1節
――揚星艦<ヴェルダンディ>管制室――
『緊急! 緊急――シグナルレッド! アロイです! 北西の森にアロイが発生しました!』
けたたましいサイレンが鳴り響き、<ヴェルダンディ>の艦内が、点滅するアラート信号で赤色に染まる。
計測器が算出したエネルギーは、天変地異でも起きたかのような凄まじい値を示していた。
「発生地付近の質量が急激に増加しています! 既に先ほどの個体を上回る勢いです!」
「ベルカエネルギーが指数関数的に上昇中! そんな、さっきまでこんなことは……!」
戦いの後の倦怠感に包まれていた筈の管制室が、異常な混乱に再び叩き落とされる。コンソールに向かうスタッフの表情は、一様に『信じられない』という驚愕が張り付いている。
狂乱の中央で、スウィニーがモニターを眺めている。宙に浮くことを辞めた彼の表情に、いつもの飄々とした様子はない。
顎に手をやり思案する、彼の背後の扉が開いた。
「――どうして気付かなかった」
黒づくめの鎧を身に纏った艦長は、入室するなり、氷のような冷たい声で問う。
背を向けたまま、スウィニーが応えた。
「皆の名誉の為に応えるけど、二分前までは何の観測もできなかったよ。本当に、突然現れたんだ」
「潜伏していたというのか? 破壊の本能しか持たないはずのアロイが?」
「そうだねぇ、なんでだろうねぇ。幻獣に取り付いた例も初めてだ。コアのみでも意識を保つ特別なアロイだったのか……あるいは、よっぽど『馴染む』原料でも見つけたかな」
瞳を細めるスウィニー。思考の高速回転を示すように、顎に添えられた指が規則的なリズムで頬を叩いている。
アロイは異常な速度で惑星資源を喰らい、成長を続けている。その勢いは、先ほどの巨大な個体を凌ぐほどだ。一刻も早く対処しなければ、直ぐに手遅れとなってしまうだろう。
「彼女たちは出られるか?」
「難しいねえ。特にベルくんは連戦向きじゃない。やるなら使い潰すつもりでやらないと」
返答は返さず、艦長は傍らのモニターに座る少年を見る。
ゼルが先ほどから、耳に付けた通信機に向けて必死に叫び続けていた。
「シエラ!? おい、シエラ! 返事しろ、おい!」
一方的な呼びかけ。逼迫した様子から、状況は芳しくなさそうだ。
「シエラはどうした? 今どこにいる」
「っ……位置情報が、アロイと重なったまま動いてません」
艦長の鋭い声に、渋面を作ったゼルが応える。
もしもの事があった時の為に、彼女のポーチには居場所を示す発信器と通信機を常に携帯させている。図面上の点は、激しく拡大するアロイの赤い印から動こうとしていない。
「何かの拍子に通信機が起動したみたいなんですが、風の音とアロイの攻撃音ばかりで……正直、無事かどうかも」
「無事だろう。彼女はこのぐらいで果てるようなヤワではない」
弱気なゼルに、艦長はそう断言する。幼少期を地獄のような星で過ごした彼女の生命力は、〈カラドリオス〉の誰もが知る所だ。
艦長の言葉に同意しながら、スウィニーが言った。
「けどねぇ。仮に運良く<ハーピィ>を展開できたとして、幻獣を取り込んだアロイに立ち向かうのは無謀だ。撤退の準備を整えるべきだね」
「彼女が応じるか?」
「無いね。彼女は意固地だし、ここには思い入れがある。それに十中八九、アロイの燃料はあの子のお兄さんだろう? 止まれないよ。逃げるくらいなら、彼女は兄との心中を選ぶだろう」
優しい子だからね、と呟く。淡々と話すスウィニーの目には、青ざめたゼルの表情はどう映っていることか。
艦長と、副長たるスウィニー。彼等の決定が、この艦の方針を決め、乗組員の命、惑星の命、あるいは世界の命運すらも左右する。
「恐らく二十分もすれば、アロイは対抗不可能なレベルまで成長する……シエラくんには残念だが、切り離しも考慮しないとね」
だからこそ、こういう言葉が出る。
マクロな視点で、合理的に考えれば、娘のように思う少女だって捨てられる。
思わず背筋を寒くするゼルに見向きもせず、艦長はマスクを軽く俯かせた。
「星の破壊も必要、か。彼女の故郷だが、そうも言ってられまい。私も準備しよう」
「君にも苦労させるね、艦長殿」
「いいさ。何を差し置いても、成し遂げなければいけない物がある。これがそれだ……艦外に展開した物資の回収。現地住民を全員居住室へ。生体サンプリングは後回しで構わん――収容したアロイの保存を最優先させろ。今後の為にも解析が必要だ」
「了解。艦長殿の準備は、どのくらいかかるかな?」
「十五分あれば足りる――必要のない損失は、いつも虚しいものだな」
小さな溜息を手向けに、艦長が大切な物を切り捨てる決断をしようとする。
その時、不意に通信を受信した。合成された男性の声がこちらに語りかけてくる。
『通電――艦長殿。突然失礼いたします』
「カフカか。どうした?」
『緊急――少々まずい事態になりまして。状況がハッキリするまで静観を推奨したのですが、機械の声よりも虫の知らせが大事らしく――』
「大体分かる。言ってみろ」
『……報告――オルト・ディケンズ様が、単身飛び出していきました』
カフカの回答は、予想の範疇だった。
「やはりな」と呟く艦長。隣のスウィニーが溜息と共に頭を抱える。
「全く、野生動物より抑えが効かないね。彼の無駄死にが一番の大損なんだけど」
「それはいつの話だ、カフカ」
『説明――二分十八秒前です。観測された移動速度からして、後四分ほどで対象アロイに接触すると思われます』
「通信はできるか」
『肯定――通信機だけは携行するよう指示しました。しかし説得に応じる確率は限りなくゼロに――』
「上出来だ。繋いでくれるか。私が話そう……ゼル、通信をスピーカーに。皆にも聞かせろ」
「わ、分かりました」
ゼルが手早くコンソールを操作する。
すぐに、草木をかき分ける彼の息づかいが、管制室に響き渡った。艦長が耳に手を当て、声を上げる。
「聞こえるか、オルト・ディケンズ」
『っ――カフカから通信があるとは聞いていた。お前が艦長か』
「そうだ。先にも会ったな。お前にとっては、もう忌まわしい思い出かもしれんが」
『かもな』
端的な回答。オルトの意識の全ては、彼が急ぐその先に注がれている。
「詫びねばなるまい。我々の落ち度だ。私達のミスで、お前の故郷を破壊する事になる」
『まだ分からない。破壊させはしないさ』
「アロイの破壊は無理だ」
『どうだかな。それより聞かせろ。あそこにシエラと、カイン……俺の子供達がいるんだな』
「ああ、そうだ。アロイのコアは、最後の瞬間にお前の息子に移植されていたのだろう。それが今になり彼の身体を浸食し、再び活動を始めた。残念だが、お前の息子はもう――」
『ふざけるな。カインは無事だ」
「アロイの何を知っている? アロイと化した生物が生還した例は一つもない」
『お前こそ、俺の息子の何を知っている。勝手に決めつけるな』
怒気を孕んだ声で、艦長の言葉を遮る。スウィニーがまた一つ溜息を吐き出した。
「聞くんだオルト。シエラを回収し、こちらに帰還しろ。それが最も最良の選択だ」
『違う。俺がアロイを倒す。シエラを助け、喰われかかっているカインを救い出す。誰も死なせない。星も壊させない。これが最良だ』
「お前一人と疲弊したシエラで何ができる。勝てる確率など、限りなく低い。お前まで無駄死にをするな。これからのアロイの脅威に、お前の力は有効打となりうる。だから――」
『他の星の事や、宇宙の命運など知るものか!』
力強い断言が、艦長の言葉を封殺した。
『息子が命の危機で、その最中に娘がいる! それ以外に、行動を起こす理由などいらない! 後の事など考えられるか! 愛する家族を見捨てた先に、未来などあっていいはずがない!』
「あのねぇ……」
スウィニーが苛立たしげに声を上げようとする。それを艦長が手で制した。
艦長は尚も毅然と立ち、スウィニーの意思を代弁する。
「十年も放逐していた娘を前に、そんな綺麗事を言えるのか?」
『ああそうさ。俺はあの子に、とても酷い事をしてしまった。俺は父親として最悪だ。救いようのない馬鹿だった――だからこそ止まれない。ここで終わりにしてはいけないのだ』
「何故だ。贖罪という自己満足の為か?」
『あの子に幸せになって欲しいからだ。あの子が産まれた瞬間から、その思いだけは変わらない。俺が不幸に突き落としてしまったからこそ、不幸なままではいさせない』
「シエラがそれを望むと思うか」
『望むと望まないとに関わらずだ! 彼女にとって最悪の男でも、それでも俺は彼女の父親だ! 守りたい、幸せにしたいという思いだけは、誰にも否定させん!』
今や管制室の誰もが固唾を飲んで、オルトの独白を聞いていた。
全員が、確信してしまう。あらゆる打算や合理性は無意味だと。
あそこにシエラがいる限り、この男は決して止まらない。
「……お前の決断は間違えているぞ」
『子供を捨てる事が正しいというなら、そんな正解はクソ食らえだ』
「何度でも言おう。勝てる可能性は限りなく低い」
『ゼロでないなら、必ず掴み取る。どんな手を使っても、俺の何を捧げてもだ』
説得は不可能だ。彼は止まらない。感情は熱く昂ぶり、それでいて山のように不動だ。
十分に理解させられた。艦長の沈黙が、何よりの証拠だった。
『もういいか? 俺は止まらない。合理的な考えとやらは、そっちで勝手にやってくれ』
言い終わると、マイクを引っ掻くような音声が入る。衝撃音を最後に、通信は途絶した。
どうやら通信機は投げ捨てられたらしい。聞く耳を持たないどころか、これで言葉すら届かなくなってしまった。
呆れ果てたスウィニーが天を仰ぐ。
「……どうしようか、艦長殿」
「致し方あるまい。程度は違えど、あの手の男はどこにでもいる」
目的を果たす為なら、どんな理論も困難もねじ伏せてしまう鋼の意思。
周りを顧みず、自らの命すら厭わずに突き進める強靱な魂。
無謀と知りながら立ち向かわずにはいられない、どうしようもない愚か者。
「しかし――奇跡をもたらすのは、いつだってああいう馬鹿だ」
ぎょっと目を丸くするスウィニーの前で、艦長は通信を繋げた。
「カフカ。グライダーの稼働用意をしろ。自動機も携行して、光学映像も此方に送れるように。それから……配達を頼みたい」
『承諾――物資は何を?』
「格納庫で待機していろ、これからスウィニーに運ばせる」
「ちょっとちょっと艦長殿? 本気かい?」
「戯れだよ。たまには損得勘定を無視して、全かゼロかの賭けも悪くない。この宇宙で、家族の愛とやらがどこまで通用するのか、見てみたくなった」
息の抜けるような小さな音。
マスクの中で響いた音を拾えたのは、傍らに立っていたスウィニーのみ。
漆黒の面の中にきっと笑みを浮かべながら、艦長は呟いた。
「希望という物が必要だ。この世界の何に於いてもな」




