第77話 この街の下へ
王城を出たあと、俺たち四人は揃って神殿へ戻る道を歩いていた。
高台から下る道では、復旧資材を積んだ荷車と何度かすれ違った。崩れた石壁の補修も始まっていて、道幅の狭くなった場所では警備兵が人と荷車を交互に通している。
セレナとガルドは少し前を歩いていた。
俺も最初はそのすぐ後ろにいたはずだが、いつの間にか十数歩ほど離れていた。
百八十年前の、名前も分からない人間のことが頭から離れなかった。
「アレン」
隣から声がして顔を向けると、フィアナが歩調を落として俺の横にいた。
「さっきから遅いよ」
「考え事してた」
「あの人のこと?」
「……ああ」
フィアナは前を行く二人との距離を確かめてから、少し声を落とした。
「ヴァレクが話してた人、本当にアレンと同じだったのかな」
「まだ分からない。生まれる前の記憶があって、古代文字を読めた。ヴァレクが知ってるのはそこまでだ」
「その前は、どこで生きてたんだろうね」
「記録には残ってないみたいだな。俺と同じところから来たのか、それすら分からない」
フィアナは少し考えてから、今度は自分のことを口にした。
「エレノアも、私みたいだったのかな」
「聖女だったことと、施設が反応したことは分かってる。でも、どんな反応だったのかまではヴァレクも知らなかった」
「そっか」
道の脇では、崩れた建物から石材を運び出している人たちがいる。荷車を通すために端へ寄ると、前を歩く二人との間がもう少し広がった。
「私、聞いててよかった」
「何を?」
「アレンのこと。知らなかったら、今日の話を聞いても、アレンが何に驚いたのかまでは分からなかったと思う」
「そんなに分かりやすかった?」
「私は分かったよ」
それなら、ほかの人間には気づかれていないことを願うしかない。
「あの場じゃ話せなかったからな。フィアナが知っててくれて助かった」
彼女は少し目を丸くしてから、前へ向き直った。
「……そっか」
小さな返事のあと、しばらく会話は途切れた。
前の方ではガルドがセレナへ何か言い、セレナが呆れたように首を振っている。聞こえるほどの距離ではなかったが、二人とも俺たちが遅れていることを気にしてはいないらしい。
坂を下りきる頃には、自然と追いついた。
地下へ入るのは三日後に決まった。
◇
最初の一日は、ほとんど休養に使った。
朝に左脚を診てもらうと、普通に歩く分には問題ないと言われた。ただ、急な踏み込みや方向転換はまだ止められ、剣も身体の動きを確かめる程度に留めた。
昼過ぎには、傷んだ防具を持ってギルドへ向かった。
戦闘の最中は気にしている余裕がなかったが、改めて見ると革帯には裂けかけた部分があり、金具も一つ歪んでいる。ほかにも細かな傷がいくつか見つかり、まとめて職人へ預けた。
依頼板の一角は、復旧や運搬、崩れた建物の片付けを手伝う仕事で埋まっていた。普段なら魔物討伐へ出ている冒険者まで市内で働き、受付の奥には地下調査で使う物資の箱が積み上げられている。
その一方で、酒場からは笑い声も聞こえた。
怪我をした腕を吊ったまま仲間と食事をしている男もいれば、久しぶりに戻ったらしい冒険者が受付で職員と大声で話している。仕事の内容も、そこにいる人間の様子も事件の前とは変わっていたが、ギルドそのものはもう動いていた。
二日目から、俺たちも準備へ加わった。
三つの開口部から、それぞれ十人前後の班を入れる。
第二班と第三班は比較的浅い区画を調べ、通路の地図化と危険箇所の確認を進める。地上へ戻る経路を維持し、異常があれば深く入らず引き返す役目もある。
俺たちの第一班は旧水路側から入ることになった。
これまでに確認された灰色の構造物、事件の際に敵が出てきた位置、旧水路そのものの向きを重ねた結果、三つの中では最も深い区画へ続いている可能性が高いらしい。
俺、フィアナ、セレナ、ガルド、オスカーに、監視付きのヴァレクが同行する。市の技術者と工兵、記録と連絡を担当する人員まで加えても、全部で十人あまりだった。
地下では大人数ほど安全になるとは限らない。通路が狭ければ隊列が伸び、先頭で何か起きても後ろから援護できなくなる。崩落すれば、増やした人数がそのまま避難の妨げにもなる。
持ち込む荷物も何度か見直された。
食料と水、縄、予備の明かりに加えて、経路へ残す札、簡単な補強に使う道具、負傷者を運ぶための布と棒まで用意されている。
調査する範囲より先に細かく決められたのは、引き返す条件だった。
地上との連絡が一定時間途切れた時、地下の状態が急激に変わった時、フィアナに強い異常が出た時は、その場で進行を中止する。ほかにも何項目か決められ、未知の扉や通路を見つけても予定外に先へ進まないことになった。
ヴァレクにも、班から離れず王国側の指示に従うこと、施設へ勝手に触れないこと、知っているものを見つけても単独で確認しないことが伝えられた。
本人は全部聞いたあと、一度頷いただけだった。
ミラとユリウスは最初の調査から外れる。
その話が伝えられた時、先に口を開いたのはユリウスだった。
「俺はもう動けるぞ」
神殿の部屋で椅子に座ったまま主張すると、向かいにいたミラがすぐ顔を上げた。
「昨日、廊下で壁に手ついてたくせに何言ってるの」
「あれは立った時に少し痛んだだけだ」
「じゃあ地下で痛んだらどうするの」
「それは――」
「黙って治して」
ユリウスが口を閉じた。
少しして、今度はミラを見る。
「お前も行かないだろ」
「私は行けるなんて言ってない」
「昨日、弓触ってただろ」
「調子を見てただけ」
「それなら俺も――」
「脇腹押さえながら言わないで」
また黙った。
俺は口元を押さえた。
「笑うな、アレン」
「笑ってない」
「今、絶対笑っただろ」
「ミラに言えよ」
「私は正しいことしか言ってない」
澄ました顔でそう言うミラの膝の横には、自分の弓が置かれていた。
レナードの弓は壁際に立て掛けてある。
受け取った翌日に少し引こうとして、途中で諦めていた。レナードが使っていた時には自然に引いているように見えたが、実際に手に取れば相当な強弓らしい。
「ちゃんと治ったら、あれも練習するのか?」
俺が聞くと、ミラは壁際の弓へ目を向けた。
「うん。でも先に、自分の弓を前みたいに引けるようにならないと」
「その方がいいだろうな」
「分かってる」
ユリウスも左脇腹の傷口そのものは塞がっているものの、防具ごと深く削られ、肋骨まで傷めている。長時間の移動や戦闘にはまだ耐えられない。
「……必要になったら呼べ」
結局、ユリウスがそう言った。
「その時までには動けるようにしとく」
「私も」
ミラも続いた。
二人がいないのは心細いが、今は治してもらうしかなかった。
◇
三日目の午後、最後の打ち合わせが王城で行われた。
第一班だけでなく、第二班と第三班の責任者、工兵、市の技術者、地上側の連絡担当も集まり、入口を開ける時刻から最初の帰還予定まで一つずつ確認していく。
ヴァレクについても、改めて扱いが確認された。
地下では両手の拘束を外すが、武器は王国側で管理し、必要と判断した場合のみ返す。隊列ではオスカーやガルドから大きく離さず、単独行動は認めない。
「俺の横に置いときゃいいだろ」
オスカーが言うと、ガルドが鼻で笑った。
「お前が先にどっか行きそうだけどな」
「行かねえよ。地下で勝手に歩くほど馬鹿じゃねえ」
「地上なら歩くみたいな言い方すんな」
二人のやり取りを聞いたディートリヒが何か言いかけたものの、そのまま口を閉じた。
最後に入口周辺の配置まで確認して、打ち合わせは終わった。
予定通りなら、翌朝から調査を始める。
俺たちが席を立つと、セレナだけがマティアスと市の技術者に呼び止められた。
「図面の写し、もう一度見てくるわ。第二班の分と照らし合わせたいところがあるから、先に戻ってて」
「分かった」
「遅くならない?」
フィアナが聞く。
「そんなにはかからないわ」
セレナはそう答えて、すぐ机の方へ戻っていった。
王城を出てしばらく歩くと、今度はガルドが分かれ道で足を止める。
「俺はギルド寄ってく」
「まだ何かあるのか?」
「地下用に頼んでた荷物が届いてる。明日の朝に取りに行くより今の方が楽だ」
「じゃあ明日」
「ああ。寝坊すんなよ」
「しないよ」
「フィアナ、こいつ寝てたら置いてけ」
「起こすよ」
「置いていかないのかよ」
ガルドは笑って片手を上げ、そのままギルドの方へ歩いていった。
神殿へ戻る道に残ったのは、俺とフィアナだけだった。
夕方が近づき、建物の影が少しずつ長くなっている。
しばらく並んで歩いたところで、フィアナが道の脇へ目を向けた。
「少しだけ寄っていかない?」
街が今より小さかった頃の石壁が残っていた。
王都の中には古い城壁の一部が建物や街区の境として使われている場所も多いが、そこは歩廊まで形を留め、石段を上がれば南側の市街を広く見渡せる。
「いいよ」
明日の準備はもう終わっている。
俺たちは石段を上った。
下の通りより風が強く、上まで来ると王都の外壁だけでなく、その向こうへ伸びる街道や遠い山並みまで見えた。
眼下には、傷の残る市街が広がっている。
中央市場には布屋根が戻り、店を開けているところも増えていた。大通りを荷車が行き交い、その間を人が歩いている。
南東へ目を向けると、屋根の消えた区画や、建物ごとなくなった場所がまだ残っていた。補強材を組んだ建物の間を、瓦礫を積んだ荷車がゆっくり進んでいる。
「三日前より減ったね」
フィアナが言った。
「瓦礫?」
「うん」
言われて見れば、以前は道まで塞いでいた石の山がいくつもなくなっていた。まだ通れない場所にも迂回路が作られ、その脇では職人たちが壁や屋根を直している。
「早いな」
「みんな、ずっとやってるもんね」
「ああ」
少し離れた通りでは、修理の終わった店がもう品物を並べていた。
フィアナが石壁へ手を置く。
「私、王都に来た時、こんなに広い街初めて見た」
「ずっと馬車の窓から見てたな」
「そんなに?」
「ほとんど離れなかっただろ」
「……覚えてるんだ」
「そりゃ覚えてるよ」
フィアナは少し笑い、中央市場の方へ視線を移した。
「市場にも行ったね」
「ああ」
風が吹き、淡い青の髪紐が揺れた。フィアナが指で押さえる。
「これも、あそこで買ったんだよね」
「覚えてるよ。よく使ってるな」
「気に入ってるから」
「似合ってるしな」
フィアナがこちらを向いた。
「……今、普通に言ったね」
「何が?」
「何でもない」
そう言いながら、少しだけ口元が緩んでいる。
何が引っかかったのか分からないまま、俺も街へ視線を戻した。
中央市場の先には冒険者ギルドの屋根が見える。そのさらに南東、旧水路のある辺りはまだ柵で囲われ、ほかより人の出入りが少ない。
明日の朝、あそこへ向かう。
その下には、今の王都が造られるよりずっと前の施設がある。
「百八十年前も、この街の下で施設が動いたんだよね」
フィアナが言った。
「ああ。ヴァレクの話が正しければ」
「その時のこと、ほとんど残ってないのに」
「北方には残ってた」
「うん」
フィアナは遠くの街並みを見たまま続ける。
「エレノアのことも、もう一人の人のことも」
百八十年前に施設が動き、人が戦い、それを閉じた。
この国ではほとんど忘れられたのに、北方では何十年も封鎖が続き、今になってヴァレクがその記録を持って王都まで来た。
そして俺たちは明日、その施設へ降りる。
「変な感じだな」
「何が?」
「百八十年前の記録を追ってたはずなのに、今度はその頃に封じた施設が王都の下で動いて、北からヴァレクまで来た」
「今起きてることも、百八十年前と繋がってるのかな」
「たぶんな。でも、どこまで同じなのかは分からない」
答えはまだない。
だから明日は、自分たちの目で確かめに行く。
「怖い?」
フィアナが聞いた。
「ああ」
考える必要はなかった。
「何がいるか分からないし、黒い獣が残ってるかもしれない。王都に出た人型がまだ下にいる可能性もある。俺やフィアナに、施設がまた反応するかもしれない」
「うん」
「ガルドとオスカーさんがいるのは心強いけど、油断はできない」
「私も怖いよ」
フィアナは石壁から手を離さず、南東を見ていた。
「でも、下に何があるのか分からないままにはできない」
「ああ」
地下から出てきたものが、十日前に街の中を荒らした。入口を塞ぎ、見張りを置いても、その先が安全になったわけではない。
「明日、何かあったらちゃんと言ってね」
「何かって?」
「文字が見えたり、施設に反応されたりしたら。一人で確かめに行かないで」
「行かないよ」
「本当に?」
「本当に」
まだこちらを見ているので、今度は俺から言った。
「フィアナも、頭が痛くなったり、何か聞こえたりしたらその時点で言えよ」
「言うよ」
「我慢するなよ」
フィアナが少し眉を上げた。
「今度は私が言われるんだ」
「俺にも言う権利はあるだろ」
「じゃあ、お互いちゃんと言う」
「ああ。それでいい」
しばらく二人で黙って街を見た。
風の音に混じり、遠くから木を打つ音が聞こえてくる。大通りでは荷車の車輪が石畳を鳴らし、市場の方からは大勢の声が重なって届いていた。
南東へ伸びる道にも、一台の荷車が進んでいる。
あの辺りの道を見て、最後まで人を通していたエーベルさんのことを思い出した。
「ちゃんと戻ってこようね」
フィアナが言った。
「ああ」
「約束もあるんでしょ?」
「エーベルさんの息子にな。今度、冒険の話をするって言った」
「覚えてる」
フィアナが少し笑った。
「帰ってきたら、ちゃんと話しに行かないとね」
「ああ。何を話すか考えとくよ」
「いっぱいありそう」
「ありすぎて困るな」
セレスのことでも、白岩街道のことでもいい。明日からの地下のことも、いつか普通に話せるくらいで済めばいい。
俺はもう一度、市街を見渡した。
王都へ来た頃、この街で過ごす時間がここまで長くなるとは思っていなかった。中央市場を歩き、史料を調べ、訓練場へ通った。旧水路ではエーベルさんと出会い、ギルドでは多くの冒険者と知り合ったが、その中にはもう会えない人もいる。
壊れた建物も、塞がった道も残っている。それでも人は石を運び、屋根を直し、店を開けていた。
百八十年前にも、この街の下で何かが起きた。その時の人間が何を見て、何を残せなかったのかはまだ分からない。それでも、封じられた施設は今も地下にあり、北方に伝わった記録はヴァレクを通して王都まで届いた。
「そろそろ戻ろうか」
フィアナが言った。
「ああ」
石壁から離れる前に、南東をもう一度見る。
明日は、その下へ行く。
◇
翌朝、旧水路地区へ着いた時には、空が白み始めていた。
仮設の柵の内側では、工兵と技術者が最後の確認を進めている。崩れた部分には補強材が入り、地下へ降りる経路も確保されていた。
第一班はすでに揃っていて、セレナは市の技術者と図面を確認し、ガルドは昨日ギルドで受け取った荷物を足元へ置いていた。オスカーは巨大な戦斧を手に階段の奥を覗き込み、その後ろにはヴァレクと監視役が立っている。
フィアナが俺の隣で荷物を直し、一度だけ左脚へ目をやった。
「大丈夫だ」
「うん」
俺も彼女の顔を見る。昨日までと変わった様子はない。
工兵の一人が地下から上がってきた。
「補強、確認しました。見える範囲では内部にも変化ありません」
セレナが図面を畳み、ガルドが大剣の位置を直す。オスカーも戦斧を持ち替え、ヴァレクは何も言わず暗い階段の先を見ていた。
外から差し込む朝の光は途中で途切れ、その向こうに何があるのかは、まだ誰も知らない。
背後から荷車の車輪が石畳を鳴らす音が聞こえた。もう王都は動き始めている。
俺は剣の柄へ手を添え、フィアナたちと並んで地下へ向き直った。
百八十年前に人が閉じた場所へ、今度はこちらから降りていく。
第3章 百八十年の残響 完
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
第3章「百八十年の残響」は、これで一区切りです。
王都に入ってからかなり長い章になりましたが、最後まで追ってくださっている方がいることを、アクセスを見るたびにありがたく感じています。
明日から第4章へ入ります。
王都の地下で何が待っているのか、アレンたちと一緒に見届けていただければ嬉しいです。
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ここまで読んでくださった方に、続きを読んでよかったと思っていただけるよう、これからも書いていきます。




