だから、信じてる!
聖十字学園の正面広場は、血臭立ち込める戦場と化していました。開けた場所であるにも関わらず、まるで子供の頃に、合成獣脂を分けてもらっていた精肉工場のような臭いが充満しているのです……これは、ますます世界が縮んでいる所為なのか、それとも余りの凄惨な光景に、私の脳内が臭いを再生してしまっているのか……うぅん、この万能視点はちょっと詳細すぎるよ……もしかして、意識してると本当に臭いを伝えてくるんだろうか。
「それがしに家族は居ない……先の戦から……忘れもしない、あれは最初の養生帰宅あった……なんとか動ける程に肉体再生し、家に戻ってみればな……吊っておったよ、家内も息子達も……」
血溜まりの中で正眼に構えたビッケさんは、ロボ君に視線を向けてはいるものの、どこか遠くを見詰めるように語り始めました……その内容はとても悲しいものであり、正直に言って、いくら戦争での事とはいえ、戦いの結果だとはいえ、彼がロボ君に固執するのも理解できてしまう程、辛いものだったのです。
「まこと、世間は非情なものよ、神童新星と持て囃され、聖騎士の称号まで与えておきながら、それがしの敗北が伝えられたならば、何の咎もない家族にまで誹謗中傷、痛罵暴力の雨霰であったそうな……しかし、それがしは気付いてやれなんだ……家族が吊るまで、それを知らなんだ……」
ポツリ、ポツリと語るビッケさんは、これが戦いの前だとは思えぬ程の沈痛な面持ちなのです……しかし、それを聞くロボ君の方も、シャーリーくんに借りたままの『同だぬき』をだらりと下げたまま、なんとも落ち着いた感じ……なんだろう、まるで人生相談でも受けてるみたい、これ、ほんとに二人は戦うつもりなんだろうか。
「だがな、妻の遺書には、それがしを責めるような言葉は、ひとつも無かったのだ……ただ、先立つ事の詫びと、息子達を、留守を守れなかった詫び、そして、汚れてしまった事への詫びが並んでおった……あとはな……そう、愛していると、ただ、それだけであった」
「……俺は急いでる、聞く暇は無いと言っただろう、終わったなら早くしろ」
ちょっとロボ君、もう少し言い方が……いや、急いで欲しいのは私もだけど、急いでくれてるのは嬉しいけど……うぐぐ、こんな状況じゃなきゃ、ちゃんと聞いてあげたかった気もするよ……というかビッケさんも、もっと早くに話してくれたなら……あぁ、やっぱり世の中、うまくいかないなぁ……イムエさんだって、ケン先生だって、もっと早くに、ちゃんと向き合って話し合ってたなら、結果は違ってたかもしれないのに。
「すまぬが、もう少しだけ、付き合ってはくれまいか……ぬふふ、年寄りは意外にしぶといでな……でだ、黒猫殿にはな、聞いて欲しかったのよ、こうなってしまってはいるがな、それがしは、貴殿の事が嫌いではないのだ、恨みなどない……いや、むしろ好ましいとさえ思うのだ……強さとはな、憧れよ……騎士ならばな、そう、いくつになっても……なので、最期に言わせてくれい」
つつ、とビッケさんの剣先が下がってゆく……あれ? なんで、ロボ君が歩き始めた……え、ちょっと、そんな不用意に間合いを詰めて、危ないんじゃないの? ずんずん進んでるけど。
「サクラ君を、救ってやれ……貴殿は強い……力や技などではない、その、心が……それがしには無い……惚れた女を……まも……」
ずりっ、とビッケさんの身体が、縦にずれた。そこで初めて、私は気付いたのです……彼の瞳が、赤くないことに……いつからだろうか、会話を始めた頃からか……いや、もしかしたら、最初から、そうだったのかも。
「余計な時間を使わせやがって……だが、おかげで気合いは入ったかもな……お前は、あの世で嫁さんに叱られてこい」
どひゅん、と静止状態から、一気に加速したロボ君は、今度こそ真っ直ぐに、ここを目指してくれるようなのです、良かった、これなら間に合うかも……どうやら、最初から勝負はついていたようなのです、私の万能視点でも見えない程に、素早い攻撃がなされていたのです。でも、真っ二つにされながらも、ビッケさんはロボ君を立ち止まらせていたんだ……気迫とか執念とか、私にはよく分からない世界ではあるのですが……でも、倒れたビッケさんは、なんだか満足そうな表情で……たぶん、全部出し切ったんだろうね……これはこれで幸せだなんて、私にはとても言えないし、理解もできないけど……ビッケさんが、奥さんや子供のことを、とっても愛してたことだけは分かったよ、その為に戦っていた事だけは理解できたのです……もしも家族に会えたなら、最後まで立派に戦ったと、胸を張って自慢できるのかな。
「セクハラ親父め」
……いや、そうだけども、確かにそうだけど、ロボ君、それは言わないであげて、内緒にしてあげて。
でも、今の話をビッケさんが聞いていたなら、やっぱり、ガハハと笑っていたとは思うのだけどね、うん、きっとそうだよ……後悔しても、辛い事があっても、彼は最期まで笑って頑張っていたのだ……私だって。
その時、私の耳に届いたのは、カチャリという金属音、それに意識を合わせてみれば、いつの間にか剣姫さんは、三歩の距離まで近付いている。じりじりと追い詰められ、背後には冷たい石の壁、私は慌てて横に移動したのですが……なんだろう、剣姫さんの動きが、少しずつ速くなってるような……いや、速くはないのだけどね、というかそもそも、なんで彼女はこんなにスローモーなんだろう。
「ひょっとして、それにも気付いてないのですか? おばあちゃんですよ、残留思念だけで、アルタソマイダスの肉体に干渉しているのです……でなければ、とっくにサクラなんて消されてますよ」
「ええっ!?」
な、なんだって! なんか異常に追い詰め方がゆっくりだから、てっきり私を怖がらせて楽しんでるのかと思ってた、そうだったのか……サーラ性格悪いな、とか考えてごめんなさい。あと、おばあちゃんありがとう! これならロボ君が来るまで、なんとか逃げ回れるよ。
「ですが、もう限界です……これも言いましたよね、間に合わないって……もう結果は見えているのです、だからこその奇跡です、起こりえないからこそ、奇跡なのですよ」
妙に冷めたサーラの声は、達観しているからなのでしょう、やはり神さまなのです、私の万能視点以上のものが、それこそ未来までも視えているのか……けどね、けど、私は諦めないぞ! サーラ知ってる? いくら神さまだって、これは知らないでしょう。
「私は、ダメダメで、ちんちくりんなんだ! だからサーラだってそうだ! 未来なんて視えるもんか、決まってるもんか、どうせ、どっか間違ってるんだからね! そうに決まってる! 」
「なぁっ!?」
ワハハ、びっくりしてるよ、いい気味だよ、みてろよ神さまサーラさま、私は信じてるんだ、ロボ君を信じてる、私みたいなちんちくりんが、ロボ君に勝てるもんか、そこだけは自信あるからね!
「だから、信じてる! 」
私の駄目さを信じてるよ!




