第1話 白亜の街へ
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丘の向こうから、白い尖塔が姿を現した。
最初は雲の切れ間から差す光かと思ったが、街道が緩やかに高度を上げるにつれて、その下にもう一本、さらに隣にも一本と塔が増えていく。
丘の頂へ出る頃には、巨大な城壁に囲まれた街の全景が見渡せるようになっていた。
神殿都市ルミエル。
街の中央には白亜の大神殿がそびえ、その周囲を大小の塔や石造りの建物が埋めている。城壁の外側にも宿や倉庫が立ち並び、街道を行く荷馬車は途切れることなく門へ吸い込まれていた。
「……でかいな」
思わず声が漏れた。
前の人生では、もっと高い建物も見てきたし、何車線もの道路を車が埋め尽くす都市も知っている。それでも、白い尖塔が幾重にも重なり、街全体を見下ろすように大神殿がそびえる光景には、足を止めてしまう迫力があった。
俺には前世の記憶がある。
この世界に生まれて二十年、その記憶が消えたことは一度もない。だからといって特別な力が備わったわけでもなく、今では冒険者として仕事をしながら暮らしている。
ルミエルへ来たのも、新しい仕事を探すためだった。
朝から何台もの荷馬車とすれ違い、反対側からは巡礼者らしい一団が途切れず歩いてくる。中には揃いの外套を着た騎馬の護衛を連れた集団もいて、神殿への参拝だけでなく、商業や旅の中継地としても栄えていることが窺えた。
これだけ人が集まるなら、宿を見つけるのに苦労するかもしれない。
俺は肩へ食い込み始めていた荷を背負い直し、城門へ続く坂道を下った。
◇
門前には長い列ができていたが、荷車と徒歩の入口が分けられているため、見た目ほど待たされなかった。
順番が来ると、門兵に求められるまま腰の革袋から金属製の証票を取り出す。
男は刻まれた名前と冒険者ギルドの紋章を確かめ、級位のところで視線を止めた。
「金級か」
「そうです」
「ずいぶん若いな」
「よく言われます」
男が証票から俺の顔へ目を移した。
二十歳で金級まで上がる冒険者は多くない。俺としては、昇級によって受けられる仕事が増えたことの方がありがたかったが、初対面の相手には年齢が気になるらしい。
「ルミエルは初めてか?」
「はい。しばらく滞在して、仕事を探すつもりです」
「なら、宿は先に取っとけ。今は巡礼者が多いからな」
「何か行事でもあるんですか?」
「新しい聖女様が認められたばかりでな。それを目当てに来る連中もいるらしい」
聖女という存在については知っているが、実際にそう呼ばれる人物を見たことはなかった。
「それだけで、こんなに人が集まるんですね」
「俺には分からんよ。神様より給料を上げてくれる相手の方がありがたい」
真顔で言うので、思わず笑ってしまった。
「それは分かります」
「だろ?」
門兵も口元を緩め、証票を返してくれた。
「まあ、ようこそルミエルへ。金級なら仕事には困らんと思うが、面倒は起こすなよ」
「気をつけます」
軽く手を上げて城門をくぐると、人の声と車輪の音が一気に近くなった。
門から伸びる大通りは広く、荷車が何台も並んで進んでいる。その両側を巡礼者や商人が行き交い、露店からは肉を焼く匂いと客を呼び込む声が漂ってきた。
神殿都市という名前から、もっと落ち着いた街を想像していたのだが、通りの賑わいはこれまで訪れた商業都市にも負けていない。
馬車が止まるたびに人が脇を抜け、荷を抱えた男たちが店先へ木箱を運んでいく。前の人生で見慣れていた車や信号機はどこにもないが、人と荷物が絶えず動く光景には、少し懐かしいものがあった。
ただ、これだけ人と馬が行き交っている割に、通りは随分きれいだった。
道端には浅い排水溝が通され、角には蓋付きの大きな容器が置かれている。少し先では揃いの服を着た男たちが、箒と道具を使って路面を掃除していた。
前世では、水道や下水道が整っていることを当たり前のように感じていた。こちらの世界でも大きな街には排水設備があるが、ルミエルの大通りは特によく管理されているようだ。
溝を流れる水がどこへ排出されるのかは分からないものの、掃除する人員まで配置しているのだから、維持には相応の費用がかかっているはずだ。
神殿が管理に関わっているのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、通りの先に大神殿が見えてきた。
近づくほどに白い柱の大きさがはっきりし、何段もの石段が広場から正面入口へ続いている。広場には巡礼者たちが列を作り、階段の前で膝をついて祈る者の姿もあった。
磨かれた石壁が陽光を受け、建物全体が淡く輝いて見える。
確かに、遠くからでも訪れたくなる建物だった。
もっと近くで見てみたい気持ちもあったが、先に宿を確保したかった。門兵の話では巡礼者が増えているらしいし、条件のいい部屋から埋まってしまうだろう。
俺は大神殿へ続く大通りを途中で折れ、冒険者ギルドの紋章が描かれた案内板を頼りに進んだ。
しばらくすると、周囲の雰囲気が変わり始めた。
白い石造建築に木材や煉瓦を使った建物が混じり、軒先には剣や革鎧が吊るされている。開け放たれた酒場からは昼間にもかかわらず笑い声が響き、武具屋の方からは金属を叩く音が聞こえてきた。
道端では三人組の冒険者が地図を囲み、行き先について何やら言い合っている。
この辺りなら、仕事を探すにも装備を整えるにも不自由しなさそうだ。
何軒か宿を見て回り、ギルドからそう遠くない一軒で部屋を取った。
三階の小さな個室で、寝台と机、それに窓が一つ。宿代は安くはなかったが、立地も悪くないし、今の人出を考えれば妥当なところだろう。
荷を床へ下ろして肩を回すと、朝から歩き続けていた疲れが戻ってきた。
少し休みたいところだったが、ギルドの仕事も確認しておきたい。
俺は剣だけを腰へ戻し、宿を出た。
◇
冒険者ギルドは、昼を過ぎても混み合っていた。
広間の壁には隙間がないほど依頼票が並び、四つある受付のうち三つには列ができている。急いで手続きする必要もなかったので、俺はまず掲示板の前へ向かった。
採集や荷運び、近郊の魔物討伐に商隊護衛。依頼の種類は多く、遠方の仕事もいくつか出ていた。
金級向けの依頼はそれほど多くなかったが、報酬は以前の拠点で見ていたものより明らかに高い。
もっとも、大型魔獣の討伐や危険地域を通る長距離護衛など、それなりの準備が必要なものばかりだった。
金級へ上がったのを機にルミエルへ移ってきたのも、以前いた土地では受けられる仕事の幅が狭くなってきたからだ。
冒険者の仕事には、多少の危険がつきものだ。討伐でしか稼げない土地に留まるより、護衛や調査を含めて依頼を選べる街の方が、長く働くには都合がいい。
掲示板を端まで見ていると、一枚だけ情報の少ない紙が目に入った。
中央神殿より、近日中に護衛依頼を発出予定。
人数も報酬も空欄で、詳しい条件は何も書かれていない。
「それ、まだ募集前ですよ」
背後から声をかけられた。
振り返ると、何枚かの書類を抱えたギルド職員の女性が立っていた。
「見れば分かります」
「剥がして受付へ持ってくる人もいるので」
「そんな人いるんですか?」
「います。意外と」
女性は慣れているらしく、少し笑った。
それから俺の胸元にある徽章へ目を向ける。
「金級なんですね。お若いのに珍しい」
「よく言われます」
「この街には今日着いたんですか?」
「さっきです。仕事がどれくらいあるのか見ておこうと思って」
「でしたら、今日は休んだ方がいいかもしれませんね。ルミエルは依頼の入れ替わりも多いですし、明日には掲示板の内容も変わりますよ」
「この神殿の護衛も?」
俺が依頼票を指すと、女性は頷いた。
「正式に募集が始まれば、詳しい条件が載ると思います。巡礼関係じゃないかって話はありますけど、私もまだ聞いていません」
巡礼者の護衛なら、この街では珍しくない仕事なのだろう。
ただ、中央神殿が直接募集するとなれば、それなりに重要な一行なのかもしれない。
「分かりました。明日、また来ます」
「はい。依頼を受ける時は受付へどうぞ」
職員に礼を言ってギルドを出ると、昼食を取っていなかったことを思い出した。
宿へ戻る途中には何軒か食堂があったので、俺は手近な酒場へ入ることにした。
◇
昼を過ぎた時間にもかかわらず、酒場の半分ほどの席が埋まっていた。
空いている卓へ座り、煮込みとパンを頼む。
出てきた料理は肉がよく煮込まれていて、香草の匂いも強すぎなかった。パンを煮汁へ浸して食べていると、周囲の卓からさまざまな話が聞こえてくる。
東街道の状態や、魔獣討伐の報酬、朝にギルドで揉めた冒険者の話。
どこの街でも、冒険者が酒場に集まれば似たような話題になるらしい。
そんな中、少し離れた卓から聖女という言葉が聞こえた。
「新しい聖女様、見たか?」
「見られるわけないだろ。大神殿の奥だぞ」
「この前は広場に出たらしいぞ」
門兵からも聞いた話だった。
どうやら、聖女が認められたことは、ルミエルでかなり大きな話題になっているらしい。
「治癒がすごいんだってな。田舎の村で、死にかけた子供を一人で助けたとか」
「また話盛ってんだろ」
「神殿が認めたんだから、全部が嘘ってこともないだろ」
「その子供、本当に死にかけてたのか?」
「そこまでは知らねえよ」
周囲から笑い声が上がり、話題は別のものへ移っていった。
俺も煮込みの残りを口へ運びながら、先ほど掲示板で見た神殿の護衛依頼を思い出した。
新しい聖女の話題で巡礼者が増えているなら、神殿側も人手が必要になるのだろう。護衛の募集がその関係なのかは、まだ分からない。
それにしても、聖女か。
前の人生でも、宗教に熱心だった覚えはない。
今の世界では魔法が実際に使われ、神託についても神殿が正式に扱っている。前世の常識だけで考えられないことがあるのは、二十年も暮らしていれば嫌でも分かる。
ただ、神殿が何を根拠に聖女を認めるのか、どんな力を持っているのかについては、ほとんど知らなかった。
治癒魔法なら冒険者の仕事でも世話になるが、聖女が使うものはそれほど違うのだろうか。
気にはなったものの、今の俺には確かめる機会もない。
食事を終えて代金を払い、椅子から立ち上がると、足腰に旅の疲れが残っているのを感じた。
今日は宿へ戻って装備を確かめ、早めに休もう。
そう決めて、俺は酒場を出た。
◇
外へ出ると、日はかなり傾いていた。
建物の間から差す光が橙色に変わり、通りには仕事を終えた職人や、これから宿を探す巡礼者が行き交っている。武具屋の主人は店先の商品を片づけ始めており、少し先では走り回っていた子供たちが母親らしい女性に呼び止められていた。
俺は宿へ向かいながら、明日必要なものを考えていた。
街の地図は買っておいた方がいい。ギルドの仕事も改めて確認するつもりだし、長く滞在するなら装備を見てもらえる鍛冶場も探しておきたかった。
ちょうど通りの角を曲がろうとした時だった。
腹の奥まで響くような低い音がして、思わず足を止めた。
雷に似ていたが、空は晴れている。
遅れて地面からかすかな振動が伝わり、近くを歩いていた人々も何事かと顔を上げた。
東の方角から、何かが砕けるような音が続いた。
「何だ?」
誰かが呟いた直後に複数の悲鳴が聞こえ、通りの向こうで人の流れが乱れ始める。
東から逃げてくる者と、何が起きたのか確かめようとする者がぶつかり、荷車の脇では荷物を抱えた男が転びかけていた。
俺は通りの端へ寄り、建物の屋根越しに東を見た。
薄い灰色のものが、ゆっくりと上がっているが、火の気は見えない。広がり方からして土埃のようだった。
「東だ! 誰か手を貸してくれ!」
走ってきた男が声を張り上げた。
「巡礼宿が崩れた! まだ中に人がいる!」
それを聞いて、俺はすぐに動いた。
巡礼者向けの宿なら、夕方でも泊まり客や従業員が大勢いるだろう。建物が崩れたとなれば、瓦礫の下に取り残されている者がいるかもしれない。
逃げてくる人々で大通りは混み合っていたので、俺は脇の細い路地へ入った。
走りながら外套の留め具を直し、腰の剣が脚へ当たらない位置へずらす。ルミエルの道はまだほとんど知らないが、土埃の上がっている方角は見えている。
角を一つ曲がったところで、先ほどより近くから叫び声が聞こえた。
風には乾いた土と石灰の匂いが混じり、路地の先には白く濁った空気が流れている。
その向こうから、誰かが助けを求める声がした。
俺は速度を上げた。




