ううん、いま来たところ
こんなのってない!
こんなの、こんなのってない!
いやだいやだいやだいやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ、いやだいやだいやだ!
「そろそろ、追いつかれますよ? 」
うるさい! そんなの分かってる! だから走ってるんだ、走ってるのに! 走ってたのに! こんなのってないよ! 私は頑張ってたんだ、頑張ってたのに! みんなで帰ろうって頑張ってたんだ! なのに、それなのにハナコさんも、シャーリーくんも……それなのに……それ……これも……もしかして。
「やっと、気付きましたか? いえ、大事な人が居なくなって、ようやく自覚したんですね、やっぱり、サクラはずるいです」
もしかして……ハナコさんが居なくなったのも、シャーリーくんが消えてしまったのも、そうなのだろうか……でも、だって、だって、もう会えなくなるなんて思わなかったし、それは、でも、こんなことって。
「サクラの、せいですよ」
どきん、と私の心臓が跳ねた。思わずつんのめって転びそうになるけれど、なんとか体勢を戻してもう一度走り出す……でも、走ったからって、どうなるというのだろう。
「サクラが我儘言わなければ、誰も、あんな惨たらしく死なずに済んだんですよ」
黙って。
「心臓を貫かれた事なんてないでしょう? 筆舌に尽くし難い痛みですよ、騎士の、彼女の生命力なら、苦しみは長く続いたでしょうね」
言わないで。
「全身が溶けるなんて想像できますか? 魂から混ざり込んでしまいましたからね、あれでは死んでからも、世界が消えるまで、延々と苦しみは続くでしょうね」
やめて……お願い。
「これは全部、サクラが死ななかったから起こった事ですよ、サクラがもっと早くに、自らの死を受け容れていれば、皆が穏やかに終わりを迎えられたはずなのです、そこに苦しみは無かったはずなのです、なにもかも、遅かったのです」
あぁ、そうなのかな……でも、やっぱり、そうなんだろうな。
「サクラは、自分が生きたいからと、少しでも長く生きたいからと、ただその為だけに、他人の命を差し出したのです、自分だけは良い思いをしたいと、その為なら他人の善意を利用することも厭わない女なのです、ずるいやつなのです」
そうだよね、本当は……最初から、私も分かってた。
「だから、少しは責任を感じるべきなのです、こんなのは、私の何億分の一にもなりませんが、それでも知らん顔はずるいです、納得がいきません、同じ私なのですから、少しくらい責めたって構いません……私は、この何倍も何億倍も、何度も何度も、なんどもなんどもなんどもなんども、同じ想いをしてきたのですから」
……そうだよね、サーラはいつも、辛かったんだもの、私だけじゃないんだもんね……ねぇ、サーラ、私は……どうすればいいのかな。
「受け容れてください、それだけで構いません、どのみちもう終わりなのです、どんなに頑張ってもここまでです、アルタソマイダスが主導権を握りました、おばあちゃんはもう居ません、頼みの綱の辛島ジュートは、まだ無限回廊を走り続けています、間に合わないと言ったでしょう、やはりこうなりました、何も変わりません、変わりませんがこれで良いのです、もうサクラがどんなに足掻いても、ほんの少し、終わりが遠のくだけ……苦しみが続くだけなのです」
そう言うとサーラは、悲しげに俯いたのです。姿こそ見えないのですが、今は私の隣に、ポニーテールの小さな女の子が佇んでいるのを、はっきりと感じるのです。
とても小さくて、細くて、どこか頼りない……たぶん、これが神さまだといわれても誰も信じないでしょう、それほどにか弱い、ただの女の子だったのです。
「もう、終わらせてください……観るのが辛いのです、ありもしない希望に縋るのが辛いのです、サクラが頑張れば頑張るほど、それが徒労に終わるのを……それを見るのが、辛いのです」
ついに、ぐらり、と私の中で何かが揺らいだ気がした。それは、私の中で最後に残っていたものが、ロボ君と出逢ってから、いつの間にか私の胸の真ん中を占拠していた、あやふやだけど確かなものが、ほんの僅かに揺らいだ音だったのです。
「だから、一緒に行きましょう……消えるときまで、ひとりは嫌です」
目の前には、赤い騎士服を着た銀髪の剣姫が立ちはだかっていたのですが、彼女がゆっくりと銀の剣を振り上げても、私は動く事ができなかったのです。
魔法が、解けかかっていたから。
何か緩慢にも思える剣姫の動作は、おばあちゃんが邪魔しているからではないのでしょう、これはいつぞやの走馬灯にも似た、感覚の暴走。終わりを迎えた私の無意識は、それでも最期の抵抗を試みていたのか……でも、これはもう仕方のない事なのです、だってどうにもならないことだから、私にできることは、ただ目を瞑って、それを……受け容れるしか、ない、の? 本当に?
ぞぶり。
でも、考える時間は無かったようです、なにしろ剣姫の銀剣は、この世界で一番硬い物質なのですから、こんな小さな女の子の身体なんて、簡単に……あれ? なんだ、痛くない……てか、切られてないよ?
「久し振りだなァ! 小娘ェ! 」
え、誰、誰だこの声? いや、聞いたことはあるけども、確かにあるけども、他の誰が来てくれたとしても、アンタだけは絶対に無いと思うよ、というか想像してなかったよ、候補にすら入って無かったからね? だってゲスだもん。
「ぐぐぅ、ダレンスバラン=バラン=ロードウォルテン、この地上の支配者であり、絶対の超越者ァ! そしてェ! 至高のォ……おぅ、神であァる! 」
おい、今『王』って言いかけただろ、何勝手にランクアップしてんのよ、てか、なんでこんな所に? 今まで何処にいたの、あと、剣が刺さってるけど、それ大丈夫なの?
「な、なん、なんで、ダゲスが、いるの? どうして、こんなとこに」
「ダゲス? おのれ、人の名を違えるとは相変わらず失礼な小娘よ、だが良かろう、今日の俺は気分が良い! 特別に教えてやる! 」
肩口にめり込む銀剣を素手で掴み……あぁ、一応は自前の剣で受けてたんだね、折れちゃったみたいだけど……というか本当に大丈夫? すごい血が出てるよ、いくら吸血鬼になったからって……あれ、目が青い、ひょっとしてダゲスも人間に戻ったんだろうか。
「声を聞いた事により、俺は世界の理を知った、そして真なる神として君臨するため、ここへやって来たのだ! 」
うん、よくわかんないや。
「本来ならば黒猫と剣姫をぶつけて、奴らが共倒れ、からの漁夫の利を得る腹づもりであったのだがな……ぐむぅ、こうなっては仕方あるまい、支配する世界が無くなっては元も子もないだろう」
うわぁ、思ったよりもちっちゃい理由だったよ……でも、それおかしく無い? 自分がやられちゃったら本末転倒だよね? それに、今さら私のことなんか、わざわざ助けなくっても……だって半分くらい、いや、ほとんど諦めてたもん、私。
「よ、余計なこと、しなくても、良かったのに……」
「強者の振る舞いである! 」
いじけたような私の声に被せ、ダゲスが吠える、その肩口には、少しずつではあるけども、銀の剣が深く刺さってゆくのです。
「これは余裕なのだ! 分からぬか、貴様のごとき爪切り娘には難しい話であろうが、これが強者のあるべき姿なのだ! 自由なのだ! 絶対の支配者が自由でなくてどうする! 好きに生き、勝手に振る舞う、誰に憚ることがあろうか! 」
……うん、なんかよくわかんないけど、とにかく凄い勢いだよ、剣姫の攻撃止めてるしね、案外、すごい奴なのかも知れないよ……ゲスだけど。
「好きに生きるだなんて、出来るはずがありません、そんなことは不可能です! 不愉快です! 責任の重さも知らないくせに! ひとりの辛さも知らないくせに! 何が支配者ですか! そんなに簡単なものではないのです! 遊びではありません! 」
私の隣でサーラが反論する、確かにそうだよ、もしも神さまがちゃらんぽらんだったら、世界が滅茶滅茶になっちゃうよ、そんなの駄目に決まってるでしょ、ゲスは黙ってて。
「ふん、これだから小娘は世間を知らぬ、面倒ならばやめてしまえは良い、それが自由であろう、プリンに飽きたらコーヒーゼリーを食えばいい、支配に飽きたら捨てれば良いのだ……支配者が支配されるものに縛られてなんとする、傍若無人こそが力の証! それを突き通すからこその力であろう! 子供は砂浜で城でも作っておれ! 世界の事は大人に任せれば良いのだ! 」
「な、なな」
うぬぅ、なんたる自己中あんどゲス思考……だけど、そのメンタルだと幸せそうだよね、一回神さまやってみる? 私は絶対に住みたくないけどね、その世界……というかサーラの声って他の人にも聞こえてるんだね、私はてっきり、マイ脳内だけのボイスかと思ってたよ。
でも、まさかダゲスに助けられるとは思って無かったよ、確かにゲスだけど、今までのゲス行動を許した訳じゃないけども……それでも、お礼くらいは言っても良い気がするよ……だって、おかげで思い出したから。
「あ、ありがと、ダゲス、さん」
もう一度、信じられるよ、思い出したから信じられる。ちょっとだけ弱気になってたよ、ハナコさんとシャーリーくんが居なくなって、挫けてたよ、私って本当に馬鹿だ、二人との約束を破っちゃったら、次に会ったときに怒られちゃうよ。
「わ、私は、もう泣かない! ホント泣かないからね! 最後までやってやんよ! 」
「ほう、その意気や良し……むう、肉は足らんが見所はあるな、将来的には俺のハーレムに加えてやってもいいぞ」
「うるさいよ! ダゲスなんか御免だからね! あとハーレム展開なんか認めません! 王子様ってのは一人で良いんです! 」
わはは、とダゲスが笑った気がした、まぁ、笑顔だけは、どことなく愛嬌があるかもね……最後に見えた泣きぼくろが、何か印象的であったのですが、彼の姿はすぐに見えなくなってしまいました。
ぴぃん、と高い音を残し、剣姫が銀剣を払う、まるで、見えない血糊をふるい落すかのように。
「私達の目を掻い潜って、ここまで侵入するなんて……吸血鬼の呪いを精神力で凌駕したのでしょうか、それとも、私の力が落ちているのか……もしくはその両方か……いえ、こんな事も分からなくなっている時点で……そうですね、やはり、力を失っている……終わりなのです」
「終わらないよ! 」
だって、信じてるもの。
「また、そこへ戻るのですか……何度言わせるのですか、奇跡なんて……えっ? 」
ほら、もう視えないでしょ?
だって、どかんと背後の壁をぶち破り、彼が現れたのだから……私には視えてたからね。
「悪いなサクラ……待たせたか? 」
もう自称じゃないよ、これが私の王子様。
「ううん、いま来たところ」
だから、笑顔でお出迎えするのです、涙と鼻水は……今更でしょう。




