第37話 六人の旅
王都へ向かう朝、大神殿の正門前には一台の大型馬車が停まっていた。
六人が乗っても余裕のある箱型の旅客馬車で、側面には大神殿の紋章が控えめに入っている。四頭立てで、後部には荷物を固定するための台も備えられており、要人を乗せるほど華美ではないものの、長距離を移動するには十分すぎる造りだった。
セレス修道院へ向かった時には、自分の荷を背負って何日も歩いた。それを思えば、随分と違う旅になる。
「これ、私たちが乗っていいの?」
先に来ていたフィアナが、馬車と俺を交互に見る。
「そのために用意したんだろ」
「それは分かってるけど……なんか落ち着かない」
旅装そのものはセレス修道院へ向かった時とほとんど変わらない。ただ、今回は荷物を背負う必要がなく、大半はすでに馬車の後ろへ積まれている。フィアナは妙に身軽になった自分の肩を確かめるように触っていた。
「王都まで歩くよりはいいだろ。順調なら五日くらいで着くらしいし」
「楽なのは嬉しいよ。でも、旅なのに荷物を持ってないと、何か忘れてる気がする」
「出発する前に気づいてくれよ」
「ちゃんと確認したから大丈夫」
そう言いながらも、フィアナはもう一度荷台へ目を向ける。
俺も人のことは言えなかった。必要な物を積んだことは確認しているのに、背中にいつもの重さがないと妙に手持ち無沙汰になる。
「二人とも何やってるの?」
声を掛けてきたミラの後ろには、ユリウスとセレナもいた。
「フィアナが馬車に慣れないらしい」
「アレンもさっきから荷台ばっかり見てるけどね」
「見てただけだ」
「同じじゃない」
フィアナが少し得意そうに言ったところで、馬車の反対側から低い笑い声が聞こえた。
「徒歩の方がいいなら、俺だけ乗っていってもいいぞ」
ガルドだった。
いつもの大剣に長旅用の荷を持っているが、その大半は御者と一緒に積み終えているらしい。馬車の脇に立ち、俺たちのやり取りを面白そうに眺めている。
「早いですね、ガルドさん」
「お前らが遅いんじゃないか?」
「まだ集合時刻より前ですよ」
「なら問題ないな」
そう言って笑う。
「北東の仕事、結構長かったですね」
「ああ。商隊だけなら、もう少し早く戻れたんだがな」
「何かあったんですか?」
「途中で大型が一匹出た。放っといたら帰りにも邪魔になるから、その日のうちに片付けた」
普通の商隊護衛に白金級まで付けるわけではない。今回は複数の商会が組んだ大規模な輸送で、大型魔獣が現れた場合の対応までガルドに任されていたらしい。
「それで遅れたんですか」
「半日くらいな。商隊を待たせるわけにもいかんから」
大型魔獣を相手にして、その程度で済んだらしい。何が出たのか少し気になったが、本人が大したことではないという顔をしているので、それ以上は聞かなかった。
今回は、そのガルドがフィアナの護衛へ加わるわけではない。本人も王都へ呼ばれていて、行き先が同じだから同行するだけだ。
それでも、別々の用事で同じ道を行くというより、六人で旅を始めるような感覚の方が近かった。
ほどなくしてベルナールさんも見送りに出てきた。
王都までの宿場と補給については大神殿から連絡が入っており、天候や街道に大きな問題がなければ五日ほど。馬は途中で十分に休ませ、必要になれば宿場で交換する手配もできるという。
「到着したら、まず王都の神殿へ向かってください。王城からの迎えも、そこで調整されるはずです」
「分かりました」
「北方についてはこちらでも情報が入り次第送ります。道中で何か気になることがあれば、宿場から連絡を」
ベルナールさんは俺たちを一通り見回してから、少しだけ表情を和らげた。
「気をつけて行ってきてください」
「行ってきます」
フィアナが答え、俺たちもそれぞれ挨拶を済ませて馬車へ乗り込んだ。
向かい合わせの長椅子には三人ずつ座れるだけの幅があり、大柄なガルドがいても窮屈というほどではない。俺とフィアナ、セレナが片側へ座り、その向かいにミラ、ユリウス、ガルドが腰を下ろす。
御者が馬へ合図を送り、ゆっくりと馬車が動き始めた。
大神殿の門が後ろへ遠ざかり、やがてルミエルの街並みが窓の外を流れていく。
「こういう旅も悪くないな」
ユリウスが早速背もたれへ身体を預けた。
「まだ街も出てないよ」
「もう楽なのは分かるだろ。荷物背負わなくていいし、足も使わなくていい」
「王都までずっと寝るつもり?」
ミラに聞かれ、ユリウスは少し考えてから頷いた。
「できるなら」
「着いた頃には身体固まってそう」
セレナは窓の外を見ながら、呆れたように笑う。
「長時間同じ姿勢でいる方が疲れることもあるわよ。休憩の時くらいはちゃんと降りて動いた方がいいと思う」
「じゃあ適度に寝る」
「そこは譲らないんだな」
そんな会話をしているうちに東門へ着き、馬車は速度を落として街の外へ出た。
王都へ続く東街道は、セレス修道院へ向かった西の道より明らかに人通りが多い。商人の荷車や旅客馬車が途切れず、巡礼者や徒歩の旅人、冒険者らしい一団も行き交っている。道幅にも余裕があり、馬車同士がすれ違っても困らないほどで、路面もよく踏み固められていた。
隣のフィアナは窓際へ少し身体を寄せ、しばらく街道の先を眺めていた。
「王都って、ルミエルよりずっと大きいんだよね」
「そりゃ大きいだろ。王都なんだから」
「アレン、行ったことあるんだよね?」
「ああ。一度だけ」
フィアナがこちらへ向き直り、さっきまでより少し声を弾ませる。
「どんなところ?」
「人が多い」
少し考えて付け加えた。
「あと、建物がでかい」
「……それだけ?」
期待していた答えではなかったらしく、眉を寄せられる。
「一度行っただけだ。金級に上がった時にギルド本部へ呼ばれて、それで終わりだったからな」
「何日いたの?」
「着いた日に本部へ行って、一泊して、次の日に用事を済ませて帰った」
「じゃあ、ほとんど何も見てないじゃん」
「ギルド本部の周りなら分かるぞ」
「それ、王都を知ってるって言わないと思うよ」
向かいで聞いていたミラが笑った。
「私もそう思う」
「別に知ってるとは言ってないだろ」
「でもちょっと詳しそうな顔してたよね」
「してない」
フィアナは納得していないようだったが、すぐにまた窓の外へ目を向けた。街を出てからまだそれほど経っていないというのに、普段より明らかに機嫌がいい。
「王都、楽しみなのか?」
「うん。初めてだし」
返事に迷いはなかった。
「ルミエルに来た時もすごいと思ったけど、王都はもっと大きいんでしょう? 市場も見てみたいし、王都の神殿もこっちとは全然違うって聞いたし……時間あるかな」
聖女として呼ばれている以上、着いてから好き勝手に歩けるとは限らない。それでも、今から心配したところで予定が分かるわけでもなかった。
「用事ばっかりじゃないだろ。時間ができたら見に行けばいい」
「アレンも?」
「俺もちゃんと見てないしな」
「じゃあ一緒に行こうよ」
「いいよ」
特に断る理由もない。今度もギルド本部と宿の間だけ見て帰るのは惜しいし、正直なところ、俺も少しくらい王都を歩いてみたかった。
「何かおすすめある?」
フィアナが向かいへ視線を移すと、ガルドは腕を組んだまま少し考えた。
「飯なら何軒かある」
「観光する場所を聞いてるんだけど」
「なら俺に聞くな」
「ガルドさんもアレンと大差ないね」
「俺は仕事で行く場所くらいしか興味ないからな」
フィアナが苦笑すると、ユリウスが「それなら俺の方が詳しいかもな」と話へ加わった。そこから店や市場の話になり、ミラもいくつか知っている場所を挙げ始めると、フィアナは思った以上に真剣な顔で聞き始めた。
王都へ着けば、まずは呼ばれた理由を確かめることになる。それでも、その合間に少しくらい街を見る時間があってもいいだろう。
俺自身、今度は前より長く滞在することになりそうだった。
昼前、街道沿いの広い休憩所へ馬車を寄せた。
馬へ水を飲ませている間に俺たちも全員外へ出て、それぞれ固まった身体をほぐす。ミラが馬の様子を確認する横で、ユリウスは大きく背伸びをし、セレナは周囲の道標を眺めている。フィアナは御者と話しながら、さっきまで馬車を引いていた一頭の首筋を撫でていた。
俺も荷台の固定を確かめてから、ガルドへ声を掛ける。
「ガルドさん、こっちは問題なさそうです」
「そうか」
答えたガルドが、なぜかそのまま俺を見ている。
「何です?」
「それ、前から気になってたんだが」
「それ?」
聞き返すと、ガルドは近くにいたフィアナたちにも視線を向けた。
「お前ら、いつから互いに呼び捨てで喋るようになった?」
「セレス修道院へ行く途中からです」
フィアナが答えると、ミラもこちらへ戻ってきながら頷いた。
「現場で毎回敬語にするのも変だろって話になってね。今後も一緒に動くことがありそうだったし」
「なるほどな。じゃあ俺もそれでいい。ガルドでいいし、敬語もいらん」
意味は分かったが、すぐには返事ができなかった。
「いや、それはちょっと……」
「なんでだ」
「なんでって、今までずっとそう呼んできましたし」
二十年以上年上で、しかも白金級だ。本人から気にするなと言われたところで、これまでずっと「ガルドさん」で通してきた相手への呼び方が簡単に切り替わるわけではない。
フィアナも困ったような顔をしていて、ユリウスに至っては露骨に眉を寄せていた。
「俺も無理だな。ガルドさんはガルドさんだろ」
ガルドが、妙なものを見るようにユリウスへ顔を向ける。
「お前、その口調で何言ってるんだ」
「……何が?」
「もう敬語じゃないだろ」
「それと呼び捨ては別だろ。なんというか、そこには一線あるだろ」
「知らん」
「雑だな」
ユリウスが呆れたように笑う。
言われてみれば、最初に会った頃と比べてユリウスの話し方は随分遠慮がなくなっている。呼び方だけを残している方が、ガルドからすればかえって不自然なのかもしれない。
「お前ら五人だけ気楽に喋って、俺にだけ毎回さん付けする方が面倒なんだよ」
「でも、ガルドさんは年上ですし。それだけじゃなくて白金級でしょう?」
フィアナがそう言うと、ガルドは納得できないらしく眉を寄せた。
「ミラもセレナも年上だろ」
「それはそうだけど、全然同じ感じがしないの」
「何が違う」
「だから、それを説明するのが難しいんだって」
フィアナが困っている横で、セレナは水筒の蓋を閉めながら、最初から自分には関係のない話だという顔をしていた。
「私は前からガルドって呼んでるけど」
「そういえばそうだったな」
「だから私は今まで通りね。頑張って」
それだけ言うと、本当に興味を失ったらしく、今度は道標の方へ歩いていってしまった。
ガルドはそんなセレナを見送ってから、残った俺たちへ視線を戻す。
「セレナは普通に呼んでるだろ」
「セレナを基準にしないで」
フィアナの返事が早かった。
どうやら、このまま話していてもガルドが折れることはなさそうだ。
「アレン」
「はい」
反射的に答えると、ガルドがすぐに俺を指した。
「それだ。試してみろ」
「ああ……そういうことか」
そこまで言われ、俺は一度口を閉じる。
「……ガルド」
「おう」
呼んだだけなのに妙に落ち着かない。
横を見るとフィアナが笑いを堪えていたので目を向けると、今度は自分の番だと気づいたらしく、すぐに表情を引き締めた。
「人のこと笑ってるけど、フィアナもだからな」
「分かってるよ。……ガルド」
「おう」
「やっぱり変」
「そのうち慣れる」
ユリウスも結局は呼び捨てにしてみたものの、口にした直後に自分で首を傾げていた。ミラだけは「私はあとで」と逃げ、セレナには最初から何一つ変化がない。
本人が気にしていない以上、こちらがいつまでも敬称を付け続ける理由もないのだろう。それでも、少なくとも今日一日で慣れる気はしなかった。
馬を十分に休ませてから、俺たちは再び馬車へ乗り込んだ。
午前より座る位置を少し変え、今度は俺の向かいにガルドがいる。呼び方の話をしたせいか、顔を見るたびに意識してしまうのが余計に面倒だった。
午後に入ると街道の交通量はさらに増え、一度だけ馬車が止まった。
窓から前を見ると、一台の荷車が路肩へ傾いている。昨夜の雨で地面が柔らかくなっていたらしく、片方の車輪が深く泥へ沈んでいた。
「降りる?」
フィアナが腰を浮かせかけたので、俺は外を確認する。すでに近くの商人や旅人が何人も集まり、荷物を下ろして車体を持ち上げようとしており、人手は足りていそうだった。
「いや、大丈夫だろ。俺たちまで降りたら、かえって邪魔になる」
「そうだね」
フィアナが座り直したところで、向かいのガルドが俺を見る。
「行かなくていいのか?」
「もう十分いるだろ。それに、こっちまで止めることになる」
「そうだな」
それだけ確認すると、ガルドは再び窓の外へ目を向けた。
朝から必要以上に口を出さず、こちらがどう動くかを見ている。旅の主導まで自分が取るつもりはないのだろうが、何も言われない方が、かえって自分たちの判断を意識した。
ほどなく荷車が街道脇へ寄せられ、俺たちの馬車も再び動き出す。
その日の夕方、予定していた宿場へ入った。
宿の前で馬車を降りると、座っていただけのはずなのに思った以上に身体が固まっている。隣でユリウスも腰を伸ばしながら顔をしかめていたので、どうやら俺だけではないらしい。
「徒歩より楽なのに、別のところが疲れるな」
「だから言ったでしょう。明日からは休憩のたびに、もう少し身体を動かした方がいいわね」
セレナが少しだけ得意そうに言うと、ユリウスは腰を押さえたまま頷いた。
「それは認める。でも歩いて王都まで行くよりはこっちがいい」
「誰も徒歩に戻れとは言ってないわよ」
荷物を部屋へ運び、食事を済ませたあと、六人で明日の道程だけ確認することになった。
卓上へ地図を広げ、俺が次の宿場を示す。
「明日はここまで行けると思う。今日より少し距離は長いけど、街道はほぼ平坦みたいだ」
「問題なさそうね。途中に休憩できる場所も二つある」
ミラが距離を確認すると、ユリウスが地図の中央へ指を置く。
「ただ、ここに川がある。橋が使えないと結構遠回りになるぞ」
「朝、宿で状態を聞いておこう。問題なければ予定通り、駄目ならここで南側の道へ変える」
セレナも地図を覗き込み、経路を追ってから頷いた。
「それでいいと思う。雨量もそれほど多くなかったみたいだし、橋が流されている可能性は低そうだけど」
話している間、ガルドは特に口を挟まなかった。
こちらが決め終えてから初めて地図へ目を落とし、一度だけ経路を追う。
「いいんじゃないか」
「それだけ?」
「他に何を言えってんだ」
「いや、何かあるのかと思って」
「ある時は言う」
相変わらず簡単な答えだった。
ガルドが加わったからといって、今までのやり方を変える必要はないらしい。俺たちが判断できるところは任せ、必要な時だけ口を出す。それくらいの距離でいるつもりなのだろう。
話が終わって部屋へ戻ろうとしたところで、ガルドに呼び止められた。
「アレン」
「何?」
昼よりは自然に返せた気がする。
ガルドはそこには触れず、少し考えるように俺の足元へ視線を落とした。
「明日の休憩、少し付き合え」
「何に?」
「剣だ。お前の動きを見たい。セレスで速い奴とやったんだろ。聞いた話で少し気になる」
急な話にガルドを見るが、詳しく説明する様子はない。
「何が?」
「それは見てからだ」
今聞いても答える気はないらしい。
ガルドは大剣を持って席を立つと、そのまま先に階段へ向かった。
何を確かめたいのかは分からなかったが、明日の休憩では少し身体を動かすことになりそうだった。




