40、マジール王国へ
「やり過ぎだ」
室内からそんな声が聞こえてきた。それはヨウの声。
「結果としてアレを『冥府』に落とせたんだから問題無い」
それに応える女の声が聞こえる。今室内には2人しかいない筈だった。ヨウと、そしてもう1人の客人。
しかし女の声は、その客人のものではない。
この部屋には、扉から入室しない存在が時折いるようだった。それは、その時によって女の声だったり男の声だったり、扉の前で見張りをしていると、突然聞こえて来る。
ヨウと、別の誰かの会話が。
いや、聞こえて来るのでは無く、あえて聞かされている。
ここに配属されてからは、常に聞き耳を立てて知っておく事を求められるのだ。
そして、後から確認される。
『今の、どう思った?』と。
「アレがこの世に居続けるよりは良い。そうだろう?」
「・・・」
無言のヨウから苛立ちが伝わって来る。
「まぁ、大神2人を欺くのは中々骨が折れるだろうが。精々急ぐんだな」
そう聞こえてきた直後、中からフッと何者かの気配が消えた。女が退室したらしい。
無音のままで時間が流れる。
と、今度は違う声が聞こえてきた。
「あなたも大変なのですね」
柔らかい女性の声。
「何か、お力になれたら良いのですが・・・」
そう聞こえ瞬間、軽く何かを押し退ける音と、バランスを立て直す様な足音が響いた。
「近い!」
すぐ後に、ヨウの怒った声が響き渡る。
「申し訳ありません。この頃色々な方に距離感がおかしいと言われるんですよね」
「分かってんなら気を付けろよ!」
さっきよりも激しく苛立っているヨウ。声を荒げるのはかなり珍しい事だ。
柔らかい女性の声が笑う。
「近付かれるのが苦手な所は似ています」
「だったら何なんだよ。て言うか帰れよ!」
「いいえ、帰りません」
「何で?別に用なんて無いだろ?」
聞かれて少し黙る女性。一歩近付き、ヨウが一歩下がるのが足音で分かった。
「アキラの周りには沢山の人が居ます。彼の性分なのでしょうね、必要な人が自然と集まる」
アキラ。その名を聞いて、俺はハッとなった。
この女性は、アキラの知人か。
「そうだよ。人間ホイホイみたいなヤツなんだよ、アイツは」
「でも、あなたの周りには少ない」
女性のその言葉が聞こえると、ドンッという大きな音が響く。ヨウが壁を叩いたのだ。
「出て行け!」
怒鳴るヨウ。
トットットッと軽い音が近付いて来ると、扉が開いた。中から顔を出す女性。
聖母神殿の装束を着た小柄な女性だった。外回りをする神官なのだろう。
女性は部屋から出て、そして室内を振り返る。
「帰りませんよ」
そう言い捨てて、そして俺を見て会釈して遠ざかった。
その後ろ姿を見ていると、ヨウが横に来た。ゆっくりと、疲れ果てたように。
「・・・」
無言で俺を見上げる。いつもの無表情と違って、今のヨウには表情があった。今の女性に掻き乱されて苛立った表情。
「度胸のある女性ですね」
意見を求められる前にそう言った。
ヨウは、舌打ちして視線を外す。そして言った。
「もうとっくに解けてるんだ。お前もどっか行っていいんだぞ」
解けている。
確かに、最初に会った時に掛けられた洗脳は、綺麗に無くなっていた。
「・・・仕事です」
アキラの護衛任務を正式に解かれてから、俺は第3婦人の護衛官に配属された。今はそこでの任務を務めているに過ぎない。
過ぎない、の、だが・・・。
仕事で無かったとしても、ヨウを置いて何処かに行く気にはなれなかった。
そこには、アキラに対する負い目のようなものがあるのかも知れない。
俺のつまらない矜持の為に、自分の我儘を装って俺を解放してくれたアキラ。
その弟。
同じ顔、同じ声。でも全然違う、ヨウという少年。
アキラよりも少し髪が長く、アキラよりも少し細くて、アキラよりも酷く不器用なこの少年の事が、気掛かりで仕方が無い。
ヨウはもう一度舌打ちをすると、踵を返して室内へ戻り、ソファに身を投げて「閉めとけ」と言った。
俺は一礼して扉を閉め、見張りに戻る。
戻って、先程のヨウと神官の女性との会話を振り返る。
「あなたの周りには少ない」
確かにそうだと思う。アキラは人を呼び寄せるし(実際に引き寄せたりもする)来た者を分け隔てなく受け入れる気質だ。
だがヨウは・・・、
人付き合いが苦手、と言うのとも違う。どちらかと言うと、敢えて人との間に壁を作って近付けないようにしている。
きっとそれには何か理由があるのだ。
その何かの為に、ヨウは無理をしている。
俺にはそんな風にしか見えない。
「帰りませんよ」
その神官の捨て台詞の気持ちが、分かってしまうのは何故なのだろうか・・・。
そう思いながら、俺は大きな溜め息を吐いた。
海の様な河だと思った。岸から眺めても対岸が見えないし、広く穏やかで水面は時々波打つ。水は灰色に濁り底は見えず、打ち寄せて来る水草の残骸や木の葉や小枝は湿ってぬめり、顔を近付けるとちょっと腐敗した臭いが漂っていた。
そう、まるで都会の海。汚い。
「船で行くの?」
とても泳ぐ気にはなれないし、そもそも対岸が見えないような長距離を泳ぐなんて俺には無理だ。巨大な橋が架かっている訳でもないのだから、向こうに渡る方法としては船以外に思い付かない。
「そうだよー」
そう言って、ノワは通り沿いの出店を覗き込んでいる。
昼時という事もあってか食べ物を売る店は繁盛していた。所々に人の列が出来ていて、フル回転で商品を生産しているのか、肉や魚を炙る香ばしい匂いが辺りに充満していた。
立っているだけで腹が減る。
「お待たせしました」
そう言いながらトールが小走りにやって来た。近衛の制服と鎧を脱ぎ、旅装束と言うのだろうか、そこらの通行人みたいな格好の上に大きな一枚布のマントを被っている。いつも肩に掛かっている癖の強い茶髪は後ろでひとつに縛り(戦う時に首元を狙われない様、騎士や兵は大概みんな下ろしたセミロングヘアだ)、清潔感溢れる好青年にしか見えない。
「お待たされしました」
ノワが茶化したようにそう言うと、沢山の果物やら干し肉、小麦粉団子を詰め込んだ袋を掲げて見せる。
「こんなもんでいいよね?」
そう聞くノワにお礼を言って、トールは首元から細い銀色のチェーンを外す。ペンダントトップには文字を彫り込んだ金属の板が付いていて、俺は軍隊のドッグタグを思い出した。死んだ時の身元確認をするアレ。
トールは、外したチェーンをタグごと河に投げ捨てた。
「捨てちゃっていいの?」
そう聞く俺に「はい」と答えるトール。
「アレを追って鳩が辿り着きますので」
それを聞いて、俺は手紙を届けるあの赤ん坊の声で無く鳥を思い出した。
そうか、そのタグを目指して手紙を届けていたのか、と納得。
「必要になれば、またすぐ簡単に作り直せます。お気になさらずに」
そうなんだ。
「もうすぐ来るよ、行こ」
そう言って1人先に検問へと歩き出すノワを追って、俺とトールも歩き出した。
「お金とか大丈夫なの?」
頭の後ろで腕を組みながらトールに聞く。あくまでもリラックス。慌てず普通に、怪しい素振りは見せずに。
「はい。退職金代わりに貰えるだけ貰って来ましたから」
答えながら片手で胸元をポンポンと叩くトール。
優等生が泥棒に大変身だ。
俺達3人は、検問を越え河を渡り、隣の『マジール王国』へと向かう事にした。理由は簡単。
これからお尋ね者になる可能性が高いから。
セーライ神殿での大騒動。その事件の原因解明とその発表が近々される事は間違い無い。
けれどもその黒幕は国王近辺にある。それをそのまま国民に向けて公表する、なんて事はあり得ない。犯人を別ででっち上げるに決まっているのだ。
誰に罪を押し付けるか?と聞かれたら、俺達3人しか無い。
そもそも、最初からそんなシナリオが組まれていたのでは?という位に丁度良い生贄だ。そうならない訳が無い。
だから、逃げる。
勿論、俺達が犯人じゃ無い事は皆んな知ってる。皆んなとは誰かと聞かれたら、それは関わったヤツ全員だ。それなのに何で濡れ衣を着せられるのかと聞かれたら、答えはこうだ。
だって、そうせざるを得ないだろ?王様を逮捕なんて出来ないんだから。
だからトールは騎士を辞めた。別に辞表を出した訳じゃ無い。勝手に出て来たんだ。だから、表向きには失踪。制服と鎧を捨てて、タグも捨てて、そして勝手に退職金相当の金品を貰って来た。
「マジール王国見たら、アキラ驚くよ」
ノワが楽しそうにそう言う。
「何に?」
俺も笑いながら聞いた。
「えっとねー、教えない」
勿体ぶってクスクス笑うノワ。性格は相変わらずだ。イタズラ小僧みたい。
「あーあ、せっかくなら家に寄ってから行きたかったな。うちここから近いんだよ」
「そうなの?」
「うん。すぐそこの森の中」
言って南の方を指差すノワ。
「父さんと3つ子に会ってから行きたかったなぁ」
「3つ子?」
父親が居るという事は聞いていたが、3つ子ってのは初耳だった。
「ノワの子?」
まさかとは思ったが、無くは無いと思いそう聞く俺。
「やだな違うよー。孤児院から引き取って面倒見てる子供だよ。僕薬草師やってるんだけど、その手伝いとかして貰ってるんだ」
「そうなのか。なんか、偉いのな」
同い年位に見えるのに、キチンと仕事を持っていて、しかも孤児を引き取って面倒見てるとか、普通に尊敬出来た。
流石は半分神様だ。
「え?褒めてる?やだな照れるな」
ふふふ、と笑ってモジモジするノワ。あざといけども、嫌な感じはしない。
「可愛いんだよ。9歳でみんな女の子なんだ。名前はマミちゃんとマヤちゃんとナナちゃん。で、ナナちゃんが僕の彼女」
そうか・・・、ん?
「大きくなったら結婚するって約束してるから、彼女じゃなくて婚約者かな?」
きゃっきゃっとはしゃぎながら楽しそうに話すノワ。
待て待て待て待て。9歳の幼女と付き合うとか、何だ?
「ロリコン・・・」
呟いて、俺は思い出した。そう言えば以前、少女の姿をした『時の子』サリアをナンパしていた事を。
「ちょっ、やだなアキラ酷いよ、誤解だよ」
言いながらプーッと頬を膨らませるノワ。
誤解も何も無いだろ。
そう思う俺の横から、トールが苦笑いをしながら聞いてきた。
「アキラ、ノワ様が何歳かご存知ですか?」
そんなの考えた事もなかった。見た目から大体同じ位の年齢だろうと思っていたのだが。
「神々はどうやら、人間よりも身体の成長が早いみたいなのです。大体ですが普通だと倍のスピード、つまり10年で20歳位の見た目になります」
ほぅ、そうなのか。
「ノワ様は『半神』ですので1.5倍程度。大きく見えますが、今は8歳、もうすぐ9歳になられます」
「・・・は?そうなの?」
そう言われると、どことなく腑に落ちる事も多かった。やたらとあざとい行動や言動、子供っぽい反応。
「そうだよ、僕まだ8歳なんだよ。9歳の彼女がいたっていいでしょ?」
「・・・うん・・・」
そう言って、しぶしぶといった感じで頷く俺に、頷き返すノワ。納得させた事に満足したのか、再び上機嫌に戻って歩き始めた。
でも、彼女がいるのにナンパはダメだよな。
そんな事を思いながら、俺はトールと並んでノワの後に続いた。
乗船券を買って船に乗り込む。
空は晴れて、海鳥みたいな鳥が飛んでいた。海じゃないから海鳥ではない。鷹とか鷲とか、多分そんなヤツだ。
「おっとゴメンよ」
その時、急いでいるのか、後ろから来た人に追い抜きがてらぶつかられた。
酷い猫背の、浮浪者のようなオッサン。ボサボサの伸び放題の髪に年季の入った髭。覗く唇は乾いてカサカサで、その中の歯は何本か抜け落ちている。
謝って上げた顔が一瞬俺を見る。その目を見て、俺は驚いた。
瞳孔が、漢数字の一みたいに横一本の線だったからだ。
「!」
驚いた俺を見て、少し笑うオッサン。
「どうかしましたか?」
聞かれたトールを一瞬見て、そして視線を戻すとそのオッサンはもう居なくなってた。
「いや、何でもない・・・」
呟いた俺の頭上を何か大きな物が通り抜けたような気がした。日差しが遮られて一瞬だけ気温が下がった気がする。
何かと思って見上げても、もうそこには何も無かった。変だと思い、俺はその影が向かった先を見る。と、そこにエリスがいた。
女性用の旅装束を纏った、周囲から群を抜いてスタイルの良いエリス。その横には、なんとヒョウの様な大きな獣を従えている。
『冥府』に落ちそうになった時、俺を助けてくれたエリス。俺はまだ、その時のお礼を言えていなかった。助けられて、気が付いたらノワの腕の中だったのだから。
ありがとう、そう伝えたくて、俺は駆け出した。
俺とエリスの間を、何だか分からない集団が通り抜けて行く。一瞬見えなくなるエリス。
人の波が途切れて見通しが良くなった時には、既にエリスは居なくなっていた。ヒョウも一緒に。
「なになに、どうしたのー?」
突然駆け出した俺に駆け寄り、追い付いたノワが聞いて来た。
「いや、今・・・」
俺は言い掛けて口籠った。
再び人の波が来て、過ぎ去った所にエリスが居たからだ。
エリスはこちらを見て、そして真っ直ぐに片腕を伸ばしマジール王国を指差している。
そしてまた人の波が来て過ぎ去り、見通しが良くなると、もうエリスは居ない。
幻、みたいだ・・・。
「今、なに?」
俺の肩を引っ張りながらノワが聞いて来る。
「何でも無い。早く行こ」
そう言って、俺は駆け出した。
「アキラ早いよ。もう、船見て興奮しちゃったの?僕より子供じゃん」
8歳の子供にそんな事を言われてしまう。
でも、俺は確かに興奮しているのかも知れない。
マジール王国に行けば、エリスに会える。
そう思っているから。
行こう。行って見つけよう。魔物の活性化が活発になった原因を。
見付けてそれを止めて、この世界を元に戻そう。
ボーッという汽笛の音が響く。船が動き始める。
次の国が、待っている。
次作へ続く・・・。




