迷子 1
「泣き女って、知ってる?」
支倉真魚はそう問い掛けた。
「泣き女に出会った人間は、二度と帰って来れなくなるんだって」
それは午後4時を過ぎたくらいの、放課後の帰り道でのことだった。街の大通りには学生を始めに若者たちで溢れている。内緒話をするみたいに人差し指を口元に当てて、ブレザーの制服に身を包んだ彼女も、そんな学生たちの内の一人だった。
「なんだよそれ、新手の都市伝説?」
対して彼女の隣を歩く少年は、どうやらその手の話にはあまり興味がないらしい。真魚が通うのと同じ学校の制服を着た彼は、フライドポテトをひとつ摘まむと、彼女の方へと差し出した。
「そ! どこから出てきたのかもわからない噂」
つまりは都市伝説ってやつ。と、そう言い添えてから、真魚は慣れた様子で彼が差し出したポテトをひょいっと咥える。彼女は器用に口だけでそれを食べ進めながら、手のひらサイズのメモ帳をスクールバッグから取り出した。彼女が開いたメモ帳の中には件の泣き女を始めに、自分たちの通う学校や他校の怪談や、ネットに転がってるような都市伝説みたいなものが種々様々にまとめてある。それら全て、彼女が調べて書き留めたものだ。
「なんでもね、その泣き女ってのに遭遇すると、何やら不吉なことを言われるんだって」
「不吉なことってなんだよ?」
彼は訊きながら、餌付けのように次のフライドポテトを真魚の口へと食べさせる。むぐむぐとポテトを飲み込んで、真魚は口を開く。
「……なんだっけ?」
思わせ振りなタメからの、わかりやすくとぼけた答え。そんな真魚の姿に少年はあからさまな落胆を表すように大きく肩を落とした。
「お前さぁ」
「でもでも、怖がりさんには丁度良かったんじゃない?」
「誰が怖がりだ」
ムッとして言い返すその姿を見て、真魚は腹を抱えて笑う。彼からすればもうちょっと言い返してやりたいところだが、相手が二の句を紡ぐ前に何やら言ってしまえば、随分必死なように見えてしまう。考えうる中で賢い選択は、彼女が笑い終わるのを待つことくらいだ。
それからひとしきり笑って満足したのか、彼女は唐突に言った。
「じゃ、私ちょっと用事あるから」
気が付けば、そろそろ分かれ道が近くなっていたらしい。彼女は少し名残惜しそうに、分かれ道の先を遠く眺めていた。だが彼の覚えてる限り真魚はそんなセンチメンタルな性格ではないし、何より一番は彼女のキャラに似合わないことだ。彼はやれやれとばかりに頭を掻きながら言った。
「あー、そういや」
その声に踏み出しかけていた足を止め、真魚は振り返る。立ち去ろうとしていた矢先のことだったせいだろう、その表情は素っ頓狂だった。
「頼まれてた次の歌みた、ミックス終わったから後で送るわ」
そう言われて、ようやく自分が人に頼み事をしていたと思い出したらしい。あっと声を上げた彼女は、それから大袈裟なくらい深々と頭を下げた。
「いやぁ、毎度助かってます」
真魚が自身のチャンネルに上げている歌ってみた動画。彼女が収録した歌唱音源のミックスは、どういうわけか初投稿からずっと彼の役割だった。おかげで最初の頃は素人だった彼の技術も、今ではそれなりのものになっている。
とは言え、あからさまふざけたその様子に、彼は大きくため息をついた。
「言っとくけどお前、俺のこと体よく使いすぎだからな」
「いやいや、そこはありがたく思ってもらわないと。未来のスーパー大人気歌い手様直々のご依頼なんだよ?」
もはや数えるの億劫な程繰り返されてきたそんな苦情だったのだが、真魚にとってはどこ吹く風といった様子。むしろニヤリと得意げな笑みを見せながら、彼女はちっちっちっと指を振ってみせる始末。
「人気になりたいならまずはトークを封印した方がいいぞ」
「なにそれ! 言い草酷すぎない?!」
だなんて言いながら、腹を抱えて彼女は笑う。
その様子があんまりにも楽しそうだから、目の前でそれを見せられる少年はいつだって気が抜けてしまう。今まで何度となくこういったやりとりを繰り返してきたが、大体流れはいつも同じだ。
「その内さぁ、オリジナル曲なんて出してみちゃったり」
「へぇ、長生きしなきゃじゃん」
そう答えれば彼女はわかりやすくむくれて、彼のわき腹を小突いたりする。そのいたずらからなんとか身を躱した彼は、真魚へと威嚇するような表情を向けた。その頃には彼女の興味は遠いどこかへと移ってしまっていて、少年のせめてもの抵抗も視界の外。
そんな上の空な少女は、遠い明後日の方を眺めながら言う。
「専属ミキサーが作ってくれたら、すぐなんだけどな」
「ミックスと作曲は全然別の仕事だっての」
わかってまーす、と拗ねたように頬を膨らませて、それから彼女はいたずらっぽく笑う。実のところ、彼女がこうやって笑っている姿を見るのが、彼はそう嫌いではなかった。
「じゃ、そろそろ行くね」
ひとしきり笑って、一息。そういえば仕舞い損ねていたままだったメモ帳をスクールバッグの中へとしまって、彼女は言った。
「あぁ、また明日」
彼が返したその言葉に安心したように笑って、大きく手を振りながら彼女は走り去っていく。遠くなっていく背中を見送って小さく振っていた手を降ろすと、ポケットから音楽プレーヤーを取り出した。その画面に映された曲を再生することなく、少年は溜息をつく。
「マジで作ってました。なんて、言えないよな」
素人の自分にとっては渾身の出来だったとして、人に聴かせられるかは話が違う。それも人に歌わせようというのだから、余計にハードルは高い。
結局、今の彼に出来ることは、見ないふりでもするようにプレーヤーをしまうことだけ。ひとり何とも言えない気まずさに苦い顔をしながら、彼はふと足元にあるそれに気が付いた。
拾い上げてみたそれは、さっき彼女がスクールバッグに仕舞ったはずのメモ帳。
きっと手違いで零れてしまったのだろう。落とした拍子に開いたそれは、おそらく先ほど彼女が開いていたのと同じだろうページを露わにしている。
泣き女についてまとめてあるその紙面に記されているは、やはりさっき彼女が言ったとおりの情報。
だが、それだけではない。真魚が言わなかったその先についても、そこには書き込まれていた。
かわいそう。だってさ、もう誰かに歌を聴いてもらうことも、幼馴染の名前を呼ぶことも出来ないんだって。そんなの、かわいそうだよ。
だなんて、メモ帳に書かれたその文章を見て、彼は首を傾げた。わからないふりをしていたのに、そこにはしっかりと記してあるのだから。
ともあれ、果たしてこのメモ帳をどうすべきだろうか。
今から追いかけようかとも考えたものの、彼女の言う用事によっては普段と違う道を通っている可能性もある。下手に追いかけて入れ違いになったりするようなことは、出来れば避けた方がいい。
「まあ、いいか。明日渡せば」
なにせ、結局ほとんど毎日顔を合わせているのだ。だったらその時に改めて返す方がよほど確実だろう、と。そう考えた彼は、拾ったそのメモ帳を閉じて自分の鞄へとしまう。
その日、支倉真魚は帰らなかった。




