雪降る夜と星の欠片
セーラは目を覚ますと急いで身支度をする。
それから大急ぎで井戸から水を汲むのがセーラのお役目だ。
水桶に半分ほど水をいれると、セーラはその水でうがいをして口を漱ぐ。
次に顔を洗い、手を清め、エプロンにいれたぼろ布で拭う。
布はぼろだけれども、セーラが丁寧に洗っているから清潔だ。
きちんと歯磨きまで終えると、セーラはごくごくとお腹いっぱいに水を飲む。
これでお昼まで、飲まず食わずでも、生き残れる。
そこまで準備してから、セーラは水桶いっぱいに水を汲む。
ずしりと重いそれをセーラはゆっくりと運ぶ。
だってセーラはまだ6歳だから。
水桶の重さはセーラと同じくらいかもしれない。
なんとか台所の勝手口に辿りつくとセーラはそっとドアを開ける。
いきなり開けてぶん殴られたことがあるから、用心するようになった。
入ってすぐのところの大きな水桶に入れるにはセーラの身長が足りない。
だからセーラはそっとその近くに水桶を置くと、空の水桶を持って又外に出る。
扉から出ようとするとメイドが入ってきた。
お嬢様の洗顔用の水を取りに来たのだ。
間に合って良かった。
前に水桶が間に合わないときには、折檻を受けたから。
セーラは走っていこうとしたが、メイドがそれを止めた。
そして昨日の固くなったパンを一つ投げてくれた。
床に落ちたそれをセーラは素早く拾ってペコリと頭を下げる。
フン!と鼻を鳴らしてメイドはセーラから顔をそむけた。
薄汚い庶子なんかに構いたくないという態度だ。
だけど、このメイドが、こうして時々恵んでくれるパンは、セーラの命の糧だ。
だからセーラは、何時かは恩返しがしたいと考えている。
「はやくしないと。もうすぐ夫人が起きてしまう」
セーラは大急ぎで井戸に戻ると、また水をくんだ。
そうしてさっき貰ったパンを半分にちぎると、片方をエプロンに、片方に少し水を含ませてかぶりつく。
パンを食べるところを見つかる訳にはいかない。
だからセーラはパンに水を含ませて、ふにゃふにゃになったそれを、飲み込むように食べる。
「お腹がいっぱいになったわ」
セーラは少し満足そうな顔になった。
今日はついているみたいだ。
水を汲み終わったら、洗濯場に行かなくてはならない。
セーラは洗濯場に行く前に、いつもの木のうろに布に包ませた半分のパンを隠す。
そうして洗濯場で仕事を始めた。
セーラが洗濯物を絞り終わるとメイドがそれを取りに来た。
やっぱりセーラの背が足りないせいで、干すのはメイドなのだ。
「お嬢様がお呼びよ」
セーラの背がびくりと跳ねた。
こわごわとメイドを見ると、メイドは言った。
「急いだ方がいいわよ。お嬢様をお待たせすると」
セーラはこくんと頷くと、走ってお屋敷に向かう。
なるべく誰にも見つからないように、セーラは身を縮めるようにして屋敷の隅を歩いた。
お嬢様のお部屋の前に来ると、夫人の姿が見えた。
夫人はセーラの姿を見ると命令した。
「エリーゼは刺繍が苦手なの。お前も刺繍を学びなさい
そしてエリーゼの代わりに、美しい刺繍を作るのよ」
セーラが入っていくとエリーゼは、ほっとした顔をした。
「先生、刺繍はこの娘に教えて下さい。
その間、私はお母さまとお茶を飲んできますわ」
そうして夫人とお嬢様は出ていってしまった。
家庭教師は諦めたような顔でエリーゼをソファーに座らせ刺繍の道具一式を手渡した。
「どちらにしろ、あなたも貴族の娘なのですから、刺繍を覚えた方がいいでしょう。
授業は私の部屋でやりますから、お道具を持ってついていらっしゃい」
家庭教師は真面目なセーラが気に入ったようだ。
セーラが刺繍をしている間に、様々な教科を教えてくれたので、セーラは夫人やお嬢様が知らない間に、レディーが必要な教養は全て身に着けてしまった。
勿論セーラの作った刺繍は見事な出来だったから、エリーゼもセーラの刺繍の邪魔はしなかった。
それどころか、セーラが刺繍に専念できるように小部屋を用意し、洗濯を免除した。
毎朝の水くみは、相変わらずセーラの仕事ではあったが。
そうやって年月は過ぎていきセーラが12歳になった時だった。
お嬢様がまたもセーラに難題を与えた。
「ねぇ、お前。雪の降る夜に星の欠片を拾うと願いが叶うという言い伝えを知っているかしら?」
「いいえ、お嬢様。始めてお聞きしました」
「お前は、うすのろだから知らないのね。
でも、今は知っているわけだから、これから雪の降る夜は、必ず外で星の欠片を探すのよ」
「畏まりました。お嬢様」
「では、早速今夜は雪になりそうよ。
準備をしておきなさい」
「準備と申しますと?」
「明かりと、欠片を入れる袋、それに長靴と外套に決まっているでしょう。
メイドに用意させているから受け取りなさい」
「畏まりました。
ありがとうございます。お嬢様」
「ふん、死んだら星の欠片を持ち帰れないからね。
必ず欠片を持ち帰るのよ。
何年かかっても良いから」
「はい、お嬢さま」
そんなものある訳はない。
お嬢様は知っていて嫌がらせをしているのだ。
刺繍を褒められれば褒められるほど、お嬢さまはセーラに辛く当たる。
けれども、つたない刺繍を渡す訳にもいかないのだ。
セーラは自分でも知らない内に深くため息をついてしまった。
こんなに雪が降りしきる夜。
外を歩く酔狂な人などいる訳もない。
セーラは、小さなランタンを。何度も覗き込んだ。
ランタンが消えれば帰って良い。
メイドはそう言ったから。
ランタンの油はまだたくさん残っている。
だからセーラは帰る訳にはいかないのだ。
「寒いわ」
ポツンとした呟きも、雪の静けさにすぐにかき消された。
降りしきる雪でセーラの外套もすぐに真っ白になってしまった。
「どうせ誰もいないもの。
どこか雪を遮る場所を見つけないと。
本当に凍えて死んでしまうわ」
自分は、なぜこんなに懸命に命を繋ごうとあがいているのだろうか?
誰も自分など気にも留めないのに。
辛いことはあっても、笑った記憶はない。
いつも下を向いて生きて来た。
汚れた血だと蔑まれて、それでも生きていたいのかしら。
深々と降る積る雪には、魔性でもあるのかもしれない。
何があっても、黙々と耐え続けたセーラの心が、折れかけていた。
静けさが。沈黙が。寒さが。
セーラに語り掛ける。
もういいのじゃないか?
ここで眠れば楽になれる。
もう休んでしまおう。
十分に頑張ったじゃないか?
セーラは少しだけ困った顔になった。
「いいのかしら?諦めてしまっても?
お嬢様は雪の降る夜は必ずと言ったのよ。
今夜、生き延びても、明日はどう?
毎夜、毎夜。こうしてひとり雪の中をさまよいたいの?」
セーラは大きく息を吸った。
そして叫んだ。
「世の中なんて大嫌いよ!
もう、うんざりだわ」
そうしてセーラは笑いだした。
生まれて初めての笑い声は、最初はとても小さかった。
けれど、段々大きくなっていく。
アハハ!アハハハハ!
ひいひいとお腹を抱えてセーラは笑い転げた。
笑い過ぎてお腹が痛い。
涙まででで来る始末だ。
何てことだろう。
笑うだけでなんだか楽しい気分になってきた。
セーラはもうお屋敷に帰るつもりは無かった。
笑いながら歩いて、行き倒れたらそこが自分の終焉の場所。
そう決めると、さっきまで重かった足取りまで軽くなるような気がした。
「随分と楽しそうだな。こんな夜更けに。
何事かと見に来てみれば、女の子とはな。
娘、お前はこんなところで一体何をしているのだ」
暖かそうな外套を纏ったその男は、命令をすることに慣れているように見えた。
だからセーラは、たちまち卑屈な自分を取り戻し、蹲ってしまった。
「旦那さま。怪しいものではございません。
お嬢様の御命令で星の欠片を探していただけでございます」
「星の欠片、そんなおとぎ話を信じるとは!お嬢様はいくつなのだ」
「はい。お嬢様は15歳でございます。
雪の降る夜は必ず星の欠片を探すようにと、お命じになりました」
それを聞くと男は呆れた顔になった。
「ただの嫌がらせじゃないか!それなら探すふりでもしてどこかに隠れていれば良いものを。
お前には知恵と言うものがないのか?」
セーラはぶるぶると震えながら、益々縮こまってしまった。
男はそれを見ると諦めたようだった。
手を挙げると従者らしい男が寄ってきた。
その男に、何かを告げると従者はすぐに消えてしまう。
そして偉そうな男は震えるセーラを抱え上げて歩き出した。
「軽いな、お前はいくつだ」
「12歳でございます。旦那さま」
「ふん、10歳児よりも小さい。まともに食えていないのだろう」
「どこの館だ。お前の勤め先は」
セーラは息を飲んだ。
だって自分は誰かにやとわれている訳ではないのだから。
一応は子爵家の娘として籍に入っているのだ。
だからどれだけ働いても、お給金などは貰えないのだ。
黙り込んだセーラをどう見たのだろうか?
男はセーラを抱えたまま、街道まで戻った。
そこに馬車と先ほどの従者が待っていた。
馬車に乗ると、いよいよセーラは困窮した。
お嬢様はお怒りになるだろう。
ところが馬車は街道の目立たない建物の前に止まる。
セーラもよくお使いを頼まれるが、いつも閉まっていて、誰もいないと思っていた場所だ。
その中に入ると、思ったよりもずっと整った空間があった。
何よりも暖炉の火が赤々と燃えている。
セーラは夢をみているのかも知れないと思った。
自分の身体は、あの雪野原で振りしきる雪に埋もれてしまったに違いない。
けれども、そんな想いも差し出された1杯のココアであっけなく消えてしまった。
「飲みなさい」
暖炉の前に座ったまま、セーラはココアを一口飲んだ。
「美味しい」
そう言うセーラの頬を涙が伝っていく。
セーラはそれに気づかないように、一口、また一口と飲み進めていく。
セーラの所作はとても美しい。
夫人がいつもセーラのあら捜しをするせいで、所作も完璧に覚えていたのだ。
男の元に先ほどの従者がやって来て、何事か囁いた。
男は頷くと立ち上がり、大きな古びた鍵をセーラに渡した。
「この家の鍵だ。
雪の降る夜には、この場所で時を過ごしなさい。
必ず暖炉に火を入れさせておくからな
ココアも用意しておこう」
それから悪戯っぽく付け加えた。
「もう一つはこれだ」
男は小さな銀の欠片を見せた。
そして欠片にチェーンを付けて娘の首にかけてやった。
自分の持つステッキを黙って見せる。
ステッキには美しい銀の鷲がいたのだが、その嘴が折れてしまっている。
男は意味ありげにステッキとセーラに渡した欠片を合わせて見せる
果たしてきちんと繋がった。
鷲の嘴には元々小さな穴があけてあったらしい。
しかも、嘴がポロリと取れたところを見るとそう言う仕様なのだろう。
「どうしてこれを?」
「元々はその嘴は符丁の一つに過ぎないのだが。
まぁ、今は時間がないから、これで代用するしかない。
私は、しばらく国を出ることになった。
だから、お前を守ってやれぬ。
その符丁を見せれば、おれの庇護下にいるとわかる。
困った時には、ここにいる誰にでも事情を話せばよい。
それを見せればきっと助けてくれるからな」
そして男が出て行ったあと、執事のような老人が食事の支度が出来ていると教えてくれた。
「食事が済むころには雪もやみましょう。館の前まで馬車でお送りします」
セーラは
「ありがとうございます」
と、短く礼をいったが、どうして館が分かったのかと言う疑問は持たなかった。




