8/9 ハグの日(花&智也)
受験生に夏休みなんてものはない。
花やひなたちもそれは同じで、もちろん部活が終了した涼も、一年の時から計画的に塾通いを続けている田中も、追い込まれ具合は似たようなもの。
二学期が始まってしまえば、どれだけも経たないうちに三者面談。そして私立の願書受付、とベルトコンベアーで運ばれていく部品のように彼らは大学生、もしくは社会人へと組み上げられていくのだ。
「でもさ、一日くらい、いいと思うの!」
ここは、ひなこの家。
開けっ放しにした縁側に腰掛け、ひなこの母に切ってもらったスイカにかぶりつきながら花は力説した。容赦なく照り付けてくる眩しい太陽の下で元気なのは、この関川 花と庭の向日葵、そして先程からやかましく存在をアピールしている蝉くらいのものだ。
勉強漬けの毎日と暑さにすっかり参っているひなこは、スイカを食する元気さえ出せず、ゆるゆると団扇を動かしている。
立ちのぼる蚊取り線香の乳白色の煙からは、かすかに薔薇の香りが漂ってきていた。
「ひなんちのおばさん、ダメだって?」
「ううん。一日くらい息抜きしてきたら、って」
「ほら~!」
私は、夏の、思い出が、欲しい。
一節一節に呪いじみた何かを込めながら花が呟くので、とうとうひなこも折れた。
「いいよ。じゃあ、行こうよ。っていうか、田中くんを誘って2人で行けばいいのに」
「……ちらっと話を振ってみたんだけどね、電話口で田中くんってば、めちゃくちゃ気乗りしない風だったの!」
「花ちゃんの気のせいじゃないの?」
普段はしっかり者の親友なのだが、彼氏である田中が絡むと、途端に面倒くさい感じの恋する乙女に変身するのだ。ひなこは、しょっちゅうそれに巻き込まれていた。そのせいもあって、ひなこの彼氏である芝崎 涼は、花を天敵認定している。
「ううん。こんなんだよ。『――はあ。花火大会、ねえ。まさか行きたいの?』って。今のこの言い方、激似だから。盛ってないから」
受験生だから仕方ないって分かってはいる。
適当な短大にもぐりこめればいいかなあ、と甘っちょろいことを考えている花と、真剣に将来のことを考えて工科大学を目指している田中とでは、そもそも走ってる路線が違うのだ。
でも、と花は思う。
このままどんどん進んでいって、二又に分かれていって、それでもどんどん進んでいったら。
田中くんの走ってる路線から、果たして自分は見えるのだろうか、と。
もやもやと腹の底に溜まっていく名前のない不安をもてあまし、花はひなこの家に押しかけてきていた。
ひなこを見ると、ツボにはまったのかクスクス肩を震わせて笑っている。
「今の、本当にすごく似てたよ。もしかして、練習した?」
「だって、他にやることなかったから」
花の残念過ぎる返答に、ひなこは一瞬真顔になったが、すぐに諦めたらしくまたふにゃり、と笑った。
「私からも電話してみるよ、田中くんと涼くんに。9日の花火でいいんでしょう? 土曜日だし、すごい人出かもよ」
「ちょこっと行くだけだもん。夜店を冷やかしたいとか、そこまでの贅沢は言わないもん」
「はいはい。じゃあ私、ワークの続きやるから」
ひなこは立ち上がってスイカの皮と受け皿を集め、ひらひらと手を振って花を追い返した。
そして、9日当日の夕方。
花はひなこに連れられ、何故か田中の家にお邪魔していた。
「あらあら、まあまあ。可愛らしいお嬢様方ね。ようこそ、いらっしゃい。さあ、上がって!」
未だに状況がよく掴めていない花は「こんにちは。た、田中くん。じゃなかった、智也くんには、い、い、いつもお世話に」などと卒倒寸前の顔色で挨拶をしようと試みたが、すでに田中の母は部屋の奥へと姿を消していた。
「花ちゃん、ほら行こうよ」
あれ? という顔をしてる花の手を引っ張り、ひなこは奥へと進む。
突き当りの大きな和室は開けっ放しになっており、畳の上に色とりどりの浴衣と帯が一面に広げられているのが見えた。
「あの。本当にいいんですか? お借りしても」
「いいの、いいの。従兄妹のお古とかそんなのばかりだけど、物自体は上等なものばかりだから。ちゃんとした夏のお着物を出しても良かったんだけど、智也がそこまでしなくていい、って言い張るのよ。まったく、男の子はつまらないわね」
初対面とは思えないほど、スムーズにひなと田中の母は談笑している。
一生懸命笑みを浮かべ、2人の話に相槌を打っているうちに、なんだか花は悲しくなってきてしまった。
「じゃあ、早速選んでもらおうかな。決まったら呼んでね。冷たい飲み物でも準備してくるから」
朗らかな声で田中母は、広げられた浴衣を指差し、きびきびとした動きで立ち去ってしまう。
あっけに取られ、小柄な割にエネルギッシュな背中を見送っていた花は、入れ替わりに姿を見せた田中の姿に、さらにポカンと口を開けた。
薄いグレーに白い絣の入った浴衣にキリっとした紺地の角帯を締めて立っている久方ぶりの恋人。
一目で着慣れている、というのが分かる最愛の彼氏の浴衣姿に、花はやったあああ! と内心歓声を上げた。
「なに、その顔」
スタスタと近づいてきて、田中はきゅっと花の鼻をつまむ。
正座していた花を見下ろす格好で、田中は中腰になり、「おーい。息してる?」と重ねて聞いてきた。
「してる、けど、カッコ良過ぎて、意識とびそう」
「……大げさ」
ぶっきらぼうな喋り方は通常運転だが、その目尻はほんのりと赤く染まっている。
「早く決めたら? 始まる前にいって場所取らないと、花火じゃなくて人の頭ばっか見る羽目になるよ」
「うん」
こくこく、と慌てて頷き、浴衣に目を移した花だが、正直どれがいいかなんてさっぱり分からないし、そもそも集中出来ない。
『田中くん/かっこいい』という2文節だけが、花の脳内をエンドレスで流れているのだ。
「――もしかして、決めらんないの?」
「だって、沢山あるしどれが似合うかとか分からないよ」
もっともらしい言い訳がとっさに口から飛び出る。
田中は迷わず腕を伸ばし、白地に蝶をあしらった清楚な一枚を選んだ。濃い青紫の帯とレモンイエローの帯留めを合せて「どう?」と確認してくる。
「いいと思う」
「僕の顔見てないで、浴衣見て」
「えっと……いいと思う」
田中は、しょうがないな、と笑みを浮かべた後、ひなに視線を移した。
「橘は決まった?」
「この紺地のやつが着てみたいんだけど、どうかな」
「ああ、万寿菊のこれ? いいんじゃないかな、橘は色白だし映えると思うよ。帯はこのクリーム色にして、帯締めをこのブルーにしたら、ほら」
手際よく浴衣に帯、そして帯締めを重ね、ひなの前に置く。
「わあ! 上品で素敵!」
「じゃあ、母さんを呼ぶよ。着つけ、自分では出来ないよね」
「うん、何から何までごめんね」
立ち上がって、あっさりこの場を離れようとする田中の手を、花は反射的に掴んでしまっていた。
「なに」
「……田中くん、なんでそんなに着物に詳しいの?」
「そこからなんだ。母の実家が呉服屋だから。……言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
こんなことを言いたいわけじゃないのに、花の口からは気の利いた言葉は出てこない。
「とりあえず、準備してよ」
田中はやんわりと、だがきっぱりと花の手を解いた。
ズキン、と胸が痛む。夏の夕暮れの感傷と、ずっと会えなかった寂しさと、今の今まで知らなかった恋人の一面に受けた衝撃で、花はいっぱいいっぱいになってしまった。
泣きそうになった花を見て、田中は意味が分からない、というように目を見開く。
「さあ、もう決まったかしら」
何かを言いかけようとした田中の後ろに、母が現れる。
「はい、決まりました!」
花は、精一杯の笑みを浮かべて、田中の背後に向かって声を張った。
そして花火大会会場の河川敷。
待ち合わせ場所にすでに立っていた涼が、浴衣姿のひなに嬉しそうに破顔した。
「うわ! 可愛い。よく似合ってるよ、ひな」
「えへへ。ありがとう」
涼のストレートな愛情表現は、鈍感なひなを振り向かせる為にしばらく続ける羽目になった一方的なラブアタックの賜物なのだが、今だけは心の底から羨ましい、と花は思った。
「夏期講習さえなかったら、俺も浴衣きせてもらったのになあ」
「男の浴衣なんて着せたくないよ」
先ほどから不機嫌な田中は、浮かれ気味の涼を一刀両断する。
「だいたい、僕も普段着で良かったんだ。花火大会に橘さん達が行きたいっていうから、それに巻き込まれたの」
こうなりそうで気乗りしなかったんだよな、と田中は続ける。
花は俯いて、下駄の鼻緒を一心に見つめた。
「……なんか、機嫌わりいな。ひな、行こうぜ」
花と田中を交互に見比べ、涼は2人にした方がよさそうだ、と判断した。
可愛い恋人の小さな手を取り、「先に行ってるぜ。場所わかんなかったら、携帯に電話して」と言い置いて人混みの中に姿を消す。
「じゃ、僕らも行こうか」
田中の差し出した手を、花は取らなかった。
泣かないようにするのに精いっぱいで、指一本動かせない。
「――さっきから、何なの。何が気に入らないの」
田中の口調が苛立ったものに切り替わる。それを合図に、花はぽた、と涙を零した。
「え……」
「どうせ、私ばっかり会いたかったんだよね。無理して付き合せて、ごめんね!」
一端言いだしてしまえば、もう止まらなかった。
「メールだって電話だって、我慢してるじゃない。しつこくして、嫌われたくないって思って。すごい悲しい。自分ばっかり、好きなの、めちゃくちゃ悲しいよ」
言い終るか終らないかのうちに、ぐい、と手首を掴まれた。
そのまま、人の流れに逆行するように足早に引っ張られる。
ドーン。
大きな音が、鼓膜を打った。
パアッと背後で大きな光の華が夜空に打ちあがったのが、地面に落ちる影の動きで分かる。
次々と音と光が辺りを満たす中、田中は無言のまま花を会場の端にある小さな神社に連れてきた。
「あのまま見世物になるつもりはなかったから、ここまで来たけど、足痛くない?」
さっきまでの興奮は冷めてしまっている。
花は、ようやく解放された手首をさすって「だいじょうぶ」と答えた。
「あのさ。夏休み前に、花がなんて言ったか、自分で覚えてないの?」
田中の発言に、きょとん、と花は首を傾げた。
その表情にはあ~と長い溜息をつきながら、田中は襟もとに指を滑らせ、わずかに乱れた合わせを整える。小気味いい音を立て、たちまち凛々しい浴衣姿に戻った田中を、花はぼんやり見つめてしまった。
「判定がヤバイから、夏休みはお互い勉強を頑張ろうね、って。私が泣きついてきても、絶対甘やかさないでって言ったでしょ。一日くらいはいいんじゃないの、って僕が言ったら、じゃあプールに行きたいって。チケット、夏休み前から買ってあるんだけど、行かないの?」
そう言われてみれば、そうだったかも。
ようやく思い出し、今度は罪悪感でいっぱいになってしまう。
そんな彼女との距離を詰め、田中は花の顔を覗き込んだ。
「それなのに、突然花火大会に行きたいって言いだしてさ。こんな可愛い恰好されたら、僕だってヤバイんだよ。しかもうちで着替えるとか、ふざけてんの? あの部屋入る度に、しばらく思い出すこっちの事情も、ちょっとは考えたら。色々我慢してるのに、わけわかんないこと言いだして泣きだすし」
立て板に水をぶっかけるように言いたてられ、花はすっかり縮こまってしまった。
「ごめんなさい」
「許さない」
「え?」
「慰めてくれなきゃ、許せない」
あと、自分ばっかり好きっていうの、取り消して。
田中はそう言って、噛みつくようなキスをした。
花火の打ちあがる音が、どんどん遠ざかっていく。
深まっていくばかりのキスに、花が違う意味で泣かされそうになった頃、ようやく田中は唇を離した。
そのまま引き寄せられ、帯をこわさないように上手に抱きしめられる。
「あとさ。いい加減、名前で呼んでくんない?」
ぼそり、と落ちた一言に、花の涙腺が再び緩む。
「ともや、くん」
「良く出来ました」
にっこり笑った田中が、再び花に口づける。
痺れを切らした涼が、田中の携帯を鳴らすまでそのキスは続いた。
一話読みきりの短編集ということもあり、この小説は〇カ月更新されていません表示に追われるのがプレッシャーなので、ここで完結扱いにします。
また、素敵な記念日にネタが降ってきたら更新しますが、気長に待ってやって下さい。