きらい……わたしの、ことが
……なんというか、目の前で自分の首の骨が折れるシーンをね、目撃するとはね、思っても見なかったというか、なんというか……はい、微妙な気分でこんばんは、佐倉サクラです、というかこれ大丈夫なの?
「ろ、ロボ君……イムエさんは、その」
「ん、まぁ死んではいないだろう……さっきはああ言ったがな、間違ってたら困るからな」
おいこら、間違う可能性もあったのか、私がコキャられる可能性もあったというのか! いや、間違ってはないからセーフだけどさ……でも、コキャってるんでしょ? ほんとに大丈夫なの? いくら吸血鬼だからって、首の骨が折れちゃったらマズイんじゃないの? いや、手当てする訳にもいかないのか、うぅん、どうしよう……白眼剥いてるし……舌も出ちゃってるし……うぐぐ、いや、いくらおんなじ顔だからといって情けはかけられないのか、覚悟は決めたつもりだったんだけど……でも……うぬぅ。
「というか、本当にこっちがサクラ先輩で合ってるんですか? もしも勘違いならトドメを刺す前に言ってくださいよ? 」
ちょっと待ってシャーリーくん、なんでかかと蹴りの体勢なの? まさか頭を踏み潰すつもりじゃないよね? やめてよね、顔は私そっくりなんだからね? あと、私がほんとに本物だからね、勘違いじゃありません。
「……辛島さま、なぜ、こちらのサクラさんが本物だと、そう思われたのですか? 疑うつもりはありませんが、根拠を教えてくださいませ、わたくし自身が、納得したいのです」
「別に、根拠という程のものじゃないが……そっちのサクラは俺を嫌ってた、それが理由だ……まぁ、本物に嫌われてる可能性もあるにはあるが、昨日まではそうじゃ無かったからな、なら、こっちが本物だろう」
「き、嫌ってないったら! 」
もう、嫌ってないって言ってるのに、さてはからかってるのか? ……でも、そうか、イムエさんはロボ君の事を憎んでたから、いくら魂まで私になりきってるとはいえ、そのあたりの感情が、わずかばかり漏れ出してしまってたのかも……しかしよく分かったね、ハナコさんにだって見分けがつかなかったのに、でも、おかげで助かったよ、ロボ君ありがとね。
「そういった感情を向けられるのには、慣れてるからな」
「辛島さま……」
呟くロボ君の表情に変化は無かったのですが、私の目には、少しだけ、彼が寂しそうにしてる気がしたのです、おそらくはハナコさんも気づいたのでしょう、ロボ君の上着の袖口に、そっと自分の指を添えて、いや、触れるか触れないかくらいの微妙な位置……あの、ねぇ、ちょっと、立ってない? 申し訳ないけれども、それはNGだからね? 今更のトライアングルとか認められませんことよ?
「で、どうするんですか? 潰しますよ、時間も無いですし」
「し、シャーリーくん! ちょっと、ちょっと待って! 」
三角形も気にはなったのですが、今はこちらが先でしょう、私は彼女の腰にしがみつき、なんとか頭部の破壊を踏みとどまってもらおうとしたのです。だって、やっぱりイムエさんと、これ以上戦う理由が無いんだもの、応急手当だけして、放置しとこうよ……今日の決戦が、どんな結果に終わるのかは分からないけれど、私達が負けちゃったらそこで終わりだし、勝てたとしても、この世界がどうなるか分かんないんだもの……ね、シャーリーくん、そうしようよ、全部終わって、その時また、イムエさんが襲ってきたなら、もう止めないからさ、私も。
「……相変わらず、ぬるい考えですね……ですが、まぁ、こんな雑魚を無理に殺す必要も無いですか」
「ふふ、わたくしは、サクラさんのそういったところが好きですわ……シャーリーさんも、そうではなくって? それともこれは、わたくしの勘違いだったかしら」
「勘違いですよ、間違いなく」
とすん、とかかとを下ろしたシャーリーくんが、呆れたようなため息を吐き出した刹那、それは立ち上がってきたのです。ぐりん、と折れた首を傾げたまま、なにか重力を無視したような不自然な動きにて、笑いながら立ち上がったのです。
「ケヒヒ、殺しちゃえば良かったのに……殺さないから、ブタになるのに……いっしょ、いっしょに、いこう、同じだからね、私も、おなじ」
ドス赤い瞳にて。
「鋭ッ! 」
どん、と踏み込んだのはロボ君でした。彼の躊躇ない抜き手は、精確にイムエさんの喉を貫くはずだったのですが、先ほど、いとも容易く折れたその首は、今度は何かに守られ、ロボ君の攻撃を、キンっと弾いてしまうのです……え、なにこれ? なんか生えてきた? 何これ……腕? って、おわわっ!
「華村! サクラを下がらせろ! 」
「あぁ、黒いのですか……成る程、二人分の魂を食わせてたんですね、これは見破れないはずだ、納得がいきました」
ロボ君に突き飛ばされた私は、ハナコさんのエアバッグに、すっぽりと抱きとめられたのです……おふぅ、なんたる衝撃吸収性、こいつぁたまらねえぜ……いやいや、それどころじゃないよ! なに現実逃避してんだよ、あれは……あれは、イムエさんなんかじゃない、もう違うんだ、あれは。
「サクラ、ねぇさくら、私は嬉しいの……だって一緒なんだもの、イムエもいっしょよ? 嬉しいの、だから私、頑張るよ? ブタは半分にしてあげる……だから、ね? ラーズを探しにラーズはいらないの、奉公をするの! ブタは……豚は、サクラ……さくら! ……」
赤い瞳の、私そっくりな人形は、背中から四本の太い腕を生やし、鎧のような、ウロコのような黒い硬皮を全身に纏い始めるのです、指の付け根からは50センチ程の爪が伸び、お尻の辺りからは爬虫類を思わせる長い尻尾。
「せんぱい、こいつ転化きちん装甲を造ってます、ちょっと、素手じゃ面倒ですね……なので、僕がやります」
まぁ、多少の因縁もありますし、と不敵に笑うシャーリーくんだったのですが……で、でも、大丈夫なの? シャーリーくんだって素手じゃん、刀持ってないよ? もう抜刀出来ないんだよ、イムエさんとハロっくんは吸血鬼になってるし、合体してるっぽいし、いくら君が強くても、苦戦するんじゃ、ぶもごっ。
「……そういうの、イラつくからって、いつも言ってますよね? いい加減に覚えてくれませんか……はぁ、馬鹿の相手は疲れるから嫌いです」
ちゅいん、と歯の隙間から息が漏れるような音、私の頬を鷲掴みにするシャーリーくんの背中に、数条の光が伸びてゆく、あ、ちょっと危ない! 敵に背中向けてちゃダメでしょう、これ『体熱線銃』だ、間に合わ。
しかし、鎧の隙間から放たれた赤い熱線は、シャーリーくんの背中に生成された丸い盾に命中すると、みょいんと方向を変え、我が家の天井を切り裂いたのです、耐爆仕様の頑丈な網状鉄筋強化コンクリートも、飴のように簡単に溶断され……あ、崩れる、これ崩れるよ、というかウチを壊さないでください、お外でやって、あ、はい、私が出て行くんですね、素直に担がれます、おいでもこたん、ここはもう駄目だよ、また引っ越ししなきゃ。
「ふわわっ! 」
リビングの掃き出し窓から、飛び出した私達の背後で爆発が起こる、中でまた先端呪術が行使されたのでしょう……あわわ、シャーリーくん、大丈夫だろうか? 彼女も凄腕の呪術師だけど、イムエさんにはハロっくんも付いているのだ、真正面からのぶつかり合いは……ね、ねえロボ君、手を貸してあげたほうが。
「ん、あの程度なら問題ないだろう……どうせ残すは、ひとこと、ふたこと」
ロボ君の口からは、なにやら聞き覚えのあるフレーズが……あ、いや、私この呪文きらい、なんか首とサヨナラした時の記憶がね、呼び起こされるからね、やめておくんなまし。しかし短い間とはいえ、住み慣れてきた我が家が崩壊するところを見るのは、なんだか悲しいよ……担がれたままに首を捻り、私はその光景を眺めていたのです、小さくとも、楽しい思い出の詰まった家でしたが、今は熱線と爆風、そして怪獣達の暴力に晒され続けており、その姿はすでに、見る影もないのです、ロボ君とハナコさんが、飛び散る破片や熱風を防いではくれていたのですが、私の心には、何か色々なものが刺さっていくようで……悲しいのです。
「じゃまっ! じゃまっ! なんで、なんで、そうするの、半分になれ! なってよ! サクラの前で、辛島を殺すの! おんなじにしたいの! ずるいの、私は、こんなに、イムエ、にげて、危ない、この豚はあぶないから」
どおん、と瓦礫を吹き飛ばし、粉塵の中から二匹の怪獣が飛び出した。イムエさんとハロっくんの方は、もう、腕が三本しか残っていない、熱線を吐き出し続けてはいるものの、傾いたままの私そっくりの顔からは、涙のように赤い血が流れ続けており、もう限界だろう事は、誰の目にも明らかなのです……いや、そもそもが、二人は最初から、戦えるような状態じゃ無かったのだ……もしも万全ならば、もう少し……ううん、それも違うな、イムエさんもハロっくんも、こないだの戦いで既に限界だったのだろう、それなのに、残り少ない命と魂を削ってまで、私に化けて現れたのは……どうなんだろう……いや、ひょっとしたら。
がしゅっ、と固い音が響き、俯いていた私は、戦いに視線を戻した。すれ違ったままに動きを止めた両者は、互いにひとつ息を吐き出し……あれ、シャーリーくんが抜刀してる? なんで? 使えないはずだよね? あ、先端呪術で直接召喚したのか、戦闘力は上がらないだろうけど、確かに、あの装甲相手に素手は無理だもんね。
「……二言、同だぬき」
くりくりっと刀を回転させ、シャーリーくんが刃を地面に突き立てた、それと同時、イムエさんとハロっくんの身体が、腰の辺りからずり落ちる……そのせいかどうかは分からないけれど、今まで私そっくりだった肉体がぼやけ、まるで本来の自分を取り戻したかのように、イムエさんとハロっくんは、元の二人に分裂したのです……腰から上だけ、なのですが。
「……つめたい、ぜんぶ……なく、なっちゃう……」
「い、い、いむ、イムエ」
仰向けに転がるイムエさんの身体からは、急速に熱が抜けているのでしょう、ぱくぱくと口を開閉させ、消え入るような声にて、ひとり呟き続けるのです。
「……ぜんぶ、なくなっちゃった、わたしのせい……ぜんぶ……しってた、のに……」
「い、イムエ、イムエ、わ、笑って、泣かないで、笑ってるほうが、いむえ、すき」
ずりずり、とイムエさんに這い寄るハロっくんは、いつか見た彼のままに、その純真無垢な瞳を彼女に向けているのです、まっすぐに。
「ハロック……ごめん、ごめんね、わたし、あなたに、ひどい、こと……」
「ひ、ひ、どくない、イムエ、好きだよ、一緒にいる、ず、ずっと、ずっと……ずっ……ず……」
「……ごめんね、ごめんね……でも、わたしは……きらい、なの……」
イムエさんの言葉はしかし、ハロっくんに届きませんでした……なぜならば、彼の方が先に、天に召されてしまったから。
「きらい……わたしの、ことが」
決戦を前にして、私の家は無くなってしまいました。
ですが、ここはもう必要ないのです、だって私の帰る場所は他にあるから。
この場所は、二人に譲ることにしたのです。




