マジですよ
あっという間に、私の周囲は地獄に変わってしまいました。前後の乱戦から距離を置いて、2メートルの物見やぐらから辺りを見渡せば、吹き上がるのは砂塵と血しぶき、響き渡るのは爆音と悲鳴ばかりなのです。
「サクラ様、強行します 」
膝の下から、アシナガさんの声をかけてくる。普段はのっぺりとした喋り方なのですが、流石の忍者さんも、やはり緊張はしているものか、声に若干の堅さと焦りの色が含まれているみたい。
「ま、まって、今動いたら、かえって迷惑になっちゃうよ、もう少しだけ様子を見ようよ」
確かに、逃げるには絶好の機会かもしれない、そして最後のチャンスかもしれないのだ、だけど、いま私が移動すれば全員が追い掛けて来るだろう、こちらが押されているとはいえ、迂闊な真似をすれば、一気に流されてしまいそうだよ。
「了解しました、ならばハナコ様を待ちます」
「う、うん……うん? 」
ハナコさんを? なんで? 何を待つの? アシナガさんには、なにか考えがあるのだろうか……事前に二人で打ち合わせでもしていたのだろうか? ……ともかく、今は様子見だよ、逃げるのは確定してるけど、闇雲に動き回る訳にもいかないのだ、まぁ、のんびりしてられないのも確かなのですけれど。
目の前の戦いは激しさを増すばかり、突如として乱入してきたハロっくんは、ダゲス騎士団にボルトナットを撒き散らし続けている。普段ならば、抜刀した騎士相手には牽制程度の意味しか持たないこの兵器だったのですが、なにやら敵の動きが鈍いようで……おそらくはイムエさんの先端呪術「泥田圃」だろう……うぅん、彼女はこんな大規模に呪術を展開できただろうか? ダゲスもそうだし、やはり、吸血鬼になると色々と強化されるのでしょう……その代償が、一体どれほどのものなのかは、分からないけれどね。
壊れたようにケタケタと笑うイムエさんの姿を見れば、そう思ってしまうのも仕方ないのです、以前は丸顔で可愛らしく、年齢よりも幼い印象を受けていたのですが、今の彼女は、まるで血を垂らしたように赤い唇の端を吊り上げ、妖艶に、しかし左眼だけから涙を流し、笑い続けているのです……少なくとも、私の知ってるイムエさんは、もうここには居ないのでしょう。
戦場の真ん中であるにもかかわらず、感傷に浸り、そんな事を考えていた私の背中を、どむん、と背後から衝撃が襲う。何かの呪いで攻撃されたのだ……うわ、危ない、目が覚めた……でも幸いにして、アシナガさんの仲間が防いでくれた為に、大した被害は無かったのですが……今のは私を狙ったものか、それともただの流れ弾か。
なんだか状況も変わってきてる、これじゃ、敵には私を殺すつもりが無いって仮定も、いつ崩れるか分かったもんじゃないのだ……爆弾モグラを投下し終え、頭上に移動してきた合成ウミネコ達は、いざという時の盾がわりにもなるそうですが、騎士を相手に、一体どれ程の効果があるものか。
「そ、そうだ、ロボ君は……」
不安に駆られた私は、最初の大爆発以来、まるで気配を感じないロボ君を探す為、大きく腰をねじり背後の戦場に目を向ける。
はたして、私の信じる人は、そこに居たのです……爆発の起こったその場所で、自慢の弩級刀を正眼に構え微動だにせず。少しだけ残念ではあったのですが、ハナコさんから貰った抜刀機は、すでにロボ君に渡してあるのです、でも、彼がちゃんと剣を構えるところなんて初めて見たかも……やっぱり、剣姫さんとやらは、相当にお強いのだろうか。
「うぐぐ、き、綺麗……」
でも、少なくとも、相当にお美しいのは間違いないよ……腰まである白金色の長い髪に、昨日の温泉上がりの私を遥かに凌ぐ、滑らかさと艶やかさを持つ白い肌、切れ長の目、身長はハイヒール込みでロボ君と同じくらいだろうか……でも、砂浜でハイヒール? まぁ良いけど、なんで沈まないんだろ、強接地かな?……真っ赤なヒールに真っ赤な騎士服、随分と派手な格好だけれど、ミニスカートから伸びる白い脚と長い髪がうまくバランスを取ってるよね……悔しいけど、見た目では勝てそうもありません……ぼいんぼいんだし……ちくしょう……でも、なんだろうこの人……歳がよく分からない……二十代にも見えるけれど、年下だと言われても納得してしまいそうだよ……というか、なんというか、 表情が無いというか、瞳に、色が無いというか……ホントに生きてるの? この人、置物じゃないよね? 動かないし。
「う、動かない、ね、どうしてだろう? 」
「動いてないように、見えますか? 」
「ふわぁっ!?」
な、なんだ! シャーリーくん? なにしてんの、どっから来たの? 向こうは良いの? ちょっと、脅かさないでよ、アシナガさんもビックリして飛び上がってたじゃない、いい気味だけどね、こないだ私を脅かしたからそうなるんだよ、次からは気を付けてね。ワハハ。
「あんなの、どうにでもなりますよ、抜けて来た雑魚だけ潰せば済みます……それより、せんぱいが危ないですね、やっぱり壊れてる……せめて、自前の剣が遣えれば話は違うんでしょうが」
「つかってるよ? 」
え、使ってるよね? わたし、抜刀機渡してるもん、てか使ってるでしょ? 見えないの? シャーリーくん、なに言ってるの、相変わらずそそっかしいなぁ。
「イラっ」
あ、あだだだたっ、ごめ、ごめんなさい、足の爪を剥がそうとするのはやめて! 隙間に爪を入れないでください、まじごめんなさい、戦場の緊迫感に耐えられなかったんです、怖いんです、気を紛らわそうと必死なんです! 分かってください。
「はぁ、まったく……サクラ先輩は馬鹿なんですから、余計な口を挟まないでください、僕が言ってるのは、せんぱいの剣ですよ、いま遣っているのは、田上ヒョーコの『へしきり丸』ですからね、あれも良い剣ではありますが、今にも折れそうですよ……まぁ、あんなの相手じゃ、仕方ないですけれど」
そうなの? おばあちゃんの剣だったのか、あれ……でも、だったらロボ君の剣を使えば良いのに……いや、使えるならとっくに使ってるか、なにか問題があるのかな? というかシャーリーくん、さっきから言おうと思ってたんだけど……ノールックの百歩神拳はやめて欲しい気がするよ? なんとなく怖いからね、というか、ちゃんと狙ってるの? それ。
「あ、そうそう、本題を忘れてました、これをサクラ先輩達に伝えようと思って来てたんですけど……」
ん? なに、今度はなにさ、てか、シャーリーくんも結構なツンデレだよね、何かにつけて、私がどうなろうと関係ない、とか言ってさぁ、なんだよ、さっきからお節介ばっかりだよ、うい奴め、もし私が男の子に生まれてたら惚れてたよ、即、押し倒してぼいんぼいんにしてやるよ、あ、ぼいんぼいんにはできないか、薄いから……あだだだっ! ごめんなさい、ごめんなさい、血が出てるから! 刺さってるから! 天然のペディキュアになるから!
私は泣きながら彼女を拝み倒して、何とか爪は半分で許してもらったのですが。
「次に余計なこと言ったら、その度に剥がしますからね……はぁ、まぁ良いです……で、華村先輩がそろそろ抜刀しますが、忍者さんは分かってるようで分かってないですね、この位置だと巻き込まれますよ? もう少し離れた方が良いんじゃないですか? 」
ん? 抜刀? また分からない、ハナコさんも抜いてるじゃん、もうバリバリ戦ってるよ? なんのことだろう。
「……マジですか」
「マジですよ」
私には分からなかったのですが、どうやらアシナガさんには通じたようで、肩車されていても感じる程に、彼女の声音と表情に、焦りの色が濃くなってゆくのです。
「左右に走っても間に合いませんよ? 忍者さん達はともかく、サクラ先輩は、ね……耐えられないですからね、間合いの外に出たいなら、ほら、あっちに走るしかないでしょう」
ぴっ、とシャーリーくんが指差す先には、背中から生えた後付け腕に四本の鉈を握って暴れ回るハロっくんと、吸血鬼ダゲス達の織りなす大乱戦。
まさに地獄であったのです。
「……マジですか」
「マジですよ」
マジですか!




