第36話 特別顧問とは
「あ゛ー……疲れたぁー……」
会見を終え、ダンジョン協会の東京支部へと帰還した俺は、そのまま会長室までやってきてソファへ身を放り投げた。
柔らかい。このまま寝たい。
「お疲れさまでした、御影さん」
「まったくだよ……」
仰向けにごろんと反転し、ネクタイを緩める。
その時。
「――失礼します!」
勢いよく会長室の扉が開き、文月が飛び込んできた。
肩で息をしている。
ここまで全力で走ってきたらしい。
「なんだよ。ノックくらいしろ」
「先生……! それどころじゃありませんよ! 何ですかコレは!」
文月はスマートフォンの画面をこちらに見せつける。
そこには、つい先ほどの会見映像が映っていた。
スーツを着て、マイクの前に立つ俺だ。
こうして見ると、何だか偉そうに見える。
「何って……見ての通りだ」
「見ても分からないから聞いてるんですよ!」
「それなら俺もよく分かってねーよ……なあ、会長さん?」
俺がそう言うと、文月は会長へ視線を向けた。
会長は苦笑しながら席を立ち、こちらの方までやってくる。
「まずは文月さんもおかけください。順を追ってご説明します」
「はい! ぜひお願いします!」
文月は俺の向かいへ腰を下ろす。
勢いがよかったせいで、華奢な身体がソファの上でぽよんと跳ねた。
「ご存じの通り、現在の日本ダンジョン協会は危機にあります」
会長が真剣な表情で切り出す。
「私は会長として、国内の立て直しに集中しなければなりません」
「まあ、そりゃそうだよな」
「ですが、世界ダンジョン協会からの呼び出しは今も続いています」
会長は机の上にタブレットを置いた。
画面にはスケジュールが映し出されていて、そこにはカラフルな予定がびっしりと並んでいる。余白がほとんどない。
「これは……私も会長がお忙しいのは存じてましたが、ここまでとは」
文月はごくりと唾を呑み込んだ。
「ただ、今は日本を離れている場合ではありません。そこで、御影さんです」
「なるほどな、それで俺が特別顧問ってわけか……」
会長が頷き、文月はゆっくりと俺を見る。
「その『今聞きました』みたいなリアクションは何ですか……?」
俺は真剣な表情で呟いた。
「……俺も今聞きました」
「い、いやいや。昨日説明したじゃないですか」
「細かい所までは覚えてない。安請け合いした後悔が脳の9割を占めてたからな」
「だから途中から『はいはい、分かった分かった』しか言わなくなったんですね……」
そうだったろうか。
もはや、その事すらも定かじゃない。
「世界ダンジョン協会が、先生を代理として認めるでしょうか? これまでも会長を名指しで指定していたのでは?」
文月が当然の疑問を口にする。
そこは俺も気になっていたところです。
え、誰オマエ。みたいな顔されたら辛いから。
「普通の職員が代理では門前払いでしょうね。ですが御影さんは、ダンジョン黎明期の攻略部隊に所属していた人物であり、当時の最難関ダンジョン唯一の生還者――つまりダンジョン界の『英雄』なわけです」
「……やめろ。そんなんじゃねえよ」
俺が頭を掻きながら言うと、会長は「すみません」と謝罪した。
「ただ事実として、世界からそういう認識を持たれていることは確かです。それに加え、先日の一件によって注目度も高い」
「好きで注目集めたわけじゃねえけどな」
「それだけの人物であれば、代理としての説得力もあるでしょう……というのが私の見解です」
そうかねえ。
個人的にゃ、難しい気がするけどな。
「経緯は分かりました。それで、これから先生は具体的にどう動くんですか?」
文月は俺と会長を見比べ、気を取り直して尋ねる。
「一番お伺いしたいのは、指南役の座です」
「そこはもちろん、続けていただきますよ」
会長が即答し、文月はほっと表情をやわらげた。
そこは俺だって確認済みだよ。
七瀬と緋見が、俺を解任させないためにアレだけ頑張ってくれたんだ。
その想いを裏切るわけにはいかない。
「これまで通り、国内ではA級ダイバーの指導を継続。その一方で、必要に応じて海外案件の対応も行っていただきます」
「そ、それは大変ですね……」
文月が憐れみの視線をこちらに向けてくる。
そうなんだよ。
毎日呑み歩けるような生活じゃなくなっちゃった。
「……ま、全部が全部じゃないんだろ?」
「ええ、もちろんです。案件に応じて、私か御影さんの適任だと思われる方が対応を行う……という形にしましょう。それと、移動時間の短縮策として――」
会長が言いかけた、その時だった。
俺たちの間の空間がぐにゃりとたわむ。
景色が渦を描くように歪み、やがてぽっかりと黒い穴が開いた。
そこから、小柄な少女――『朧 夕凪』が顔を出す。
「よばれて、とびでて……」
夕凪は一度引っ込んで、改めて両手を広げながら飛び出してきた。
「じゃじゃじゃじゃーん」
ガラス張りの机の上にしゅたっと降り立つ。
そして無表情まま、こてんと首を傾げた。
「……よばれて、ない?」
「いえ、丁度お呼びしたいと思っていた所でした」
「グッドタイミングだぞ、夕凪」
「……ふ」
夕凪は鼻で笑うと、俺の膝の上にぽんと腰かけた。
軽いしちっちゃいなあ……。
あ、やべ。
「ふーっ、ふーっ……!」
向かいの席に視線をやると、文月がぷるぷると身体を震わせながら、鼻息を荒くしていた。
「お、落ち着け文月」
「だい、大丈夫、です……! お、お話を、続けてください……!」
どうどう、と俺がなだめる。
文月は話の腰を折るまいと、必死に自分を抑えている様子だった。
偉いぞ、文月。
「では改めて。御影さんの移動時間を短縮するため、朧さんの魔法――『天涯門』を使わせていただきます」
夕凪の力なら、行き先がどこだって一瞬だ。
「任務の方は大丈夫なのか?」
「だいじょばない。ずっとは、むり」
「だよなあ」
「そこはできる限りで構いません。予め待ち合わせの時間と場所を決め、調整しあいましょう」
「だとよ。頼めるか?」
「うん。ぱぱなら、いい」
夕凪は両手でそれぞれVサインを作った。
「引き受けてくれてありがとな、夕凪」
俺は彼女の小さな頭を撫でる。
夕凪は猫のように目を細め、俺の胸へ身体を寄せてきた。
すると向かいから、鋭い殺気を感じる。
「私だってその気になれば朧さんの能力くらい……」
「むり」
「できます! 愛は限界を超えるんです!!」
「そのていどの、あいじゃ、むり」
「私の何を知ってそんな――!」
「はいはいそこまで。話が進まないからな」
俺が二人の口論を制すると、会長が小さく咳ばらいをした。
「御影さんには、これまで以上に負担を強いることになります」
「ああ、それは承知のうえだ」
「……本当によろしいのですか」
これまで通り若い連中を鍛える。
必要なら海外にだって飛ぶ。
そうすりゃその分だけ、国内の立て直しも早くなる。
現場が楽に回せるようになる。
今は苦しいが、ここがどん底のはずだ。
「今が一番の正念場だろ。乗り越えようぜ」
会長は力強く頷いた。
「御影さんが味方にいてくださること、本当に感謝します……!」
話がまとまりかけたその時、夕凪が俺の袖をちょいちょいと引く。
「ぱぱも、おもてぶたい、ふっき?」
「表舞台って……そんな大層なもんじゃねえよ」
俺は苦笑する。
「今までよりは前に出ることになるだろうが……どっちかっつーと、今までが前に出なさすぎたんだよ」
「そっか」
夕凪は満足そうにうなずき、ぽんと身体を預けてきた。
「――ぱぱも、やっといちい、みとめるきになった」
「あっ」
文月の肩がびくんと跳ねる。
「……1位?」
俺が首を傾げると、夕凪は文月をじっと見つめた。
「……まさか、まだ」
「まだ言ってませんよ……!」
「いうよてい、ある?」
「じ、時期を見て……!」
「それまで、ないしょ?」
「できれば黙っておきましょう……!」
二人は小声でひそひそ会話する。
いや丸聞こえだよ。
片方俺の膝の上にいるんだから。
「ぱぱ」
「何だよ」
「いまの、なし」
「遅ぇわ!」
「う……」
夕凪は俺を見上げた。
「……ぱぱ、すき」
そっと身体を寄せてくる。
色仕掛けするには10年……いや20年は早えよ。
「コラ、誤魔化されるか」
「あう……」
夕凪を引き剥がし、文月へ顔を向ける。
「さっきの『1位』って何だ」
「ええと……」
「『認める』って、何を認めるんだ?」
「それはですね……」
「お前ら、俺に何を隠してる?」
文月は露骨に視線を逸らした。
会長を見る。
会長も困ったように文月を見る。
「……文月」
「分かりました。言います」
観念したように、文月が背筋を伸ばした。
「先生は、世界ランキングの『空白の玉座』をご存じですよね?」
「ああ。1位がずっと空席って話だろ?」
ランキング創設当初からずっとそうだ。
一度たりとも、1位に誰かの名前が載ったことはない。
その正確な理由は明かされておらず、政治的配慮だとか、頂点を決めないという美学だとか、「この席を狙え」という若手ダイバーへの挑戦的意図だとか、世間では色々な噂が囁かれている。
「実は、あの席は――」
文月が一度、息を吸う。
「先生のために空けられている席なんです」
「…………は?」




