先に、手を洗え!
前言撤回、許さない。
はい、許さないよ、嫁入り前の乙女の柔肌を何だと思ってんの。
確かに、助けてくれた事には感謝してる、ありがとうございます! だが、しかしだ、襟首掴んで後ろに放り投げるとは何事か、もっと優しくしろよ、元々ビリビリにされてた服が、完全にお亡くなりですわ、おっぱい丸出しやぞ、手ブラだぞ、スタイルに自信のないグラビアアイドルか、いや、あってもやるな。
などと、心の内で悪態を吐けるのも、まぁ、彼のおかげではあるのだけれどね、私にも、少しだけ余裕が戻ってきたようです。ちょっと漏らしたけどね、ちょっとだけね。
しかし、落ち着きを取り戻したのは、ピッチリ野郎共も同じであった。最初こそ、突然の闖入者である、この傷顔殺人王子に対して、ある程度の距離を取り、しばらく周囲を見回していたのだが、相手が独りきりだと判断したのだろう、途端にあの厭らしい笑い声を復活させるのだ。
「おいおいおーい、びっくりさせやがってぇ、あのお嬢様が戻ってきたのかと思ったぜ」
「せやな、心臓に悪いわ、もう止まってるけど、ワハハ」
バイザーを戻したせいで、表情は読み取れないのだが、いや、果たして、あのゾンビのような素顔に表情が生まれるのだろうか? まぁ、ともかく、声だけはまことに厭らしい。くそう、なんか腹立ってきた、王子、あいつらやっちゃって。
とはいえ、相手はお役人、顔の怖さなら負けてないのだが、ただの学生である王子に勝てる相手だろうか。でも、逃げようにも、さっきのルームランナーがあるし……ううん、おばあちゃん、ここは戦うところなのでしょうか。
「あ、あの、あの、えっと……辛島、くん」
「……違う」
え、嘘、やべ、名前なんだっけ、いや合ってるよね? 確かそんな名前だったよね?
「お前ら、指導官じゃないな、身体の規格が違う……なら、殺して良い、手合いだ」
そう言うと、彼はズカズカと前に出る。あー、はい、そうでしたか、そうだよね、私のほう、全然、見てないもんね、くそう、こっちも腹立つな、許さない理由がまた増えた。
「あらら、ですってよ? ガリンストさん、どうします? 」
「馬っ鹿、名前言うなよ、あ、こいつは戸部さんです、どうぞよろしく、これでさようなら」
にゅっ、と突き出されたガリなんとかの右手が、縦に割れる。人差し指と薬指の股が手首まで裂け、その間に小さな雷が走ったかと思うと、なんたる事か、奴の中指が超高速で打ち出されたのだ。
電磁指撃装置だ、むかし映画で見たことある、ヤクザの抗争は、大抵これで親分が殺されるのだ、ばーちゃん好きだったなぁ……いやいやいや! 駄目! あんなの、この距離じゃ避けられないよ。
しかし。
プンッ、と蚊の鳴くような音を残し、振り抜いた王子の右手が、ピッチリガリやんの中指を跳ね飛ばしたのだ。うげ、速い、全然見えなかった。
一瞬遅れて、林の奥で爆発音。
「こ、こいつ、騎士だ! 格闘せんっ!?」
最後まで喋ること叶わず、ピッチリ2号の顔面に、王子の拳がめり込んだ、いったい、いつの間に距離を詰めたのか、爆発に合わせたかのように振り抜かれた一撃は、まさしく『めり込んだ』のである、これは比喩ではない。どちゃり、と地面に崩れた2号の身体からは、湯気のような煙のようなものが立ち上り、もしも近づけば、おそらく鼻が曲がる程の悪臭だろうか、あ、こっちは比喩ね。
「と、戸部ェ! 野郎、ぶっ殺してやる! 」
激昂するガリなんとかの叫びにも、全く表情を変えず、王子は右手に嵌ったままの、まるでグローブみたいにも見える黒いヘルメットを、ぐぽり、と外すのだ、うわー、なんか溢れてきた……中身か……ちょっと、いや、かなりグロい、いかに東京育ちの私とて、決して耐性があるという訳でもないのだ、キモいものはキモいのである、明日までお肉は遠慮したい。
というか、王子強くない? 相手はお役人ですよ? マジで戦場帰りなの? なんで学校なんかに通ってんの? などと、私が考えてる内に、ガリなんとかもアッサリ倒されてしまった。やられ方は同じであったが、わざわざバイザーを上げてから殴られてた、固そうだったし、ひょっとして、手、痛かったのかな? なんだか、ちょっと同情しちゃうよ、しないけどね。
しかし、どうしよう、助けて貰ったのは間違いないし、感謝の気持ちは胸にいっぱいなのだが、いざそれを伝えるとなると、上手く言葉に出来るか分からないのだ、この、生来の口下手が恨めしい、来世はもっと、お喋りな娘に生まれたいよ、ああ、こっちに来る、どうするか、とりあえずは向こうの出方を待って。
「コイツら、華村が呼んだのか、奴は何処だ」
はい、かっちーん、なんだこいつ、他に言うことあるだろ、もっとこうさぁ、大丈夫か? とか、怖かったろ? とかさぁ! なんだよ、ドキドキさせろよ、今、トキメキチャンスをふいにしたよ、フラグぽっきりやぞ。
「……ありがとう、ござます、危ないところ、助けて、くれて」
「いや、いい、奴は何処だ」
でもね、ちゃんとお礼は言いますよ、もちろんね、感謝はしてるしね、けどなんやその態度、こちとら丸出しなんやぞ! それについてもリアクションとか無いのかよ。
「あ、あの、その、その前に、何か、着るもの、かして……」
真っ赤やぞ! 自分でも分かるわ、恥ずかしいんです、お年頃なんですゥー。ええ、私としてはですね、最後のラブチャンスとしてですね、貴方の上着なんかをね、貸して頂けたらね、ちょっと照れながらね、恋に落ちるもやぶさかではなかったのですけれどもね。
……死体から上着を剥ぐなーっ!!
なんやこいつ! アホか! それとも阿保か、着れるかそんなもん! 常識で考えろよ、ああもういいです、諦めました、微妙なこの感情に、ようやくケリが付きましたともさ、まぁね、そもそもが、こんな殺伐としたね、凄惨な現場でね、甘酸っぱいラヴを期待した方も悪いんですけれどもね……あぁ、なんか情緒不安定だな、やっぱり、怖かったんだなぁ。
ようやく、それに気づいた私は、それと同時に湧き上がる、肺から漏れ出るような嗚咽を堪え切れなくなった。俯いて涙を零すと、しゃっくりも混ざって、上手く呼吸が出来ない。
「うっ……ぃっく、ひっぐ、ゔゔぅっ……」
「どうした、どこか痛いのか、怪我をしたのか? 」
違うよ、もう、分かれよ、ちくしょう……ふりふりと、なんとか頭を揺らし、私は否定する。
すると不意に、ずしり、と両肩に荷重がかかる。何だこれ、なに? え、制服? え、重くない? 学園島の制服でしょ? 何キロあんのよ、修行中の異星人かよ。
「なんだ、怖かったのか、それを先に言えよ」
いや、だから分かれよ、真っ先に思いついて然るべきだろ、こいつ、人の心が無いのかよ、ロボか、ロボ王子か、ロボの君か。
いや、案外、そうではないのかも。私だって口下手だ、彼の事を言えた義理ではない、そもそも、本当に心無い人間ならば、私を助けてくれるはずも無いのだ。
この異常に重い制服、華奢な女の子に被せるのは、確かに躊躇われるかも知れない、怪我の心配が先立つのは、ただ単に、私を案じてくれたからなのかも知れない。ロボ君は、ぶっきらぼうな態度と足りない言葉で、皆に勘違いされてるだけなのかも知れないのだ。
きっと、そうなのだろう。
だって、今、私の頭に乗せられた彼の手は、とても大きく、暖かいのだから。
きっと、そうなのだ。
だから、私は顔を上げる、ちゃんと彼の目を見て、ちゃんと伝えるのだ。
「先に、手を洗え! 」
はい、許さないよ、やっぱロボだこいつ。