いっそ、わたくしが……
人を信じる、というのは中々に難しいものなのです、分かります、当然です。でも、不思議ですよね、疑うのならば簡単なのに、その逆となると、どうにも怖くて、不安で、とても切ない。
「だけどね、サクラ、信じるなんてのはさ、結構、簡単なものなのさ」
あれは、いつの頃だったかな、まだ私が小さくて……うるさい、今も小さいのは分かってる、茶々入れんな。あと言っておく、まだ成長中だからな、来年には、ぼいんぼいんやぞ。
でも、こうしてふざけてるのも、私がまだまだ、過去の痛みを、まるで克服していないから、なのでしょうね。心の奥に押し込めて、フタをして、忘れたつもりになっているだけなのでしょう、きっと。
今は、中京なんて呼ばれてる『天嶺』が私の生まれ故郷なのだそうです、正直、いくさがどうのこうのなんて、子供だった私は全然覚えて無いのですが、あの頃は、とにかくバタバタしてた事と、いつもお腹が空いていた事、おばあちゃんに連れられて、東京の田舎に疎開した事、そこで初めて見た、本物の大自然に、すごく感動した事だけは、はっきりと記憶に残ってます。
ですが、たとえおばあちゃんの孫とはいえど、西方の戦火から逃れてきたという、なんとも怪しげな余所者なんか、村の人に受け容れてもらえるはずもなく、私は、残党狩りに現れた兵隊さんに、突き出されてしまいました、結局、その村では一年も暮らしていません。
突き出したのは、唯一、私に優しくしてくれた、村の男の子。
匿ってやるからと言われ、彼の家に逃げ込んで、そして、家ごとに火をかけられました。あの時、おばあちゃんが気付いてくれなければ、私は、押入れの中で震えたままに、こんがり黒焦げになっていたことでしょう。
でも、今なら分かります、彼はおそらく、両親に叱られてしまったのだろうと、どんなに頑張っても、子供には、どうする事もできなかったのだろうと。
きっと、そうなのだと。
だから、最後に見た男の子の顔が、恐怖に歪んでいたのも、恐ろしげな呪いの言葉を吐き出していたのも、私の夢に違いないのだ、こんなものは、箪笥の奥に押し込めておくものなのだ。
私は泣きました、他にできることが、なにも無かったから。
「……ねえ、人を疑うなんてのは、当たり前さね、他人の心なんて、誰にも分からないんだから……だからね、サクラ、他人を信じる時はね、その人を信じるんじゃない、自分の心を信じるんだ、信じたいって気持ちをね、貫き通す事なんだよ、そう考えてごらん……ほら、頑固なアンタにゃ、簡単な事だろう? 」
泣き続ける私を抱きしめて、そう言って笑うおばあちゃんに、でも、あの時は、まるで納得できませんでした、もう、誰も信じられないと泣きました。だってそうでしょう、また、裏切られたらどうするの、怖いし、痛いし、悲しいよ。
「おや、サクラは、ばーちゃんも信じてくれないのかい? 」
そんな事ない! 私には、おばあちゃんしかいないもの、大好きだもの、信じてるよ、今だって。
「そうかい、嬉しいねぇ……ばーちゃんも、サクラの事が大好きだよ、だからね、信じておくれ、自分を信じておくれ、信じる人が居ないってのは、信じてくれる人が居ないってのは、それはね、怖くて、痛くて、悲しくて……おまけに寂しいことなんだよ……裏切られる事なんて、それに比べりゃ、なんて事ないんだよ……」
(……きろ)
うん、わかるよ、分かる、ばーちゃんが居なくなって、分かったよ……私、寂しいよ……会いたいよ、おばあちゃん。
(……おきろ)
「ねぇサクラ、この世にね、たった一人で良いんだよ、貴女が信じる人を、見つけなさい、いつかきっと、見つかるんだから……これはね、そう、運命の人さ、すぐに分かるよ、だからその時はね、貴女が信じてあげなさい、サクラが信じてあげれば、きっと、向こうも信じてくれるんだよ、分かるかい、サクラだけじゃないのさ、その人だって、きっとね、ずっと、寂しかったんだから、ね」
うん、分かった、私、信じるよ、おばあちゃんを、信じてるよ、今でも。
「いい加減に起きろ、身体に異常は無いはずだ」
「ふわぁっ!?」
突然の浮遊感、そして、脳内の血液が一気に指先へと移動したような、すっ、とした冷感。
「辛島さま! あぁ、なんて乱暴な、わたくしが、わたくしが抱えます! 離してください、やわっこいの」
おおぅ、なんだこれ、ちょっと待って、考えさせて、何これ、どうなってんの、だれだここ、どこだこれ、天蓋付きの豪華なベッドに、カーテンふわっふわの綺麗な部屋、私にしがみついてるのは超絶美少女と、抱えてるのが機械獣……よし、把握した、しばく。
まるで米俵のように私を抱えるロボ君に、これは、うん、怒りだな、間違いない、とりあえず怒りを覚え、手を伸ばして彼の尻を叩いた。
「やっと起きたか」
なんだとこのやろう、貴様はいつもそうだ、先に心配しろよ、あと、人の尻を触るな、女の子やぞ、柔肌やぞ、嫁入り前、の……えっ?
「へ、ふゃぁ」
あ、なんか変な声出た。いや、これは仕方ない、嫁入り前だからね、乙女だからね、本能だよ、私のせいじゃない、はい、大きく息を吸ってー。
「ひぃやあぁぁぁぁん!!」
よし、我ながら良い声出た。
華村家が所有している学園島の別宅は、ハナコさん曰く、ささやかなものだそうである。まぁ、そうかもしれないね、樹々に囲まれた噴水とプール付きの庭園は、せいぜい野球場くらいの大きさだし、今時珍しい、古い様式の二階建てだし、部屋だって大きな客間が二つに寝室が八つ、あとは従業員用の部屋が十くらいだそうだし、家具だって高そうだし、よくわかんないけど教科書で見たような絵が飾ってあるし、メイドさんはいっぱい居るし、紅茶は美味しいし、スコーンだって焼きたてだから、手が止まんないよね、ブルーベリーのジャムが好き。
「……サクラさん、そろそろ、きちんと、謝らせてください、今回の失態は、全てわたくしの責任ですわ、これは、謝って済む事では無いと、理解もしています、サクラさんには、怖い思いをさせてしまいました、既に割腹の支度は済んでおりますの、これは、最期の……」
「そういうの、もう、いいから」
ちょっとだけ、言葉遣いがぞんざいになったような気もするのだけれど、もうね、仕方ないのよ、飽き飽きしてるのさ、なんだよ、さっきからハラキリハラキリって、最後の武士か、怖いわ、冗談でもやめて、本気ならしばくわ。
「そんな事はどうでもいい、奴等が、何処から来たのか、本当に知らないのか」
ずずっ、と紅茶を啜り、未だ剣呑な目付きにて、ロボ君がハナコさんに問いかけた。うーん、さっきの喧嘩、なんか根にもってる? もう、みみっちい男は嫌われるよ? 過去の事は引きずらないでさ、仲良くしようよ、あ、でも、お尻触った事は許さないよ、というか気にしろよ、やわっこかったやろ、その上着だってな、さっきまで私が着てたんだぞ、しかもマッパでな! 気にしろよ、なんだよ、こっちが気になるだろ、修験者かよ、赤くなれよ、即身仏にでもなる気かよ。
「……いえ、それが、申し訳ありません、本当に心当たりは無く……」
しおしお、と小さくなるハナコさんの姿は、確かに珍しいだろうか、いつも自信に満ち満ちてるもんね、貴重な光景だね、ちょっと可愛いかも。
「奴らは、人体装備が指導官と違ってた、西京の騎士ってのは、そんな事も分からないのか? 」
おいこら、ちょっと、言い方! もっとあるだろ、もう、だいたい、そんなの見ただけで判別できる訳ないじゃない、ばーちゃんじゃあるまいし、匂いが違うとか言わないでよ。
「くぅ……面目もありません、ですが、わたくしもリストは確認しておりましたし、彼等の遺伝子走査も行いました、間違いなく、本人だったのです」
「なら、敵は奉基署にも居るな」
ん? ……あの、ちょっとなに言ってるのか分からない。
「っ、それは! いえ、あり得ませんわ、そもそも、サクラさんを狙う理由がありません……ですが、辛島さま、もしも、貴方が、何かを、その理由を、知っていると言うのなら、お願いします、わたくしにも教えてください……サクラさんを守る為に」
「駄目だ、お前は信用出来ない」
「ぐうっ! 」
ちょっと、ロボ君、なに言ってるのかは分からないけどね、あのね、ハナコさんはね。
私が口を開きかけたところで、その端正で可憐な唇を、真一文字に結んでいたハナコさんが、がたっ、と立ち上がる。え、なに、ちょっと、なにする気? そのナイフは、ご飯食べる用だよ? ハラキリには向いてないよ? だから落ち着いて、ねぇ、ちょっと!
「ならば、その目で見て頂きます! わたくしに、うらはらなど無いという事を! 」
ずぶり、と、テーブルナイフが彼女の腹部に突き刺さる。
「あっ!?」
私の手の平ごとに。
「さ、サクラさん! なんて事を! あぁ、いけない、誰か! 誰か来なさい! 」
あたた、もう、途中で止めてよ、騎士なんでしょ、全く、そろそろ気付いてきたけどね、ハナコさんって、ちょっと、向う見ずというか、考えなしというか、そそっかしいよね、すぐ暴走するし……ていうか、痛くないの? おなか、刺さってたよね? 深々と、私の心配はいいからさぁ。
「か、辛島、くん、ハナコさんを、ね、私……信じたい」
うん、お腹にナイフ突き立てる意味は、さっぱり分からないんだけどね、ちょっとね、足りない気もするんだけどね。でも、私は、信じたい、だって、ここに来て、初めて出来た友達なんだもん。
「……こんな馬鹿な女は、到底、信用出来ないけどな、まぁ、お前が信じたいなら、好きにしろ……俺は、お前を信じるだけだ」
「えっ? 」
なに、この人、いま何て言ったの? 私を信じる、の? 何でさ、会ったばかりじゃん。
「な、なん、で? 私を、信じるの、どうして? 」
メイドさんの持ってきた包帯で、ぐるぐる巻きにされながら、ちょっと、ハナコさんや、私をミイラにでもするつもりかい? というかお腹の怪我は? ……あ、腹筋締めて血を止めたんですか、はいはい、すごいね、このゴリラ! 心配して損したよ。
いやいや、それはそれとしてだね、なんでさ、ロボ君は、ねえ、なんでなのさ。しかし、私の疑問が届いているのかどうか、片方だけ、くいっと眉をあげた彼は、このしっちゃかめっちゃかな空気にも動じる事なく、なにか興味無さげに、ぽつり、と零したのです。
「……俺が先に信じないと、お前にも信じてもらえない、そういうもんだろ、お前を守る為だ」
なんでもないように、そう言うのです。
おばあちゃん、天国のおばあちゃん、私は、確かに乙女なのですが、運命なんてものは、これっぽっちも信じておりません。だって、今まで、ろくな巡り合わせ無かったしね、やなことばっかりだよ、だからね、そんなものは信じないの。
だけど、なんだろね、これ。
キュンとくるとか、ドキドキするとか、そういうのとは、ちょっと、違うかなぁ、ねぇ、ばーちゃん、なんだろうね、これ。
「サクラさん、あぶないっ!!」
突然に、ずっしゃあっ、と飛び込んできたのは、華村ゴリラさんだ。椅子ごとに押し倒され、ワックスの効いたツヤッツヤの床に、ごろごろと転がり回される。な、なんだ、ついに野生を取り戻したのか、森に帰るのか?
「いけません! いけませんわサクラさん、わたくしは認めませんからね! あのように野蛮で、けだものじみた殿方などに、サクラさんをお任せする訳にはまいりません、ああ、いけない、嫌らしい事をするつもりなのです、これは罠です、サクラさん、落ち着いて」
お前が落ち着けよ! いいから離れろ、なんで首筋に食いついてくるんや! ちょっと、こら、お腹平気なのかよ。
「ちょっ、ハナ、コ、さん! おちついて! 」
「いいえ、わたくしは冷静です、落ち着いていますとも、そうですわ、あの男は、先程も、何かと理由を付けて、わたくしにサクラさんのお世話をさせずに、身体洗浄機にだって、私が入れたかったのに! あぁ、いけない、サクラさんの、可憐な、花びらが……穢されてしまうというならば、これは、もう……」
はい、ちょっとまて、今、何か聞き捨てならない話が聞こえたよ? 洗浄機? 入れたの? 誰が? ……ハナコさんじゃないなら、このお屋敷のメイドさんだよ、ね? うん、そうだよね、服、脱がさないといけないもんね、いくら信用してないからって、まさかね、そこまではね、ありえるなオイ!
ぐわー、やめてよ、もう、キャパオーバーだよ、ねえ、なんなのよ、今日一日でどんだけ私の心に負荷をかける気なのよ、うん、そうだ、もう寝よう、色々めんどそうなお話は、明日にしてもらいます! よし、決めたよ、だから、これが最後の突っ込みね! はい決めた、大きく振りかぶってー。
「いっそ、わたくしが……」
「この、あほー! 」
ぱしーん。
あ、良い音。