「カイン」

「もっと、色んな物を見てみたいな。この映写機だって、誰かが作った物なんだろう? どこか違う惑星で、きっと僕等と姿も形も違う人が、自分の子供に読み聞かせてたんだ」



 カチカチと装置を回す。とっくに一周した『創世記』の物語が、再び繰り返される。



「初めてこれを見つけたとき、それを想像するのが楽しかった。これが使われる様を思い描いて、毎晩夢中になった……けれどある時、急に虚しくなったんだ。たった一回、『会ってみたい』って思った瞬間に」



 『創世記』の三週目が終わりに差し掛かり、四週目が始まる直前に、カインは機械のスイッチを切った。青色の光が消え、再び夜の静寂が戻ってくる。

 五つの月の冷たい光が、カインの横顔を照らしている。



「……告白されたよ。ククルから」



 ばつが悪そうに頬を掻きながら、カインは話を切り出した。

 銀色の月明かりの中でも、カインの頬がほんの少し朱に染まっているのが見えた。



「いずれはそうなるって分かってたし、ククルの気持ちは知ってた。結婚したいって言われて、正直に嬉しかったよ」

「……それなら、なんでここにいるんだ?」

「逃げ出してきちゃった。曖昧にはぐらかして、答えを言えずに。泣きそうなククルを、最後まで慰める事もしないで」



 僅かな驚きに、オルトは夜空を見上げたまま、小さく喉を唸らせた。

 まさかカインがそんなこと、という思いが伝わったのだろうか。自嘲気味にカインが息を吐く。



「嬉しいのは本当だ。結婚したいとも思う。二人で次の”楔”を育てる将来は、きっと良い未来だ。だけど……だけど、納得だけが、できなかった」



 カインは物憂げな目のまま、月に手を伸ばした。

 しなやかで逞しい腕。毎日鍛錬に明け暮れ、掌には潰れたマメの跡が幾つも残っている。

 その手は、何を握ることも無く、虚空を彷徨う。



「あそこでククルの手を取ったら、僕の中で、何かが終わってしまう気がしたんだ。大切な物に気がつけないまま、後戻りできない一歩を踏み出してしまう、そんな気がして……」



 “楔”は鍛錬を積み能力を磨く。いずれ目覚める幻獣ウィルムを、再び眠りに戻す為に。

 しかし、彼等の命の殆どは、無駄に終わる。スケールの大きすぎるウィルムの、余りに長い眠りに、先に寿命を迎えて朽ち果ててしまう。

 父になり、子を授かると言うことは、その使命を後世に引き継ぐと言うことだ。

 その変化は、諦める事に限りなく近い。かつてのオルトが、そうだったように。



「大人になるって、もっと良い物だと思ってた。けど違ったんだね……ただ、終わりが近づくだけだ。後戻りができない道を歩き続けて、本当に欲しかった物が遠くに消えていく」



 祠に突き立てられた一六七八本の槍。それら全てが、先代の“楔”達の無念だ。鍛え抜いた達人の技術を、終ぞ振るう機会を与えられなかった、非業の魂。

 確率で言えば、オルトも、やがてはカインも、そこに槍を突き立て、無念と諦念に苛まれたまま寿命を終えるのだ。次の楔となる遺伝子を残し、力と未練を託して。殆ど必ず。

それは恐ろしい事だった。全てが無駄になると想像するのは、耐えがたく虚しい事だった。

 だから、祈るしかない。根拠がなくとも信じるしかない。

 自分こそが守護者なのだと。やがてウィルムが目覚め、その暴虐に、他でもない自分が立ち向かうのだと。



「まだ、諦めたくないんだ。僕はもう少し、ひたむきでいたい。ククルや他の色んな事に、邪魔されたくないんだ……今は、まだ」



 寂しさを抱きながらも、夜空を見上げるカインの目は、確固たる意思の光を宿していた。



「それが、僕がシエラに送れる、たった一つの手向けだから」



 他でもない、先に旅立った妹の為に、カインは前を向き続けると決めていた。

 息子の宣言を、オルトは黙って聞いていた。昏く淀んだ彼の瞳が、一体何を思っているのか、カインには知る由もない。

 ややあってオルトは、微笑を浮かべて瞳の淀みを隠し、息子の艶のある白髪を撫でた。



「お前のその魂は、かつて俺が持ち、やがて忘れていったものだ」

「……青臭い、かな」

「青臭くて何が悪い。今のお前だからこそ持てる誇りだ」



 かつてオルトもそうだったからこそ、彼はカインの志を尊重した。父として人生の先を行く彼は、諦める事の虚しさを誰よりも深く知っていた。



「己の魂の望むままに生きろ。諦めなんて似合わない……お前のような男なら尚更だ」

「……ありがとう、父さん」

「いいんだよ。俺は、お前が前を向いて、希望を持って生きられるようするのが役目だ。それが、父になるということだ」



 そう言って、オルトは笑った。去りゆく時間への微かな寂しさに、カインの魂に触れる喜びを滲ませて。



「父になるのも、悪いことばかりじゃない。お前には、この喜びはまだ早いだろうがな」



 息子の素直な言葉が心に染みた。穏やかな気分で胸が満ちるのは、久しぶりの事だった。



「やっぱ老けたね、父さんは――だぁっ!?」



 それでも、拳骨だけは欠かさなかったが。

 そのまま二人は、屋根に寝転がり、夜空に浮かぶ五つの月をぼんやりと眺めて過ごした。

 普段は恨めしく思う去りゆく時間が、この時ばかりは少しだけ、愛おしかった。



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