1節
――星域区WⅦ:A682Y。ユレギス七二星雲境界領域――
二対の光が、銀河の無空を切り裂いていく。
宇宙の外れ、未だ名前さえついていない未開拓の星空域だ。惑星連邦が把握している文明惑星は、二日前に通り過ぎ、それより果てに文明形跡は見つけられていない。
ここは幾千万もの星が点在する無重力の大海……その水槽の端の端だ。
宇宙船の一隻もないのは当たり前。浮遊岩石の一つすらない寂しい宇宙のただ中で、二筒のエンジンブースターが白熱し、轟々と唸りを上げている。
「船速、秒速九十キロを維持。装甲負荷異常なし。燃料はまもなく六〇%に到達します」
「前方に障害物は確認できず。目標視認距離を確保。航行環境、オールグリーン」
大型揚星艦”ヴェルダンディ”の管制室では、扇状に配置されたコンソールパネルに座る三十名のスタッフが艦船の定時チェックを行っていた。正面の巨大なフロントモニターには、幾つかの電光映像が投影されている他は、果てしない宇宙の暗闇を映し出している。
状況は平穏。問題なし。自動車が行き交う陸路の方がまだ危険な程だ。
管制室のスタッフの一通りの報告が終わると、扇状の指令室の中央に配置された指令席から、飄々とした男の声がした。
「うん、定時チェック終了。大事がないようで何よりだよ」
ぱちぱちと気の抜けた拍手。気怠げな声が、管制室のスタッフの労をねぎらう。
不思議な風体の男だった。皆が一様に緑地の制服姿でいるのに対し、どこかの民族衣装のような、独特な茶色時の布地を纏い、手や首には銀や金に照る装飾品が過剰なほどに付けられている。輝くような金髪は長く、所々で房に纏められ、翡翠色の輪で結ばれている。その特異な衣装のほとんどを、上から羽織った裾の長い白衣で覆い隠していた。
時代錯誤なアンバランスさに身を包んだ男は、他のスタッフがコンソールに注目する様子を、ただひとり宙に浮いて全体を俯瞰する。艦内には人工重力が発生し、誰もが地に足を着け歩行しているにも関わらず、だ。
「スウィニー副長、アロイの航路進路はどのように?」
「都度都度でいいよぉ。しばらくは後ろにひっついていれば問題ないさ。曲がったら曲がる。早くなったら早くする。そのぐらい適当で大丈夫」
彼は懊悩に指示を出すと、表情を崩さないまま、フロントガラスの先の暗闇を眺める。
ひと目見て分かるほどに、星は数を減らしていた。目に見える光は、銀河連邦に所属するような文明惑星ではなく、全て名前すら存在しない極小星だ。彼らが本拠地とする母性からは、すでに何十億光年という途方もない距離を空けている。
これより先は、最果ての銀河。世界の終わりだ。
どんな物好きさえ近寄らない、真の虚無のある場所……と、されている。
「そんな辺鄙な場所に、一体何の用なんだろうねぇ、キミは」
誰にともなく一人ごちて、スウィニーは浩然と広がる宇宙の一点を見つめる。
ヴェルダンディから直線距離で三百キロの場所にて、一つの小惑星が飛んでいる。
銀色に輝く、巨大な金属の塊だ。全長は一キロメートルほど。形状は自然物とは思えない美しい菱形をしている。
人工的に作られたような、けれども正体不明の隕石は、どういう訳か自力で推進力を獲得し、時折進路を切り替え、宇宙空間を意志を持って飛来している。
"アロイ"と呼ばれる金属塊。その行方を追跡し続けて三週間になる。
空中に浮いたスウィニーはあくびをかみ殺して、こめかみを指でトントンと叩いた。
「最果ての地、一目散なアロイ。はてさて行く先にあるものは一体何なのか……これは、ひょっとするとひょっとするかもねぇ」
楽しげに呟く。気怠げな目には、静かな好奇心の光が宿っていた。
と、スウィニーの背後の扉がスライドし、重たい靴音が司令室に響き渡る。
「――艦長着任!」
誰かが声を張る。
瞬間、司令室の三十余名全員が起立し、一糸乱れぬ敬礼を見せた。
視線を集める先に、漆黒の騎士がいた。全身をカーボンファイバー製の鎧で覆い、顔は同じく黒で統一された、鷹を彷彿とさせるフルフェイスマスクで覆っている。
黒尽くめの艦長は、しばしその場に佇んで司令室を見渡すと、右手を振って敬礼を解かせた。浮遊の高度を落としたスウィニーが、執事のように畏まった仕草で指令席へと誘う。
「首尾はどうだ、スウィニー」
変声期を通したくぐもった声。スウィニーが肩をすくめて応える。
「今のところなーんにも起こっていないよ。後一時間は、この併走状態が続くだろうね」
「その後の予想は?」
「過去の例からすると、今は座標調整の段階だ。確定したら、アロイはベルカエネルギーを放出し、亜光速まで加速するだろう。確認次第、我々もその後を追う」
「指針の確定を抜かるなよ。いつでも対応できるよう、フォトンドライバを温めておけ」
「は、はい!」
くぐもった声が発する異様な圧力に、スタッフが上擦った声で返事する。何かミスをすれば無言で漆黒の宇宙に弾き出される。そう思わされるほどの異様な緊張だった。
「まったく、せっかく僕がほぐしたばかりだっていうのに」
「予測がつかないのがアロイだ。油断を許すな。一秒の遅れが星の死を招くと思え」
「はいはい」
「貴様のあり方もだぞ、スウィニー」
「はーいはーい」
スウィニーはひらひらと手を振って、地面にゆっくりと着地する。
氷のような凄みを受けても怯まない。スクリーンに映る金属塊に目を向け、まるで野鳥でも観察するように気軽に語る。
「アロイ二七……確認されている中では三番目に大きいサイズだね。もし現行の速度を維持すれば、それだけで大概の惑星は粉々になるだろうに」
「だが、奴はそれをしない」
「まるで意志を持つように、減速し、狙い澄ましたターゲットに着弾する……いやぁ本当に興味が尽きない。一体何を目指しているんだろうね、彼は。いや彼女かな?」
おどけた調子のスウィニーに、艦長がうんざりした吐息を漏らし、それがくぐもった呻きとして重たく響く。
「……彼女達の様子を見に行け。アレはお前が相手をした方が安心するだろう」
「かしこまりました、艦長殿」
「何にせよ、彼女達が要だ。コンディンションは万全に整えておくよう徹底しろ」
スウィニーがわざとらしく応じて、司令室から姿を消す。
後に残ったのは異様な風体の艦長と、黒尽くめの姿が醸し出す張りつめるような威圧感。
指令室のスタッフを眺め見て、それから正面のモニターを仰ぎ見る。
航路の先を行く銀色の飛行物体……アロイ。
銀河全体を巻き込み暴れ回る、正体不明の破壊の使者。
「各員心してアロイを追え。我ら"カラドリオス"の力は、銀河の平穏の為にこそある――あまねく宇宙に、調停の鬨を鳴らせ」
『調停の鬨を鳴らせ』
漆黒の鎧の内に滾らせた使命に、総員が復唱して続く。
猛々しいエンジンの光が眩い線を引き、大艦が宇宙の闇を裂いて飛ぶ。
彼等が追う金属塊は、一部の終末論者から「天裁」と称されている。
曰く、愚かしきこの宇宙を灰燼に帰すべく、神が遣わした終わりの化身なのだと。
世界は今、遍く銀河系を含めた未曾有の危機に直面していた。




